東山城を目指していたところ、県道12号線沿いに道標が。
登山前に少し立ち寄って見ました。
側の説明板によると東山城の対城とのこと。
県道には大木戸跡とあり、田ノ岡城の大手門だったようです。
遺構は見つけることは出来ませんでした。
河川敷に降りて小川谷運動公園から県道方面を見上げると丘陵状になっており、この辺りが城址のようです。
重機による工事が行われていました。
道標は立派なんですけどね。
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2024/01/08 08:56
田ノ岡城 徳島県三好郡東みよし町 (2024/01/02 訪問)
東山城を目指していたところ、県道12号線沿いに道標が。
登山前に少し立ち寄って見ました。
側の説明板によると東山城の対城とのこと。
県道には大木戸跡とあり、田ノ岡城の大手門だったようです。
遺構は見つけることは出来ませんでした。
河川敷に降りて小川谷運動公園から県道方面を見上げると丘陵状になっており、この辺りが城址のようです。
重機による工事が行われていました。
道標は立派なんですけどね。
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2024/01/08 06:43
土塁 (2024/01/07 訪問)
佐竹氏の居城です。土塁が、見事です。隅櫓や、史料館は、冬期のためか、休館中でした。スタンプだけは、近くの施設で押印できました。
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2024/01/08 06:37
2024/01/08 00:03
箕輪城 (2024/01/07 訪問)
千葉県在住者からすると、群馬県の城を攻めるのはハードルが高く、関東の百名城にもかかわらず今まで来る事ができませんでした。
今回、前橋東照宮への参詣とセットで計画を立て、やっと来る事が出来ました。
朝5時前に起きて10時前に到着し、一通り見学した後、箕郷矢原宿カフェで百名城スタンプを押しつつ優雅にランチなどしようと思ったのですが、想像していたカフェとは少し違っていて、食事する場所ではありませんでした。でもパウンドケーキ美味しかったです。
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2024/01/07 23:58
中山城 (2023/11/25 訪問)
【中山城】
<駐車場他>中山城址碑案内板が国道145号線の待避スペースになっています。
<交通手段>車
<見所>空堀
<感想>2泊3日松本・佐久・吾妻の山城攻めの旅3日目11城目。現地説明板によると中山城の築城は1582年と推定されています。本能寺の変後に滝川一益が撤退し真田氏と北条氏が覇権を争いの中で北条氏によって築城したとされます。
私の考えではこの中山城は沼田・名胡桃城と岩櫃城を結ぶ街道の中間地点にあり争いの中で真田領土に築城するのは難しいと思います。築城年が確かであれば1582年の7月から僅かの期間、真田昌幸は北条氏に従属していたので従属する代償の1つとして北条氏が真田領の楔として築城したとのかと考えます。
城跡は南北に長い梯郭式の縄張りで西側・南側からの防備に強いように感じます。真田領を分断するにしては東側からは川はありますが主郭が丸出しなので築城された時代の情勢がそうだったのか、東麓は当時湿地・沼地だったのかとも色々思いを巡らせる構造になっています。国道の待避スペースから城跡丘陵地の東麓に周りこみ、東麓から登ります。主郭にすぐたどり着きます。主郭を囲む深い空堀はダイナミックで北条の築城らしさが分かります。主郭以外の曲輪は田畑だったり藪化で入れそうにはありませんでした。一応主郭堀底に降りて堀底を堪能しましたが靴が泥だらけに。後から分かって買いそびれたのですが、道の駅中山盆地に御城印販売しています。
<満足度>◆◆◇
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2024/01/07 23:21
前城 荒神社の鎮座する岩盤に囲まれた小山 (2024/01/02 訪問)
青景城の本城の南東100mちょっとの距離に頂上に荒神社を頂く小山があり、これが青景城の前城とされています。近くに集会所があるので、ここに車を駐車させていただいて前城と本城を散策させていただくのも良いかもしれません。
前城の周囲も岩盤がむき出しになっていて背後からの攻略は不可能に近いです。南側に神社への石段が続いているので頂上には容易にたどり着くことが出来ます。青景城は前城も本城も、むき出しになった岩盤が特徴的な城です。城主青景氏の趣向かもしれませんが推奨のルート以外は危ないので安全な道から訪問するのが良いと思います。
