みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

しんちゃん

出石そば (2019/05/01 訪問)

出石城の周辺には出石そばの店がたくさんあります。出石城→家老屋敷→辰鼓楼→出石そば(順番は自由です)と回って行けば短時間で出石を満喫することが出来ます。出石そばは上田藩より出石藩に移動してきた仙石政明公が信州のそば職人を連れてきたのが始まりとされています。幕末のころに天塩皿にそばを盛って提供するスタイルが確立され、昭和30年代に「出石皿そば」という今の形になったそうです。通常は5皿程度のようですが、私が訪れた店は皿の数が多いです。でも総量は同じくらい。
地元では積んだ皿が箸と同じくらいの高さになると一人前の男性とみなされるようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

天空の郷 平川 土居庄屋跡 (2023/02/24 訪問)

紫城を主な城とした平川氏は、建武年間に、近江野洲郡平川から入部。その後、尼子氏、三村氏、毛利氏に挟まれた中、戦国期を生き残り、関ヶ原の後、毛利氏が減封されると、帰農して、領主的な庄屋となったと。
平川は、天空の郷を称しておられます。高梁川の支流の成羽川沿いから登っていくと、車道に「*合目」の表示が楽しい。登りきると、なだらかな起伏の小盆地に出ます。自動車がない時代では、下界から隔絶された感が。吉備高原は、侵食・堆積により、いったん平坦になった土地が隆起して、再び侵食が始まった準平原です。同じ準平原の大和高原と異なり、大きな川が深く切り立った谷を作っており、比較的平坦な高原上に人家、耕作地が展開されています。
集落の中に、土居庄屋跡があり、紫城訪問前に立ち寄りました。正面アプローチの石垣と敷地石垣が残っています。
庄屋跡から少し進むと、紫城の説明板かあり、そこを3kmほど奥へ行きます。

+ 続きを読む

Tokyobay

真田丸の痕跡でもある「南総構堀」の高低差 (2024/01/14 訪問)

まずは、真田丸とされていた?三光神社へ。大坂城へつながっていたとされるトンネルを見物。植木整備の方々が「こんにちは~」と挨拶してきたことに少々驚く。その後、空堀通りを西へ向かい、TVでよく見る場所で高低差を確認。最近では明星学園周辺が真田丸とされているようで、この高低差が「南総構堀」の痕跡らしい。そして、真田丸を登っていく形で南方面に向かうといくつかの碑や案内図や絵図あり。まだまだハッキリしたことはわからないのか真田丸がどこにあったのかは少々曖昧。ただし、この辺であったことは間違いないだろし、ここで激闘がなされたのかと思うと感慨深い。南側の徳川勢と対峙した堀跡も探したが、どうやら埋め立てられてしまって確認できず。よって、西へ向かうがそれなりの下り傾斜があり、真田丸の西側の堀跡ではないかと思われる。
そして鎌八幡(円珠庵)へ。ここは幸村が必勝祈願した場所らしいのだが、見学者が多くて檀家に迷惑かけているのか、撮影禁止や入場禁止等々があり結構厳しい対応。ここは契沖ゆかりの場所でもあるので、見学したかったのだが叶わず。
さらに西へ向かい、緒形洪庵の次男らが設立した大阪大学医学部発祥の地でもある浪華仮病院跡を探すが中々見つからず、近隣の人に聞いても誰もわからない。だいぶマイナーな史跡なのだろう。かなりアチコチ歩き回ってやっと発見。さらに西へ向かい旧熊野街道を北へ向かい、「南総構堀」の高低差を再確認し、ブラタモリでも有名になった空堀商店街を歩いた。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

登城口問題解決!

