本丸と唯一のなだらかな尾根でつながる東出丸を断ち切る堀切とこの地区の特徴的な石垣(石積)をめあてに、今回はJR 備前片上駅から攻城した。
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2022/05/01 10:52
2022/05/01 08:41
2022/05/01 08:33
森脇氏の城 (2022/04/28 訪問)
吉川氏の家臣森脇氏の城と伝わっています。城址は小さな丘陵で案内板があります。
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2022/05/01 08:31
2022/05/01 08:21
2022/05/01 08:00
吉川元春の妻の館 (2022/04/28 訪問)
吉川元春の妻の屋敷跡です。石垣が残っています。
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2022/05/01 07:56
2022/05/01 07:37
主郭は削られて消失 (2022/04/24 訪問)
東葉高速の八千代中央駅か村上駅から徒歩で30分ちょっと。
佐倉城から東葉高速を経て帰ることにし、立ち寄りました。
民家の裏手に説明板が立っていてその先が城址です。
左手が四郭、右手が三郭で三郭手前に空堀があります。
三郭には土塁が付いていて途中切れ目のようになっています。
竪堀のように見えますが良く分かりません。
三郭の先には祠があり、この先二郭、主郭と続くはずですが土塁状の尾根を除き土取の為に削られて消失しています。
村上氏の居城とされています。
住宅地に残る貴重な遺構です。
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2022/05/01 06:58
県内の城めぐり2022⑯ (2022/04/09 訪問)
2021年のゴールデンウイークに鉄塔の少し先まで進んだところで引き返してしまったので今回は山頂を極めるという強い意志を持って登城いたしました。小岩嶽城に負けず劣らずの急坂登に400mを越える比高で困憊いたしましたが、無事、ステンレスの祠が鎮座する主郭部に到達することが出来ました。ただ、そのステンレスの祠は倒木によりひしゃげてしまっていましたが。この城の見所はやっぱり鉄塔から下っている竪堀かなあと思います。
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2022/04/30 23:59
2022/04/30 23:46
2022/04/30 23:08
中世・近世の長い歴史を物語る城 (2021/04/23 訪問)
郡山方面の2日目は猪苗代城へ。この城は文治5年(1189)の奥州合戦の戦功により会津四郡を与えられた鎌倉御家人、佐原氏の一族が猪苗代氏を名乗り居城としたと伝わる。戦国時代の天正17年(1589)には「摺上原(すりあげはら)合戦」に際し、猪苗代盛國が伊達氏に内応して会津芦名氏滅亡の要因を作り、政宗の仙道制覇を実現させた歴史がある。また秀吉の奥州仕置きにより配された蒲生氏、加藤氏、上杉氏時代も会津東地区の戦略拠点として、江戸時代も会津松平氏の支城として中世から近世まで長く続いた。慶応4年(1868)の戊辰戦争の際に母成峠の陥落後には城代が猪苗代城と藩祖公を祀る「土津(はにつ)神社」に火を放って退却したという。
城地は南北に細長い丘陵の最上部に東西30m、南北80mの本丸を置き、南にニ之郭、南・西・北に帯郭を配した輪郭式の中世山城部分と近世になって東側の平地に拡張され、土塁と水掘りで囲んだ二之丸、三之丸を配して平山城の姿となったようだ。
現在、二之丸、三之丸部分は市街地化されているが、山城部分は本丸、土塁、帯郭、虎口、近世の改修による石垣など遺構はしっかり残っている。
訪問した4月23日は三春の滝桜は散った後だったが、福島県の中通りと会津の中間点である猪苗代町は山間部であるため観音寺川畔の桜並木は満開で、多くの花見客で賑わっていた。
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2022/04/30 23:04
2022/04/30 23:00
津山城(2016年) (2016/05/13 訪問)
岡山での用件終了後に訪城。岡山からJR津山線で津山へ。駅前から徒歩10分ほどで津山観光センターに着く。ここで城内の案内図をもらい、料金所から鶴山館を見て、三の丸~表中門跡~二の丸~切手門跡~表鉄門跡~本丸~備中櫓内部見学~多門櫓跡~天守台~粟積櫓跡~長屋櫓跡~裏鉄門跡~裏中門跡~厩堀~三の丸~表門跡と見て回る。
B級グルメの津山ホルモンうどんを食べたかったが、岡山で昼食べたデミカツ丼が堪えて食べられなかったのが残念。
100名城スタンプは備中櫓内で出してくれる。
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2022/04/30 22:55
蔵王スキーと城巡り~二本松城 (2015/12/24 訪問)
蔵王でのスキーの帰路に訪城。白石城を見学して、白石温麺を食べてJRで二本松へ。二本松駅からは歩いて登城。
大手門跡~旧二本松藩戒石銘碑~箕輪門~塀重門跡~三ノ丸~洗心亭~新城舘~搦手門跡~本丸石垣~大石垣~城内路~三ノ丸上段~二本松市歴史資料館と歩く。
駅からの比高は約130m、距離も往復約5kmあり、ある程度の時間の余裕を持って登城した方がよい。
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2022/04/30 22:49
2022/04/30 22:43
2022/04/30 22:39
2022/04/30 21:40
今回天守台内部に初登り (2009/06/10 訪問)
杵築城を終えて小雨止まぬ中、レンタカーで日出城本丸北に在る二の丸観光案内所駐車場を利用。
13年前の平成21年5月上旬、4泊5日大分県宮崎県城廻り3城目です。
日出城の近世城郭は関ヶ原合戦の軍功で木下家定の三男木下延俊が3万石で入封し築城される。以後木下家が江戸期継承し明治を迎える。 別府湾に突き出た台地の先端に本丸、三層の天守閣、二の丸、三の丸の悌郭式縄張、三万石には過ぎたる総石垣城郭、義兄の細川忠興の支援が有った様です。
探訪は、今回本丸内日出小学校に入った所で教員の方に見学の了解を頂き、初めて本丸南端の天守台の内部に登り観察する事が出来ました、感激です。 本丸から南の望海櫓台経由南天守台下、本丸下南、西と廻り城塁、多聞櫓台を見上げて、西の月見櫓台下から南に降りる空堀を眺めて、致道館の在る曲輪へ致道館、門は修復が必要な壊れ方、二の丸侍屋敷の通りを大手口へ、大手口日出小学校入口の土橋に架かる蒲鉾石垣を観察、鬼門櫓台跡を廻り東の空堀、石垣城塁、天守台を望む、東に搦手口跡、鐘櫓台跡に時鐘が置かれてる。
小雨模様の夕刻近く薄暗くなってきた、写真採光条件は余り良く無いタイミングでした。
現在は維新後民間に払下げてた鬼門櫓が月見櫓跡の空堀西に移築復元され、二の丸観光案内所に裏門櫓移築と傍に城門が復元した。また二の丸西の致道館は館、門とも修復され往時の姿に甦った。13年前の平成21年6月上旬からの経過であります。
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2022/04/30 21:14
鮫ヶ尾城跡縄張り図、鮫ヶ尾城全体図、鮫ヶ尾城跡図 (2020/08/24 訪問)
現地案内板より抜粋。
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