城びとの城である小黒丸城と三宅町にある大黒丸城を合わせて「黒丸城」と呼ばれるそうです。大黒丸城の方が本城で小黒丸城はその支城とされています。小黒丸城だけでは方参りになるので合わせて訪問してきました。
建武4年、足利高経に従って朝倉広景が但馬より越前に入り、目代としてこの城に入ったそうです。以降文明年間(1469~87)に孝景が拠点を一乗谷に移すまで朝倉家の本拠であったとされています。
城址は比高10m足らずですぐに主郭に入り込みますが中は竹林になっています。動きが制限されますが東側に、なんとか土塁の跡を発見しました。もともとは単郭で堀と土塁を配していたシンプルな構造だったようです。ただ麓の祠を祀ってあった土盛りも気になりますね。
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