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しんちゃん

土塁と堀が特徴の良い公園になっている。 (2023/04/29 訪問)

伴野城は伴野氏の館で戦国期の野沢城の本丸に当たる部分です。
東西74~85m、南北110mの長方形をしており、北側から西側にかけて
かなりの高さを持つ土塁で囲まれ、その周囲を堀(水路)が巡っています。
南西には大伴神社、南東には池があり堀とつながっています。
現在では良い公園になっているようです。
天正10年、伴野氏の本城、前川城は依田信蕃によって落城させられ
前川伴野氏の伴野信守、伴野君臣、伴野貞長らが討死します。
伴野城(野沢城)も同じころに依田信蕃の差し向けた手勢に攻められ
落城したとあります。

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目黒学院 (2023/08/05 訪問)

 中目黒駅から徒歩にて登城しました。夏休みで人はいないだろうと思って行きましたが、学校説明会が開かれていたようです。校門の写真を撮って撤退しました。

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浄真寺 (2023/08/05 訪問)

 東急大井町線九品仏駅より城址である浄真寺まで徒歩3分くらいで行くことができます。思っていたより広範囲に土塁が残っていました。仁王門近くに城址碑があります。土塁を見ながら散策していると北側のお墓の近くの土塁に説明板を見つけました。文字が薄くなっていて読みずらかった。

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しんちゃん

王城、石並城は散策が可能。せっかくなので寄ってみたら。 (2023/04/29 訪問)

大井城は鎌倉~室町時代を通じて佐久郡の東部を中心に栄えた
大井氏宗家の城です。
断崖上の台地に築かれ堀切で三つの城に区切られ
北から石並城、中心となる王城、黒岩城となります。
黒岩城は現在、民家の敷地内ですが王城から対岸沿いに
その形状を望むことが出来ます。
王城は整備されていて散策は容易です。
切岸は断崖絶壁なのですが、さすがにフェンスで囲まれているので
下に転げ落ちることはありません。
王城から一度下に降りて、北の石並城を目指します。
現在、墓地になっていますが、周囲を荊で囲まれていて直登すると
馬鹿を見ます。しばらく北上すると右手に墓地への入り口が見えて
来るのでそこから入ります。

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都立園芸高校 (2023/08/05 訪問)

 暑い日でしたのバスを利用して登城しました。二子玉川駅よりバスに乗り玉川警察署バス停下車。バス停から徒歩5分くらいで兎々呂城の石碑がある都立園芸高校前へ行くことができます。帰りも園芸高校前バス停から等々力駅へ出ました。

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長崎伊予守重光 (2023/08/05 訪問)

 二子玉川駅より徒歩にて登城しました。少し迷いましたが15分くらいです。着いてからも長崎館跡の石碑を探してウロウロしてしまいました。にのまるさんの石碑復活の投稿がなければあきらめていたと思います。カフェと美容院の間にありましたが、わかりにくかったですね。

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石井良寛 (2023/08/05 訪問)

 喜多見城跡とされる慶元寺から徒歩にて登城しました。遺構も案内板等もないようなので先輩方と同じように大六天橋付近を撮影して撤退しました。帰りは暑かったので永安寺前バス停から二子玉川駅までバスを利用しました。

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しんちゃん

木曽義仲四天王、根井行親(海野幸親)の居館跡 (2023/04/29 訪問)

正法寺を中心とした150m四方が城址になります。
案内板によると「木曽義仲の軍にその人あり」と知られた
根井大弥太郎重野行親の館跡とのこと。
かつては周囲を土塁に囲まれていたらしいですが、正法寺の周囲の
あぜ道にかつての縄張りの跡を感じることが出来るかも‥
境内には根井行親の供養塔があります。

調べたところ根井行親は義仲四天王の一人で海野幸親と同一人物
と言われている人です。
保元の乱では源義朝に従い活躍、源義経と戦った
元暦元年(1184)の宇治川の戦いで25000の敵軍相手に
300騎あまりで宇治の防衛にあたり討ち死にしたと有ります。
勉強になりました。

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慶元寺 (2023/08/05 訪問)

 慶元寺、須賀神社あたりが跡地とのことで周辺を散歩してきました。狛江駅よりバスに乗り喜多見中学校バス停下車。バス停から徒歩5分くらいで慶元寺に着きました。最寄りの駅から徒歩で登城される方も多いようですので、そのつもりで狛江駅に降りましたが暑さに負けてバスを利用しました。

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しんちゃん

奥三河の山奥に再建された中世城郭の居館。 (2013/07/20 訪問)

