(24人目)「島津義弘」続き⑬です。義弘軍「捨て奸」の地(琳光寺)を訪れてきました。
徳川家康最後の陣跡から、前回の写真④の義弘が逃げた矢印の方向へ、私も逃げるように必死でチャリをこいで20分、牧田交差点そばにありました。
捨て奸(すてがまり)とは、負けを覚悟した時の島津の究極の戦法で、主君を逃がすため家臣が道に座して鉄砲を構えて並び、敵をくい止める。主君のためなら自分の身を犠牲にしてでも逃げる時間稼ぎをするという戦法です。
義弘の幼い頃からの守役であり家老であった長寿院盛淳は、この牧田の琳光寺にて、義弘の鎧・兜・陣羽織をはおり、「我こそは島津義弘なり!」と叫び、まさに身代わりとなって壮絶な捨て奸を行いました。この犠牲により、義弘は山田有栄に守られ、伊勢東街道を逃げ延び、薩摩まで帰還する事ができたのでした。
琳光寺には、盛淳の墓や供養塔が建てられています。主君を守るためなら自分の命をも惜しまないという彼らの生き様に、私は思わず絶句し身震いしてしまいました😱~。
次は、薩摩に帰還した義弘がその後蟄居した(桜島)に上陸します。
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