続日本百名城
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2024/02/27 20:28
飯盛城 (2024/02/23 訪問)
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2024/02/27 20:27
ホリえもん (2024/02/23 訪問)
筒井城は松永久秀のライバルで大河ドラマにも度々登場する筒井順慶の居城です。主郭はレンコン畑になっていて案内板や看板が建っています。城域の北端には光専寺が建っていて、その北側の細い道路には外堀の跡が残っています。
主郭の南側にある水路は内堀の名残のようですね。主要部や看板などの写真を撮り、周辺の堀跡も写真に撮ったのですが、データをパソコンにに移している最中にPCの電源が落ち、堀以外の写真が破損してしましました。この状態で破損するとリカバリーソフトも役に立たないようです。筒井城の写真データがクラッシュするのはこれで2度目で、自分は筒井城に呪われているのかな?と考えたりもしますが、面白くないので堀の写真だけでも投稿してしまいます。なんか自分の首を絞めただけのような気がしますが、その他の写真はぴーかるさんの投稿を参考にしてください。(人任せかよ‥)
筒井順慶は郡山城に移り、筒井城は廃城になりました。順慶さんは大和国の所領18万石持で亡くなりますが、養子の定次が跡を継ぎ伊賀上野に20万石で転封されます。定次さんもなかなかの人物だったようなのですが幕府とグルになった家臣・中坊秀祐に貶められ改易になってしまいます(伝承では)。その後、大阪冬の陣で大坂方への内通を疑われ嫡男とともに自害を命じられ、大名としての筒井氏は滅亡してしまいます。酷い話ですが、定次さんが徳川・豊臣のどちらに付くともはっきりしない立ち位置にいたこと、上野城が大阪城を護る立地に築かれていたこと、彼自身が敬虔なキリシタンであったことが改易の理由につながったようです。
徳川家はキリスト教を禁教にする機会を狙っていて、キリシタンに寛容になった豊臣側に付く可能性もあった筒井氏を排除したかったのではないでしょうか。
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2024/02/27 20:27
芥川城 (2024/02/23 訪問)
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2024/02/27 20:24
2024/02/27 20:23
八幡山城 (2024/01/28 訪問)
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2024/02/27 20:21
観音寺城 (2024/01/28 訪問)
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2024/02/27 20:20
安土城 (2024/01/28 訪問)
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2024/02/27 20:19
2024/02/27 20:18
2024/02/27 20:17
2024/02/27 20:16
2024/02/27 20:13
2024/02/27 19:02
突っ込みどころ満載のお城。 (2024/01/04 訪問)
木下 藤吉郎さんが一夜にして築き上げた「墨俣城」。
模擬天守を見上げ、一夜で築いたんだーって昔の私だったら言っていたかもしれません。
犀川堤から歩き、太閤出世橋を渡って「墨俣城」に到着しました。
犀川は流れが早く、墨俣一夜城物語での木材を流すには敵してます。
ただ、2006年大河ドラマ『功名が辻』で幼い千代が、犀川のこの辺を渡るシーンがありましたが、ムリでしょう。
犀川も当時と流れる場所が違うそうです。
模擬天守は、ふるさと創生事業で築いたそうです。
「墨俣城」は木柵で囲われてます。一応、一夜城のお話の裏付けをしているようです。
秀吉さんの、出世街道まっしぐらストーリーの、初めの1歩を演出するには、これぐらいが良いのかもしれません。
至るところに、馬印のひょうたんがあります。
「墨俣一夜城」は江戸時代に創作された物語のようです。
だとしても、秀吉さんが素晴らしい人物で、慕われているのは、来城している人の多さでわかった「墨俣城」攻めでした。
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2024/02/27 10:32
出曲輪・崋山神社 (2024/02/24 訪問)
「本丸と三の丸」のつづきです。
出曲輪は二の丸の西側で二の丸とは埋門でつながり、南西に新倉門が有りました、北側に空堀と水堀で守る造りでした、現在は幕末の家老職で偉人でもあります渡辺崋山を祀った神社が鎮座しており崋山会館も有り市民に敬われています。
出曲輪・崋山神社を散策探訪、先ずは神社参拝、崋山会館、大きな蘇鉄、御神馬の像、崋山神社の由緒、西奥に駐車場、駐車場西の奥に空堀の跡か?土塁法面と少し広い堀跡かな?と思わせる平地、駐車場南側に瓦土塀が東西に在りこの辺りは田原城縄張で示されてる新倉門跡辺りかも?
新倉門跡?辺りから少し降ると田原城桜門西側が良く観えて脇曲輪のナマコ壁土塀と合わせて素晴らしい景観が目に入って来ます。
渡辺崋山については崋山神社由緒を写真投稿していますのでお読みください、また田原城の縄張も写真投稿しますので出丸の位置と構造をご確認ください。
家内を伊良湖菜の花ガーデン、福江免々川沿いの河津桜と菜の花に連れ出し、4日目にして再度田原城に寄りました。
続きます。
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2024/02/27 07:02
2024/02/27 00:15
明治天皇陵が本丸跡だったとは (2024/01/13 訪問)
修学旅行で来て以来数十年ぶり。確か城に登って夜景を見たような記憶が。そして、明治天皇陵が本丸跡だったとは。でも、徳川が廃城にした本丸跡地を明治天皇陵に使うって当時の政府の判断はどうなんだろうか?何らかの意図はあるんだろうが。まあ、眺めはいいんだけど。ちなみに階段は結構大変なんだが、近所の小学生の女の子が何度も往復していて驚く。
その他、堀跡を利用した滑り台が面白い。グランドやテニスコートになっている場所が堀跡だったというのは「ブラタモリ」を見るまで知らなかったが。それにしても巨大な城である。
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2024/02/26 21:47
2024/02/26 21:28
2024/02/26 21:01
2024/02/26 19:19
海風に吹かれて散歩。 (2024/02/24 訪問)
この時期の伊豆大島は、椿祭りがあるので、当日レンタカーを借りるのは難しく元町港から歩いて「武田 信道屋敷」に向かいました。
昨日 投稿した「源 為朝の館」は朝の7時到着。
その後、元町港近くの『喫茶酒場なべきち』でひとまず計画を立てます。喫茶酒場と言ってもお洒落なカフェです。この辺のお店は早朝から開いてます。
*伊豆大島のお店やバスは、PayPayが使えて便利でした。バスでSuicaは使えません。
1615年、大久保 長安事件で配流された武田 信道夫妻と息子さんの「武田 信道屋敷」は、大島一週道路沿い。海側に灯台があり、道を挟んで大黒屋酒店とお隣のお宅の裏手にありました。
石碑があります。お社がお祀りされていて辺りは草刈りされていました。石碑もピカピカです。
野増郵便局があり、もう少し上に墓地があり説明板があります。
因みに、大きな蔵があり、こちらを大黒屋酒店と勘違いしました。
少しバスまでの時間があったので『大宮神社』へ。
説明板には1466年、三原山のたびたびの噴火被害を避け、この地に遷座した。と、あります。
黒い大地や地形を見ると、なるほど噴火の痕。
石段が神秘的です。大きな椎の木があり、パワーをいただきます。
調べてみたら、源 為朝さんや武田 信道さんたちが過ごした時代にも噴火が確認されてました。
私が中学生の頃、噴火し大ニュースになりました。
テレビの画面越しに怖かった記憶があります。
伊豆大島は黒い大地に、赤い椿が彩ります。
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