みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

イオ

とことん飯盛城(御体塚郭周辺) (2023/02/11 訪問)

(続き)

倉屋敷郭から三本松丸を抜けて御体塚郭へ。御体塚郭手前(南東下)の谷部にも状態の良い石垣が見られます。御体塚郭は三好長慶の死を秘して遺体を仮埋葬した地で、中央に塚状の石組みがあり石碑も建てられているので、てっきり長慶の墓碑だろうと思って碑文を読んでみると……登山三百回記念?? 気を取り直して御体塚郭の東斜面に回り込むと、一部崩落してはいるものの見事な石垣が遺っていました。

御体塚郭と北郭の間には巨大な堀切があり、岩盤を削り込んで尾根筋を遮断しています。北郭は飯盛城北端の曲輪で、生駒山地の北西突端にあたるため、北東から南まで素晴らしい眺望が開けていました。北郭の先は四条畷神社に下りる道なので、ここで引き返して今度は支尾根の曲輪群をめぐります(続く)。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ヒロケン

金沢城 石垣巡りパート2 (2023/05/05 訪問)

金沢城は重要文化財の石川門・三十間長屋・鶴丸倉庫、再建されている菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓・河北門・鼠多聞など見所が沢山ありますが、金沢城は「石垣の博物館」と言われており、石垣をめぐるコースがあります。城内ルート1.5km(10地点) 城内外連絡ルート0.4km(1地点) 城外周ルート2.1km(3地点)と様々な技法を使った石垣が楽しめます。前回の投稿で城内ルートの7か所を紹介させていただいたので、今回は、城内ルート残り3か所・城内外連絡ルートの1か所・城外周ルートの3か所を紹介させていただきます。
ただ、重要文化財の三十間長屋及び石垣は、瓦の葺き替え工事のため、来年の3月までは全形を見ることが出来ません。今回は、2019年10月20日に撮ったものを使用させていただきます。

早朝から約4kmの全コースを写真におさめながら巡ると、行き慣れた金沢城も変わった景色が見え楽しめました。次回は、唯一有料の菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓の内部にお邪魔してみたいと思っています。(実はまだ、一回しか入ったことがありません。)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

心を強くもって進む (2023/05/27 訪問)

「城びと初投稿いただきます」(ぴーかるさん投稿からのぱくり)。
湯村温泉の背後に聳え、国道9号線を見下ろす要衝でもあります。凝灰岩の山体を春来川と稲負谷川が浸食し、急斜面ながら、頂上は平らな、山城に向いた地形です。山頂の城域は、400mX200mと広いです。
南北朝時代に作られた城ですが、戦国期に増強されて、30本以上の竪堀、堀切があると。特に尾根先は二重、三重の堀切や畝状竪堀で防衛しています。
但馬アルペンロード脇に「温泉城」の表示が立ってます(写真8)がそれ以降は道標はありません。とにかく道なりに進みます。私は行きつ戻りつして、地元の人に道を教えてもらいました。写真9の標柱からコンクリート打ちの林道を進みます。Googleマップは違うところに導くので要注意です。林道は城域の近くまで通じているのですが、倒木多数で、最後の数百mは徒歩で行きました。城域は、下草はなく、また、やや朽ちかけてますが、階段や散策道が整備され、遺構が良くわかります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

三浦の晃ちゃん

北条早雲 (2023/05/27 訪問)

続100名城の一つです。北条早雲が、初代の城主です。堀が、大きくて、立派でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

三浦の晃ちゃん

石垣 (2023/05/27 訪問)

最後の藩主は、西尾氏で、三万五千石です。
全国でも珍しい、玉石の石垣があります。あんな形の石をよく積み上げたと、感心しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)8日目:東町城 (2023/04/25 訪問)

土城からの転戦です。神岡城駐車場(36.329095、137.302859)に駐車しました。

1564年(永禄7年)江馬時盛によって築かれました。
1564年(永禄7年)武田信玄の命令で江馬時盛が築城し、高原諏訪城の支城となりました。
1585年(天正13年)金森長近による飛騨攻略の結果、その家臣・山田小十郎が城代となりました。
1615年(元和元年)に江戸幕府の命令で破却され、金森旅館として維持されていましたが、金森氏が出羽国上山へ転封となると破却されました。

現在は神岡城公園となり模擬天守が建てられ、鉱山資料館や郷土資料館が併設されています。
天守の建つ地が本丸で周囲に石垣を伴う空堀が巡らされています。
かなり雨が強くなり、服も濡れているので、天守の中には入りませんでした。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=江馬下館に向かいます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)8日目:土城 (2023/04/25 訪問)