昨日の今日で恐縮ですが、しんちゃんさんの投稿により登城口問題は解決しました。ありがとうございます。防獣柵のゲートを開閉する際に巻かれた針金を外すことは何度となくありましたが、柵自体の針金を外すというのは想定外でした。今にして思えば、ニッポン城めぐりの口コミに「フェンスを開けて入る」とあるのはそういう意味だったのかも。「フェンス(に設けられたゲート)を開けて入る」と勝手に脳内補完してしまっていました。ともあれ、地元の方の了承もあるのなら安心して墓石付近の柵を開閉して登城できますね。

※ ただ、県道からの入口の目印になっていた鴨神バス停はコミュニティバス路線の再編で廃止になったようで、公共交通機関利用では訪れにくい城ではありますが…。

…ということで、登城口問題も解決しましたし、藪化している箇所も多いもののそれ以上の見応えはありますので、登城しない手はありませんよ、ぴーかるさん(笑)

+ 続きを読む

todo94

元日の攻城⑧ (2024/01/01 訪問)

2023年の元日にすぐ近くまで攻め込みながら、杉山城の攻城に時間をかけたかったため、見送ってしまった城です。一年越しで攻城することができました。大蔵神社周りだけでなく、東方や北方の土塁も確認することができました。源義仲の父・源義賢の居館で、近くに墓がありますが、今回はチェックできませんでした。ピクミンブルームのビッグフラワーのスポットになっていて源義賢墓のポストカードはゲットできたんですけれどもね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

巨石の枡形のようなものが行く手を阻む 登城道の無い城 (2024/01/03 訪問)

ぴーかる様‥ヤブは友達でございます。  すいません、嘘です。ヤブなんて‥。
新春一番槍のシメで寺原城を紹介させていただきたいと思います。城郭体系には南北朝の時代に寺原氏が籠った南朝方の城と記載がありますが、戦国時代に吉川氏により改修を受けているようで、破城の痕跡は見られるものの石垣などが残っています。南側の峰の最高所が主郭と見られ、周囲に石垣の痕跡が残ります。さらに北に堀切が有るのですが、ここの周辺に巨石が残っています。
一見散乱しているようにも見えますが、ある程度の整列さが見られ石の枡形のようにも見受けられます。出口と入口が有るようなのですね。ここは個人的に多くの人に見てもらって判断を仰ぎたい所ではありますが、この城は県の史跡でありながら明確な登城道が無いのです。
本丸に至ってはどこから登ってよいかわからず危険と判断して引き返そうかと考えたほどです。背後に回ってみて、なんとかよじ登れそうな箇所から頂部まで到達しましたが、人が来ないことをいいことに鹿が大量のフんをあちこちに仕掛けています。急な斜面をお尻で滑り降りた日には大惨事になりかねません。結局、降りるのも一苦労でした。

今回は主郭北側の堀と巨石の写真までを掲載させていただきます。では来週のサザエさんで!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

フ・トッティ

No.006 (2023/06/04 訪問)

大野城から下山して目指したが、遭難しそうになりました。
iPhoneのGoogleマップ位置情報がなければ、遭難してたと思います。

+ 続きを読む

フ・トッティ

No.005 (2023/06/04 訪問)

福岡城視察後、西鉄に乗って太宰府まで行き、徒歩で赴きました。
スタンプ帳に、徒歩45分とあったけど、実際には1時間半掛かって、途中、猪にも出会いました。

+ 続きを読む

しんちゃん

東西南の方向には二重の堀と土塁が配されている。 (2021/05/08 訪問)

堀越城は津軽氏の城とされています。慶長16年(1611)に津軽信牧が弘前城に拠点を移した後、元和元年(1615)に一国一城令により廃城になりました。周囲に宅地が広がり国道7号線が城址の真ん中より東をぶったぎってはいますが、二重の堀と土塁は健在で二の丸、三の丸の北側の高い土塁が目を引きます。本丸は周囲を水堀と土塁で囲まれ内堀木橋で東側の三の丸と繋がっています。
本丸西側にも本丸西門跡があり、土橋で二の丸と繋がっています。本丸には熊野宮が鎮座し本丸御殿大広間の礎石や建物跡がわかりやすく展示されています。各郭にも掘立柱建物跡の展示がされており、往時の姿を窺い知ることができます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

吉田城 (2024/01/06 訪問)

【吉田城】
<駐車場他>駐車場はなし。周辺の道路脇に停車しダッシュで見ました。
<交通手段>車

<感想>>1泊2日高知城攻めの旅3城目。吉田城の築城年は定かではないが、築城者の吉田氏は足利氏に従って戦功を挙げこの地を賜り移住したようです。戦国時代には長宗我部氏の重臣となっています。
 周囲に駐車できそうな場所がなかったので停車してダッシュで撮影したので主郭の奥の方までは散策していません。内部は畑になっていますが、主郭を囲む土塁は高く、よく遺構が残っていました。カフェククサの駐車場の中を<33.589185, 133.629199>東方向に抜けて進むと吉田備後守邸跡の石碑に着けます。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

