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イオ

【かるた】明石城の読み札と絵札

見上げると でかさに驚嘆 明石城

実際に訪れるまではJR明石駅のホームから眺める「綺麗だけど小ぶりな城」という印象でしたが、麓から見上げると、延々と続く高石垣に二基のどでかい三重櫓が聳える迫力に驚嘆させられました。

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宗春

名古屋城 (2023/05/06 訪問)

金シャチ横丁のお土産屋さんで綺麗な御城印が発売になったとの情報を得て、折角帰省していたので買いに行って来ました。

城内にも入りましたが、本丸御殿は超長蛇の行列が出来ていたので断念。大谷翔平選手のサインが書かれた丸太(木材?)も見られませんでした。残念。

代わりに、初めて「名古屋おもてなし武将隊」のナマ演舞を見、織田信長公とツーショット写真を撮る事が出来ました。

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todo94

村上市内 (2023/04/15 訪問)

村上城からかなり南下しましたが、ここはまだ村上市内です。遠目にも目立っている八幡宮の鎮守の森には、くっきりとした空堀と土塁が残されていました。東側の堀の向こうの藪には入れそうにはありませんでしたが、副郭とのことです。

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流紋岩質凝灰岩の山体と石垣 (2023/05/05 訪問)

城びと先人の投稿を見て、行きたい城にノミネート。麓から見上げる写真がまだなかったので投稿します。
頂上付近の木が伐採されており、麓から石垣がよく見え、気持ちが高まります。
本曲輪南面は、もとの岩と石垣の組み合わせで、石率大です。加工しやすい凝灰岩の山体であり、石は、現地調達できます。裏手は土造り。
和田小学校裏手から登り、親縁寺・郵便局方向に降りるルートをとりました。南の曲輪手前で両ルートは合流します。南の曲輪から、本曲輪まで、比高はないが、距離はあります。平日は、進入NGですが、小学校ルートがいちばん整備されててかつ楽な道のようです。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)3日目:布施高田館(城びと未登録 長野県長野市) (2023/04/20 訪問)

塩田城から転戦。篠ノ井駅から徒歩で説明板前(36.578040、138.141175)に向かいました。

詳細は不明のようですが、布施氏の館跡と考えられています。

布施高田館は篠ノ井駅の北東側一帯、鼻顔稲荷神社を中心とする一帯が館跡のようです。
遺構はなく説明板があるのみです。
攻城時間は5分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストで本日の宿泊先に向かいました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)3日目:塩田城 (2023/04/20 訪問)

岡城から転戦。塩田城碑前空スペース(36.341052、138.195871)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、1277年(建武3年)北条義政が信濃国塩田荘へ移り居城として築いたようです。
北条義政は鎌倉幕府の要職にあった人物で、義政、国時、俊時と三代にわたって塩田荘を治め塩田北条氏と呼ばれています。
1333年(元弘3年)北条国時・俊時父子は鎌倉幕府の滅亡に際して鎌倉へ馳せ参じ討死しました。
鎌倉幕府が滅亡すると1335年(建武2年)には村上信貞に塩田荘十二郷が与えられ、塩田城には村上氏の重臣福沢氏が代官として置かれました。
1553年(天文22年)武田氏の侵攻により村上氏の居城である葛尾城は落城、塩田城は村上氏の最後の拠点となりましたが、同年に落城しました。
信濃から村上氏を駆逐した武田氏は、塩田城に飯富氏などの重臣を置いて拠点としましたが、1582年(天正10年)武田氏は滅亡しました。

塩田城は入口の道路の所が内堀のようで、西側に曲がり南北に伸びて土塁が残っています。
攻城時間は35分くらいでした。
ここから上田駅に戻りレンタカーを返却して、次の攻城先=布施高田館(城びと未登録 長野県長野市)に向かう為、篠ノ井駅に電車で移動しました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)3日目:岡城 (2023/04/20 訪問)

原畑城(城びと未登録 長野県上田市)から転戦。岡城公園空スペース(36.381448、138.171821)に駐車しました。岡公民館駐車場(36.381793、138.171581)にも駐車可能です。