金森宗貞邸からの転戦です。市道通行止め空スペース(36.408674、137.296017)に路駐し、鉄階段コンクリート登り口(36.407360、137.297025)に向かいました。

詳細は不明のようです。城主は江馬氏の家臣川上(河上)氏の家臣一の瀬四郎守之と伝えられています。

雨が降り出したので階段を登るのを諦めて撤退しました。
付近に標柱があるとのことで捜しましたが、見つけられませんでした。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=東町城に向かいます。

+ 続きを読む

昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)8日目:金森宗貞邸 (2023/04/25 訪問)

傘松城からの転戦です。金龍寺駐車場(36.434995、137.276447)に駐車しました。

金森宗貞の屋敷跡と伝えられています。
茂住宗貞は飛騨に入部した金森長近が登用した人物で、鉱山資源の開発に尽力し金森姓を賜り、金森宗貞と名乗ったそうです。
1608年(慶長13年)長近が京都で没したため、自ら家居に火をかけ、越中に移り、さらに能登に赴いたそうです。
金森宗貞の邸宅跡には、現在宗貞の菩提を弔うため、金竜寺が建てられています。

金森宗貞邸は現在の金龍寺の境内で、隅櫓台を持つ石塁が残っています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=土城に向かいます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)8日目:傘松城 (2023/04/25 訪問)

寺林城からの転戦です。標柱と案内板前(36.325356、137.299689)に路駐しました。

築城年代は定かではないようです。 江馬氏が重要拠点として築いたと考えられています。

比高370m。とても攻城する時間がないので、標柱と案内板の写真撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=金森宗貞邸に向かいます。

+ 続きを読む

美夢

【かるた】中城城の読み札

護佐丸号 カートも楽し 中城城

ハイネの絵 見比べ探る 中城城

武者走り 登り海見る 中城城
 

読み札のみの投稿です
広々として、見渡しも良い中城城
武者走りに上がれば奇麗な海を見ることが出来ます
入口から護佐丸号というカートに乗せてもらい
正門側まで送っていただけば期待が膨らみます
昔ハイネが描いたという絵は
西の郭を描いたものだそうですね

+ 続きを読む

あみりん

水城、大野城へ。 (2023/05/27 訪問)

大野城の心のふるさと館にて、100名城スタンプ、水城の続100名城スタンプをいただき、バス、電車を乗り継ぎ、水城駅へ。別件の所用の為歩き回ることは出来ませんでした。
良き天候のなか、緑が大変美しかったです。

+ 続きを読む

一之宮天満宮 (2023/05/27 訪問)

 寒川駅より徒歩にて登城しました。石碑等のある一之宮天満宮まで15分くらいです。

+ 続きを読む

小沢城の支城 (2023/05/27 訪問)

 下溝駅より徒歩にて登城しました。「上磯部の土塁」の案内板までは行きましたが、城址と推定される能徳寺や御嶽神社へは時間の都合もあり今回は行っていません。

+ 続きを読む

愛川中学校 (2023/05/27 訪問)

 田代坂上バス停より徒歩約5分の所にある愛川中学校付近が跡地で案内板がありました。城址には石塁跡があると書かれていましたが、どこにあるのかわかりませんでした。

+ 続きを読む

金子掃部助 (2023/05/27 訪問)

小沢バス停より徒歩10分くらいで相模原大磯線道路の脇にある案内板へ行くことができました。案内板はもうひとつあり、坂をさらに5分くらい登ったところにあります。遺構はよくわかりません。

+ 続きを読む

にのまる

【かるた】高知城の読み札と写真

・武装して かくも麗し 高知城

・このトゲトゲが 目に入らぬか! 高知城

・飛び込み台 みたいな石樋 高知城

・物見窓 チェックされてる 高知城

・積み方が 名刺がわりの 高知城

・天守まで 近そで遠い 高知城


過去の自分の投稿写真を見て思い出しながら考えました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ゆいと

日本百名城になれなかった尼崎城 (2023/05/17 訪問)

僕は尼崎城を観光しに行って最初は日本百名城の1つだとおもっていました。城には窓ガラスがはってありました。尼崎城は日本百名城の1つではありませんが中にはたくさんの楽しいコーナーがあります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

チェブ

教材のような お城。 (2023/05/06 訪問)

