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にのまる

「るの門」 (2023/09/19 訪問)

早朝4時起きで準備をしつつ城びとの投稿欄をひらいてみると「特別版 お城EXPO in 姫路」に行かれて城びとスタッフさんとお話しされた朝田さんのご投稿。シャンシャンさんのご投稿も続いています。イオさんのとことんシリーズも連載中で、特別公開に行かれたtodo94さんのご投稿も直前に。
と絶賛盛り上がり中の姫路城に行ってきました。

姫路駅に着いたのが午前10時少し前。
駅にあった模型でイメージをふくらませ、観光案内所でマンホールカードをもらってから徒歩で向かいました。
厳選24城スタンプ帳の押印と城カード購入を済ませ、昨年修理を終えて真っ白になった菱の門を抜けたら、人の流れに逆らい右へGO!

クイズに完敗したあの日から7か月。(スルーした日からは1年3か月)
ついに「るの門」に到着しました。

門の前には<まわれ右!>の大きな赤い矢印とともに『ここからは天守に行けません。菱の門にお戻りください。』の文字。
先刻承知。
天守に行きたいのではなくて、門そのものが目的なので菱の門には戻りません。
ドキドキしながら、「初・るの門」くぐりましたヽ(^o^)丿

この礎石、この刻印、この階段……!
いやというほど写真で確認した光景が目の前に。
小さな穴門ですが、私にとってはやっとたどり着いた凱旋門のような存在です。
すぐに報告したくてその場で投稿してしまいました^^;

しばし感動に浸ったあとは現場検証にとりかかります。
前回の敗因は、やはり『出口はこっち→』の案内板。
城内をさんざん歩きまわった最後の最後にこの案内板を見れば、「ぬ」の次が「を」であることに疑問をもったとしても、大概、素直に案内に従うでしょう。世界遺産がそう指示しているのだし、疲れているから無駄に歩きたくないし。
実際、「ぬの門」から出てくる人の流れを観察していると、ほんとうにみなさんもれなく「をの門跡」に流れていきます。中には「るの門」のほうを気にしている風な人もいましたが、誰ひとり進んだりはしていません。ルールをきちんと守る日本人、すばらしい!

そこで何だかちょっと試してみたくなって、「ぬの門」から10人くらいのグループが出てくるタイミングを見計らって、その方たちの視界に入るように「るの門」の方へ進んでみました。
すると、たちまちそのグループがばらけたのです。
「出口そっちじゃないよ。」
「こっちにも何かありそう。」
「あの人が行っているから行けるかも。」
「無理じゃね?」
「ちょっといってみようか。」
おそらく心の声はこんな感じです。

そして立ち止まった何人かの方が「るの門」へと向かってきました。
(やった!!!)

「るの門」はここに来るまでに通った10以上の門とまるで違う雰囲気の、石垣の石をくりぬいたような穴門です。
小学校低学年くらいの男の子が
「すごい!洞窟がある!!」
と叫んでいるのを聞いた時には、じわじわとこみ上げてくるものがありました。
この男の子、自分の足と目で見つけた「るの門」のことはきっと忘れないでしょう!
(但し「をの門跡」を見逃した可能性あり。)

こんなに感動的な「るの門」なのに、『天守には行けません』『出口ではありません』と前後をやんわりと塞いでいるのは、大勢の観光客が小さな「るの門」に押し寄せてしまうと滞留してしまうからなのでしょう。
……と思ったのですが、
敵に気づかれにくい門、抜け道として築かれた「るの門」です。そのことをリアルに体験させてくれるためにあえて「ここからは天守に行けない!」「出口はあっちだ!」という表示を出しているのだとしたら!?
訪れる者に、今なお巧妙な手口で仕掛けてくる姫路城。すごすぎる……。

<夏の特別公開へつづく>

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hilocix

10月1日(日)「九戸城まつり」が開催されます!