しんちゃん

稚児落としまではたどり着けず (2017/12/16 訪問)

岩殿山城はまず、巨大な鏡岩が目を引きます。山肌に沿うようにして登城道が続いていて揚城戸を越えて西物見を訪問した後、主要部に向かいます。巨岩の上に築かれた城域は思いのほか広く複数の郭や馬場を越えた先の最頂部に本丸があります。この日は曇りで良く見えませんでしたが、晴れた日には富士山が見渡せるそうです。小山田信茂による武田勝頼への裏切りでも知られる城で、落城時に城の家中の者が逃亡する際に、泣いた赤子を捨てたという「稚児落とし」という場所も存在します。
私は岩殿山城から稚児落としに向かう途中の兜岩に登っている途中で、これは危ないなと思って途中で引き返しました。結構高い岩肌を鎖で登って行くんですが、落ちたらただじゃ済まないんですね。でもちょっと心残りになっています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

素晴らしいです。

イオさん、しんちゃんさん、佐味城の登城レポート素晴らしいです。状況が分かり大変参考になりました。墓石地点から西の方にも回ってみようかと思いましたが、民家があったので躊躇して止めました。もしかしたらゲートがあるかもと思ったのですが‥‥。墓石横の柵は外れるんですね。針金でくくっている場合は分かるんですが、互い違いに立ててあるのは気付かなかった。柵の外から斜面を見てもだいぶ藪化しているのが見えて入ってもどっから登ればいいのかと思い断念してしまいました。まだまだな俺だ(>_<)
 しかしお二方の投稿写真の堀切や横堀が深く見応えありそうで、ゾクッとします。いやあ本当にお見事!あっぱれでございます。

+ 続きを読む

しんちゃん

三内丸山遺跡 (2017/05/05 訪問)

三内丸山遺跡は青森市大字三内字丸山にある大規模集落遺跡です。縄文時代の遺跡で約5900~4200年前のものとされており国の特別史跡および世界文化遺産に登録されています。大形竪穴建物や竪穴建物など多くの建物が再現されていて、象徴的な建物として三層の掘立柱建物が再現されていて、まるで後世の櫓のようです。物見ヤグラの様な物とすれば国内最古だと思いますが、研究者たちの間でも意見が分かれるようで中途半端な再現になってしまった感は否めません。個人的には朝日と夕陽を拝す宗教的な意味合いもあったのではないかと考えます。柱の影の数や長さで時間や季節を図るという使い方もできるかもしれませんね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

八甲田 第二大隊遭難記念碑 (2017/05/05 訪問)

八甲田山は5月でも雪が残っています。城びとのサイトになんちゅう写真を持って来るんだ!なんてお叱りの声も聞こえてくるようですが、申し訳ないです。私の趣味でございます。
明治35年(1902)1月、真冬の八甲田山にて陸軍の青森歩兵第5連隊第2大隊210人が遭難し、多くの犠牲者を出しました。銅像は捜索隊の目印になるよう仮死状態で立ち続けた後藤房之助伍長とされています。
悲壮感あふれる状況ですが、銅像の表情は決意がにじみ出ていて、まるで生きているかのようでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

実はわたしも‥ (2024/02/24 訪問)

