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しんちゃん

小高い崖の上の町全体が城址。 (2021/05/02 訪問)

小漆川城は左沢(あてらざわ)小漆川城とも呼ばれる台地上に築かれた城です。城域一帯が宅地となっている面白い城跡で北と東を小漆川が流れ西には百閒堀が縦断しています。南にはうるし川(月布川)とその支流が流れ百閒堀とつながっているようです。本丸のあたりに城址碑と案内板(新)が立ち、北側は険しい断崖になっていてコンクリートで補強してあります。西の巨海院には移築した大手門があります。小漆川端を渡って北側からみると町全体が丘陵の上にあり、それが城跡であることが良くわかります。最近訪問した城だと飯田城がそれに近いですね。最上氏の改易に伴い鶴岡藩主酒井忠勝の弟直次ぎが一万二千石でこの地に入り左沢藩を興し、城を築きましたが寛永8年(1631)に嫡子の無いまま早逝したため改易となり城も慶安元年(1648)に取り壊しになったそうです。

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しんちゃん

遺構は少しわかりづらいが堀切が北から北西側に残る。 (2021/05/02 訪問)

高楯城は標高356.3mの虚空蔵山に築かれていて、ハイキングコースにもなっているようです。主郭には虚空蔵尊がまつられているお堂があって、弁慶水と呼ばれる水たまりがあります。案内板も古く少し縄張りがわかりにくいのですが、主郭の北西から北側にかけて帯郭や腰郭が広がり、一号堀や二号堀があり登城道から確認できます。東から南に関しては特に遺構は無さそうです。案内板を見ると主郭一号堀のさらに北西側に白土平がありその北側を白戸平一号空堀が東西に走っているようです。

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カズサン

紅葉を求めて令和5年霜月 (2023/11/23 訪問)

 二俣城跡の紅葉は如何かなと勤労感謝の日出掛けました、北曲輪下の駐車場は満車、如何した事か?普段は私一人か多くて1、2台、帰りの方だいらっしゃって入れ替えで駐車する事が出来ました、入口付近も車で混んで13台の駐車初めての経験。
 本丸には大学の研究者が4人で北門跡の石垣調査、石一個づつ岩質の調査をしておられました、将来のお城博士か?お母さん、お父さんと小学生が二人で城探訪、家族ずれ、友達と城跡ウオーキングで二俣城から大堤防を通って鳥羽山城へ、兎に角普段に無い人の入りでした。NHKの大河ドラマの影響でしょうか?すごい事です。
 紅葉の方は今一ですが、処により紅葉、紅葉前、銀杏は黄色く紅葉、銀杏は今が盛り、楓はもう少し後かな12月に入ってからでしょうか? 本日撮影した写真を投稿します。
 1時間ほどの散策でした。
 

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しんちゃん

国史跡。麓の居館跡も立派な石垣が残る。 (2021/05/01 訪問)

坂戸城の築かれている坂戸山の麓には居館跡の石垣が残っています。西側の石垣のみが残り、中央に開口部があり北側と南側の石垣に分かれています。御館の乱の際に春日山城から上杉景勝が坂戸城の普請の強化を命じており、現在坂戸城に残る遺構はその時のものとされています。石垣は麓の居館と実城の北側と東側に残されているようですが、実城の石垣を見損ねてしまったようです。これからチャレンジする方はお見逃しなきように。

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しんちゃん

比高473mのガチの山城。上杉景勝ゆかりの城。 (2021/05/01 訪問)

