実は,ここもJR福野駅から安居城に向かう途中で立ち寄りました。徳仁寺はかなり遠くからでも視認できるので安堵してしまいますが,城址碑の見落としには注意してください。
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2023/11/08 23:27
2022/08/26 07:21
2022夏の青春18キップ11日目:野尻城 (2022/07/30 訪問)
桑山城からの転戦です。徳仁寺山門説明板前(36.603252、136.913804)に駐車しました。
築城年代は定かではないようですが、 城主は木曽義仲と共に平家と戦った在地豪族・野尻氏と見られています。
野尻氏は藤原利仁の後裔である斎藤氏の流れを汲むとされますが、古代の在地領主で越中国司も務めた利波臣の後裔とする説もあるようです。
少なくとも中世に越中国砺波郡で勢力を誇った石黒氏を始め井口氏や宮崎氏等と同族と考えられているようです。
野尻氏は1183年(寿永2年)倶利伽羅合戦に参加しました。
正平年間(1346年~70年)には南朝方の有力者だった越中守護・桃井直常が越中国庄ノ城(壇城)を拠点として周辺を支配すると、野尻氏は井口氏らと共に直常の配下となり各地を転戦し、野尻城は庄ノ城の支城として機能したようです。
南北朝時代には南朝方の桃井直常の拠点の一つで、1362年(正平17年)と1369年(正平24年)に北朝方の斯波氏の攻撃を受けています。
1481年(文明13年)一向一揆に攻められ城主は降伏して落城しました。
その後は一向一揆勢力下にあった様で、廃城年代は戦国時代後期と思われています。
城址は徳仁寺境内で、山門左に大きな「野尻城址」の石碑と説明板が建てられていますが、遺構はありません。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=寺家新屋敷館に向かいます。
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分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 野尻氏 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 野尻氏、桃井氏、一向一揆勢 |
廃城年 | 戦国時代後期? |
遺構 | 消滅 |
指定文化財 | 市史跡(野尻城跡) |
再建造物 | 碑、説明板 |
住所 | 富山県南砺市野尻字養正庵(徳仁寺) |
問い合わせ先 | 南砺市文化・世界遺産課 |
問い合わせ先電話番号 | 0763-23-2014 |