イオさん、佐味城 ついに登城しましたね。お見事でございます。
実はイオさんが訪問した次の週に私も登城していたんです。大阪、和歌山へ和泉砂岩を調べに向かっていたんですが雨に阻まれて、奈良のあたりをウロウロしていた所、佐味城の近くまで来たので偵察にきたんですね。
ぴーかるさんとイオさんのやり取りから周囲はフェンスで入れそうもないな‥じゃあ帰ってポチしようかな‥なんてズルいこと考えていたら、フェンスが開いているじゃないですか。かえれなくなっちゃったな‥とりあえず入っちゃいます。
ちなみに場所は、ある城郭サイトさんからの情報を参考にしてます。入ったのはいいけど酷いヤブです。帰ろうかな~と考えたのですが「城びとの呼吸」を使うと先に進めてしまうんですね。困ったことに。
その先の急斜面も前日の雨ですごく滑る。よじ登って山を直登で登っていって、ようやく城址にたどり着きました。佐味城はすごく良かったですね!またゆっくり投稿させていただきます。あとは大手道を下っていけば麓の郭を経てフェンスにたどり着きます。このフェンス‥良く見ると一つだけ両側を針金で繋いでる箇所が有るんですね。ちょうど大手道のすぐ前です。実はこうした簡易的な扉のある山城はけっこうあって、針金を片側外してやると扉のように簡単に開きます。地元の方に聞くと「その針金をあけて中に入るといいよ」と教えてくれるのですが、この場合は近くに誰もいないので、そっと開けさせていただいてから扉を元に戻しました。
あとはログハウスへ至る道を失礼ながら通らせていただき脱出です。行きは酷かったけど帰りは楽チンでしたね。これが私なりのアンサーになりますが、必ずしも正解とは限りません。正解は皆様の心の中にあります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

半布里コミッティ

「にっぽん城まつり2024」に加治田城ブース出展します!

にっぽん城まつり2024 に加治田城ブース出展します!(2日・3日両日共)

今回の出展にあたり、加治田城と堂洞城の新しい御城印をご用意しました。
(加治田城縄張り図入の新バージョン、加治田城と堂洞城の堂洞軍記バージョン)
また、帆布を使用したトートバッグをコミッティメンバーで制作しました。
富加町にある文化財をデザインしたタグもついていて、色もそれぞれに異なる
唯一無二の仕上がりとなってます。
ひとつひとつ心を込めて作りましたので、お楽しみに!

当日はお城のスペシャリストによるお城話や武将隊による演武など
盛り沢山のイベントが予定されています。

開催日時 : 令和6年3月2日(土)・3日(日) 10:00~17:00

会場   : 名古屋市中小企業振興会館 吹上ホール

多くの方のご来場をお待ちしております。

+ 続きを読む

意地で畝状竪堀を探した (2024/02/24 訪問)

ぴーかるさんの登城の1ヶ月半後の登城。國重さんが「土塁の先の石積み。右側はとても急です。滑り落ちないように・・・」と書いてくれていた、Ⅴ郭の石垣。いいアングルを求めて、きっちり、滑り落ちました。その後、Ⅰ郭で、天守台の石垣がセットバックして二段になってるのに気付き、とても楽しい。
Ⅰ郭の背後の連続堀切を過ぎると採石場なのですが、妙に整った平坦場が出現。松の苗木が植えられてました。採石場の環境整備でしょう。その先は、戸宇川が作ったものすごい高低差の崖。背後の守りは固い。
帰路で、ぴーかるさんが見落としたと言う、杉の平の畝状竪堀を探しにいきました。上方の郭から斜面を下りつつ、ⅩⅢ郭と杉の平(ⅩⅣ郭)の間の畝状竪堀を発見しました。ⅩⅢ郭とⅩⅣ郭間は、30mほどの高低差があり斜面もけっこう長いです。畝状竪堀は、斜面の中程にあり、ⅩⅢ郭から見下ろしても、ⅩⅣ郭から見上げても見えません。ⅩⅢ郭に行くには、世直神社からの登城道の写真⑨の道標の矢印がない側の道を行って下さい。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

一応登城はできたものの… (2024/02/18 訪問)

金剛山から東にのびる台地状の尾根に築かれた城で、戦国中期に木沢長政が築いた琵琶尾城に、また戦国後期に筒井氏方の城として畠山氏や根来衆の攻撃を受けた幸田城にも比定されますが、詳細は不明です。

かなり特異な縄張の城ということで以前から注目はしていたんですが、近場でもありいつでも行けるから、と後回しにしているうちに、ぴーかるさんの投稿で防獣柵により登城口が閉ざされていると知り、大ショック…。行けるうちに行っておかないからこんなことに…と後悔しても始まらないので、新たな冒険者(人柱?)として何とか登城できないか挑戦してみました。