坂戸城は標高634m、比高473mもあるかなりきっつい山城です。御居間屋敷跡を経由して薬師尾根コースで登りましたが、登りで80分はかかります。城域もそれなりに広いので、この季節だと早めに登城する必要があると思います。坂戸山の最高所に主郭があり、通称・実城で通っています。実城の周辺にはカタクリの花が自生していて、季節に応じて散策には気を使う必要があります。実城から尾根沿いに南東の方向に小城・大城と続いていて小城には土塁が残ります。実城の北側には主水郭があります。比高が473mもあるので眺望はどこからでも良く、集落や周囲の山々を見渡せます。天気の変わりやすい山らしく登城の時はピーカンに近かったのですが下山するころから雨がひどいどしゃぶりになってきて酷い目にあいました。個人的には念のため雨ガッパを持っていくことを推奨したいですね。関東管領上杉家の家臣・長尾氏が守護代として入っていた城で、長尾政景の子・景勝が上杉謙信のもとへ養子に入る前に居た城のようです。

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じゅんじん

多門寺 (2023/11/04 訪問)

お寺になっています。

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じゅんじん

神社 (2023/11/03 訪問)

神社と主郭の間に堀切があります。

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じゅんじん

ホテルが消えた (2023/11/03 訪問)

ホテル九重が無くなっていました。パルパルは盛況です。

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ダイエティシャン

11月25日、26日イベント (2023/11/06 訪問)

尾高城跡が国史跡に指定されました。立ち入り禁止の私有地の本丸、二の丸も貴重な城跡が残っていたそうです。今後、米子城跡と共に整備、活用される事を願っています。

イベント開催!
11月25日、シンポジウム(無料、要申込み)、11月26日13時~15時 現地説明会(無料、申込み不要)

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橋吉

ハイキングコース (2023/11/11 訪問)

大河ドラマで関ヶ原の合戦が行われた前日、佐和山城登城にリベンジ登城しました。
佐和山城跡はハイキングコースにもなっており、その出発点には立派な駐車場が整備されています。また、ここでパンフレットをもらい、ガイドに簡単な説明を受けました。

駐車場向かいにある龍潭寺総門脇にハイキングコースの入口があります。
龍潭寺の山門をくぐり、大洞観音堂の右脇を進むと、登山道の始まりです。

しばらく登り、尾根に出るとすぐに西の丸です。
西の丸は階段状に3つの曲輪がありますが、樹木が生い茂っていてわかりにくいです。

さらに、進むと本丸です。
駐車場から30分ほどでした。
すぐ近くに彦根城が見えます。

ハイキングコースは以上でしたが、帰宅してから調べてみると、他にも二の丸,三の丸,太鼓丸,法華丸などの曲輪があったみたいでなかなか立派な城だったようです。

せっかくなので、龍潭寺へも参拝しました。
井伊家の移封にともない遠州から呼び寄せたようで、浜松の龍潭寺と似た雰囲気があります。

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赤い城

栗林公園の敷地 (2023/11/12 訪問)

栗林公園背後の室山山頂部に城趾があります。
登城口はいくつかあるようですが、南西にある奥ノ池のほとりの説明板から鳥居をくぐって進んだところにある山への登り口からのコースで登城しました。
少し登ると「室山→」の小さな案内板があります。
やや急な道をつづら折りに登ります。
いくつか分岐点があるものの基本的には上向きに。
途中には石も転がっていました。
ひたすら登ると削平地に、四郭のようです。
四郭と主郭の間には土塁、この土塁はL字型で主郭を守っていて、内側には石積も見られます。
眺望は、というとこれは残念、木々に覆われよくありませんでした。
主郭の東西には腰曲輪が並んでいます。
東側の腰曲輪には石積も見られました。
北側にニ郭、三郭と連なっておりこの辺りまでが城域かな?
さらに進んでみると古墳が並んでいます。
この古墳も物見として利用されていたのかもしれません、しらんけど。

室山は栗林公園の敷地内でハイキングコースとして整備もされています。
ただし、帰りに選んだ四郭から南側に降りるコースはずっとロープが張られている急斜面。
小さな腰曲輪を見る余裕もありません。
こちらから登ることを想像すると・・・。
香西氏に属する太田氏が入った城、派手さは無いですが遺構が良好に残る城でした。

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HKISD

鬼ノ城跡散策 (2023/11/18 訪問)

