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じゅんじん

公園 (2023/05/20 訪問)

セントレアや大草城そして三重県まで見渡せます。

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じゅんじん

中学校と三嶋神社 (2023/05/14 訪問)

岡津中学校と三嶋神社が城址になります。下の岡津小学校は陣屋跡といわれています。

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じゅんじん

高校 (2023/05/14 訪問)

豪雨の中校門周りだけ撮影しました。

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あみりん

危険な暑さな、松代城巡り。 (2023/07/16 訪問)

改装中の、ゾーンもありましたが、散策コースはこぢんまりしていて回りやすかったです。

天気が良すぎて汗だくになりました。

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ぴーかる

櫛羅陣屋 (2023/06/17 訪問)

【櫛羅陣屋】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車

<感想>日帰り奈良ちょこ城150㎞の旅ラスト8城目。櫛羅陣屋の前身は大和新庄藩で、1601年に桑山一晴(桑山重晴の嫡孫)が和歌山2万石から移転して立藩します。桑山氏は1682年に改易され、その後宮津藩から1万石で永井氏が移転してきます。幕末の1863年に櫛羅に陣屋を移して櫛羅藩を立藩します。1871年廃藩置県で櫛羅県⇒奈良県に編入されます。
 先達のtodo94さんの投稿にあるように陣屋跡は私有地になっているようなのでとりあえず入口前まで行きました。櫛羅藩陣屋門遺構(南門)を行って、九品寺にある移築御殿玄関を見に行きました。現在移築玄関は本堂と合体されちゃってます。

<満足度>◆◇◇

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トク

55【関ケ原の26人】(21)徳川家康 (関ケ原-家康最後の陣) (2022/10/29 訪問)

(21人目)「徳川家康」の続きです。
関ケ原にある最後の陣跡へやってきました。桃配山で戦況がわからずイライラした家康は、家臣たちが止めるも聞かず、最前線のここまで前に出て本陣を敷きました(写真①②③④)。関ケ原古戦場記念館の横です。

私は、ここから石田三成のいる笹尾山の陣、小早川秀秋のいる松尾山の陣が、家康からどのように見えたのか? それを確かめようと思い記念館から眺めてみました。

笹尾山はよく見えました(写真⑤)。ここからなら最大激戦地の戦況がよくわかったと思います。松尾山の方を見ると・・・(ん~遠いな🤔)(写真⑥)。ここから鉄砲を撃ちかけても、小早川秀秋には聞こえるわけがないと思いました。家康は、本当に聞こえると思ったのでしょうか? やっぱりあの話は、江戸時代の創作なのではないでしょうか?

そして石田軍壊滅、三成は伊吹山へ敗走中との知らせが入ります。目の前にいた田中吉政に、「そなたは近江の出身、このあたりの地理には詳しいであろう。ならば三成を追い、捕らえよ!」と命じます。(写真⑦家康の前にいた吉政の陣)

そして、「やれやれ、これでやっと決着がついた」とほっとしたのもつかの間、何やら目の前にこちらに向かってくる小集団が見えます。「ん? 何事か? いったい何者じゃ?」

それは島津義弘の軍団でした。退路を断たれた島津軍は、逆に家康の首めがけ一直線に突進してきたのです。もうあと200m、100m、50mくらいまで迫ってきました。家康絶対絶命のピンチ!(どうする家康!)。私はその位置(写真①)に立ってみました。そして写真①より私があそびで作った想像図⑧です。もうこの位置まで義弘は迫っていたと思われます。 

直臣らが必死に守り、直政ら他諸将も戻ってきて何とか家康を守り抜きます。あともう少しで家康の首が取れるというところでしたが、囲まれてしまい 「残念! もはやこれまで!」 と義弘はあきらめ伊勢街道の方向へ走り去ります。そして直政がこれを追って行きました。

私は家康最後の陣跡に立ち考えてみました。ピンチを脱した家康は、どんな思いでここから最後の戦況を見つめていたのでしょうか?