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2024/01/07 23:01
毛利氏が陶の残党を抑えるために築いたらしい (2024/01/02 訪問)
新春一ノ槍-4 米光城の投稿です。
米光城は川内神社の北の標高200m(比高90m)ほどの小山の山頂部に築かれています。神社からの比高は70m位で特に登城道らしいものは有りませんが神社の右手から山に入る道が続いているようです。最高所を主郭とし東西に郭を配しており、登っていくと主郭の東の郭にたどり着きます。主郭を経て西の郭(二郭と仮定)に入ると西側に土塁と虎口らしきものが残っています。
弘治3年(1557)毛利輝元が大内氏の重臣杉次郎左衛門元相に陶の旧領徳地三千貫を与えて上徳地に置き、同じく大内氏の重臣内藤左衛門太夫隆春を下徳地に置いて守らせたとされています。
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2024/01/07 22:46
小原越を守った前田側の城 (2023/04/22 訪問)
加賀・越中を結ぶ小原越を封鎖・監視していた切山・松根の二城のうち前田氏が佐々氏の松根城に対峙する形で築いた方が切山城。この城を守ったのが府中三人衆の一人であった不破氏というところにもその重要性が垣間見える。
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2024/01/07 22:29
元旦初登城 複数の郭と多数の竪堀を配す。 (2024/01/01 訪問)
新春一ノ槍-3 中山城の投稿です。
一ノ槍シリーズ三番目の投稿ですが元旦最初に登城しています。標高327m、比高50mの中山に築かれていて築城時期は不明ですが厳島合戦の前哨戦の山里合戦において毛利元就が城番を配置したと案内板に記載があります。
地元の方に良く整備されていて登城道は少し急ですが登りやすいです。この道だと下りは少し危ないのですが降り道は別にありました。比高50mですのでさほど苦も無く城域に入ります。まず主郭東の二郭に遭遇しますが右手の連続竪堀につられて北の腰郭(三郭)から見て回ります。そのまま主郭に到着。そのまま四郭を経て下山します。四郭の手前にも竪堀が有りました。
比較的小振りな城ですが複数の郭と多数の竪堀を備えていて、各遺構に親切に標識が建てられています。特に苦も無く散策でき幸先の良いスタートになったと思います。
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2024/01/07 22:12
足助城で戦国の山城を体感 (2023/10/23 訪問)
香嵐渓の紅葉にはまだ早い10月後半に訪れた愛知県豊田市の足助城。
西三河の山間部、三河の平野部から信濃や美濃へ向かう中継点。
標高301mの真弓山の山頂を本丸とし、四方の尾根に無数の階段状曲輪を築いた山城。
発掘調査から15世紀以降に足助鈴木氏が築いた居城と推定され、情勢に応じて松平氏や今川氏、武田氏、そして家康に従属。
家康の関東移封で廃城に。
現在は戦国期の建造物が復元され、本丸から2~3段下の曲輪までを公開する城跡公園足助城。
訪問時に、公開範囲が極一部で意外と広い城であることを初めて知り、逆に鳥瞰図で興味の湧く西尾根中間部が未公開で残念。
縄張はシンプルで、見どころは櫓・長屋・柵列などの復元建造物。しかし南の丸の跳ね上げ戸は、戸が外されてました。
案内表示に従い時計回りで城内を巡り、滞在時間は2時間弱。
戦国期の城郭建造物にゆっくり浸った私の城郭巡りの163城目でした。
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2024/01/07 21:49
城下町散歩 (2024/01/07 訪問)
岩村では古い街並みを観ることができます。NHK朝の連続テレビ小説「半分、青い。」のロケ地ともなりました。
以前から私が興味を持っている佐藤一斎は岩村藩家老の次男で、門下生には、佐久間象山、山田方谷、渡辺崋山などがおり、著書である「言志四録」は幕末の西郷隆盛などに大きな影響を与えたと言われています。彼の残した言葉が街の中に貼られていていました。
ここはカステーラが有名な街です。長崎から離れているこの地に、なぜカステーラなのか疑問に思っていました。長崎県に医学を学びに行った岩村藩の医師が医学とともにカステーラの製法を持ち帰り、この地で作られるようになったといわれています。今回は松浦軒本舗さんのカステーラをお土産に購入しました。
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2024/01/07 21:32