岡山県の山城に行きました。めちゃくちゃ景色が良く最高でした。
西門跡も迫力ありました。

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しんちゃん

小笠原氏の城(居館)で国の史跡。 (2023/11/19 訪問)

井川城は信濃守護としてこの地に赴いた小笠原貞宗によって築かれたとされています。城跡の北西から南東にかけて周囲を囲うように頭無川が流れ東側から北にかけて堀が配されていたようです。居館跡と見られる場所は畑地になっているようですが南東部に伝櫓台跡とされる土盛りがあって、案内板が設置されています。2017年(平成29)小笠原氏の城である林城(大城・小城)とともに国の史跡に登録されています。

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牛若丸

推し城の一つ (2023/11/21 訪問)

上田城は今回で4回目の登城です。
紅葉がとてもキレイでした。

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しんちゃん

諏訪氏庶流の花岡氏の城。諏訪盆地を一望できる。 (2023/11/18 訪問)

花岡城は天竜川の南側の諏訪湖を一望できる丘陵上に築かれており、花山公園として整備されています。駐車場までの道はなかなか急で注意が必要ですが普通車サイズの車でも十分到達できると思います。最高部に主郭が設けられており西側に土塁が残ります。やや南寄り西側に二の郭が残っており郭の周囲に土塁が残ります。かつての堀切が郭間の通路になっているようで、駐車場を含めて主要な郭の周囲に幾重にも帯郭が配されているようです。諏訪氏の庶流で有賀氏の支族・花岡氏の城と見られていて諏訪氏に属していたと考えられています。花岡氏は諏訪氏庶流の小坂氏、有賀氏らの西方衆らとともに武田信玄に対し挙兵し討伐されたとされ、その際に花岡城も破却されたと見られています。

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牛若丸

過去一きつい登城でした (2023/11/21 訪問)

登城口には「なめんなよ」の石碑が(笑)
正直なめてました。過去一きつい登城で信玄が落とせなかったのもうなずけます。

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くうくう

春日山城下の関東管領館が後に「御館の乱」の中心地に

上杉謙信が上杉憲政のために築いた館で、後に、謙信の後継者争いで、ここ御館に陣取った景虎を景勝が落城させた。御館は二重の堀に囲まれた大規模な館だったが今は何も残っていない。中央付近が小さな御館公園になっていて、碑や案内板が設置されている。

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くうくう

南佐渡の拠点羽茂本間氏の居城

分家筋にあたる羽茂本間氏が鎌倉期に南佐渡に進出し、南北朝から応永年間に拠点として築城、16世紀前半には佐渡を二分する勢力だったという。上杉景勝の越後侵攻により落城、その後廃城した。
案内板が東門にあり主郭に相当する五社城までは遊歩道が整備されていたが、他は案内標柱などがあるものの荒れて薮が多かった。古い中世山城で、曲輪の連携が弱く求心性の感じられない縄張だった。ただ遺構は良好なまま薮に埋もれているので、全体的な再整備が望まれる。
羽茂城東門(裏門)が本間氏の菩提寺大蓮寺山門として移築されている。

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牛若丸

険しい山道でした (2023/11/21 訪問)

さすが岩櫃城!
駐車場から本丸跡までは15分くらい。ただ道中はかなり険しい!
武田勝頼もここに逃げ込めばしばらくは耐えられたのでは、と歩きながら妄想してました。
遺構も良く残っています。

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しんちゃん

丘陵の上全体が城址で堀切が残る。 (2023/11/19 訪問)

市野瀬古城は城山公園として整備されており郵便局北側より東に回り込んでいくと駐車場があるので、そこから登っていくと城址にたどり着きます。南側は急斜面でコンクリートで補強されており、丘陵部の上全体が城址となっております。応永年間(1394~1427)に平惟茂の末裔・市野瀬兵庫正保によって築かれたとされ、北側の秋葉神社周辺に五本の松があり、南に堀切を渡った先にある金毘羅神社周辺にも二本の松があります。これら七本の松が天然記念物に指定されているようです。

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