今年4月29日に本丸が一般開放された九戸城跡でイベントが開催されます!
・九戸城跡とその周辺を対象エリアとした「リアル謎解きゲーム」(11:00受付開始、12:00スタート)
・お城好き気象予報士 久保井朝美さん「城萌えトークショー」(15:00~)
・「九戸城で星を愛でる会」(18:00~)
など盛りだくさんの内容です。謎解きゲームには久保井さんも参加します。是非、秋の九戸城へお越しください!
◆料金:無料
◆謎解きゲームのみ事前申込必要(100組限定・1人から参加可) 申込は九戸城イベント実行委員会(TEL:0195-27-2540)まで。

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カズサン

宮沢遺跡に西隣接する藩政時宮沢要害 (2023/09/17 訪問)

 宮沢遺跡探訪を何年振りかの願いを叶え、西に隣接する(直線で300m程)宮沢城(鵜ヶ城・宮沢要害)を初登城しました。

 駐車場:曹洞宗上郡山光岳寺の参拝者駐車場を利用させて頂きました。(田圃畦道を通って近そうでしたから)
 参考資料:城郭放浪記さん、古城盛衰記さん、余湖図コレクションさん、グーグルマップに依ります。

 宮沢遺跡から新庚壇集落入口(県道165号線沿い)在る宮沢城の解説板を確認撮影して、駐車場と狙った光岳寺を目指す、光岳寺の南に砂利舗装とアスファルト舗装の参拝者駐車場が有ります、参拝後駐車場から黄金色に実った田圃の畦道を杉が林立した宮沢城跡へ100m程の近さ、近くで良く分かります、南から東へ北へと田圃道を歩き北東に微高地丘に登り畦道を東へ、杉林の中に小高く鹿嶋・八幡神社が鎮座、その東に本丸土塁が残って居ます、特に案内板は有りません、東が本丸堀跡と思われる低地、すぐ住宅街へ、住民の方がいらっしゃたので、本丸土塁以外の遺構は有りませんか?と尋ねたら「特に在りません」との返事。
 宮沢城の解説板を見ると本丸二の丸は輪郭式三の丸に当たる南屋敷東の下中屋敷群は梯郭式で水堀で囲まれて更に湿田、沼?さいかち川に周囲を囲まれて厳重な護り。伊達軍の攻撃を阻止したと言われる要害の地です。

 歴史は平安の頃藤原秀郷が拠った所、戦国の頃は大崎氏が拠り、江戸期は伊達氏の宮沢要害として長沼氏が入り明治を迎える。詳細はぎりょうさんの投稿(2020/11/01)、宮沢城解説板写真をご覧ください。

 駐車利用した光岳寺と上郡山氏のつながりが由緒に書かれて居ましたが墨がかすれて良く分かりませんが伊達氏山形米沢に居た頃、山形長井の出身と何となく分かりました、山号を上郡山としたのが分かりました。

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イオ

「姫路の消えた歴史書」 (2023/09/18 訪問)

「特別版 お城EXPO in 姫路」の関連イベントとして紹介されていた姫路城下町周遊型謎解きイベント「姫路の消えた歴史書」は、松丸亮吾さん率いる謎解きクリエイター集団RIDDLERが企画した謎解きイベントで、「今夜はナゾトレ」をいつも観ている子どもが松丸くんの謎解きイベントをやってみたいというので挑戦してみました。

まずは姫路市内各所で無料配布されている謎解きキットを入手し、お試し問題を解いて「守鎮」と名乗る人物とLINEでやり取りしながら謎を解いていきます。謎を解くと謎解きキットのMAP上で行くべき場所が示され、そこに行ってまた謎を解く…を繰り返して姫路城下町を周遊しつつ謎を解き明かすというイベントです。自力では解けない謎もいくつかありましたが、守鎮に「むずかしい」とLINEすればヒントがもられるので詰まってしまうことはないと思います。

私の場合、イーグレひめじ4階の姫路市国際交流センターで謎解きキットを入手し、姫路城内の某所 → 姫路駅前の観光案内所 → アクリエひめじとたどって謎を解き、最後の難問も(ヒントをもらって)解いてCLEAR! …と思ったら、最後に「まだ手伝う?」の選択肢が表示され、希望すれば追加の謎解きに挑戦することもできます。子どもは俄然やる気だったので、お城EXPOを退城した後に追加の謎を解くため姫路城下町を歩き回りました。そして日が傾きはじめた頃に全ての謎を解き明かし、CLEAR GOLD! 頭を悩ますだけでなく歩き疲れもしましたが、子どもの楽しそうな様子が見られたのが何よりでした。

謎解きそれ自体もよく考えられていますが、城下町をあちこち歩いて姫路の歴史に触れ、関心を持つ機会になるという意味でもいいイベントだなぁ、とも。ただ、追加の謎解きにも挑戦するとなると城下町を広く移動することになるので、徒歩よりレンタサイクルがおすすめです。先日の堀めぐりでのルートと重なる箇所も多かったので、堀めぐりしながら謎解きというのも一石二鳥で良いかもしれません。11月末まで開催されていますので、謎解きに興味のある方はぜひ挑戦してみて下さい。