古い写真で申し訳ないですが、2013年、およそ10年前に
訪問しています。たしか2回訪れているとは思いますが
この写真は最初に訪問した時の物ですね。
設楽城は主郭を中心に北から北西側に段々に多数の郭が配置されており
主郭には復元した居館が建てられています。
7月半ばなのに紫陽花が咲いてます‥ 温暖化を実感しますね。

城主の設楽氏は「設楽系図」によると菅原氏の後裔とされ
(三河大伴氏後裔説もあり)、戦国期は今川氏に従っていましたが
氏真の代になると、菅沼氏や西郷氏らと共に、松平氏に従ったと
伝わります。吉田城の近くの龍拈寺の門前で今川方に反旗を翻した
三河の豪族の人質が処刑されています。
串刺しという、当時では最も残酷な処刑方法の一つですが
その処刑された13人の中に設楽氏の妻子もいたのかもしれません。

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しんちゃん

東泉院跡 (2022/01/09 訪問)

善得寺城は今川氏の支城とされています。
日本城郭大系によると、北条氏と今川氏の抗争を
武田晴信が調整し、善得寺で三者が会談したという
善得寺会盟は天文23年(1554)もしくは天文14年と
されています。城域は全長160m、幅60mとされ、尾根を絶つ
空堀があったようですが、住宅地や茶畑となってしまって
遺構は残っていないようです。
東にある善得寺公園には石碑があるらしく
攻城団さんのサイトによれば太原雪斎の墓もあるそうな。

富士山東泉院跡や隣接する日吉浅間神社の段状の扁平地が
城址の名残だと思います。

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しんちゃん

紅葉山庭園 (2021/03/13 訪問)

紅葉山庭園は駿府城のなかにあります。
春は桜、夏は紫陽花、秋は紅葉、冬は椿など四季折々の
花々を眺めながら立礼席でお茶を楽しむのはいかがでしょうか。
(以上サイトよりコピペ)
池のほとりに富士山を模した築山があります。
天守台の採掘もだいぶ進んで、公開もされていると
思いますので、また訪れてみたいです。

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ぴーかる

斎藤道三隠居城 (2023/07/15 訪問)

【鷺山城】
<駐車場他>鷺山公民館駐車場を利用
<交通手段>車

<見所>堀切・曲輪
<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第1弾5城目。鷺山城は鎌倉時代初期に佐竹常陸介秀義が築城します。室町時代には改修し土岐氏の城となり、戦国時代には斎藤道三が家督を斎藤義龍に譲ったのちはここを隠居城とします。長良川の戦い後に廃城となったようです。
 夏場の山城攻めだったが比高がそれほどなく山城の方には遺構が少ないようでしたのでプランに入れて登城しました。鷺山北側の登城口から登城、途中中腹から西に伸びる尾根曲輪、主郭手前に堀切があります。山頂は主郭といえるほどの広い曲輪はありません。東麓側に下山して居館跡を見ました。居館跡は方形の曲輪をひな壇状に配して城跡感があります。最上の曲輪から岐阜城が望めます。北野神社本殿の石垣は他の現代補修した玉石と違い、当時のものかとも思わせる巨石で組んだ石垣です。

<満足度>◆◆◇

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しんちゃん

城址碑見てない‥。まあいいや (2023/07/18 訪問)

目垣城は吹田市の山田城の13の支城の一つらしいですが
詳細はわかりません。
特に遺構は無いようで、城跡の佛照寺の正面にある
奥太光記念館の庭の片隅に城址碑があるようですが
今回は確認していません。
佛照寺の櫓のような建物がそれらしい雰囲気を
醸し出しています。

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にのまる

四国城めぐり旅・復路1城目 (2023/05/29 訪問)

松丸(河後森城)から宇和島乗り換えで松山に19:30に到着。
松山はホテルの数が多く、有名どころでも比較的リーズナブル。
松山城至近に一泊確保し、翌日から残り2日となった旅程を考えます。
朝イチで松山城と湯築城に行って今治に移動し、村上海賊ミュージアムへと思っていたのですが、あいにく翌日は月曜日のため村上海賊ミュージアムは休館。四国の100名城・続100名城スタンプコンプリートはお預けとなりました。しかし、これは上陸ツアーに申し込んで行ってきなさいというお告げなのだと解釈することにしました。
そうとなれば二度目の今治城も次回まわしでいいかな、ということで四国めぐりの三日目は松山城→湯築城→→→屋島城に決定しました。