「おのれ~、石田三成と島津義弘だけは絶対に許さん!!!」
きっと怒りが頂点に達し、勝った喜びも忘れてしまっていたのではないでしょうか?・・・

残るはあと5人です。
次は(22人目)に続きます。
 

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赤い城

やっぱり推しは水洗トイレ。 (2023/07/10 訪問)

朝一で久保田城リアの跡、稲庭うどん食べに湯沢までドライブ。
高速でカモシカに出会うサプライズ、熊じゃなくてよかったです。
うどんをおいしく頂き(これで三大うどん制覇)、秋田市内に戻り、駆け足で秋田城に訪問しました。
駐車場すぐの案内所でスタンプを押してるとガイドさんより勧誘が。
本当はガイドしてもらいたいけど新幹線の時間もあるので辞退、いつものように?駆け足での探索になりました。
城内東大路からまずは政庁跡に。
その先に歴史資料館があるのですが時間の都合でパス、残念!
外郭方面に戻りました。
古代沼を見下ろしたあと散策しました。
建物跡などが解りやすく展示されていました。
見どころで地元も推しの古代水洗トイレもちゃんと見学できました。
最北の古代城柵官衙遺跡でかなりの広さもあリました。
機会があればじっくりと再訪したいです。

今日のニュースでは秋田で水害とのこと。
最小限の被害であることを祈ります。

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にのまる

江戸散歩 (2023/05/17 訪問)

4/15~6/11まで開催されていた企画展「家康、波乱万丈」を見に北の丸の国立公文書館へ行ってきました。大河ドラマの三方ヶ原の回からまだ日がたっていない頃だったので、夏目さんに関係する史料にはじーん🥲ときてしまいました。(入場無料・撮影可)

公文書館を出ると皇居一般参観の午後の部にちょうどいい時間だったので、東御苑を通り抜けて受付場所の桔梗門に行ってみました。しかし、当日受付は早々に終了していて参加できず。
コロナ禍中はふらっと行っても余裕だったのですが、インバウンド実感しました。
涼しくなってから予約して行くことにします。

このまま帰るのももったいないので、日本橋の三井記念美術館へ。
和田倉門や常磐橋門に立ち寄りながら歩いていきました。
展示替えのあった「どうする家康展」。年パスを持っているのでタダです。
前回より少しゆっくり見られました。

「どうする家康」関連、東京では7/28~8/4、NHK放送技術研究所(技研)1階のエントランスで全国巡回展があります。(予約不要・無料)
期間が短いのですが、隙を見てチャリ漕いで行ってこようと思います。

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むらひろ

岩殿山城

毎年新年の限定御城印を買いに行った時に登ってるのですが、今日からかがり火市民祭りの限定御城印が販売ということで現地で購入。

夏場に城を登ると多分私は倒れるので登山はしませんでした。また来年の新年限定御城印が出たタイミングで登ります

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石垣修復中 (2023/07/15 訪問)

 城域を歩いていると各所に石碑があり縄張りを教えてくれます。一部を投稿します。
 
 この城びとの「お城の現場より〜発掘・復元最前線」で2017年度より城址の保存と活用に向けた発掘調査を、2020年度からは崩落した石垣の修復に伴う発掘調査を実施されていることが述べられ、その成果が報告されていました。前の投稿でも記載しましたが、今も石垣の修復工事は行われ立ち入り禁止となっている場所があります。令和7年(2025年)まで行われる予定と案内板にありました。

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酒井忠次 (2023/07/15 訪問)

 久しぶりに豊橋市の吉田城へ行って来ました。東三河の要衝の地に建てられた豊川を天然の堀とする後堅固の城です。豊川越しに見える鉄櫓の風景は好きです。本丸北西部に再建された鉄櫓に目がいってしまいますが、石垣、空堀、土塁等がよく残っています。城址は公園となっていて概ね散策しやすいです。ただ一部の空堀に入ったときは夏場ということもあると思いますが、藪蚊の襲撃を受けました。城域の一部は石垣修復工事のため立入禁止となっています。