「姫路の消えた歴史書」特設サイト(https://st.riddler.co.jp/himeji_castle_2023/)

また、お城EXPO入城者には入城口で限定ミッション「歴史書の謎」が配布されていました。こちらもなかなか手強く、最後の謎はヒントに頼って何とかクリアカードを入手できました。本編の最後の難問も自力では解けませんでしたし、謎解きは嫌いじゃないんですが……下手の横好きというやつですかね(笑)
 

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しんちゃん

洞雲寺には桜尾城ゆかりの人物の墓がある。 (2020/01/05 訪問)

桜尾城は宅地化が進み主郭が桂公園として整備されています。厳島神社の神職
周防前司(藤原)親実が嘉禎元年(1235)安芸国の守護となり代々、桜尾城を
拠点としていたものと思われます。後に神主家が断絶になり、大永3年(1523)
友田上野介興藤が大内氏に反旗を翻し桜尾城に入りますが二の丸まで攻め込まれ
大内氏に臣従することで講和が成立しますが、天文10年(1541)尼子氏が吉田郡山城を
攻撃したのに呼応して、再び大内氏に反旗を翻します。4月5日には桜尾城は落城し
上野介は切腹したとのことです。廿日市市の洞雲寺には桜尾城ゆかりの人物の墓があり
藤原興藤、毛利氏の城代を務めた桂元澄、後に城主となった穂田元清(毛利元就4男)
夫妻の墓や陶晴賢の首塚などがあります。

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しんちゃん

三城城 (2020/01/02 訪問)

三城城は日本最初のキリシタン大名、大村純忠が富松大権現の傍らに築いた城で
慶長3年(1598)純忠の息子喜前が玖島城に居城を移すまで、34年の間、大村氏の
居城でした。本丸には独特の形状をした忠霊塔が建てられ、北東から南東にかけ
空堀が残っているようです。

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しんちゃん

大村純忠史跡公園 / 坂口館跡 (2020/01/02 訪問)

大村純忠史跡公園(坂口館)は日本初のキリシタン大名、大村純忠が最期を迎えた
場所で、小さな史跡公園として整備されています。キリシタンに改修した後は
大村領で強引にキリスト教への改衆を進めていきましたが、彼自身は敬けんなキリシタンで
あったことは確かなようです。長崎をポルトガル人に解放し、キリスト教への改衆を
拒否した者を奴隷として海外に売り渡していたとする記録もあるようで、後に豊臣秀吉の
怒りを買い、伴天連追放令の原因になったと言われています。

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織田晃司

インター降りて (2023/09/16 訪問)

近くの大津山阿蘇神社の裏山になります。
大津山自然公園となっており遊歩道が整備されております。

しかし写真の石垣を見ようと思えば遊歩道を脱線するようになります。(見学は自己責任で…)

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織田晃司

インター降りて (2023/09/16 訪問)

近くにあります。

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カズサン

【陸奥宮沢遺跡】宮城県大崎市 奈良時代の城柵・官衙跡 (2023/09/17 訪問)

 東北道建設時に発掘調査され発見された奈良時代の城柵、官衙の跡と史料文献などは乏しいとの事、東北道によって西と東に分断されているが、国指定史跡に指定されてよく整備されている。

 住所:宮城県大崎市古川宮沢新庚壇86-3(愛宕山)
 駐車場:西地区の新庚壇集落より東に突き当たった個所に2台の駐車エリアと解説板と大看板がある。
 参考資料:城郭放浪記さん、古城盛衰記さん、グーグルマップに依る。

 城郭放浪記さんのブログを毎日閲覧しており特に「昨日のTop10」は注目し皆さんの検索の多かった城郭が10城並びます、初めて認知する城郭はブログを開き確認勉強、などを繰り返していました折に「宮沢遺跡」がヒットし頭の隅に入れて置きましたが、中々訪ねる事も出来ず、秋9月城廻シーズンと成り、各種行事の詰まってる中、秋雨前線の様子など天気予報を確認しながら17日18日の宿予約を取り16日夜高速走行で宮沢遺跡と東北道沿い未踏の城探訪に出掛けました。

 宮沢遺跡の規模は東西1400m南北850mに及びます、分断された西地区の頂部には櫓台のような土壇が有り、西裾には版築塀跡、間が横堀に見えます。
 東北道のトンネルを潜って東地区愛宕山へ頂部には立派な宮沢遺跡の碑が立っています、南東の裾野には発掘された建物跡の地表表示が多くみられます、学習広場、トイレもあります、また北側には「広い砂利舗装の駐車場完備」。
 東地区の山稜部には桜が植えられて春は見事な景観でしょう、未整備の北、東側が残って居ます。
 やっと探訪する事が出来ました。
 

