Covid-19が収束していない頃でしたが、新聞記事で松前藩家老 松前 勘解由氏のご子孫が刀2振りを松前町に寄付し、松前城に展示してあるとの記事を発見しました。「すぐに見にいかなくては」と私のお城スイッチが入った瞬間でした。金曜日の仕事を終え、札幌から松前まで向かい車中泊しました(381キロ)。
松前城は、戊辰戦争のおり落城の憂き目にあいました。そもそも同城は、福山館と呼ばれており松前藩が無城待遇であったことによります。幕府からの築城命令により、箱館の地が候補となったが、費用負担から断念し福山館を拡張することになったそうです。
総工費は約15万両と概算され、築城の最大の課題は費用捻出であり、家臣俸禄一割献上、御用商品からの献金、町内会、町民からの献金や労働力提供が行われたそうです。御用商人の中には櫓一基分もの巨費を献金した者もいたそうです。1855年(安政元年)9月末に工事は完成し、松前福山城と呼ばれることとなりました。町人や商人、領内各村のそれぞれ有力者や多額の献金者が集められ、完成の祝宴が行われた。今で言うと、自治体、企業、町内会、市民(産学官民)皆で築城した「おらが町の城」とも言えます。11月の松前城は訪れる人も少なく、ほぼ貸切の状態で城を散策出来ました。城を独り占めした気分で楽しい登城となりました。
最後に、松前城天守の木造再建計画が示されてから久しく新たな情報が出てきません。おそらく、財政面の問題が大きいのだと思います。令和の今、広く全国から募金を集めて計画を進めて欲しいです。完成時には、寄付者を募り令和の大宴会を本丸広場で行うのも楽しいですね。
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