まずは余湖くんのホームページで紹介されている登城ルートを確認しましたが、ログハウス風建物の手前の墓石(ぴーかるさん投稿の写真2)付近が登城口のはずながら防獣柵にゲートらしきものは見当たりません。そのまま北に進み続けても入れそうな箇所はなく、柵は県道側に折れて行き止まりになっていました。県道から入った舗装道まで戻って今度は西へ。民家を過ぎたところに山側に続く小道が分岐していたので行ってみると、突き当りの防獣柵が外れていました。ゲートが設けられているのでも柵が「開いて」いるのでもなく「外れて」いたので、入って良いものかためらわれましたが、登城可能かを確認に来たんだから入らないわけにもいかないだろう、ということで、ここ(34.40838200326417, 135.70242557708718)から登城開始です。

柵の内側に入ってもその先の道は無く、墓石のあたりまで柵沿いに進んで登城道を探すのが無難かとも思いましたが、柵の内側も結構な藪になっていたので、直登するほうが楽かも、と北側の斜面を登って行くと削平地らしき平場に出ました。余湖さんの鳥瞰図に描かれている東麓の削平地と思われますが、平場と言っても竹と灌木の凄まじい密林状態で、突破するのに相当の気力と時間を要することに…。これなら山麓を回ったほうがよほど楽でした。急がば回れですね。削平地を抜けると墓石のあたりから続いている登城道が山上へとのびていて、木々に印された目印のテープをたどりながら登って行くと東側の虎口に着きました。ここからが城内です。

佐味城は南北200m 東西380mの広大な城域を縦横に走る通路により碁盤の目状に区画した特異な縄張で、西から東に緩やかに下る緩斜面を削平して土塁囲みの方形区画を多数設けています。さらに東側の虎口から西側奥の主郭まで一直線に幅広い大手道がのびていて、これら城郭としては不自然な縄張は山岳寺院の名残と考えられるようです。緩斜面に築かれた城だけに急傾斜の北辺を除いては周囲に横堀と土塁がめぐらされており、特に南東部の横堀は深く幅広く折れも設けられていて大いに見応えがありました。

中央を東西に走る大手道は土橋状になって主郭に接続し、主郭の東麓と南麓には障子堀状に区画された横堀が広がっています。これまたなかなかの規模です。主郭は南辺と西辺、北西辺を土塁で囲み、北半分は藪化していて探索は困難ですが、南辺の土塁上を西に進むと搦手にあたる虎口があり、横堀の間を土橋が西尾根へと続いています。西尾根にも遺構があるようなので行ってみると、自然地形のピークの先に虎口が設けられ、その先は両側の切り立った土橋になっていました。

聞き及んでいたとおりの特異な縄張に加えて、横堀や土塁はかなりの規模でなかなか見応えがありました。ただ、私が訪れた時はたまたま防獣柵が外れていたために中に入ることができましたが、西尾根探索中にぬた場を見かけるなど、イノシシなりシカなりが生息しているのは間違いなく、何らかの理由で防獣柵が外れたとしても、そのままにしておくとは考えにくいので、ここから登城できます! とはとても言えない状況です。この日に歩き回った範囲では、他に登城できそうなところも見付けられませんでしたし…。なお、「近畿の名城を歩く」では金剛山キャンプ場近くの伏見峠から下って行くルート(たぶん西尾根の虎口に至る)が案内されていますが、防獣柵は無いとしても、大幅に遠回りになる上に西尾根の状況から考えてほとんど整備されていないと思われますので、おすすめはいたしかねます。じゃあどうすればいいんだ、となると答えに窮してしまいますが…。役に立たないレポートですがご参考までに。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

元日の攻城⑦ (2024/01/01 訪問)

知らなければ、「おおどり」とは読めませんよね。本郭周りの土塁、空堀だけでも十分に満足できる素晴らしい城でした。広い城域を隈なく巡ることは大変ですが、にのまるさんも赴いた青鳥城跡板石塔婆は外せないですよね。二の郭と三の郭の間の土塁、空堀もなかなかのものでした。新年初日からこんな物件に出会えるなんて、今年も良い年になりそうです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

フ・トッティ

No.004 (2023/06/04 訪問)

前日、中洲に呼ばれたけど、思いっ切り酷い目に遭った。
あの店には、二度と行かない‼️ と、誓いながら、スタンプ捺しに行きました。

+ 続きを読む

ページ507