(24人目)は「島津義弘」です。
これから義弘ゆかりの諸城を巡り、関ケ原での島津の退き口とその後の人生までたどってみようと思います。
まずは義弘が生まれた「伊作城」を訪れてきました。鹿児島中央駅から加世田行のバスに乗り60分、吹上町の「ふもと」で下車します(写真①②③)。そこから徒歩15分程登ると本曲輪(亀丸城)です。いきなり本曲輪入口の空堀がとても高かったのにはビックリしてしまいました(入口写真④本曲輪写真⑤⑥⑦)。
ここは、伊作島津氏である祖父の島津忠良の居城で、忠良は鎌倉時代以来分裂していた島津家を統一した島津の祖(日新公)と呼ばれています。その教えもありました(写真⑧⑩)。その教えは子の貴久に引継がれ、貴久は薩摩大隅日向の三州を統一します。義弘は貴久の次男として1535年にここで生まれ貴久が伊集院へ移るまでの2年間(2才まで)をここで過ごしたと言われています。島津四兄弟(義久・義弘・歳久・家久)は皆ここで生まれ、四兄弟生誕の碑もありました(写真⑨)。よって江戸時代には、ここは島津の聖地と呼ばれていたようです。義弘はここでいったいどんな赤ん坊だったのでしょうかね?😊
次は(伊作城②)空堀を探検してきます。
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