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しんちゃん

主郭には鉄筋の展望台がある。 (2023/12/10 訪問)

朝倉山城は標高173mの朝倉山の山頂に築かれています。麓に駐車場があり林道は徒歩で登っていきます。途中に地元の子供たちが書いた旧登山口の案内板があるのでそこから山に入っていきます。道はつづら折りで山頂に向かっていくのですが、だいぶ藪に埋もれてきていて、いささか見づらいです。地元の子供たちの案内板がある所が登山道なのでそれに沿って進みます。
山頂につくと展望台がありそこが主郭になります。虎口の周囲には石積みが残り破城のあとを示しているようです。展望台の上には鐘があるので周囲の獣たちに人間がいることを知らせてやります。ちなみに主郭の下の郭には猪のウンこが落ちていました。
猪のウンこは一見熊のモノに似ていますが時間が経つとバラバラになって鹿のウンこのように散らばるそうです。
主郭の東側にはテレビ塔のある郭があり、ここが二郭になるようです。南側にもいくつか郭があって先に道があるようですが自分は来た時と同じ旧道を通って戻りました。
城主は朝倉玄蕃助景連とも言われ、「朝倉始末記」には信長の越前侵攻に備えて一揆勢が立てこもったとされる記載があるようです。

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しんちゃん

村岡山城 一向一揆の城。遺構が良く残り眺望も良い。 福井県勝山市村岡町郡。 (2023/12/08 訪問)

村岡山城は標高301m比高約150mの御立山の山頂に築かれています。大野南袋一向一揆によって築かれ、敵対する白山平泉寺とは5kmの距離にあります。平泉寺は朝倉式部大輔景鏡を差し向けましたが一揆勢は裏手より平泉寺に放火、景鏡は敗れ四方に落ちますが、50~60人余りでなおも戦おうとして多勢相手に皆討死したそうです。この合戦での勝利が地元の勝山の語源になっています。
一揆衆の築いた城ですが非常に良く出来ていて、遺構も良好に残っています。主郭や二の丸からの眺望は良好で、主郭の周囲に土塁や堀が良く残り、南に虎口が付き土橋がかかっています。本丸の周囲を二の丸が囲っていて、この城で最大の面積を持っています。東側には畝状竪堀を良く残し、南東側にも幾筋かの竪堀が残っています。西側の郭には幾つかの堀切を越えるとたどり着き、ここからの眺望はかなり良いです。なかなか見どころの多い良い城で、白山平泉寺に行かれる方はぜひ、この城も訪れていただければと思います。
村岡神社境内から道が続いていて途中道が分かれますが南の尾根に登る道を選択していただくとスムーズに登れます。道中ずっと並んでいる石仏が目印になってくれるので迷うことは無いと思います。

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蜻蛉切

蟹江合戦 (2023/12/14 訪問)

蟹江城跡に行ってきました。
近くの蟹江町歴史民俗資料館では、小牧・長久手の戦いにおける蟹江合戦を取り上げた展覧会が開催されていた。12月17日まで。

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しんちゃん

国の史跡。なかなかの絶景です。白山見ゆ。 (2023/12/09 訪問)

国の史跡・丸岡藩砲台跡は嘉永5年(1852)に幕府の命によって丸岡藩によって築かれました。砲眼は五つで内側に石積みで、外側は土盛りをもって固めています。設計は丸岡藩砲術家の栗原源左衛門、築造は砲台築造奉行・原貞煕とあります。(by現地案内板)
海岸の道沿いに駐車場がありそこから海岸に降りていきます。なかなか風光明媚で日本海を広く見渡せ、内陸側には山々を見渡すことが出来ます。遠くに雪をかぶった一際美しい山が見えますが名前がわかりません。ひょっとして白山でしょうか。
※調べてみたら白山で合ってました。これはテンションが上がりますね。白山にもいつか行ってみたいです。

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しんちゃん

三つの堀江館が存在。 (2023/12/09 訪問)

堀江館は番田・中番・下番の三つが存在するようで、下番と中番の二つは隣接しています。最も古いのが番田の堀江館で城びとの地図で示されているのがそうです。館の主の堀江氏が加賀一向一揆との戦いの後、一揆勢に備えて番田から下番に本拠を移したようです。中番の館は春日神社の境内と見られ、下番の館は本荘小学校一帯に築かれていて堀と土塁を備えていたようです。本荘小学校と春日神社の間には堀跡とおぼしき跡が見られ、西側の土塁があった場所にはそれらしい土盛りがあるようです。小学校の北側には堀江館と関係ありそうな石碑と石塔が立っています。

