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六連続の堀切 (2023/11/23 訪問)

 村上氏の支城であったと考えられています。
主郭背後にある6連続の堀切が見どころです。狐落城から尾根を登って来ると堀切があり主郭に到達します。主郭の面積は狭く周囲にも平坦地はないように思われますので多くの人数は籠れなかったのではないでしょうか。主郭から水の平経由室賀峠と書かれた標識に従って尾根を降りて行くと6連続の堀切があります。浅くなっているものもありますが、ある程度の深さを保っている堀切もあり楽しませてくれます。そのまま尾根を歩いているとまた堀切がありました。そこで退き返し主郭に戻り東尾根に下りて行くと2連続の堀切がありました。堀切が魅力的な城址です。
 狐落城からは30分くらいかかりました。急峻でロープを伝って上り下りしますが、落ち葉が堆積して歩きにくかった。昌官忠さんも転倒したと投稿されていましたが、自分も特に下りるときは滑って一度尻もちをつきました。ロープにつかまっていたので大事にはいたりませんでしたが、登城路も尾根の両側も急峻で落ち葉の堆積で足場が不安定なため少し緊張感がありました。
主郭からの眺望はすばらしく葛尾城、出浦城、和合城などを観ることができます。

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くうくう

春日山城から関東へ抜ける要衡の地

南北朝期に築城、南朝方風間信昭の居城として知られる。時代が下って上杉支配下の城となり、春日山城支城として機能した。
標高344mの山城。100m下には駐車場があり遊歩道もあって見学しやすい。尾根に段郭や堀切があり、比高感のある縄張は堅城を思わせる。西尾根の連続した堀切などはよかった。主郭は90m×40mの羽子板形で切岸がよく効いていた。眺望もまた良かった。

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しんちゃん

城は小振りだが様々な堀切があって楽しませてくれる。 (2023/11/19 訪問)

武居城は三村氏によって築かれた城で標高871m、比高65mの尾根の先端部に築かれており武居城公園として整備されています。すばらしい遺構を残す城で、麓に駐車場があり、冠木門の奥の害獣除けのゲートを開けて登城道に入ります。いわば二重のゲートになっているわけですが、山頂部に残る二重の三日月(V字型か?)といい、二重というワードに縁のある城です。少し急ですが登城道はとても登りやすい。上まで登ると本丸西側の帯郭に畝状竪堀が取りついています。明知城ほどではないですが、これがなかなか「ごん太い」。その先は三日月状の二重堀切がお出迎えです。北東の郭を見た後、本丸に向かうと先ほどの二重堀切と別の大きな堀切が出迎えてくれます。なかなか堀切豪華な城で実に楽しませてくれます。主郭の南側には謎の石群が残り一段下がって二の郭に続きます。二の郭の南は大堀切で遮断し、尾根の先に重ね城があるらしいのですが、もう十分楽しませていただいたのでパスさせていただきます。

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狐落としの城 (2023/11/23 訪問)

 葛尾城に本拠を置いた村上義清の支城の一つで、三水城の出城といわれています。別名「狐落としの城」といわれています。狐が落ちるほど急峻な山ということで、この名がついたといわれています。実際、急峻です。
登城口には標柱がありわかりやすくなっています。登って行くと十六夜観月殿があり遊歩道が整備されています。尾根を登って行くだけで迷うことはありません。途中までは傾斜もそれほどはないのですが、「山之神」の標識がある石を過ぎた頃より急峻になります。ありがたいことにロープがあり、それを利用して登って行くと浅くなった堀切のような地形に辿り着きました。その上が二の郭で説明板があります。すぐ上に主郭があります。二の郭と主郭の周囲には石積みが少し残っていました。平坦地は狭く多くの人数の滞在は難しいと思われます。主郭から三水城へ向かう尾根には複数の堀切があり楽しませてくれました。
晩秋ということもあるでしょうが、かなり落ち葉の堆積があり足を取られて難渋しました。登城路も急峻ですが尾根の両側も急峻です。といっても山城あるあるですが、落ち葉で足元が不安定で少し怖かったですね。

