佃大橋を渡り鉄砲洲通りを南下。築地鉄砲洲には外国人居留区があったため、宣教師や教員が来日し多くの学校が設立されたので確認しに向かう。まずは青山学院発祥の地。ここは分かりやすくスグに見つかった。ただし、後から写真をよく見ると「発祥」ではなく「記念」の地となっており、調べてみたら源流はいくつかあるようで前身の学校がここにあっただけで、「発祥」とは言い切れないようである。
次に明治学院発祥の地を探すが中々見つからず。ようやく見つけて写真を撮ってると、通行人から「何の写真とってるの?」と話かけられ、事情を説明すると「へえ~そうなんだ。この辺に住んでるけど全然知らなかった」との返答。旅先でこういう会話は時々あるが、地元民というのはそういうものかもしれない。ちなみに明治学院のルーツは神奈川宿周辺を散歩した時にあった寺のヘボン塾じゃなかったけ?とも思ったが、後継の学校が築地に出来たようである。でも、なんで築地を発祥の地にしているのかは不明。この辺は青学とは対照的。
それから、外国人居留地の碑へ。居留地時代のレンガ塀遺構とガス灯がある。で、その向かいが暁星学園発祥の地。ちなみに後から調べると外国人居留地の絵図には「遊郭」も描かれており、新富町周辺が京都にちなんで「新島原」と呼ばれたらしい。これは知らなかった。ただし、横浜にも遊郭はあったから、この時期の政策?というのはそういうものなのかもしれない。まあ、昭和の敗戦後にも同じような事はやってたが。
そして、聖路加病院と聖路加国際大学の間を抜ける。聖路加病院に来るのは初めてだが、この病院を見るとサリン事件を思い出す。病院の先が立教学院発祥の地で、その向かいが慶應義塾発祥の地。なんでキリスト教系ではない学校があるのかと言うと、外国人居留区が出来る前から中津藩中屋敷があったため。その他にも女子学院、雙葉学園、女子聖学院、関東学院の発祥の地もあるが廻りきれず。学校以外では、聖路加国際大学のある場所が赤穂藩浅野家上屋敷で浅野内匠頭長矩生誕の地。ここは四十七士が泉岳寺に向かう途中で吉良の首を捧げた場所でもある。で、その近所に芥川龍之介生誕の地もある。
少し離れた東銀座周辺には専修大学発祥の地。昔大学誕生物語の映画を見た事があるが、たしか銀座のレンガ街で始まったような。今は自販機の隣にひっそりと碑があるだけでちょっと寂しい気もするが、他方で時の流れも感じてこれも歴史かなと。
+ 続きを読む