城内散策 (2024/01/07 訪問)
六段壁などが有名な城ですが、他にも興味深い場所があります。現在みられる石垣造りの近代城郭は慶長6年(1601年)に入部した松平家乗が整備したとされていますが、南曲輪には戦国時代の遺構である堀切などが残っています。二の丸は入れないと思っていましたが、本丸埋門の正面より入ることができました。整備されていませんが、弁天池や食い違い虎口を観ることができます。弁天池は石垣造りの島がありますが、庭園でもあったのでしょうか。二の丸の下には火薬庫跡もあります。
狸と遭遇しました。人を見ても逃げることなくうずくまっていました。帰るときにはいなくなっていました。
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2024/01/07 21:23
松平家乗 (2024/01/07 訪問)
2年ぶりの岩村城です。織田氏と武田氏の激戦地であり、織田信長がその武田氏の滅亡を知った場所でもあります。六段壁の石垣などが多く残っていて見ごたえがあります。わかりにく所にも石垣があり楽しく散策できます。中学生の頃からよく来ていました。最初の頃、六段壁は防御のために六段になっているかと思っていましたが、補強のために六段になっていることを知りがっかりしたことを覚えています。昔から気になっていた六段壁の前にあったポールは今回なくなっていましたね。
何度来ても飽きない城址です。
明知鉄道岩村駅から徒歩にて登城しました。
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2024/01/07 21:15
2024/01/07 20:48
2024/01/07 19:33
野間中城 (2024/01/06 訪問)
ぴーかるさんが一番槍を付けた野間城に登城し、返す刀で、野間川を挟んで北側の野間中城にも登城して参りました。
野間城、野間中城とも説明板や道標はありません。ぴーかるさんの的確な登城ルート説明のおかげで、迷うことなく、野間城及び麓の館跡を訪れることができました。Ⅰ郭背後の二重堀切、大きいですね。東側に多くの郭が連なり、結構規模が大きかったです。
Google mapを見ると、すぐ近くに、野間中城の表示があり、他サイトの記事を参考に登城しました。野間中城は、尾根先端にあり、その麓の集会所のような建物の背後から登り始めましたが、いきなりの腰高さの笹叢。今の季節なので、薄い道痕をたどって北面のⅡ郭にたどり着くことができました。城域は、Ⅰ〜Ⅲ郭からなり、杉が植林されて下草がなく、遺構がよくわかりました。野間城よりは規模が小さく、野間城の支城かと。
Ⅰ郭の南側は、高い切岸や竪堀、そして鞍部を経て、ピークがありますが、人の手は入ってなさそうです。このピークから麓までは、杉の植林地で下草もなく、春〜夏は、こちらから直登するのがよいかも。
野間城、野間中城は、狭い盆地の南端にあり、北端には、能勢氏の丸山城が見えました。
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2024/01/07 17:11
特別史跡名古屋城の天守閣 (2024/01/06 訪問)
特別史跡名古屋城の天守閣には現在は入ることが出来ません。現在の天守閣は、名古屋のシンボルとして鉄筋コンクリート造りで再建されたものですが、再建から半世紀が経ち設備の老朽化や耐震性の確保など様々な問題が発生しており、現在は、その様な問題を克服した、天守の木造復元が進められております。今回は、色々な角度からの天守をご紹介させていただきます。
今回、帰省していた娘達が金沢に帰ったのを機に名古屋城に行ってきました。娘達が住む金沢も震度5強という強い揺れに見舞わられ、旦那の実家に連絡したところ、オーブンレンジが落下したとか、食器棚の皿が割れたとかの被害があったそうです。
娘と旦那も自分の家が心配であったに違いないですが、私に気を使って予定通りの日程で帰っていきました。
最後になりますが、能登半島地震でお亡くなりになられた方のご冥福と、被災された方のお見舞いを心からお祈り申し上げます。
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2024/01/07 13:29
天神山城 徳島県三好市 (2024/01/02 訪問)
八石城から一旦坂道を降り、今度は井内谷川沿いに登って行きます。
民家がなくなったさらに奥の天神神社を目指します。
神社の鳥居前の墓地の前が広くなっていて車を置きます。
鳥居をくぐり長い石段を登っていくと土橋と堀切、両側に竪堀となり落ちています。
段になった曲輪を経て主郭へ、天神神社が鎮座しています。
本殿は少し高い位置にありますがこれは土塁でしょうか?
