梁川城の一部は伊達氏梁川遺跡群として国の史跡に登録されています。古くは3代・義広か4代・政依のころより本城として使われてきたと考えられていますが、はっきりはしません。大手は北についていたようで、旧梁川小学校の正門のあるあたりは江戸時代には門として使用されていなかったようです。東と南に二の丸が配され、西に三の丸、さらに西側と北側には侍町が配されていたようです。
梁川町にはブロンズ像が多く据えられています。広瀬川にかかる広瀬橋には2体のブロンズ像があり「風呂上り橋」‥じゃなかった、「芸術の街」の雰囲気を感じさせてくれます。近くに梁川美術館があるので周辺にも設置されたようです。男性像もありますが、なんか後から「履かされた」感があります。倫理的な問題ですかね。
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