たぶん、三浦氏関連の、お城です。会津の蘆名氏の御先祖がいたのではないでしょうか。国道134号線から、大楠小学校に向かって行く途中で、左側の細い階段を、降りて行きます。
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2023/11/11 21:31
2023/11/11 19:59
岐部城 (2023/09/10 訪問)
【岐部城】
<駐車場他>駐車場あり<33.665273, 131.625374>20台程度
<交通手段>車
<見所>石垣・曲輪・堀切
<感想>1泊2日北九州・豊前中津の旅2日目ラスト14城目。岐部城は鎌倉時代に岐部氏によって築城されたと伝えられます。岐部氏は大友氏の麾下となり大友水軍の中心的存在となります。大友義統が改易されると一族の中で義統に近侍する者もいたが、この時城は廃城となったようです。
一族の中にペトロ・カスイ岐部という者がいて1587年生まれ、キリシタン追放令により1614年にマカオに追放されるがローマやエルサレムまで行き司祭となります。1630年に帰国して禁教令のなか布教活動を続けて仙台藩に捕縛され1639年に処刑されます。城跡東麓に記念公園があります。
駐車場のそばに岐部氏の墓地があり横の登山道から登って行きます。登り初めてすぐにある高石垣と櫓台石垣は当時のものではないようなのですが、主郭跡にも石列と石垣跡が見受けられましたので、櫓台から先にある虎口跡付近の石垣は当時のもの(朽ち方や崩落具合が違うように見えた)かとも思いました。尾根上に上がると展望台と木のベンチが沢山ある曲輪跡に出ます。そこから南に登って主郭を目指します。ほぼ直線の尾根を南に登って行くと主郭手前に2重堀切があります。なかなかの見応えです。主郭部分は南北に長く、西側に並行して下段に帯曲輪があります。西側曲輪壁に石列、石垣跡が見受けられます。東側は斜面がきつく降りられませんが遠目で石が見えて石垣が崩落したような感じにも見えます。主郭南側奥にも仕切り堀切があるだろうと進みますが、最奥は舗装道が現れて網柵があって遮っていました。
下山したのが18:00頃で豊後高田にも行きたかったのですが、陽も落ちて薄暗くなっていたのでここで今回の旅を終了しました。国東半島には行ったことがなく、地形を見るからに火山で出来た半島で不毛の地かとも思っていましたが、海岸沿いは平野部、田んぼもあって印象が違っていました、すみません。岐部城から国東半島の中心部を縦断して帰りました。全走行距離1530㎞無事走破。
<満足度>◆◆◇
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2023/11/11 19:12
2023/11/11 17:53
高木古城 香川県高松市 (2023/11/03 訪問)
多肥小学校の南側にある住宅地の小さな公園に説明板が着いています。
40メートル四方の単郭の館だったようです。
説明板によると乃生元忠の築城だそうです。
北側の畑には城の権現さんと呼ばれる城の神さんという小さな祠も建っています。
わざわざ行くことも無いと思いますが高松に住んでるのでちょっとした時間で行ってきました。
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2023/11/11 17:08
山頂に (2023/11/03 訪問)
石垣の要塞、長水城。
夏は山ビルに要注意。
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2023/11/11 16:13
人生初の雲海! (2023/11/03 訪問)
竹田城に8年ぶりにやってきました。11月2日の午後10時に自宅を出発し、車で約4時間の後11月3日の午前2時に駐車場につきました。しかし、こんな真夜中でももう駐車場は満帆で駐車場に続く道路も車がずらりと止まっていました。とりあえず、道沿いに車を止めて、午前3時半に登城口で並び、午前4時半に登城開始しました。展望台は3つあり、上から第1次、第二次、第三次となっています。最初は1次展望台の一番前でスタンバイ。午前6時までは竹田城がライトアップされていました。星空も綺麗で、星を見ながら夜が明けるのを待ちました。
6時半までは一次展望台で雲海を見ましたが、結構竹田城より下に雲がかかっていたので第二次展望台へと移動しました。(ちなみに結構混んでます)
2次展望台では少し雲が山の上方にかかっていました。人生初の雲海に感動しました。
おそらくですが、カメラでの撮影になると第一次展望台の方がよくて、人の頭が写ってしまいますが、なるべく上に行ってみるのもありです。
しかし、第二次展望台ではスマホの撮影が結構いいそうです。
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2023/11/11 16:06
えいやっ、佐津間城と大宮神社。 (2023/10/14 訪問)
えいやっと攻めた「佐津間城」。
鎌ヶ谷市内で、明らかに『お城ありました!』と言えるのは、「佐津間城」だけなんだそうです。
東武アーバンパークラインという、格好いい路線名の電車をJR船橋駅から乗り、六実駅で下車しました。
交通量の多い道を20分位歩くと、城跡っぽい木々が見えてきます。
住宅街で、どこか入口は?と見ても私有地になっているようです。Googleに従い歩くと、石段を降りるよう指示されます。
と、降り振り返れば「佐津間城」の城内でした。
説明板があり、向こうには土塁が見えます。
元気な草木達と、私有地のロープがあり侵入はできません。
石段を登ると、ゴミ収集車がゴミの回収をしていて、住宅街。
「佐津間城」の雰囲気がとても感じられるのに、1歩 出ると住宅街。
不思議な感覚です。
六実駅に向かう途中に『佐津間大宮神社』に寄りました。参道や鳥居は、車道より低い位置にあります。
参道は木々がありますが、拝殿は広い空の下。
こちらも、「佐津間城」同様に不思議な感覚でした。
実は、京成船橋駅で道に迷っていたミャンマーの女の子2名に声をかけられ、JR船橋駅までGoogleで道案内しました。(私も道に迷ってましたが(*_*))
目的地変更して、東武アーバンパークラインという格好いい名前の路線近くにお城を探し「佐津間城」がありました。
留学で、はるばる日本まで来てくれた、のミャンマーの女の子達のおかげで、不思議な「佐津間城」攻めができました。
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2023/11/11 16:01
二重の虹 (2023/10/07 訪問)
今回3度目、1度目は友人達とバイクで北海道ツーリングであれから35年今はだいぶお城の見方が変わりありえない処までウロウロ感動を求めて歩き回る。
今回旧幕府軍の足取り名所を回ってます、昨日は蝦夷上陸の地今日は新撰組副長終焉の地、明日は江差方面へ旅の仕方も変わってかな?
