続70城目。
新橋よりゆりかもめに乗って20分程度でお台場海浜公園に到着。
公園内にマリンハウスという施設があるのでここでスタンプをゲットできます。
但し、インクがとても薄かったです。もう少し施設の管理者は責任を持っていただきたいと切に思いました。海浜公園をぐるっと回って砲台跡を見てきました。なかなかの歴史を感じました。
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2023/11/26 19:59
2023/11/26 19:56
江戸城 (2023/11/25 訪問)
正70城目。
徳川家康の居城「江戸城」にやってきました。
はっきり言ってデカすぎました。一通り見ていったら足がパンパンになります。
スタンプは日本武道館近くの第三駐車場の受付でゲットしました。
他にいくらでも施設があるのに何故にこんなところに・・・っと思いました。
アクセスについては問題ないでしょうがスタンプ場所を探すのがちょっときつかったかなっと思いました。
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2023/11/26 18:25
2023/11/26 18:25
北大門城 茨城県常陸太田市 (2023/11/11 訪問)
南大門城の北の尾根にあります。400m位しか離れていないかな。
非常に良く遺構が残っています。大きな堀切や角度のある切岸など
見応えあります。
専用の駐車場もあり、南大門城から国見山山頂そして北大門城と巡れる
コースが整備されてます。
看板が適度に設置されていて、草も刈られていて、地元の方に大切に
されている城郭だと感じました。見学会も開催されてるようですね。
尾根先にある大門城はキツイ登りも無く整備されているので、山城が
苦手な方にもお薦めできます。
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2023/11/26 18:13
2023/11/26 17:38
一向一揆を睨みながら、一向一揆に飲み込まれた (2023/04/13 訪問)
城跡にある神社境内には土盛りがあるけれどもこれを土塁と言う人がいないので遺構ではないのだろう。長島一向一揆衆を睨んだお城だったが信長包囲網で信長が動けない中一揆勢に囲まれ信長の実弟・信興は城と運命を共にした。
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2023/11/26 15:30
備前堀を散策し、吉田城へ (2023/09/29 訪問)
水戸駅南口から徒歩約40分です。
城跡は、常照寺というお寺になっています。
お寺の東側が入口になっていて、そこに駐車場があります。
駐車場からすぐの山門の脇に城址碑があります。
山門を潜ったさきの参道は、門の方から日が照って、とても良い雰囲気でした!!
遺構としては、境内の本堂奥の南西側に空堀が残っています。(かなり藪っていました。)
水戸駅からの道中には、江戸時代に水戸藩初代藩主 徳川頼房が伊奈備前守忠次に命じて築かせた用水堀の備前堀があります。
備前堀にかかる銷魂橋のたもとには、江戸街道(水戸街道)の起点の石碑、その東にある道明橋には、伊奈忠次の像があります。
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2023/11/26 15:05
守護・土岐氏の拠点 (2023/11/18 訪問)
小島城は標高450m程の小島山の麓に築かれ、西は急斜面、東は岩壁、南は崖で天然の要害となっており、80以上の曲輪を配し、城の最も高い地点に物見櫓、その下三段の平地に本丸があったとされています。遺構は曲輪、石垣、竪堀が残っています。
小島城の築城年代、創築者等不明となっているそうですが、一時は守護土岐氏の拠点として美濃国の中心的な城として隆盛を誇っていたと云われています。
1390年の土岐康行の乱で、京極高秀ら室町幕府軍に攻められ落城。その後、廃城となっています。
小島城には、「ぴーかるさん」と「とある煩悩の登城目録さん」の投稿を拝見し、いつか行こうと「行ってみたい」城としていました。
現在の小島城は、東山公園として城跡に観世音菩薩像などもあります。4~5台程停められる駐車場もあります。また、城跡を少し車で登ったところに、「岐阜のマチュピチュ・天空の茶畑」という茶畑が一面に広がっている集落があり、合わせて行かれることをお勧めします。
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2023/11/26 13:53
2023/11/26 13:37
2023/11/26 12:01
熊とヒルとスズメバチ。 (2023/10/30 訪問)
城びとの皆さんが絶賛する「松井田城」。
ちょっと入口まで行って来ました。
本日、脱線します。
素晴らしいのは承知しているけど、装備不十分なので、別日と考えてました。
高速道を降り「後閑城」に向かっていると、「松井田城」の案内板を数回 見ました。幟もはためいていて「松井田城」に誘われます。
と、言うことで ちょっと「松井田城」に寄り道しました。
駐車場もあり、小さな小屋に案内があります。杖も用意してくれてました。
が、アルミ缶がぶら下がっていて『熊と出くわす前に叩いて下さい』との事。よーく見ると結構な数がぶら下がってます。80mほど侵入しただけで土塁や堀が確認できました。
熊が怖くて、引き上げました。小屋には、熊の他にヒルやスズメバチへの注意が書いてありました。
もう、駄目です。
本来の目的城に向かう途中、何やらの説明板が見えます。
路駐し、見に行くと万葉集でした。少し行くと、もう1枚。
以前、城びとの企画で100名城のカルタの詠みを、五・七・五で考えました。どなたの句が選らばれたか楽しみですね。