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しんちゃん

上杉家米沢30万石の中心地。 (2021/05/02 訪問)

米沢城は最上川の西岸に築かれた平城で上杉家米沢30万石の居城になります。かつては本丸の周囲に二重の堀が巡らされ、二の丸もあったようですが、現在は本丸跡に上杉神社が鎮座し、水堀と土塁が残っています。天守は築かれませんでしたが、江戸時代コツコツと馬場や御座の間、寺院、南門を増築し明暦二年(1656)に城中の並居土手に植林をして上杉家の本城としての面目を保ったそうです。やはり江戸のご機嫌をとりながらコツコツと工事を進めていったのでしょうか。

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小城小次郎

蜂須賀党は野盗ではない (2023/04/15 訪問)

弘法大師開基とされる古刹で蜂須賀正勝・家政父子の菩提寺でもある蓮華寺付近が故地と言われ土塁・堀状の遺構も残るがこれは蓮華寺自体の遺構かも。野盗上がりと揶揄される蜂須賀家は鎌倉以来の立派な武士なので念のため。

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しんちゃん

最上家の御家騒動&断絶で廃城。陣屋となる。 (2021/05/02 訪問)

山野辺城は慶長六年、山野辺右衛門大夫義忠によって築かれたとされています。丘陵地に築かれた平山城で本丸の周囲に二の丸が配され、かつては四の丸まであったらしく、周囲に二重の堀が配され、さらに西側にも堀が配されていたそうです。最大四重の堀と出丸まで備えた強固な城だったそうですが元和7年の最上家の断絶と共に領地を没収され城も完全に破壊されたそうです。その後、1812~1863年にかけて棚倉藩主阿部氏の陣屋が二の丸あたりに設置されたようですが今は小学校跡に石碑が残るのみです。

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chiroru

お散歩しながら天守に到着 (2023/11/23 訪問)

大垣駅から水門川沿いを歩きながら、大垣八幡宮の自噴水大垣の湧水を見させてもらい、南下しながら天守目指します。
天守が見えるだろうという想定で歩くのですがそこそこに建物やなにかでなかなか見えないの。
大通りに向かい、「史蹟大垣城跡」の石碑を見つけ見た先には東門と天守がお出迎でした。

東門の石垣観察。石垣は石灰岩が多く用いられているというのも珍しいのでかなり近くでゆっくりと見ながら刻印も見つけながら
楽しみました。

天守の中は子供たちも楽しめるクイズもあり、大垣城にゆかりのある史実の紹介パネルなんかも充実していると思います。

鉄門の跡、明治29年の大洪水点、おあむの松、水之手御門、広場からの戸田氏鉄公銅像と天守のフォトスポットと歩く。
コンパクトなのですが、石垣も立派だし天守が戦災で焼失しなかったらなんて思いながらみるといいですね。

お昼前に大垣に着き食事済ませてから登城しようと考えていたのですが、先に登城したくさん歩いてお腹が空いて。
大垣は「枡」の生産日本一。その枡を食器で利用しお料理も楽しめるランチで心身満たされました。

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カズサン

西の丸発掘石垣の現状確認出来ました (2023/11/23 訪問)

 平成27年10月に発掘調査されて発見された西の丸Ⅰ下段の南側の石垣が大注目されましたが、8年経って見学は出来るのか?確認のために二の丸と南の丸Ⅰの間の堀切から下へ西の丸のエリアに成ります、上から竪堀、上段の曲輪、中段の曲輪、下段の曲輪と続き昔の名称で井戸曲輪、西へ続くと天竜川の大堤防へ出ます、大堤防からは歩いて鳥羽山城へ続く道が有ります。
 発掘発見された西の丸の南側の高石垣は、中段の遊戯施設のある曲輪の東切岸側から降りる道が有るようです、が草が少し茂りパス、下段の東屋の有る段、西石垣裾を通りモルタル護岸の裾を落ち葉と狭く慎重に降りて護岸格子状コンクリ上お歩き、目的の高石垣へ、踏み込むエリアが狭く写真を全景撮れません、草も刈られてよく観察する事が出来ました、引き返しも慎重に一歩一歩確認しながらの歩行。
 西の丸への遊歩道は経年変化なのか傷んできています、また西の丸の曲輪は竹林で見ずらく案内板無し、石垣へは案内指示板案内板は有りませんので最新の二俣城・鳥羽山城探訪マップでご確認ください。(天竜区役所、浜松市役所文化財課で入手は可能かと)
 