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いんげん丸虫

鍬塚城 愛知県設楽町 (2023/11/25 訪問)

標高790mの山城です。名倉奥平氏の城郭。
主郭の半周に低い土塁がまわり、下の帯曲輪にも少し
土塁がみられます。西面に虎口があります。堅固な地に
あるためか、大きな堀切はありません。
街道沿いに小さな看板があり、そこから細く荒れた林道を
300m位行くと登り口の看板があります。
キツイ登りはないですが、20分位は歩きますね。
車は林道に入ってすぐの広いところに停めておいたほうが
いいですね。

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ぴーかる

越智氏本城 (2023/11/19 訪問)

【越智城】
<駐車場他>越智公民館に駐車できるようですが公民館の所は満車で南側の砂利の広場は公民館の駐車場なのかどうか分からなかったのでゴルフセンター近くの道路脇に駐車。
<交通手段>車

<見所>堀切
<感想>貝吹山城の主郭にある越智城の説明板によると、「蘇我川右岸の東西に細長い谷に向かって開口した小谷地形に築かれた平城です。小谷地形はコ字状の丘陵で囲郭され、南側に設けられた濠で区画されたものとわかります。谷地に設けられた平場は上中下段の3段に削平され居館が設けられていました。‥‥」とあります。この地の支配者越智氏は南北朝時代には大和国有数の豪族となっていますのでこの頃には越智城は本居館城として築城されていたと思われます。西に1㎞ほど行くと貝吹山城がありそこが詰城となっています。
 
 中心の居館跡は現在段々の農耕地になっているのみなので、すぐ見終わります。コ字状(正確には Π 状)の丘陵地を攻めます。登城口はΠの字の南東端<34.464234 135.769940>から山に入ると東の虎口跡がありますので分かります。東側のピークは木が伐採された削平地・鉄塔があります。堀切等の防御遺構はありません。奥に進んで北側には2個目の鉄塔の更に北側に古墳丘陵が、この2個目の鉄塔の横付近に獣柵の扉がありますので入ります。入って左斜め方向に進むとまた獣柵がありますので2回目の柵を左手にして100~150m程進むと堀切部分に柵の扉がありますので入ります。柵入って右手奥の竹林に北の大堀切があり見応えあります。左手に進むと Π 状の西側に進めます。西側には防御遺構が多くあり南北を堀切で仕切った削平地が主郭部分と思われます。主郭南の堀切から南西端の斜面に横堀を添わせて合間に曲輪が設けられているような遺構もありました。なかなか散策楽しめました。

<満足度>◆◆◇

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ぴーかる

獣柵が設置されていて‥‥ (2023/11/19 訪問)

【佐味城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車

<感想>個人サイトの方の情報で登城口を確認し行ってはみたものの。<34.408293, 135.702889>地点から北にあぜ道を通りトタンの板をまたぎ、山に入ると新たに山に獣柵が設けられていました。入口を探してみました(北の方には200m程行きました)が見当たらず、入れたとしても藪化でとても登れそうにもなかったので痛恨の断念をしました。ここは新たな冒険者の方の投稿の方を待つこととします。

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ばばよ

まだまだ復元できそう (2023/12/08 訪問)

復元三重櫓のイメージが強かったですが、石垣が立派でそれだけでも飽きません!
落とし積みかと思ったら従来の積み方に変わったりと面白いことやるなぁと感心。
旧太鼓櫓は少し離れた場所にあるのでお見逃しなきよう。
松平定信公がマメに城内の櫓や門、蔵など37箇所の実測図・平面図を残しています(白河城御櫓絵図)。
そのためVR復元動画にも説得力があります。
石垣も震災を経てきれいに修復されていますので、お金と時間があれば更なる木造復元も期待できます。
今は清水門の復元を目指しているようです。
30年とか経って再訪したらどのくらい違っているのか楽しみですね。

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刑部

丸馬出しがいい! (2023/11/03 訪問)

行ったこの日はイベントをしてて大賑わいでした、私が着いた時はもう終わりのようで駐車場は直ぐに止めることができましたが、天守の中は5分遅れで入ることはできません 惜しい! 本日イベントの為無料だったのに丸馬出しをじっくり見ていて入れませんでした残念! この馬出しと天守の位置関係がおかしいのは仕方ないことですかね?