さらに南に進んでみると尾根状の曲輪が続いていました。
堀切も施され、西側は崖、東側には道がついていますが犬走り?
神社を建てた際の通路かもしれませんが。
詳細は不詳の城、近くまで来ても訪れようと思う人は少なそうですね。
そもそも近くまで来ないかな?
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2024/01/07 08:24
造山城(岡山市北区新庄下) (2023/10/15 訪問)
造山城(つくりやまじょう・城びと未登録)は、羽柴秀吉の中国攻めに対して毛利方が設けた陣城で、全国第4位の規模を誇る巨大前方後円墳・造山古墳を改修して築かれています。
造山古墳ビジターセンターの駐車場に車を駐めると駐車場から古墳が見渡せますが、端から端まではカメラに収まりきらない巨大さです。古墳に向かう前に、まずはビジターセンターで情報収集。ビジターセンターには吉備や造山古墳についての展示のほか、陣城としての説明パネルもありました。そして、ビジターセンターでもらった造山古墳ガイドマップを片手に登城開始。
案内表示に従ってまずは前方部へ。前方部には荒神社が鎮座し、裏手に阿蘇ピンク石製の石棺蓋が置かれています。前方部は陣城としてあまり改修されていないようですが、高さがあり斜面も切り立っていてそのままでも陣城に活用できそうです。前方部の北側には削平地が広がり、その先の後円部南西下には三段の腰曲輪と切岸が設けられています。
腰曲輪の脇の遊歩道から後円部へ。後円部の南西辺~南東辺~東辺にかけては土塁で囲まれ、南西下に加えて南東下にも腰曲輪を設けています。腰曲輪の脇には竪堀が落ち込んでいますが、草に覆われて何となく感じられる程度でした。ガイドマップによれば後円部の北部と南西部にも竪堀があるようですが、藪に沈んでいて全くわかりません。後円部からは北東に備中高松城を望み、造山古墳が陣城とされた理由が実感できました。
…と、これでニッポン城めぐりのイベントを完全制覇。10月とはいえまだまだ暑く、草木も生い茂っているため平城以外はポチのみに留めましたが、和歌山からの日帰りではこれが精一杯というところ。鬼ノ城にも行けませんでしたし、岡山城の再訪も含めて、またいずれ。
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2024/01/07 08:13
飢え殺しで有名な鳥取城へ (2024/01/06 訪問)
鳥取駅から徒歩で20分くらいで入り口付近にある吉川経家像に到着。
鳥取駅からは大通りを県庁方面に進めばいいので、わかりやすかった。
城の正面口にあたる大手登城路は、2020年代後半の完成を目指して復元工事中。
北の御門跡から入り二ノ丸、三ノ丸を見学後に山上ノ丸に行くため久松山に。
二ノ丸付近から石段を登り続けると30分ほどで本丸跡に到着。5合目に休憩場があるが、平坦な道がなくキツい登りが続くため、軽い山登りの装備が必要。
本丸跡を見学した後に太閤ヶ平に行こうといたが、雨が降ってきたため断念。
通常の石垣も素晴らしいが、球体のような珍しい石垣もあるので、見る価値は十分あり。
帰りに鳥取県立博物館を見学して終了。
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