豊橋駅前から豊橋鉄道市内線に乗り市役所前にて下車して登城しました。

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チェブ

源氏も徳川も。 (2023/07/01 訪問)

東急大井町線の荏原駅から、踏み切りを渡った左手に法蓮寺。少し坂を上がった所に旗岡八幡神社があり、一帯が「荏原氏館」だったようです。
この日は、ザーザー降りの雨。駅近は助かります。
さすが東京都23区内、いつもの雑草や虫達の歓迎はなく、舗装された道路は歩きやすいです。
と、法蓮寺の入口に説明板。
11代将軍 徳川 家斉さんが、当時のご住職とお相撲を取りました。手加減しなかった事が気に入られたんだそうです。
家斉さんて、側室が40人位いて大奥の資金が大変だった印象。飢饉やら外国船やら大変な時に自由気ままです。
ご住職、天晴れです。
高台にある旗岡八幡神社にも説明板がありました。
こちらは、源氏が陣を敷き白旗を揚げた事から『旗の台』という地名になったそうです。
こちらの説明板に、鎌倉時代中期 荏原 義宗さんが領主をしていた、とありました。
遺構は分かりません。
こんな雨降りでもお参りしている方がいらっしゃいました。

雨のザーザーという音が、源氏と徳川の威勢の良い歓声にも聞こえるような「荏原氏館」でした。

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城とマスク

今回はマスク無し訪問 (2023/07/15 訪問)

以前から行きたかったお城でした、今回近くまで来たので寄って来ました。

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トク

54【関ケ原の26人】(21)徳川家康 (桃配山) (2022/10/30 訪問)

(21人目)「徳川家康」の続きです。
関ケ原二番目の陣(桃配山)を訪れてきました。

美濃赤坂の陣で野戦を仕掛けようとした家康ですが、島左近の不意打ちにあい、ここで戦をするは不利と判断、深夜に前日に調略され寝返っている南宮山麓の吉川広家の陣の前を悠々と行軍し夜明け前に関ケ原へ到着、桃配山に陣を敷きます。(写真①②)

ここ桃配山は(672年)壬申の乱の時、大海人皇子(後の天武天皇)が陣を敷き、もらった桃を皆に配り、それで兵の士気が上がり勝利したという縁起のいい場所だったため、ここに陣を敷いたと言われています。

私はレンタルしたチャリで関ケ原駅からここまで20分かけてこぎました。ちょうど桃配山の登り口は工事中だったのでどこに止めようか迷っていたら、下のガソリンスタンドの店員さんが「店に止めていいよ!」と気軽に声をかけて下さいました(ありがとうございます)。

そのチャリをこいでいる途中で気づいたのですが(おそらく車だとわからない)、関ケ原の地形は平坦かと思っていましたが、西から東に向かってゆるやかに傾斜していました。つまり桃配山へは下り、また関ケ原中心部へ戻る時は上りでした(三成陣がある笹尾山と決戦地はさらに上り)。という事は家康にとっては攻めにくく三成にとっては守りやすい地形。そこまで三成は考えていたのでしょうか?

私は桃配山に立ち関ケ原を眺めてみました。家康は写真②の石に座り、写真③④の景色を見ていたと思われます。はるか向こうに黒田長政の陣(岡山)が小さく見えました。その左の少し隠れている所に石田三成の陣(笹尾山)があります。長政と三成の隊があのあたりで激突し、激戦が行われました。最初は一進一退が繰り返され、膠着状態だったようです。家康はここからその報告を受けるもよく見えません(確かによく見えない🤔)。 その南側(写真左側)の宇喜多・小西・島津・大谷らと対峙している、井伊・本多・藤堂・福島と心配な小早川の軍勢はさらに見えません。池田輝政や山内一豊が背後を守るも、その吉川広家が弁当?を食べていてくれたおかげで、毛利秀元も南宮山から下りてくる気配はありません。

