すぎはらとりで

杉原砦

岐阜県揖斐郡

別名 : (藤橋城)
旧国名 : 美濃

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橋の上のかっぱ像
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しんちゃん

かっぱ像 (2024/10/19 訪問)

南北朝の時代には、この地には杉原砦と呼ばれる砦があったとされています。新田義貞による築城という伝承も有るようですが、年代が合わないため確証は無いようです。現在は藤橋城と呼ばれるプラネタリウムを備えた資料館が建ち、道路を隔てて藤橋歴史民俗資料館が併設されています。また武山神社には杉原砦落城時に主君・杉原家盛を逃がすため犠牲になった七人の忠臣達の「七人塚」がありました。
プラネタリウムは3時には終了したようなので、藤橋城や歴史民俗資料館をざっくり見学しています。東にあるどんどん橋には「かっぱ像」がありました。かっぱの由来はなんでしょうか?

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カズサン

西美濃未踏の城廻Ⅱ藤橋城模擬天守閣 (2023/10/21 訪問)

 30年前頃に建設された藤橋城模擬天守閣を見たいものだと思っていましたが中々道中にチョット寄ってとはいかず、今回まで延び延びに、藤橋城杉原砦探訪の企画を作り合わせて日帰り西美濃未踏の城廻を行いました。
 雨の降らない日を選んだのですが、奥西美濃は小雨でしたが思い立ってから数十年登城を叶えました。

 駐車場:藤橋城・西美濃プラネタリウムの西側に広い駐車場完備、トイレ有
 参考資料:古城盛衰記さん、グーグルマップに依ります。

 先ずは藤橋城模擬天守閣(平成元年10月竣工)に登ります、時間が間に合えばプラネタリウムもと思ったのですが11時には10分程遅れて途中入館も出来ず、プラネタリウムは断念、天守閣の内部を見学、甲冑三体の展示、展望階からの眺めは小雨で霞今一、展望階から杉原城跡方向を確認し、藤橋歴史民俗資料館の野外展示建物も展望階から確認。
 藤橋歴史民俗資料館はパスして、七人塚、武山神社に参拝、見学。杉原砦落城の際に城主杉原家盛を死守した逃がした七人の塚が祀られている。杉原家盛の家系から秀吉の正室ねねが出ている。

 丁度昼時駐車場の西側にあまご茶屋が有りアマゴの塩焼き定食を頂く、久しぶりのアマゴの塩焼き、ビールが欲しい所ですが車の為我慢、ここまで来たのでと社会問題にもなった上流約6~7km程先にある徳山ダムを見学、久しぶりにロックフィルダムを見学しましたが小雨がぐり返し標高も高く肌寒い。
 揖斐川渓谷を往復しましたが紅葉の色付き初め、見ごろの時期はさぞ混雑するのでしょう?
 

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三浦の晃ちゃん

藤橋城 (2023/10/09 訪問)

徳山ダムへの道を走っていると、突然、現れました。内部は、プラネタリウムに、なっているようです。模擬天守だと、思います。

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キンヤ

模擬天守内にプラネタリウムがある城 (2022/09/04 訪問)

藤橋城と呼ばれる模擬天守ですが、なかなか立派な彦根城風で面白く天守を見ると嬉しくなりました。
天守の中にプラネタリウムがあり綺麗な星空を見れました。

実は藤橋城という城があった訳ではなく、南北朝時代にこの辺りには杉原砦があり、南朝方の新田義貞が築城したとされ、戦国時代には杉原家盛が守っていたとされます。
藤橋城は、歴史を伝え藤橋地域の再興を願って天守を建造されたようです。

杉原砦の実際の場所は不明ですが、藤橋城の南東側にある山の尾根に堀切などの遺構があり砦跡ではないかともされるようです。

道を挟んで北側の歴史民俗資料館には茅葺民家や池があって雰囲気が良かったです。

その西側隣りの武山神社前に七人塚があり、斎藤氏に攻められて杉原砦を死守した杉原家盛を逃がそうとした7人の家臣の塚とされます。
地元では、この武山神社辺りが杉原砦跡とも言われるそうです。

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城郭情報

分類・構造 丘城
天守構造 独立式層塔型[3重4階/1989年築/RC造模擬]
築城主 新田義貞?
築城年 不明
主な城主 新田氏?、杉原氏?
廃城年 不明
遺構 消滅
再建造物 模擬天守(西美濃プラネタリウム、資料館)、石碑、説明板
住所 岐阜県揖斐郡揖斐川町東杉原