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しんちゃん

城址碑は二つ、恵美須神社も訪ねてみては (2023/07/17 訪問)

野田城があった地域は平安時代には難波八十島といわれる島々が点在していた
地域だったそうですが戦国時代には城郭として機能していたそうです。
戦国時代に細川高国の同盟者、浦上村宗(掃部)がこの地と福島の地に築城したのが
始まりとされています。
場所ははっきりとしないのですが城址碑は二か所あります。
極楽寺の東側の恵美須神社まで城域に含まれていたのでは?
とのことで尋ねてみましたが、祭りの準備をしているらしく
子供たちのたたく太鼓の音が響き渡っていました。
暑い夏の夕方に太鼓の音は清々しく響きます。

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しんちゃん

ぽちっと押せるポチ城だが歴史は侮れない (2023/07/17 訪問)

楼ノ岸砦は元、織田方の城で本願寺派に奪われた後
本願寺派の支城となり、塙 直政が三津寺砦を攻めている際に
楼ノ岸砦から襲撃した一揆勢が塙 直政を討ったと伝わります。
現状 坐摩神社行宮所ですが、まだ整備が終わっていないようですが
錠がかかっていないようです。
ちょっとお邪魔してすぐに立ち去ります。
隣のビルは工事中です。大阪は工事が多いですね。

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モト

山頂の主郭 (2023/07/12 訪問)

3回目の九州でしたが、猫尾城行って参りました。
城跡は現在城山公園になっております。
地元、付近の知り合いに城跡だと話しをした所、小さい頃から遊びに行っていた山の公園だそうで、よもや城跡だったとはという反応でした。
主郭のある山頂近辺まで車で行く事ができます。
城山公園の駐車場に停め、歩いて5分で主郭に到着します。
駐車場から主郭までの間に曲輪が見られました。
また、主郭には神社のような物がありますが、石垣で一段高くなってます。
城跡の紹介を見ると写真によく出てくる石垣はこれだったのかと思いましたが、この石垣がなかなか雰囲気があってよかったです。

追伸
この日は晴れでした。
加えて訪問した時間が19時45分頃でしたが、この明るさです。
随分日が伸びたのだなあ、なんて思ってましたがこちらは関東よりも日が長いのだそうです。
その代わり、朝の明るくなる時間は遅いとの事でした。
言われればホテルからの夜明けの時間が5時でも薄暗いくらいだった事に気がつきました。
最近、仕事で九州に来ています。
仕事なのでなかなか城跡には寄れませんが、魅了的な城跡の多い九州を少しでも堪能できればと思う今日この頃でした。

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chiroru

大満足! (2023/07/21 訪問)

登城日和。

テレビでしかみることがなかった上杉謙信さんの銅像。ついに目の前に♡
本当に絵図通りの縄張りで後悔なく一つ一つの址地を確認できました。
木漏れ日の中にある毘沙門堂の神聖な感じや、御花畑址と直江屋敷址の辺りでは、川のせせらぎなのでは?
と思わせるくらいの風の音、タイミングよく涼しさも運んできてくれる。
謙信さんは信念を含め後世に素晴らしいものをたくさん遺してくださってると実感することができた春日山城でした。

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イオ

台地の突端 (2023/06/09 訪問)

戦国中期に北条氏に仕えた牛込氏の居城で、北条氏の滅亡後は徳川氏の旗本となり牛込城は廃城となったようです。現在、城跡は光照寺になって遺構は消滅しており、本堂前に牛込城跡の説明板が立てられているくらいでした。また、城とは無関係ですが、境内には出羽国松山藩・酒井氏の墓所がありました(無断撮影禁止のため写真は無し)。

御殿山城からぶらぶら歩いて登城しましたが、地蔵坂を上ったところの光照寺入口をなぜか見落としてしまい、周囲をぐるりと一周する羽目に。このタイムロスにより写真撮影の許可を求める時間的・心理的余裕もなく、仕事前に昼食を摂れなくなりはしたものの、おかげで牛込城が台地の突端に位置することを実感できました(ポジティブシンキング)。それにしても、神楽坂に三年坂に御殿坂に地蔵坂…。このあたりって本当に坂道ばっかりですね。さすが台地の突端。
 

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todo94

研修前の攻城① (2023/06/25 訪問)

にのまるさんと同様、王子駅(北区)から歩いて朝駆けしてまいりました。早朝のウォーキングでしたがすでにかなりの高温になっていて汗だくになってしまいました。宮城氷川神社の境内に無事、石碑を見つけることができました。

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しんちゃん

新たな姿に生まれ変わる行基創建の本願寺の支城 (2023/07/17 訪問)