状況がわからずイライラするも、背後から攻められる心配はないと確信した家康は、こう叫びます!
「いざ陣を前へ!」
もっと前に出て陣頭指揮をとる事を決意したのでした。

次は(家康最後の陣跡)へ続きます。
 

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にのまる

山陰城めぐりおまけの写真<その2>

① 月山富田城
このくらいの通せんぼは何とも思わなくなった。

② 月山富田城の模型
かっこいい。

③ 米子城本丸
矢穴から続いているように見えるラインがすてき。

④ 鳥取城大手門
トゲトゲ😱

⑤ 宿泊したホテルの部屋から
見えた。

⑥ 鳥取から乗車のスーパーはくと
新大阪乗り換えより70円安い姫路までにした。

⑦ 鳥取駅で購入したお弁当
この日唯一のちゃんとしたごはん。おいしかった。

⑧ 帰りの切符
乗継割引ありがたい。

⑨ 鳥取駅で自分のお弁当だけ買っておみやげ買わなかったから乗り換えの姫路で調達。

⑩ 姫路駅ホームから。
 ここの窓だけ開いているのがうれしい。
 姫路城、夏の特別公開の時に行けたらいいな。(るの門を見に。)

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にのまる

山陰城めぐりおまけの写真<その1>

① 岡山→松江乗車の伯備線特急やくも
つやつやでかっこよかった。

② 松江駅前。
米子の鬼太郎、鳥取のコナンだけではなかった。(知ってる世代^^;)

③ 松江市内の郵便ポスト
天守同様の重厚感

④ 鳥取駅前の郵便ポスト
すごウサ3兄弟のイーくん。ナーくんとバーくんもいるらしい。

⑤ 松江→荒島乗車の山陰本線
キハ47

⑥ 車窓から大山
昔ザレ場で苦労した記憶がよみがえった。

⑦ 車窓から「お菓子の壽城」
米子城の石垣が移築されているとか!?行ってみたい!

⑧ 見開きコンプできるとうれしい。
日付はあとで入れようと思ってずーっと書いていない。

⑨ 砂丘をバックに贅沢ランチ
大体いつもこんな感じ。

⑩ 由良駅コナンくん別バージョン
もっともっとたくさんあった。

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ぴーかる

芝村陣屋 (2023/06/17 訪問)

【芝村陣屋】【箸墓古墳】
<駐車場他>ひみこの庭駐車場(無料)を利用
<交通手段>車

<感想>日帰り奈良ちょこ城150㎞の旅7城目。織田有楽斎が関ヶ原後に隠居するのに3万石のうち1万石は隠居料、四男長政に1万石(戒重藩を立藩)、五男尚長に1万石(柳本藩を立藩)を分与します。戒重藩は1745年7代藩主織田輔宜の時に立地が不便なことから芝村に移転し芝村陣屋となります。芝村藩はその後幕府領9万石以上を預かり地として任せられる事になりますが、年貢増徴収政策で農民一揆が起こり預かり地は召し上げとなります。芝村藩は明治維新まで存続しますが藩の借財はかなりあったようです。

 上記駐車場に駐車してまず箸墓古墳を周辺を散策しました。箸墓古墳は卑弥呼の墓ではないかとする学説もある前方後円墳ですが、大市古墳:第7代孝霊天皇皇女の陵墓として宮内庁管理で中に入ることはできません。周辺散策と拝所に行きました。
 次に慶田寺の山門に芝村陣屋の移築長屋門があるのでそこに行って、陣屋跡の織田小学校に行きました。南側一線と東西の一部に石垣が残されています。南西の通りは昔ながらの街並みが残ります。南の堀跡は見落としました。

<満足度>◆◇◇

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半布里コミッティ

マンガ「斎藤新五利治」関連企画展 第1弾 第2弾 開催案内!

