パンフレットに、大永元年(1521)に武蔵守護代の大石定重が築城し、後に大石氏の養子となった北条氏照が拡張、改修したとされてきました。しかし近年の研究により、北条氏照は由井領を支配していた大石綱周の養子になり、浄福寺城に居住し、その後、永禄10年(1567)までに滝山城を築城して移転したと考えられています、と載る。
前は夏の時季のため草が生い茂り、空堀・馬出などの形状が分かりづらかった。前回行かなかった山の神曲輪だが、今日は行けなかった。「ナラ枯れで立ち枯れた木から枝が落ちる危険が高まり、三の丸から山の神曲輪の遊歩道・三の丸・二の丸南をしばらくの間閉鎖します。」と標示されている。実際に二の丸では伐採作業中だった。見えなかった中の丸・本丸下の腰曲輪などが、草が刈られ整備された状態で眺められるが、そちらは進入禁止。本丸に架かる橋はもう少し下だったとあり、案内の城道を見ると、中の丸の腰郭を回り込み橋脚部にでるようなる。歩いてみたいがチェーンがあり、進入禁止。二の丸の大馬出の広さ、土塁、東尾根を仕切る空堀(画像制限で載せてない)などが改めて観られた。
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