(24人目)島津義弘の続き⑭です。義弘が関ケ原から戻り2カ月の間蟄居したという、桜島にある藤崎正兵衛の屋敷を訪れてきました。
鹿児島フェリーターミナル(写真①)から桜島まで15分の船旅です。 いや~感動です😯! 船がでっかい桜島にどんどん近づいていく光景を、海の上から眺めるのは、何か醍醐味を感じました(写真②)。そしていよいよ桜島に上陸です(写真③)。このフェリーは約20分間隔で運行されていて、料金もたったの200円です。何度でも乗りたくなる船でした。桜島フェリーターミナルを下りると、そこからは市営バス東向浜行で10分「藤野」で下車し、すぐの所に藤崎氏の屋敷がありました(写真④⑤⑥)。
関ケ原の戦いに敗れ、義弘は多くの犠牲を払い命かながら帖佐の館へ帰還します。1500人いた兵も薩摩へ帰還できたのはわずか80人でした。義弘はその全員に感状を与えねぎらい、亡くなった兵の家族にも詫びたそうです。しかし問題はここからです!
徳川家康は自分の命を狙ったあげく薩摩に逃げ帰った義弘を絶対に許す気はありません。当主の島津義久に義弘を江戸に引き渡すよう命じます。それを聞いた義弘は、帖佐から海を渡ったここ桜島にある藤崎氏の屋敷に蟄居し家康に恭順の意を示したと伝わっています。
しかしそんな事で家康が納得するわけがありません。再三にわたり義弘を引き渡すよう義久に命じます。義久は引き渡せば必ず殺されるとわかっているので絶対に渡しません。義弘の子の忠恒を使者に送りますが拉致が空きません。もはや交渉決裂か!!
徳川と一戦辞さずと義久は戦の準備を始めます。内城の西方の城山に土塁で固めた詰城を築き、そして100ある外城に防備を固めるよう命じます。家康も最悪を覚悟し戦の準備を命じます。先鋒として加藤清正、鍋島直茂、黒田官兵衛の総勢4万の軍勢を国境の水俣まで進軍させます。ここで船上で懇意となった立花宗茂が説得に行きますが、やはり拉致が空きません。このまま戦がまた起きてしまうのでしょうか? さあどうする家康?どうする義久? はたして二人の選択は!(この続きは最後の(26人目)の中でまた)
私は藤崎氏の屋敷の前から、錦江湾の海を眺め考えてみました(写真⑦⑧⑨)。義弘はどんな思いでここで過ごしていたのでしょうか。この後自分は一体どうなるのだろうか? いや自分だけでなく薩摩や兄もどうなるのだろうか? そんな不安な気持ちで、夜も眠れずに、毎日ここからこの海を、眺めていたのではないでしょうか・・・
【余談】島津桜島うどん
帰りにフェリーの中にうどん屋があり、見ると名物「島津桜島うどん」というメニューがあったので気になり注文して食べてみました。注文して何とわずか30秒で出てきました(すごく早い!)でもすごくおいしい。どうやらたまごを噴火口に、黄身とゴボウの天婦羅を溶岩に見立てているようです。さつま揚げもちょこっと入っていました(写真⑩)。15分で着岸なので急いで食べました😊(アチチ!)
次は、義弘晩年の居城(加治木城)を訪れます。
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