【信濃・竹佐陣屋】長野県飯田市 高須藩松平家陣屋
(2023/06/19 訪問)
住所:長野県飯田市竹佐1006
駐車場:飯田市竹佐1015の田府髙屋集会場を利用させて頂きました。(35°28'29"N 137°45'54" h=600m)
移築門:長野市飯田市久米311の光明寺山門、山門下に参拝者駐車場あり、同利用。(35°28'60"N 137°46'49"E h=590m)
城びと会員の肉球さんが5月3日に投稿されて初認識、調べると肉球さん紹介の山本陣屋からすぐ近く、中央道を東に越え約600m程の国道153号線沿いから山本郵便局を北に約150m程の所に在る、グーグルマップに依る。
今回の上越市直峰城主体の城廻の行きか帰りに寄ろうと企画しました。もう少し投稿が早ければ5月2日の日帰り南信濃城廻に加えたのですが致し方ありません。
史跡マークの跡地には案内板、標柱も無く、ネットでヒットした「甲信越のお城・信濃竹佐陣屋」の内容をお借りして歴史を記載します。
竹佐陣屋は尾張徳川家の分家、高須藩松平家の陣屋です、竹佐陣屋は天和2年(1682年)に松平義行により築かれた、義行は尾張徳川光友の次男で、天和元年(1681年)に信濃伊那・高井・水内郡内で3万石を与えられ、竹佐に陣屋を構えた。
元禄13年(1700年)、信濃高井・水内郡内の所領15,000石を美濃高須に移され居所も高須へと移したが、伊那郡内の所領は変動なく、采地陣屋として明治まで存続した。
上越市の帰り、飯山城、中野陣屋、高梨氏館(中野小館)に寄って、上信越道、長野道、中央道経由走行、途中の松本城、松代城に寄りたい衝動を抑えて、駒ヶ根SAで遅い昼食。
駒ヶ根SAで道路情報を確認、6月2日の台風2号の影響で愛知、静岡の山間地は線状降水帯の被害で土砂崩れが多発しており、国道151号線の道路通行状況をスタッフの方にお聞きし、相互交通は有るものの鳳来寺の三遠南信道まではOKを確かめた。
中央道飯田山本ICを降りて国道153号線へ、飯田市市街方向に進み、山本郵便局を過ぎて北に入る集落道狭い、約150m程で田府髙屋集会場に着く、集会所前のエリアに駐させて頂きました、同時間集会なしで無人。
集会所からやや南東に集落道を約100m弱で畑と成り、「高須藩松平家陣屋跡」の横長看板が令和2年12月海津市有志と記され建ってる、看板の頭に家紋が描かれており「24花弁菊輪三つ葉葵」、敷地は畑に成っており、南側と東側に石垣が確認できる、しかし6月中旬過ぎで草も茂り石垣も覆われて良くは見えない。
南東角は肉球さん投稿写真で確認済みでこの場所と分かる、草も茂りこのあたりで終わり、次の移築門の有る光明寺へ。
光明寺は竹佐陣屋跡から東へ直線約1.5km程、道なりで約4km程の山中にある、ナビに従い山本小学校北側を通り久米川沿いを通り久米集落へ道が狭く離合は困難、分岐に光明寺の案内指示板あり、山門下の整地された参拝者駐車場を利用。
光明寺に入るが人の気配は無い、山門を表と裏から拝見、本堂に参拝、移築山門の瓦の紋を確認すると「六つ葉葵輪内に六つ花弁」を抱き込んだ紋に成って居ました、ネットで紋を調べて見ましたが良く分からず、徳川氏松平氏の紋のようですが、高須藩は24菊輪三つ葉葵の様です、水戸徳川家の分家筋に6葵葉の紋があるようですが良く調べきれませんでした。
情報ガイドは、甲信越のお城・信濃竹佐陣屋、グーグルマップが大変役に立ちました。
再び、城びと会員肉球さんの新情報に触発されて登城する事が出来ました、ありがとうございます。
この後は国道151号線に出て浜松へ、151号線に出る前に途中の伊豆木陣屋に寄って帰ります。
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