三津寺砦は石山本願寺の支城で塙 直政がここを攻めている時に
楼岸砦から出撃した一揆勢に数千の鉄砲で攻撃され
激戦の末に一族とともに討死したと伝わります。
戦後の信長の怒りは凄まじく、塙一族の探索捕縛を命じ、罪人として捕えたと
伝わります。  直政がんばってたじゃん‥。
三津寺は奈良時代に行基が建立したという由緒正しい寺なのですが‥
尋ねてみると工事中のようです。
工事完了予定時期‥令和5年9月30日 あと2か月ちょっとか
西立面図‥ ってなんじゃこりゃ!由緒正しいお寺じゃなかったの?
一瞬心の中でとりみだしましたが、すぐに正気に戻ります。
  恐るべし大阪‥ とりあえず工事終了後が楽しみです。




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しんちゃん

門は常に閉まっている。城びとはその周りをクルクル回る。 (2023/07/17 訪問)

天王寺城は織田信長の石山本願寺攻めの拠点の城ですね。
原田(塙)直政討死の後に入城した佐久間信盛は戦果をあげられず
本願寺の和議のあと追放され高野山に送られたとか。(一説には)
高野山‥ ブルブル‥。
高野山と伊豆の修禅寺ってイメージ良くないですね。
殺されるために送られるような。
先人の皆様の投稿に倣い六万体の交差点の西側の
学園坂を下から車で登ってみました。
とても降りて写真を撮れる状況ではないのでコクピットから
撮影しています。ご容赦を。
wikiを見てみると信長が手勢百騎を率いて若江に到着し、自ら負傷しつつも
天王寺城を包囲していた一揆勢を蹴散らしたとあります。
そういえば村上海賊の娘という小説にもそんなシーンがありましたね。

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朝田 辰兵衛

南東側より可能な範囲で… (2023/06/09 訪問)

todo94さんが攻城されたルートは,とても立ち入る勇気は起きませんでした。
他に行けそうなところを探してみたところ,南東側に唯一発見しました。しかし,すぐに私有地の雰囲気になり,奥の方で物音も聞こえてきたので,トラブルになる前に退却。
当時のものかわからない石垣を見つけました。

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しんちゃん

大阪城を睨む二代目将軍の心意気 (2023/07/17 訪問)

岡山砦は現状、史跡岡山元御勝山(御勝山古墳)となっています。
大阪冬の陣では徳川秀忠の本陣が置かれ、大阪城の南に配していますが
真田丸があったとされる位置からは2kmほどの距離しかありません。
ものすごく近いですよね。
たしかにぴーかるさんの書かれている通り、二代目将軍秀忠公の気迫が伝わってきます。
よほど関ヶ原の件が悔しかったんでしょうね‥
古墳の周りは柵で囲まれているので、上から二代目将軍の気分を味わうのは
無理ですね‥。

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しんちゃん

昨日の見方は今日の敵。人の世が世知辛いのは今も昔も変わりなく。 (2023/07/17 訪問)

正覚寺城は応仁の乱の引き金となった畠山家のお家騒動の当事者の一人
畠山長政の本陣で、明応の政変の影響で味方だったはずの幕府軍に攻められ
自刃したとあります。
ややこしい‥‥
先日まで味方だったはずの幕府軍が、打って変わって敵になってなだれんこんでくる
悪夢ですね‥。 人の世はうつりにけにないたずらに って
それどころじゃない!
現状 旭神社でひょうきんな顔の狛犬と城址碑がぽつんとお出迎えして
くれますが、なかなか歴史は深いです。
駐車場を使わせてもらえるのが実に有り難いですね。

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茶臼山公園 (2023/07/27 訪問)

 城址である茶臼山公園へは車で上がることができますが、自分は西片上駅から徒歩にて登城しました。約15分です。遺構はないと思われますが、曲輪を思わせるような削平地があります。片上湾が見えるのですが夏は木が茂っていて眺望は今一つです。

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垂水半左衛門 (2023/07/27 訪問)

城巡りをしているときに水の手は気にしています。海岸に近く堀の水や井戸水には海水が混じり飲用に適さなかったため、千種川(旧能見川)の上流に井関と水路を建設して上水道が敷設されました。城内のみならず城下各戸にも給水したと伝えられています。設置したのは浅野家より前に治めていた池田家のとき(1616年完成)、当時は掻上城と呼ばれていたときです。戦国時代であれば簡単に水の手を絶たれそうですが、戦乱が収束した時代ならではということでしょうね。ちなみにこの旧赤穂上水道は江戸神田上水、広島福山上水とならび日本三大上水道のひとつとされています。

