関ヶ原の合戦のキーパーソン
(2024/03/10 訪問)
松尾山城は標高293.1mの松尾山の山頂部一帯に築かれています。古くからある山城を、関ヶ原の合戦に備えて石田三成が大垣城主の伊藤盛正に改修と守りを依頼していたのですが、合戦前日の慶長5年9月14日(西暦1,600年10月21日)に小早川秀秋が盛正を追い出して陣取ったということです。
この小早川秀秋という武将、なんと天正10年生まれだそうです。あの織田信長が亡くなった年に生まれたんです。びっくりですよね。
明智光秀同様に肖像画で損をしているところがあって、なんとなく気弱そうな顔をしています。
関ヶ原の合戦の際にはまだ18歳前後です。2年前の蔚山城の戦いでは若干16歳で援軍の主将として参加して多くの明軍を討ち取ったという史料もあるようですが、寛文12年(1672)に儒学者の堀正意によってまとめられた『朝鮮征ばつ記(朝鮮物語)』に由来があるようで信憑性には欠けるようです。とはいえ愛刀兼光で曲者を袈裟切りに両断(あまりの切れ味に曲者は対岸まで泳ぎ付いてから絶命)したという逸話もあるくらいなので武勇には人並み以上のものがあったと考えても良いでしょう(そう思いたい)。
話を松尾山城に戻しますが「城郭放浪記」さんに南のほうが登りやすいと記載があったのでそちらから登りました。入口も南側に付いていて、枡形の虎口から城域に入ると大きな竪堀が東に付いています。さらに北上すると右手にトイレのある郭、左手に馬出状の郭があります。さらに北上すると左手には西の郭に向かう道があり、正面には南側に枡形虎口を備えた主郭が待ち受けています。小早川の旗指物が風にはためいています。違い鎌のデザインがかっこいいですが確かに鎌の刃は内側を向いてますね。
+ 続きを読む