松山城は本壇の入場は9:00からですが城山公園へは5:00から入れます。
9:00前にどれだけまわれるかが勝負だ!と思っていたのですが、ダラダラしていたら8:00になってしまったので慌てて県庁裏登城道に向かいました。
二の丸史跡庭園は前回来た時にたっぷり見たのでパスして登り石垣へ。5年前は樹木の陰でほとんど見えなかったのですが、ありがたいことに今回はかなり広い範囲を見ることができ、印象ががらっと変わりました。

9:00までまだ時間があるので周辺を見て歩きます。戸無門・筒井門・隠門のところでトラップごっこをするのがいちばん楽しいです。ここは何度行っても必ず立ち止まって遊んでみると思います(^^)/

“よしあきくん”とお約束の記念撮影をしてから本壇へ。
21の重要文化財、30の復興建造物をもつ松山城は、時間をかけて通い続けなければそのすべてを理解するのは私には難しいです。理解しきれるかどうかもわかりません。
……ということがこのたびはよくわかりました。しかしそれが近世城郭めぐりの醍醐味でもあります。

連立天守の中をひとまわりし、東雲口登城道から下山して、湯築城に向かいました。

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しんちゃん

地元住民との軋轢が心配。通り抜けは絶対NG (2023/07/16 訪問)

辰市城は筒井方の城で、大和最大の合戦である辰市城の合戦
の舞台となり、最初は松永久秀の軍勢が優勢でしたが、筒井順慶方の
援軍が到着し松永軍は大敗を喫しました。
歴史的には大きな意味を持つ城ですが、遺構はほぼ残っていません。
公共の交通機関からのアクセスも良くないですが、付近には使えそうな駐車場も
有りません。何より問題なのは、地元住民の方々からの拒絶のオーラが凄い。
駐車禁止の標識が路上にいくつも設置してあって、周辺での
転回も難しく、その先の道路を通り抜けていくと、徐々に幅が狭くなり
通行が困難になるうえ、ガードレールまで設置してあります。
おそらく軽自動車でも通り抜けは不可能だと思います。
西側の辰市地域ふれあい会館の駐車場を使わせてもらえたら助かるのですが。
そこは交渉次第でしょう。何にせよ口コミを読まずに訪問される方も
いるでしょうから、何の問題も起きないことを望みます。

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うさ

神戸城 (2023/07/31 訪問)

さすが織田信長3男の城。
駐車場が見つけにくいと聞いていましたが、すんなり行けたことにびっくり。

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うさ

赤木城 (2023/07/31 訪問)

車がないと難しい所。
横長の石が使われ、反りのない石垣がとても魅力的でした。

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小城小次郎

いい城下町だと思うんだけどなあ (2023/01/20 訪問)

宇陀松山城がなくなって400年以上、宇陀松山藩自体がなくなって300年以上が経つ中で宇陀松山を城下町と呼ぶのかどうかは異論もあろうが、個人的にはいい城下町だと思う(某番組にも推薦したんだけどなー)。

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にのまる

④帰り道 (2023/05/28 訪問)

帰りも永昌寺へのルートを辿り、松丸街道の芝不器男記念館へ。
同じ敷地内にある郷土資料館は河後森城の展示がメインで、碁石や硯、茶臼などの出土品も見ることができました。

帰りの列車の時間まで40分くらいあったので、遠景写真を撮ろうと川向こうにわたり、確認のためGooglemapを見ると永昌寺のところに史跡記号が。ひらいてみると河後森城の移築城門があるとのことだったのでダッシュで引き返しました。永昌寺には立派な山門がありましたが、補修跡などもなく新しそうで現地に説明板などは見あたりません。松野町の公式観光サイトには、永昌寺には戦国時代に河後森城主の館が置かれていたとありますが、山門については触れられていません。なので、私の中では少なくともこの門は違う…ということにしておこうと思います。

そうこうしているうちに列車が来るまであと20分。観光案内所兼切符売り場の方と15分前には戻ると約束していたので急いで戻ると、駅の外で待ってくださっていました。
宇和島乗り換えで松山まで行くことも覚えていてくださっていて、感謝しかありません。券売機などない駅です。「この機械に入力したらあの印刷機から切符が出てくるのよ」とタブレットを操作して車内で車掌さんから買うようなレシートみたいな切符を発券してくださいました。
列車が出るのも見送ってくださって、ほんとに松丸のお母さん、という感じの方で、温かい気持ちでここを離れることができました。

やっと行けた河後森城はおもしろい遺構がいくつもあり、探検気分で歩きまわれました。
派手なアピールはしていないようだけれど、訪問者にとても親切なお城と町でした。

<おわり>

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