市内にある花岳寺の山門は赤穂城の西惣門を移築したものとのことです。

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しんちゃん

陣屋跡小学校。移築城門あり (2023/07/17 訪問)

古河藩陣屋は下総国の古河藩の飛び地を管理するために
設けられた陣屋で今は平野小学校になっています。
さすが大阪の小学校、警備が厳重そうですね。
近くに交番まであります。
大念仏寺に移築された城門があるというので寄ってみます。
特に遺構が無くても、城門が残っているだけでも
有り難いことです。
案内板にもと‥ と書いてあるのがちょっとウケますね。

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浅野長直 (2023/07/27 訪問)

 久しぶりに赤穂城へ行って来ました。以前登城したときは天守台を整備中のときでしたので、かなり整備が進んでいる印象です。石垣や堀に癒されながら散策してきました。
浅野長直が正保2年(1645)に赤穂に入り、慶安元年(1648)には赤穂城築城願を幕府に提出しています。無事完成したのは寛文元年(1661)となっています。江戸時代の平和になってから築かれた城です。そのためか水の手は上水を使用しています。

この日は暑い日で歩いているだけでバテてしまいそうでした。ただ海風が吹いていたので何とか散策することができました。城内に自販機がなく手持ちの水がなくなると水分補給に難渋します。

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しんちゃん

楠木正儀の城。古墳のすぐそばから入れる。 (2023/07/17 訪問)

宇利和利城は楠木正成の3男である楠木正儀の居城とされています。
大阪市営瓜破東住宅から瓜破霊園内の北東部にある
花塚山古墳までが城域に含まれているようです。
霊園内は車で移動できるようですが、古墳の近くに
フェンスがあいている箇所があり、そこからも入れるようです。
真田幸村が戦勝祈願した神社はいずれ訪ねてみたいと思います。
なんだかんだ言っても一番好きな武将ですからね。

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しんちゃん

楠木正成の八臣の一人、八尾別当顕幸の城 (2023/07/17 訪問)

八尾城は楠木正成の八臣の一人、八尾別当顕幸によって築かれたとされています。
八尾神社に城址碑があり、西側の常光寺も城域にふくまれていたようで
八尾別当顕幸の墓があります。
大阪夏の陣ではこの寺の縁側で藤堂高虎が首実検をしたという、物騒な石碑があり
今でも血天井として残されているそうです。
血天井といえば京都のお寺で見たことがあったような(たしか岐阜でも)
お寺の住職とか夜、怖くないんでしょうかね?
特に遺構が無くても、楠木正成の八臣の城って書くと
なんか恰好が良くないですか?
実は楠木正成公も結構好きなんです。ただ戦いかたが、かなりエゲつないんで‥

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しんちゃん

楠木家家臣、恩智左近の城 (2023/07/17 訪問)

恩智城は現在、恩智城址公園になっていて東側に春日大社神苑萬葉植物園が隣接しています。
築城は楠木正成の家臣・恩智左近と伝わります。
西側の郭は恩智小学校跡地に隣接し門と石段が残ります。
西側の郭は城郭放浪記の情報によると二の郭とされ、
模擬石垣の上に築かれ、他の郭より高所にあります。
城郭放浪記の管理人様、いつも貴重な情報、ありがとうございます。
東側の萬葉植物園も少し高所に配されていて、城址の雰囲気を感じます。
さっくりと回れるので、猛暑の最中には正直ありがたいです。

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しんちゃん

島氏の城。現状、城址公園 (2023/07/17 訪問)

下垣内城は南に隣接する西宮城とともに島氏(嶋氏)の城とされています。
島左近の時には平群を中心に一万石の領地があったとされています。
駐車場は平群中央公園の南西の駐車場を利用させていただいて、
グラウンドの南側の西宮古墳を経由するルートで東に移動すると
すぐに西宮城跡の冒険広場に到着します。
特に見るべき遺構も無いので、修景池を経由しながら北へ移動し
歴史の広場に到着。ここが下垣内城になります。
やはり遺構は無いのですが小高い公園広場になって、地元の人の
良い散歩コースになっているようです。

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小城小次郎

紀氏が拠っていた木浦は「紀の浦」なのか (2023/01/17 訪問)

木浦(きのうら)は「紀の浦」の意だろうか。鎌倉時代に河野氏傘下の紀氏が拠ったと伝わるこのお城には天守風建物、望楼、城門が設けられていたがいつの間にやら望楼と城門は失われていた。建物の維持管理の難しさも痛感する。

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