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カズサン

西不明門跡と太鼓門跡 (2023/11/27 訪問)

 18年振りの明石城探訪、前回は明石蛸の活きの刺身目的で兄と訪ねました、令和元年にはJR明石駅ホームで駅頭整理されて明石城の三重櫓巽櫓と三重坤櫓・間の白土塀景観整備された明石城を撮影確認して以来の探訪登城です。

 最寄駅:山陽電鉄明石駅、JR明石駅より徒歩
 参考資料:今回はグーグルマップのみ。

 阪神間未踏の城廻り電車旅、西宮砲台、舞子台場、船上城を終えて平野城探訪前に、船上城の移築長屋門の見学探訪後、外濠西側の西不明門から探訪開始、球場、駐車場横を通って大手に当たる太鼓門へ、丁度太鼓門跡横にからくり人形が実演中、大勢の人が見学して居ました、1時間毎に実演されて朝8時から夕方18時までの11回の実演だそうです。
 比翼の三重櫓の景観撮影を目的にもしていましたので、三の丸、武蔵の庭園、三重櫓下を西へ、稲荷曲輪西城壁、稲荷曲輪と坤櫓間の虎口を通り天守台正面に進み、稲荷曲輪へ、天守台西面、本丸西面、乾櫓台、稲荷曲輪北門跡から桜堀方向を眺めて、本丸北の見ノ門櫓台から本丸へ、本丸内部へ、本丸より西の稲荷曲輪、北に本丸多門櫓台、南に坤櫓を直近に眺め、天守台を降りて、坤櫓、白土塀沿いに展望デッキ、出来で明石大橋を遠くに眺め、城下、坤櫓、巽櫓を眺めて、本丸と二の丸の土橋から二の丸へ、土橋の北と南に大堀切、二の丸東屋から巽櫓を眺め、二の丸櫓門虎口から登り虎口を上から下から南川眺め撮影、東の丸は南城塁のみ見学、日時計辺りで携帯食を遅まきながら三重櫓を見ながら食べて時間稼ぎ、2時間近く経っていました。

 ここの編では西不明門、太鼓門辺りを写真投稿します。
 次は天守台へ続きます。
  

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todo94

朝来市和田山郷土歴史館 (2023/11/23 訪問)

じゅんじんさんの投稿を拝見せずに訪れてしまったため、移築陣屋門はノーチェックです。陣屋跡に建つ朝来市和田山郷土歴史館を見学するには、事前に朝来市埋蔵文化財センター079-670-7330に予約の電話を入れる必要があります。

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しんちゃん

松山城 加賀市松山町 思ったより広い。小城とあなどるなかれ。 (2023/12/09 訪問)

松山城は松山町の丘陵地一帯に築かれている平山城(山城)で加賀の一向一揆勢の城とされています。足利義昭の仲介で朝倉氏と和睦し永禄10年(1567)に焼却されたとのことです。当初はそれほどの規模ではないとたかをくくって主郭から攻めましたが、城址を巡っているうちに思った以上に城域が広く技巧も凝らしてある城だということがわかりました。加賀の一向一揆あなどれずです。
訪問の推奨コースは城址西側の見張櫓からで集落に縄張りの案内があります。林の中に道が通じているので見張櫓(西郭)から攻めていきます。そのまま南の尾根続きに主郭に向かいます。
天然の尾根を利用した堀を越えると主郭にたどり着きます。主郭の周囲には堀が巡らされていて、北と東にも郭があり、途中に堀切が配されています。本丸の周囲は藪化していて遺構が少しわかりづらいですが、城としての防御機能はしっかりとしています。

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しんちゃん

養浩館庭園・福井市宝永3丁目 (2023/12/09 訪問)

養浩館庭園は福井藩松平家の別邸・御泉水屋敷が原型で一時福井城と共に兵部省の管轄になっていましたが、越前松平家によって買い戻され松平春嶽によって「養浩館」と名付けられました。現在の建物は戦後に再建されたもので、戦後から一般に公開されています。
管理は福井市によってなされているようで国内のみならず海外からも高い評価を得ているようです。

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にのまる

上杉博物館が楽しすぎました! (2023/09/08 訪問)

上杉家御廟所から米沢城址へ徒歩で向かいました。
奥羽本線と米坂線に囲まれた内側には上杉家ゆかりの寺院や旧跡がいくつもあり、歩いたのは1kmくらいでしたが米沢の町の雰囲気も感じることができて楽しかったです。

