8月末に訪れた愛知県安城市の安祥城。
岡崎平野の中央部、矢作川西岸の碧海台地の縁の小さな舌状部に築かれた城。
三方の沼が天然の要害となった模様。
一説では1400年代前半に和田氏が築城したと伝わり、1400年代後半の松平信光の奪取後は、岡崎移転までの松平総領家の居城。
1500年代中期には織田と松平の争奪戦があり、小牧長久手の戦いで徳川方が改修したと考えられています。
現在は本丸跡が大乗寺、二の丸跡が八幡社、その周囲は歴史博物館などを備えた安祥城址公園に。
実際に訪問すると、遺構は少ないものの、2つの櫓跡や公園の小川と池が城郭の名残を残す城跡。
説明板によると、城郭北側虎口が桝形構造(曲輪D)である点が興味深いところ。
更に本丸南の堀が障子堀であったことに驚愕。
関東周辺のイメージが強い障子堀ですが、北は米沢城、西は大坂城や福岡県の小倉城で発見されていることを後日学習。
障子堀の知識が深まった私の城郭巡りの159城目でした。
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