築城年代は定かではないようです。
伝承に寄れば武田信玄の家臣馬場美濃守信房によって築かれたと云われ、1553年(天文22年)武田氏が村上義清の居城である葛尾城、塩田城を落とし、1560年(永禄3年)に海津城を築いて川中島へ進出する間に築かれたのではないかと推測されています。

岡城は本丸とその外側を囲む二の丸があります。
本丸は市営岡団地のある所で、西側には堀跡を確認することができます。
説明板は二の丸の北に残る岡城公園にあり、高い土塁と空堀が残されています。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=塩田城に向かいました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)3日目:原畑城(城びと未登録 長野県上田市) (2023/04/20 訪問)

室賀城から転戦。原組公民館(36.407853、138.145719)に駐車しました。
そこから原田橋(36.407928、138.144561)➡原畑城跡(36.408238、138.146301)➡十王堂址記念塔(36.408227、138.146673)の殉に巡りました。

笹洞城を居城とした室賀氏の居館です。

原田橋の下の道路が堀切であり、原組集落の中央に「十王堂址記念塔」が建てられています。
原畑城跡と云われている場所には何もありません。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=岡城に向かいました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)3日目:室賀城 (2023/04/20 訪問)

三水城から転戦。ささらの湯駐車場(36.410277、138.147181)駐車し、室賀水上神社入口(36.410836、138.146967)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、室賀氏によって築かれたと云われています。 室賀氏は屋代城屋代氏の支流で室賀郷を本貫とした一族です。
はじめ葛尾城の村上氏に従っていましたが、甲斐の武田信玄が村上氏を越後へ追いやると武田氏に従いました。
1582年(天正10年)武田氏が滅亡すると徳川家康に従いますが、翌1583年(天正11年)真田昌幸と争い一旦は和睦となりますが、室賀兵部少輔は後に謀殺されました。
室賀氏の一族は室賀源十郎が徳川氏に仕え、江戸時代には旗本となり尾張藩に仕えて1,500石を領しています。

登山道は東麓にある室賀水上神社の境内にあり、境内にも駐車可能です。
登山道を歩き始めましたが、案内標識もなく山に登って行く道が見つけられません。
方向音痴な自分は迷子の危険があるので、攻城を断念しました。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=原畑城(城びと未登録 長野県上田市)に向かいました。

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赤い城

富士塚城 神奈川県横浜市 (2023/05/03 訪問)

ブルーラインの下飯田駅から徒歩で7分くらい。
住宅地の中の公園が城跡です。
遺構は無く、石碑が立つのみです。
公園からは線路の高架越しに富士山を望むことができます。
石橋山の戦いで頼朝を安房に逃れさせた飯田家義の館とされています。
遊具も置いてあり、地域の皆さんの憩いの場になっている公園のようです。

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小城小次郎

ドヤ顔のイケメン模擬天守 (2023/01/03 訪問)

今年初めてのお城巡りで立ち寄るつもりはなかったのに朝日に映える模擬天守のあまりのイケメンぶりについつい吸い寄せられ2023年初登城の栄誉を与えることになってしまった痛恨?の思い出。ドヤ顔の模擬天が憎い(笑)

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美夢

【かるた】姫路城の読み札

太き梁 白き天守の 姫路城

日本が 世界に誇る 姫路城

白鷺の 泰然自若(たいぜんじじゃく) 姫路城


一句目
姫路城天守内で天井を見上げると
柱は勿論ですが
もの凄く太〜い梁がこれでもかと言うほど沢山使われている事に驚きました
一般住宅の大黒柱よりも太そうな木を梁として大量に使用する事で
あれだけ大きなお城をしっかりと支えているのですね

二句目
日本の誇る世界遺産であり、海外の方がイメージするお城の姿でもあるのではないでしょうか

三句目
白鷺の美しさと強さを表現してみました

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todo94

【かるた】湯築城の読み札 (2017/09/18 訪問)

水軍の 古湯の守り 湯築城

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ぴーかる

続百名城 増山城の支城「亀山城」 (2023/04/02 訪問)

【亀山城】富山県砺波市増山
<駐車場他>道路脇<36.654477, 137.044698>に1台入れられます。
<交通手段>車

<見所>曲輪・切岸
<感想>1泊2日北陸山城攻めの旅2日目8城目。城びと未登録の亀山城は続百名城の増山城跡の北東側に位置し、増山城の北の出城としての役割があったようです。現地説明板に増山城の全身の和田城はこの亀山城との説があります。先に孫次山砦⇒亀山城を攻略しました。
 上記ポイントの増山城の池ノ平等屋敷跡から谷を挟んで遊歩道から城跡まで上がれます。途中曲輪の土塁上の道を進み、主郭手前の堀切を渡ると主郭に着きます。主郭周辺は地形を活かして削り高い切岸にしています。登城路以外の曲輪はかなり鬱蒼としていて散策は難しいです。前投稿の孫次山砦は主郭の北側下段の曲輪から接続しますが切岸が高くロープ無では降りれそうにありません。

<満足度>◆◆◇
 

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けむん

脇本城登城 (2023/05/04 訪問)

関東からは、なかなか来るのが大変な城です。内館地区は、木が無く整備されていて、山城の頂上の雰囲気が味わえて良いです。遠景で見える風力発電の風車群とのコントラストは、現在の地方の状況と合わせると感慨深いものがあります。

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けむん

古代史の勉強になりました。 (2023/05/04 訪問)

続100名城スタンプ目的の訪問でしたが、歴史資料館の展示が良かったです。

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カズサン

見所の本丸大空堀はツツジ満開 (2023/05/02 訪問)

 大島城のもう一つの見所は二の丸と本丸の間にある大空堀です、現在ツツジが植栽されて満開をやや過ぎたところ、今年は桜もツツジも咲が早いようです、5月の時期ですから7年前と同じく鯉のぼりが群れ泳いでいました、本丸跡は明日のツツジ祭りの準備中、藤棚の藤も今盛り、こちらのエリアは大勢に人で賑わっていました。
 本丸、二の丸、二の丸馬出を廻り、新緑若葉樹林に包まれる武田氏築城の城跡を久しぶりに堪能しました。
  
 次は今回の日帰り伊那路城散歩の最終目的城跡高遠城を目指します。
 

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カズサン

見所の丸馬出二重三日月堀周辺 (2023/05/02 訪問)

 日帰り伊那路城散歩6城目、松岡城を終えて6~7km程北上し天竜川西岸の大島城へ、平成28年5月2日から7年振り奇しくも月日が同じ2度目の登城です。
 駐車場は以前から整備されトイレ完備、資料ボックス、資料衝立至れり尽くされています、翌日3日は台城公園のツツジ祭り、混む前日でラッキーでしたが人出は多くて賑わっていました。

 大島城の見所の一つは、大手丸馬出と前面の二重三日月堀、現在丸馬出内は民家が建っており入れませんが、丸馬出の虎口が北と南に、三の丸内部に続く枡形虎口が構えています、丸馬出に続く三の丸南西角に櫓台が控え横矢が掛ります、三の丸の南側には切岸と横堀が天竜川まで伸びています、樹木竹林が伐採されて見やすくなっています、また三の丸の丸馬出裏の外堀も深く広くて見ごたえあり、北西角に小馬出が大手丸馬出を守るように控えています。
 
 もう一つの見所は本丸・二の丸間の大空堀は続きで投稿します。
 

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イオ

【かるた】彦根城の読み札と絵札

比類なく 華麗な天守 彦根城

小ぶりな天守に、あの巨大な姫路城大天守をも上回る数の破風を設け、見る角度によって表情を大きく変える比類なく華麗な天守。さすがは国宝ですね。

足軽も 庭付き戸建て 彦根城

多くの藩では足軽は長屋住まいが一般的なんでしょうけど、彦根藩ともなると庭付き一戸建てなんだなぁ、と感心した覚えがあります。大外堀にあたる芹川沿い、大坂方や西国大名に対する最前線を担わせるだけの待遇をした、ということでしょうか。
 

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー64城目 (2023/04/15 訪問)

猿沢城からの転戦です。桜はほぼ終わっていました。ピクミンブルームのビッグフラワーで櫓や門の名称を確認しながら楽しみました。中世の土の城の部分も今回が一番時間をかけているかとおもいます。9時に合わせておしゃぎり会館にて無事、スタンプをゲットすることができました。

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