お堀端を少し歩いて西門より入城し、観光案内所に寄るなどしながらひとまわりしました。
米沢城といえば銅像、のイメージもあります。景勝公と直江兼続の2ショットは好きだった「天地人」を思い出し、懐かしかったです。

その後、特別展「上杉氏と国絵図の世界」開催中の伝国の杜・米沢市上杉博物館へ。
まずはミュージアムショップで欲しかった「直江状」のマステをゲット。商品化のアイデアがすごいなぁと……。
上杉本洛中洛外図屏風は会期前半のため複製でしたが、そのゴージャスさと緻密さにすっかり見入ってしまいました。バーチャル映像も楽しい!
常設展は1601年の米沢入りからのまちづくりや9代藩主鷹山公の藩政改革などがさまざまな形で学べました。特にワクワクしたのがジオラマで、多分一日中見ていられます。
入館したのが16:00で、あっという間に閉館時間(17:00)になってしまいました。もっと見ていたかったです。

今回もゆっくり名物を味わう時間はありませんでしたが、たくさんの新しいこと、楽しいこととの出会いでお腹いっぱいになりました。

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しんちゃん

足羽七城の一つ。 (2023/12/10 訪問)

安居城は南北朝時代の北朝方の城で足羽七城の一つとされています。あの新田義貞を討ち取ったとされる足利(斯波)高経の重臣・細川出羽守によって築かれたとされ比高20mほどの丘陵に築かれています。戦国期にも使用されていた割には扁平地以外にこれといった遺構は見当たりません。墓地の裏から続く登城道やため池に降っていく道が堀跡に見えなくもないですが詳細は不明です。
墓地の裏から登る道は容赦なく犬にほえられるので、ため池の脇から登って同じ場所に降りてくるほうが面倒が無いと思います。車は南東にある与須奈神社の前に停められるようです。

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小城小次郎

佐生城だったり日吉城だったり (2023/04/16 訪問)

佐生城だったり日吉城だったりするのはなんでかと思ったら佐生町と五個荘日吉町(と佐野町)に跨っていた。簡単に登れて郭が一つしかなくて石垣ががっつり堪能できる魅力満載のお手軽山城。石碑自体も既に年代物かも。

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しんちゃん

新田義貞を討ち取った勢力が出撃した城。 (2023/12/10 訪問)

小黒丸城は大黒丸城の支城で足羽七城の一つに数えられています。南北朝の時代の北朝方の城で足利(斯波)高経によって築かれたとされています。平泉寺衆徒の籠った藤島城を新田義貞の手勢が攻めている際、救援に向かった義貞を小黒丸城から出撃した細川出羽守、鹿草公相らの軍勢が燈明寺畷で討ち取ったとされています。城址は現在水田地帯になっていて、少し南の宅地に城址碑が立っています。

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しんちゃん

大黒丸城 福井県福井市三宅町 (2023/12/10 訪問)

城びとの城である小黒丸城と三宅町にある大黒丸城を合わせて「黒丸城」と呼ばれるそうです。大黒丸城の方が本城で小黒丸城はその支城とされています。小黒丸城だけでは方参りになるので合わせて訪問してきました。
建武4年、足利高経に従って朝倉広景が但馬より越前に入り、目代としてこの城に入ったそうです。以降文明年間(1469~87)に孝景が拠点を一乗谷に移すまで朝倉家の本拠であったとされています。
城址は比高10m足らずですぐに主郭に入り込みますが中は竹林になっています。動きが制限されますが東側に、なんとか土塁の跡を発見しました。もともとは単郭で堀と土塁を配していたシンプルな構造だったようです。ただ麓の祠を祀ってあった土盛りも気になりますね。

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しんちゃん

蓮如上人ゆかりの地 (2023/12/09 訪問)

国の史跡にも登録されている吉崎御坊は本願寺大八世法主蓮如が北陸の拠点として建立した坊舎です。戦国時代は武士同士のみならず、寺社同志でも凄惨な争いや殺し合いをしていた時期ですので吉崎御坊も周囲を崖と湖(北潟湖)に囲まれた天然の要害に築かれていました。
かつて本堂や伽藍・坊舎が建っていたあたりは公園として整備され蓮如上人の像が立っています。周囲の林には幾段かの扁平地が残っているようでした。

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