宇都宮氏家臣の、芳賀 高俊さんが築いた「飛山城」。
300年ほど活躍しましたが、秀吉さんの宇都宮仕置で廃城しました。
宇都宮仕置で外堀を埋められたまま昭和まで手付かずだったようです。昭和に国の史跡になり、平成で史跡公園に整備されました。
駐車場もある公園で、『とびやま歴史体験館』で勉強してから攻めました。
まずは駐車場から、6号堀にかかる木橋を渡ります。左手に出っ張った所が見え、物見櫓があったようです。枡形虎口でカクカクと通り、5号堀の土橋を渡りました。入口にて10分弱。世が世なら討たれてます。
すんなり通るのが、もったいないのです。

広場を分断するように、4号堀。土橋に誘われ奥に行くと、家臣の詰所だった掘立柱建物が復元されてました。床の高さ等、造りが違い勉強になりました。
他の郭には、竪穴式住居。どうやら狼煙用の建物のようです。
と、川の音が聞こえてきます。
鬼怒川が流れ、天然の要害になってます。今とは川の位置が違うようで、姫が身を投げて白いなまずになった伝説がありました。
、、、なまず。
近くのお城では身を投げて、どじょうになった姫もいました。
、、、どじょう。
う~ん。複雑な気持ち。

石碑があるだけや、遺構の一部だけが残っているお城の 想像をするのに、お役立ちの教材みたいな「飛山城」でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

5年越しの。 (2023/04/08 訪問)

5年前の春、武田ゆかりの城に行くのが楽しくて、茅野駅からてくてく歩き、山道もどんどん登って到着した上原城。
鳥居越しの眺めに感動して下山したあと「あれ?板垣平ってどこだっけ?通ってない(>_<)」とずっと気になっていました。
麓の通りから山道に入る道が2本あり、駅に近い方から登ってしまったために通らなかったと判明。ほんの数十メートルのところを掠っていた…。

今回「諏訪氏城館跡」の碑を確認するため、干沢城から約3.5km、歩いて行きました。
東京の桜はすでに散っていましたが、こちらはまだまだきれいです。
上川を渡るあたりで山の中に上原城の大看板が見えてきました。山頂を見上げると満開の桜が見えます。あの鳥居のところだ!!今、あそこを独り占めできたら最高だろうなぁ…。
登るには時間がちょっと遅かったので諦めましたが、たくさん歩きながら、たくさん歩いた思い出に浸る時間が心地よかったです。

そして無事に大看板と「諏訪氏城館跡」の碑に到着。5年越しのもやもやを収めることができました。ここに来たかったんだ🎵

そして新たに、今度は桜満開の山頂の鳥居から眼下の町を眺めてみたいという夢が生まれました。(前回は5月で桜は終わっていました。)

行けば行くほど、今度はあそこに行ってみたい、あそこからの景色を見てみたいという夢(だか欲だか…)が生まれるのがお城めぐりの楽しさだなぁと思います。戦さ場であったことに思いを致しつつ、現在のお城の姿を存分に楽しみたいと思っています。

茅野駅に戻ると、ホームに標高790メートルの標柱がありました。
岩殿城と千早城とスカイツリーが634メートルだったから、すごい高いところにある駅なんだ!涼しいはずだ…。

で、18きっぷの旅ですが、もう充分に元は取れたので終わりにして、帰りは特急あずさに乗りました。快適だー♪

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

とことん飯盛城(高櫓郭周辺) (2023/02/11 訪問)

(続き)

千畳敷郭と高櫓郭を分かつ堀切を越えて登って行くと、高櫓郭の南下には堀切と土橋が設けられており、高櫓郭には城址碑と説明板、西麓での四条畷の戦いで討死した楠木正行(小楠公)の銅像が建てられています。高櫓郭の北下は本郭で、展望台からは大阪平野が一望でき、この日は淡路島まで見通すことができました。高櫓郭と本郭の東下には数段の帯曲輪が設けられ、斜面には多くの石垣が見られます。遊歩道を歩き回って5箇所ほど石垣を確認。石垣の山城とは承知していましたが、これほどあちこちに遺っているとは…。実に探しがいがありました。

本郭北下の倉屋敷郭から先に進む前に、西側にのびる支尾根の曲輪群(別途投稿します)に寄り道を。西麓の北條神社へと続く遊歩道を下って行くと、倉屋敷郭の西斜面に段築状に築かれた石垣が状態良く遺っていました。遊歩道沿いの曲輪群を見て回った後、倉屋敷郭に戻り御体塚郭を目指します(続く)。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ494