くげたじょう

久下田城

茨城県筑西市


旧国名 : 常陸

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「小栗城」。 (2024/04/13 訪問)

「久下田城」から「真壁城」に向かう途中に『城址入口』の立派な石碑を見つけ、ちょっと寄り道しました。
因みに、この時は何城か分かっていません。
石碑の大きさからいって、保存会の方々や自治会で大切にされている事は分かります。
向かって右側に『内外大神宮』があり、その周辺がお城跡かと思い向かいました。
車に戻る途中に、小さな手書きの案内板に「小栗城」とありました。
帰って来て「小栗城」を調べたら、私がうろうろした『内外大神宮』の奥に大きな「小栗城」がある事が分かりました。

「小栗城」は築城時期は不明ですが、古河公方の足利 成氏さんに攻められ落城しました。
その時の城主、小栗 満重さんと子の助重さん(小栗判官)が三河に落ちたそうです。
助重さんは、毒酒で殺害されようとするが、姫に助けられます。
助重さん、この事で目も見えず、耳も聞こえず、口もきけない身体になりましたが、熊野の湯治で回復し、姫と仲良く暮らしましたとさ。
このお話は歌舞伎の演目にもなっているそうです。

茨城県 筑西市 小栗に「小栗城」があります。
石碑周辺に駐車できました。
筑西市は12月に『小栗判官祭』を開催しているようです。歴代の判官役の方々が有名人でした。
『小栗判官祭』、見てみたいな~。

入口しか見てないので再訪を誓う「小栗城」攻めでした。

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チェブ

明るい時間に謎解き。 (2024/04/13 訪問)

1545年、「下館城」城主 水谷 正村さんにより「久下田城」は築かれました。「下館城」の支城として、宇都宮氏に備えます。

「久下田城」、薄暗いとの投稿で避けていたのですが、桜のシーズンだし、意外と花びらでビンクかも。と、楽観的にお邪魔しました。

写真①②を見つけ、案内板の矢印の方向に向かうと道はどんつき。左折し、振り出しに戻るを2回ほどしました。どんつきを右折して、細い道を左折しました。
案内板からの道は、車が すれ違い出来ない位の道幅です。
写真⑨の橋を渡り「久下田城」に到着しました。
郭になると思いますが、こちらに車を駐車しました。
確かに薄暗いですが、やっと見つけた「久下田城」ですので、郭をグルッと回りました。
桜の木も、やや控えめに花びらを散らしていました。
土塁や堀が残ってます。写真⑨に戻ると、土橋だったのか両脇は堀になっています。

『久下田城絵図』がありました。
文字が薄くなっていて、現在地が分かりません。
でも、絵図の色別はたくさん区切ってあります。
よーく見ると、『空家』の文字。

『空家』って、、、?
今でも使われている館があるのか、気になる「久下田城」攻めでした。

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水谷蟠龍斎政村 (2024/05/03 訪問)

 藤原秀郷が平将門追討の目的で築いた上館、中館、下館の中で上館にあたると伝わっています。戦国時代には下館城主水谷蟠龍斎政村が宇都宮氏に対抗するために築城しました。当時はかなり大規模な城であったようです。
一部ですが、土塁と空堀が残っています。主郭周囲しか散策していませんが、他にも遺構が残っているようです。
 真岡鐡道久下田駅から徒歩15分くらいで行くことができます。

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todo94

上館 (2023/12/10 訪問)

間に小栗城をはさみつつも、下館、中館とセットで上館を攻略できてしてやったりです。下館、中館、上館の中では上館・久下田城が最も空堀、土塁といった遺構が残っていて城としての風情を感じることができました。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 水谷正村
築城年 天文14年(1545)
主な城主 水谷氏
廃城年 元和元年(1615)?
遺構 曲輪、横堀(空堀)、横堀(水堀)、土塁
指定文化財 県史跡(久下田城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 茨城県筑西市樋口字城山221
問い合わせ先 筑西市生涯学習課
問い合わせ先電話番号 0296-22-0182