やながわじょう

梁川城

福島県伊達市

別名 : 鶴ヶ城、鶴岡城
旧国名 : 陸奥

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にのまる

3時代の大手口 (2023/09/09 訪問)

白石城見学後、白石駅から福島まわりで行ってきました。福島駅には6路線が乗り入れていますが、阿武隈急行は初乗車です。きょろきょろしながら目的の列車をさがすのも楽しかったです。
「政宗ブルーライナー」に揺られて梁川駅に向かったのですが、『政宗ダテニクル』のラッピング列車は先月、約7年間の運行を終えたのだそう。貴重な乗車経験となりました。

車窓からリンゴ畑など素敵な景色を楽しみ、梁川駅で下車。
広瀬川を渡り、江戸末期の楼門の残る本覚寺に寄ってから梁川城へ行きました。
城へのアプローチを実感しながら最後の坂を上がると、松前藩時代(江戸後期)の大手門跡の説明板がありました。この坂道が大手道だったようです。
左手に広がる広場が本丸跡(伊達氏館跡)で、見どころである「心字の池」は少し奥まったところに復元されていました。「ここをまっすぐ→」という大きな案内板を設置してくださっていたので堂々と突っ切って、広場の真ん中で主殿や会所を思い描き、庭園にかの時代の華やぎを感じと、想像の世界に浸ってきました。
明治期に本丸に移転した梁川小学校は震災で被災し再移転したようです。空間放射線量掲示板にはっとさせられました。

隣接する浅間神社で地元の方と少しお話しさせていただいてから本丸跡を反対側から見てみようと歩いていると「上杉氏時代の大手門」にぶつかりました。階段のあたりに櫓門を載せた石垣があったのだそうです。
周辺の鉤型も当時の名残かもしれず、初めての土地の住宅地散歩も何だかとっても楽しかったです。

この先に土塁が残っているようだったのでさがしに行くとそこは「伊達氏時代の大手口」。鉤型の大きな土塁が残っています。まだ夏の盛りで近づききれなかったですが、見ごたえ充分でした。

図らずもではありますが、伊達氏・上杉氏・松前藩領時代の大手口を確認することができて、記憶に残るうれしい城旅となりました。

帰りは「やながわ希望の森公園前駅」(駅名長い!)から。(梁川駅より本数が少ないので要注意です。)
無人駅で券売機もなかったのですが車掌さんがぱっちんぱっちんの補充券で作ってくださいました。





☆☆ブルボンも新潟だったのですね!
アルフォートは“水色派”です。んまい^m^

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徳川宗春 (2023/09/28 訪問)

 伊達氏11代持宗から14代稙宗まで伊達氏の本拠地であった城址です。ここは伊達氏に続いて蒲生氏、上杉氏の領地となっています。その後、尾張藩主徳川光友の3男松平義昌が梁川藩3万石を立藩しました。梁川藩は4代通春が尾張本家を継いだため廃藩となりました。この徳川通春は徳川宗春のことです。天領などを経て、幕末には松前藩領となり明治維新を迎えました。かなりおもしろい歴史を持った城だと思います。土塁や復元された本丸の庭園などを見ることができます。

 阿武隈急行のやながわ希望の森公園駅から徒歩5分くらいで行くことができます。梁川駅から歩いても約15分です。

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ぎりょう

伊達氏発祥の地を巡る①福島県伊達市梁川 (2022/04/29 訪問)

自身が所属する「古文書を読む会」研修旅行の候補地下見で、福島県伊達市梁川と桑折町を訪問した。今回の研修テーマは「伊達氏発祥の地をめぐる旅」。担当者4名で東北自動車道国見IC経由で先ずは梁川城に。仙台藩祖伊達政宗はあまりにも有名だが、伊達氏も文治5年(1189)の奥州合戦に従軍した関東武者でした。常陸入道念西朝宗は阿津賀志山合戦に際し、石那坂で奥州藤原氏の臣佐藤庄司軍を破り鎌倉軍勝利を決定づける手柄をあげる。伊達郡の地頭に任じられて入部し伊達氏を名乗ったと伝わっている。梁川は伊達氏館(梁川城本丸跡)が築かれた時代から多くの寺社が造営された中世都市であったようだ。
本丸跡は現在梁川小学校跡地で、東西100m、南北150m程の規模で、かつての伊達氏館の規模をイメージできる広さ。また心の字池の庭園跡が復元されており、発掘調査の結果で中世伊達氏による造営が明らかになっているらしい。外郭は梁川高等学校の敷地、住宅街となり原状は確認できない。秀吉の奥州仕置きにより、伊達政宗は自力で獲得した会津地方を、大崎・葛西一揆後は本貫地の伊達郡や置賜郡も取り上げられる。かつて伊達氏の本拠地梁川城は、皮肉なことにその後この地を領した蒲生・上杉氏により、北に所領を構える政宗に対する境目の城として改修されることになる。

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刑部

伊達氏の城 鶴ヶ城 (2022/04/03 訪問)

本丸跡は現在、伊達市立梁川小学校になっています。。北側に復元された中世庭園「心字の池」があります石垣は物見櫓跡だそうです、遺構はこの辺りだけでした。学校が建設された城址はやはり遺構は少ないですし中まで入る事は出来ないのが心苦しいですね。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 伊達朝宗
築城年 13世紀中期?
主な改修者 須田長義
主な城主 伊達氏、蒲生氏、上杉氏
廃城年 寛文4年(1664)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)
指定文化財 国史跡(伊達氏梁川遺跡群)、県史跡(梁川城跡及び庭園)
再建造物 復元庭園、碑、説明板
住所 福島県伊達市梁川町字鶴ヶ岡
問い合わせ先 伊達市教育委員会教育総務課
問い合わせ先電話番号 024-577-3245