次回、続100名城カルタでは、万葉集風に五・七・五・七・七とすれば、お城への思いがもっと入れられます。
またもや、石碑だと路駐。今度は明治時代の詩人、磯貝 雲峰さんの碑です。
ほー、詩かー。
【城×短歌】
スズメバチ~、熊に怯えて、逃げ出せば~、再戦 誓う、松井田の城~。
駄目だこりゃ。
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2023/11/26 10:25
虫川城 (2023/11/04 訪問)
【虫川城】
<駐車場他>白川神社駐車場を利用しました。
<交通手段>車
<見所>曲輪・切岸
<感想>1泊2日上越の城攻め旅2日目、3城目。この旅より自身の山城攻め解禁で今シーズンも事故に気を付けながら頑張ります。今年は熊の出没も相次いでいるので少し心配です。皆様もお気を付けください。
現地案内板によると虫川城は城主、城歴は不明であるが南北朝時代には杢田主膳の居城であったといわれています。
上記駐車場に駐車し虫川の大杉を見学、霊的なパワーを頂きました。城跡入口は北方向の道を進み福祉センター大杉の里の奥に進むと案内版がありますので登城口はすぐに分かります。登城口からすぐに小さい根小屋跡の削平地、そのすぐ先に広い二の丸跡、横に長い腰曲輪と看板のある曲輪には城門跡、地震で埋まってしまった井戸跡があります。その腰曲輪から主要部方向の切岸は高さがあり見応えがあります。主郭下段の曲輪には土塁が残り、城跡の雰囲気が良く残っています。山頂の主郭は小さい削平地ではありますが、櫓台がしっかりと残っています。
<満足度>◆◆◇
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2023/11/26 10:00
南千畳、南二の丸編 (2023/11/03 訪問)
南方向へ向かうとよりマチュピチュ感を感じることができます。二の丸や本丸からはまるで天空の島のような石垣郡を見ることができます。もう9時過ぎでしたが、まだ少し霧が背後にかかっていました。
で、竹田城に行って初めて知ったのが石垣についてなのですが、実は竹田城の石垣は野面積みではなく牛蒡積みだったんですね!知りませんでした。おそらく牛蒡積みの石垣は彦根城とこの竹田城でしか見れないのではないかと思います。で、牛蒡積みとはっきりわかる特徴というのが石垣から草が生えてこないことなんです!長方形に近い石を差し込むようにして積んであるのでなかなか植物が生えないそうです。おかげで私たちが間近で石垣を見れますね!
8年前に訪れたときはまだ小学生でここで妹と鬼ごっこをしていたそうです(親によると)。こんなにもすごいお城を鬼ごっこで満喫した自分に反省しました…
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2023/11/26 08:43
土佐20万石大名になった山内一豊出生地
平城で遺構はないが、黒田小学校北東角に小公園として冠木門、説明板、石碑、像などモニュメントがある。山内一豊が生まれた(天文14年(1545))城として有名。近くに駐車場はなく意外と訪城しにくい。
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2023/11/26 08:40
2004年3月まで個人所有だった国宝天守
天文6年(1537)織田信長叔父織田信康が築城。1600年前後に整備進められる。今のようになったのは元和3年(1617)に成瀬正成が入城してからで、尾張藩付家老成瀬家が代々継承した。高さ88m木曽川沿いの丘陵に建つ。平山城、国宝現存天守は望楼型独立天守(三重四階)で高さ24m、別名白帝城。国宝5城で最も古いという天守は最上階にある華頭窓、外壁に柱や桁がむき出しになっている真壁造、瓦に留蓋としてのっている桃瓦など、見所は多い。
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2023/11/26 08:30
天守台と堀 (2023/11/22 訪問)
11月下旬というのに路肩に雪が残る道を走って、増島城へやってきました。
増島城はJR高山本線飛騨古川駅の南東、荒城川の右岸、古川盆地のほば中央に位置しています。
1573〜1592(天正年間)年、金森長近によって築かれました。
退いて守る山城より、進んで攻める交通の要所を求めて、ここに平城を築いたそうです。
1615(元和元)年、幕府の一国一城令により、城名を廃して古川旅館と称しました。
金森氏の移封後3年、1695(元禄8)年に古川旅館は破壊されました。
天守台と堀が数少ない遺構です。
天守台の二方に堀が残されています。
天守台には増島天満神社が祀られています。
天守以外の本丸部分は飛騨市立古川小学校と岐阜県立飛騨吉城特別支援学校が建てられています。
小学校の校舎は地中には遺構が保存されているため、杭を打ち込まない低層建築とする必要がり、2階建てです。
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2023/11/26 00:00
呑む日本史 〜 江戸を救った味?
今宵も酔うて候、、、
純米吟醸 清酒「江戸開城」(東京港醸造。東京都港区芝)。本当にあった都心の酒蔵。母体の若松屋は元は薩摩の御用商家で、2016年、1世紀ぶりに酒造りを再開しました。
醸造所は西郷どんと勝海舟が会見した薩摩藩蔵屋敷跡からほど近い場所に。もし2人が密談の場で酌み交わしていたのだとしたら、江戸を再度の焼失から救った味ということになるのかもしれませんね。
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2023/11/25 23:16
2023/11/25 21:08
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