 草が枯れて草刈手入れされて居れば降りる事は大変ですが見る事は出来ます、が慎重に探訪してください。
 

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しんちゃん

小高い崖の上の町全体が城址。 (2021/05/02 訪問)

小漆川城は左沢(あてらざわ)小漆川城とも呼ばれる台地上に築かれた城です。城域一帯が宅地となっている面白い城跡で北と東を小漆川が流れ西には百閒堀が縦断しています。南にはうるし川(月布川)とその支流が流れ百閒堀とつながっているようです。本丸のあたりに城址碑と案内板(新)が立ち、北側は険しい断崖になっていてコンクリートで補強してあります。西の巨海院には移築した大手門があります。小漆川端を渡って北側からみると町全体が丘陵の上にあり、それが城跡であることが良くわかります。最近訪問した城だと飯田城がそれに近いですね。最上氏の改易に伴い鶴岡藩主酒井忠勝の弟直次ぎが一万二千石でこの地に入り左沢藩を興し、城を築きましたが寛永8年(1631)に嫡子の無いまま早逝したため改易となり城も慶安元年(1648)に取り壊しになったそうです。

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しんちゃん

遺構は少しわかりづらいが堀切が北から北西側に残る。 (2021/05/02 訪問)

高楯城は標高356.3mの虚空蔵山に築かれていて、ハイキングコースにもなっているようです。主郭には虚空蔵尊がまつられているお堂があって、弁慶水と呼ばれる水たまりがあります。案内板も古く少し縄張りがわかりにくいのですが、主郭の北西から北側にかけて帯郭や腰郭が広がり、一号堀や二号堀があり登城道から確認できます。東から南に関しては特に遺構は無さそうです。案内板を見ると主郭一号堀のさらに北西側に白土平がありその北側を白戸平一号空堀が東西に走っているようです。

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カズサン

紅葉を求めて令和5年霜月 (2023/11/23 訪問)

 二俣城跡の紅葉は如何かなと勤労感謝の日出掛けました、北曲輪下の駐車場は満車、如何した事か?普段は私一人か多くて1、2台、帰りの方だいらっしゃって入れ替えで駐車する事が出来ました、入口付近も車で混んで13台の駐車初めての経験。
 本丸には大学の研究者が4人で北門跡の石垣調査、石一個づつ岩質の調査をしておられました、将来のお城博士か?お母さん、お父さんと小学生が二人で城探訪、家族ずれ、友達と城跡ウオーキングで二俣城から大堤防を通って鳥羽山城へ、兎に角普段に無い人の入りでした。NHKの大河ドラマの影響でしょうか?すごい事です。
 紅葉の方は今一ですが、処により紅葉、紅葉前、銀杏は黄色く紅葉、銀杏は今が盛り、楓はもう少し後かな12月に入ってからでしょうか? 本日撮影した写真を投稿します。
 1時間ほどの散策でした。
 

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しんちゃん

国史跡。麓の居館跡も立派な石垣が残る。 (2021/05/01 訪問)

坂戸城の築かれている坂戸山の麓には居館跡の石垣が残っています。西側の石垣のみが残り、中央に開口部があり北側と南側の石垣に分かれています。御館の乱の際に春日山城から上杉景勝が坂戸城の普請の強化を命じており、現在坂戸城に残る遺構はその時のものとされています。石垣は麓の居館と実城の北側と東側に残されているようですが、実城の石垣を見損ねてしまったようです。これからチャレンジする方はお見逃しなきように。

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しんちゃん

比高473mのガチの山城。上杉景勝ゆかりの城。 (2021/05/01 訪問)