第1弾 : 『マンガ「斎藤新五利治」ができるまで』 企画展

マンガ作者の渡辺浩行先生から、貴重なコマ割りと構図の入ったネームや
原画をお借りし、展示されます。

 期間 令和5年7月15日(土)~10月1日(日) 
 場所 富加町郷土資料館 (開館時間に準ずる)

同展示室にて 関高校 地域研究部・文芸部による研究ポスターも掲示されます。
日本考古学協会にて発表されたすばらしい研究内容となっております。


第2弾 : ギャラリートーク & マンガ作者によるサイン会

 日時 令和5年9月10日(日) 受付時間 12:30~  
                 開始時間 13:00~
 場所 富加町郷土資料館

 ※ 参加費無料、申し込み不要

学芸員と渡辺浩行先生とのギャラリートークが開催されます。
また、当日「斎藤新五利治」をお持ちいただいた方には、渡辺先生のサインを
描いていただけます。
なんと先着20名はイラスト入りサインです。当日整理券配布予定。

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イオ

今城塚古墳(大阪府高槻市郡家新町) (2023/05/21 訪問)

# 今城塚古墳(今城・城びと未登録)は、芥川山城の出城・付城として改修・機能した城のため、芥川山城で投稿します。

今城塚古墳は、古墳中期に築造された前方後円墳で、継体天皇の真の陵墓とされています。戦国期に細川氏または三好氏(松永氏)により芥川山城の出城として改修されたと伝わり、織田信長の上洛時には芥川山城攻めの付城となったとされます。城郭遺構は確認されていませんが、発掘調査により外濠からは戦国期の火縄銃の弾丸や天目茶碗が発見されているようです。現在は古墳公園として整備され、宮内庁の陵墓指定されていないため、自由に散策できる唯一の天皇陵です。

今城塚古代歴史館の駐車場に車を駐めて登城開始。案内に従って進むと、はにわバルコニーから今城塚古墳が一望できます。淀川流域最大級と云われるだけあって写真に収まりきらない巨大さです。墳丘は二重の濠で囲まれ、外濠は空堀、内濠は水堀でしたが、内濠の後円部側は埋め立てられて芝生広場になっています。二重の濠の間の内提には埴輪祭祀場が設けられており、発掘調査の成果に基づき約200点の埴輪が居並ぶ様子はなかなか壮観でした。内堤を下りて芝生広場を横断し墳丘へ。墳丘両側のくびれ部に設けられた造出は儀式の場だったようですが、城郭的に見れば横矢掛けの張出部でしょうか。墳丘を前方部から後円部までひとめぐりした後は、後円部側から内堤の上を一周します。内堤の上には内濠に沿って円筒埴輪が並べられています。聖域をあらわし古墳を守る結界なんだとか。前方部は水堀に囲まれているので、内堤から見てお城っぽい感じです。

内堤を一周した後は、駐車場に戻って今城塚古代歴史館を見学。展示は古墳についてのみで城郭に関するものはありませんが、英雄たちの選択の継体天皇の回を観て以来、来てみたいと思っていたので、阿蘇ピンク石による家型石棺など興味深く見学させてもらいました。なお、今城塚古墳から西に約1.6kmの太田茶臼山古墳(茨木市太田)が宮内庁の定める継体天皇陵になりますが、陵墓として拝所は設けられているものの、見学することはできません。
 

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todo94

【城びと未登録】肥後岩尾城(熊本県上益城郡山都町) (2023/05/05 訪問)

通潤橋を俯瞰するために上った丘に岩尾城二の丸の標柱を発見。通潤橋に向かって左が二の丸で右の布田神社が本丸に当たるようです。麓には説明板までありました。九州の名城を歩く~熊本大分編にも所収の城ですので城びと未登録というのはかなり残念です。このあと、午後1時からの観光放水まで楽しんでしまったため、愛藤寺城は断念、熊本城入城に間に合うよう、レンタカー返却の帰路につきました。なお、通潤橋の橋上観覧は500円の有料で、10時~13時は先着300名の人数制限となっています。

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