五稜郭はとても整備されていて何度も来ても飽きない土塁の上から空を見上げると虹が二重にかかっていた。さぁ!これから地元のグルメでお酒を飲みに・・・。
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2023/11/11 14:29
みごとな景色 (2023/11/03 訪問)
瀬戸内海と錦帯橋を一望できる絶景❗
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2023/11/11 13:27
百相城 香川県高松市 (2023/11/03 訪問)
仏生山の森に車を停めて歩きます。
住宅地を抜けると田園地帯となり、民家の横にブロック塀で囲まれた石碑が立っています。
隣にはさらに大きな石碑が。
別所九兵衛功徳碑と書いてあります。
江戸時代に大干ばつがあった際に人々を救った人だそうです。
この周辺が別所氏の屋敷があった場所とされます。
元々は河西輝貞が築いた平城で遺構は残りません。
周囲の水路にクランクする部分があるのでもしかすると堀跡かもしれません。
石碑以外は特に何もありませんが車を停めた仏生山の森にはコスモス畑があり、ちょうど見頃を迎えていました。
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2023/11/11 12:31
2023/11/11 12:16
2023/11/11 11:24
津軽為信、信牧が築城した北の守りの要の弘前城、石垣修復のお手伝い (2023/08/05 訪問)
日本各地のお城の規模は、その大名の石高等によって違うと思いますし、また、築城時期によっては徳川幕府への配慮から規模を抑えた等あったと思います。弘前城は築城時、津軽氏の石高4万7千石を考慮すると広大で堅固なお城の一つと思います。
北方への守りの役割があったのでしょう。
現在、石垣の修復作業中ですが、弘前市へのふる里納税がきっかけで修復現場への招待を受け、工事現場に行って説明を受けました。また、石垣の隙間に小石を入れて来ました。我が身は滅びても、石垣に入れた小石は数世紀残ることを想うと嬉しい気分になり、思わず微笑んでしまいました。我ながらお城病に感染してると自覚しました。
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2023/11/11 11:06
2023/11/11 10:55
2023/11/11 08:05
とことん駿府城(駿府城公園) (2023/08/05 訪問)
(続き)
駿府城の本丸・二ノ丸は駿府城公園として整備されていますが、明治に陸軍歩兵連隊が置かれた際に建物は全て撤去され、本丸と二ノ丸を隔てていた本丸堀は埋め立てられており、現在は東御門の西側に発掘調査で再び姿を現した本丸堀の南西隅部、紅葉山庭園の南西側に二ノ丸水路が接続する部分が見られるくらいです。二ノ丸水路は本丸堀の水位を保つために築かれた石組水路で、四度の折れを設けて二ノ丸堀に接続しています。
本丸堀南辺の御玄関前御門と二ノ丸堀南東部の東御門の間には東喰違御門が設けられていて、門と西側の石垣は失われましたが、東側の石垣が遺されています。本丸堀が埋め立てられているためわかりづらいものの、説明板の地図と現状を見比べるうちにイメージすることができました。同様に、本丸堀北辺の御天守台下門と二ノ丸堀北辺の北御門の間にある馬場先御門も石垣造りの喰違門だったようですが、こちらは説明板があるのみで遺構は消滅しています。
二ノ丸堀南辺に設けられた二ノ丸御門は現在の公園入口にあたる二ノ丸橋より西側にあり、木橋や高麗門、渡櫓門は失われたものの枡形石垣が一部遺り、発掘調査で確認された枡形の位置が石積みや植栽で表示されています。また、二ノ丸御門北側の遊歩道沿いには、地震で崩落した二ノ丸堀石垣の破損した石材を用いた『切込み接ぎ』と『打込み接ぎ』の石垣モデルが展示されていました。
天守台南東の本丸跡には鷹狩姿の徳川家康公像が建ち、その向かいには家康公お手植えのミカンが植わっています。紀州から献上されたミカンとは知りませんでしたが、となると、駿府から和歌山に移封された徳川頼宣が山がちで稲作に向かない自国の産業振興策としてミカンの生産を奨励したのも、「そういや親父殿が育てていたあのミカンは紀州ミカンだったよな……これはいけるかも!?」なんてことがあったかもしれない…と、しばし妄想していました(和歌山県民なもので)。
その他、東御門近くの駿府城下町の石碑や今川義元公歌碑などをチェックして、駿府城公園を後に今度は城下町めぐりです(続く)。
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2023/11/11 01:02
鎌刃城 (2023/05/27 訪問)
八幡山城 安土城 観音寺城(スタンプのみ)の後
すっかり夕暮れで危険なため登城せずスタンプのみ
ヒルやらハチやらクマやら……
きちんと対策して複数人での登城がよいみたい
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2023/11/11 00:59
八幡山城 (2023/05/27 訪問)
近江八幡駅からバスとロープウェイで登城
見晴らしよし
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2023/11/11 00:54
観音寺城 (2023/05/27 訪問)
スタンプのみでした
八幡山城 安土城を登城した後だったので既に夕方
登るのは危険なため 断念
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