坂戸城は標高634m、比高473mもあるかなりきっつい山城です。御居間屋敷跡を経由して薬師尾根コースで登りましたが、登りで80分はかかります。城域もそれなりに広いので、この季節だと早めに登城する必要があると思います。坂戸山の最高所に主郭があり、通称・実城で通っています。実城の周辺にはカタクリの花が自生していて、季節に応じて散策には気を使う必要があります。実城から尾根沿いに南東の方向に小城・大城と続いていて小城には土塁が残ります。実城の北側には主水郭があります。比高が473mもあるので眺望はどこからでも良く、集落や周囲の山々を見渡せます。天気の変わりやすい山らしく登城の時はピーカンに近かったのですが下山するころから雨がひどいどしゃぶりになってきて酷い目にあいました。個人的には念のため雨ガッパを持っていくことを推奨したいですね。関東管領上杉家の家臣・長尾氏が守護代として入っていた城で、長尾政景の子・景勝が上杉謙信のもとへ養子に入る前に居た城のようです。

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じゅんじん

多門寺 (2023/11/04 訪問)

お寺になっています。

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じゅんじん

神社 (2023/11/03 訪問)

神社と主郭の間に堀切があります。

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じゅんじん

ホテルが消えた (2023/11/03 訪問)

ホテル九重が無くなっていました。パルパルは盛況です。

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ダイエティシャン

11月25日、26日イベント (2023/11/06 訪問)

尾高城跡が国史跡に指定されました。立ち入り禁止の私有地の本丸、二の丸も貴重な城跡が残っていたそうです。今後、米子城跡と共に整備、活用される事を願っています。

イベント開催!
11月25日、シンポジウム(無料、要申込み)、11月26日13時~15時 現地説明会(無料、申込み不要)

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橋吉

ハイキングコース (2023/11/11 訪問)

大河ドラマで関ヶ原の合戦が行われた前日、佐和山城登城にリベンジ登城しました。
佐和山城跡はハイキングコースにもなっており、その出発点には立派な駐車場が整備されています。また、ここでパンフレットをもらい、ガイドに簡単な説明を受けました。

駐車場向かいにある龍潭寺総門脇にハイキングコースの入口があります。
龍潭寺の山門をくぐり、大洞観音堂の右脇を進むと、登山道の始まりです。

しばらく登り、尾根に出るとすぐに西の丸です。
西の丸は階段状に3つの曲輪がありますが、樹木が生い茂っていてわかりにくいです。

さらに、進むと本丸です。
駐車場から30分ほどでした。
すぐ近くに彦根城が見えます。

ハイキングコースは以上でしたが、帰宅してから調べてみると、他にも二の丸,三の丸,太鼓丸,法華丸などの曲輪があったみたいでなかなか立派な城だったようです。

せっかくなので、龍潭寺へも参拝しました。
井伊家の移封にともない遠州から呼び寄せたようで、浜松の龍潭寺と似た雰囲気があります。

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赤い城

栗林公園の敷地 (2023/11/12 訪問)

栗林公園背後の室山山頂部に城趾があります。
登城口はいくつかあるようですが、南西にある奥ノ池のほとりの説明板から鳥居をくぐって進んだところにある山への登り口からのコースで登城しました。
少し登ると「室山→」の小さな案内板があります。
やや急な道をつづら折りに登ります。
いくつか分岐点があるものの基本的には上向きに。
途中には石も転がっていました。
ひたすら登ると削平地に、四郭のようです。
四郭と主郭の間には土塁、この土塁はL字型で主郭を守っていて、内側には石積も見られます。
眺望は、というとこれは残念、木々に覆われよくありませんでした。
主郭の東西には腰曲輪が並んでいます。
東側の腰曲輪には石積も見られました。
北側にニ郭、三郭と連なっておりこの辺りまでが城域かな?
さらに進んでみると古墳が並んでいます。
この古墳も物見として利用されていたのかもしれません、しらんけど。

室山は栗林公園の敷地内でハイキングコースとして整備もされています。
ただし、帰りに選んだ四郭から南側に降りるコースはずっとロープが張られている急斜面。
小さな腰曲輪を見る余裕もありません。
こちらから登ることを想像すると・・・。
香西氏に属する太田氏が入った城、派手さは無いですが遺構が良好に残る城でした。

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