やながわじょう

梁川城

福島県伊達市

別名 : 鶴ヶ城、鶴岡城
旧国名 : 陸奥

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本丸跡
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ぎりょう

伊達氏発祥の地を巡る①福島県伊達市梁川 (2022/04/29 訪問)

自身が所属する「古文書を読む会」研修旅行の候補地下見で、福島県伊達市梁川と桑折町を訪問した。今回の研修テーマは「伊達氏発祥の地をめぐる旅」。担当者4名で東北自動車道国見IC経由で先ずは梁川城に。仙台藩祖伊達政宗はあまりにも有名だが、伊達氏も文治5年(1189)の奥州合戦に従軍した関東武者でした。常陸入道念西朝宗は阿津賀志山合戦に際し、石那坂で奥州藤原氏の臣佐藤庄司軍を破り鎌倉軍勝利を決定づける手柄をあげる。伊達郡の地頭に任じられて入部し伊達氏を名乗ったと伝わっている。梁川は伊達氏館(梁川城本丸跡)が築かれた時代から多くの寺社が造営された中世都市であったようだ。
本丸跡は現在梁川小学校跡地で、東西100m、南北150m程の規模で、かつての伊達氏館の規模をイメージできる広さ。また心の字池の庭園跡が復元されており、発掘調査の結果で中世伊達氏による造営が明らかになっているらしい。外郭は梁川高等学校の敷地、住宅街となり原状は確認できない。秀吉の奥州仕置きにより、伊達政宗は自力で獲得した会津地方を、大崎・葛西一揆後は本貫地の伊達郡や置賜郡も取り上げられる。かつて伊達氏の本拠地梁川城は、皮肉なことにその後この地を領した蒲生・上杉氏により、北に所領を構える政宗に対する境目の城として改修されることになる。

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刑部

伊達氏の城 鶴ヶ城 (2022/04/03 訪問)

本丸跡は現在、伊達市立梁川小学校になっています。。北側に復元された中世庭園「心字の池」があります石垣は物見櫓跡だそうです、遺構はこの辺りだけでした。学校が建設された城址はやはり遺構は少ないですし中まで入る事は出来ないのが心苦しいですね。

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カズサン

やっと大手桝形土塁を確認 (2021/11/14 訪問)

 5年前の4月初登城した折、城郭放浪記さん余湖図コレクションさんの情報、写真で認識していた大手門跡土造り大型枡形を探しあぐねて後にした事が有り、今回の桑折西山城探訪を終えて梁川城へ、是非大手門跡の枡形遺構を見たいと車は石垣、土塁の北先端に鎮座する浅間神社駐車場3台可能を利用し余湖図コレクションさんの俯瞰図と今回はスマホも有り北の団地にある方向へ約200~300m程歩き西に折れた団地の中に小公園が有り、土造りの枡形、土塁か広々と高く聳えてる、こんな近くなのに前回は見つけられ中たのかと探訪未熟を痛感。
 陽が傾き団地住宅の陰で草に覆われた土造りの枡形の写真が今一、枡形から北側に西に延びてる土塁も撮影、確認出来て5年振りの宿題が解決、本丸に戻り史跡庭園の櫓台石垣の確認、上杉氏時代の大手門跡、松前氏時代の大手門跡を訪ねる、小学校跡は草に覆われて、保育園は片付けられ史跡庭園、土塁、浅間神社以外は広々とした草原、今後は梁川城の為の活用が期待されます。
 駐車場は浅間神社駐車場以外に梁川高校駐車場、少し北の専用駐車場が利用できます。

 歴史:源頼朝奥州仕置き後伊達氏に伊達郡を賜り以後梁川城約300年の治政が継承され陸奥探題を務める、1532年頃14代稙宗の時桑折西山城に移る、豊臣秀吉奥州仕置き後蒲生氏、上杉氏と移り、関ヶ原後幕府領と大名領と入れ替わるが文化4年(1855年)松前氏が3万石で入封し明治を迎える。

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モト

伊達家にゆかりの深い城跡 (2021/08/10 訪問)

遺構は土塁や庭園にある石垣が見所です。
その石垣がどこの残りなのかははっきりわからずですが、その石垣を見て心踊ってしまう私です。
伊達家に300年という長い時間を関わってきた梁川城、建っていた頃の詳細な遺構を見たかったなという欲が出てきてしまいました。

残る遺構は範囲が小さい為、見学はしやすいです。
伊達家の事など思いを巡らし、土塁や石垣を眺めている間に意外にもなかなか時間が経過してしまった城巡りでございました。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 伊達朝宗
築城年 13世紀中期?
主な改修者 須田長義
主な城主 伊達氏、蒲生氏、上杉氏
廃城年 寛文4年(1664)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)
指定文化財 国史跡(伊達氏梁川遺跡群)、県史跡(梁川城跡及び庭園)
再建造物 復元庭園、碑、説明板
住所 福島県伊達市梁川町字鶴ヶ岡
問い合わせ先 伊達市教育委員会教育総務課
問い合わせ先電話番号 024-577-3245