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尼子山城 (2023/09/19 訪問)

お城エキスポin姫路の下調べをしてたら、「西播磨の山城へGo」が引っ掛かってきました。西播磨に「尼子」って、と気になりました。挙げられていた西播磨の山城の中でまだ行ったことがなかったし。
出雲の尼子氏が、晴久の代に因幡、美作、備前も支配下にして、その東側の西播磨に侵入してきました。嘉吉の乱で赤松氏が最後の抵抗をした城山城を尼子氏は播磨支配の拠点にして、赤穂平野を見下ろすこの山にも城を築き、尼子山、尼子山城になりました。
尼子義久の代になり、毛利軍が攻めてきましたが、自然の要害に阻まれ落とすことができず。老婆が、裏道を教えて落城したと伝わります。山城あるある?
この付近で一番高い山であり、山陰になって赤穂城は見えないものの、瀬戸内海と家島諸島が見えます。山体は、流紋岩質凝灰岩。日本列島がまだ大陸の一部であったころの巨大陥没噴火(コールドロン)由来の岩を千種川が浸食して急斜面の山を作りました。
麓から、頂上が平らな、山城向きの山と見受けられます。山頂に近づくにつれ巨石ゴロゴロで、岩場を登ります。本丸から少し降りたところに、現在も湧水地があります。かつての井戸とは違うようですが。

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イオ

特別版 お城EXPO in 姫路 (2023/09/18 訪問)

「特別版 お城EXPO in 姫路」3日目に行きました。もともとは一人で行くつもりでしたが、堀めぐりは7月にしてしまったし、どうしようかと考えていると、子どもが「松丸くんの謎解きイベントをやってみたい」「くまモンにも会いたい」というので、家族で行くことに。

姫路に着いてまずは謎解きイベントに挑戦し、昼食(まねきのえきそば)を摂ってからアクリエひめじへ。アクリエひめじに至るスロープ脇の植込みには姫路城外堀の石垣石が展示されていました。説明板によれば敷地内には他にも7箇所に石垣石が設置されているそうで、全部探してみたいのは山々なれど、家族に呆れられるので我慢我慢…。すぐ近くまで来ていたんだから、先日の外堀めぐりの時に存在を知っていればなぁ…。

入城すると、当日パンフレットと一緒に受け取った謎解きイベントのお城EXPO限定ミッションに挑戦しつつ、まずは親子向けとされる「姫路城の基礎知識&お城クイズ」に参加しました。城びとの連載やテレビなどでいつも拝見してはいるものの、実際に加藤理文先生にお目にかかるのは初めてだ…と感慨深い私に対し、子どもの注目はマスコット役で登場したしろまるひめ。「モチ」とも呼ばれるひこにゃんに劣らぬもちもちっぷりに加えて、意外に横幅があるため狭い通路を歩くときはカニ歩きになるなど愛嬌たっぷりでした。本題のお城クイズ(三択)は全問正解(うち1問は自信なし)できましたが、三国堀には池田輝政が改修した際の石垣の継ぎ目があるとの解説には、何度も目にしていながら見えていなかったことを痛感。それなりにわかっているつもりでも、こうして講義を受けると新たに知ることはいくらでもあるものですね。帰宅して過去に撮った写真を見直してみても、しっかり石垣の継ぎ目が確認できました。

続いては、くまモンのイベントステージへ。くまモンも写真や映像では何度も目にしてはいるものの、実際に見るのは初めてでしたが、一口にゆるキャラと言っても、ひこにゃんやしろまるひめはゆったりした動きであるのに対して、くまモンはステージ上を所狭しと駆け回り、飛び跳ねるわ、横になるわ、客席に降りて行くわとアクティブ&パワフルで、なるほどこれは人気があるのもわかるな、と頷かされました。お城EXPOのステージということで、くまモンは陣羽織を身にまとい、熊本城クイズなども出題され、ステージ後には子どもが「熊本城に行きたい」と言い出すほどでした(私も行きたい)。さすがは熊本県の営業部長、いい仕事をしてるな~。

くまモンの後は、子どもと家内が広島城のワークショップ「しろうニャハットを作ろう!」に行っている間に、城めぐり観光情報ゾーンへ。まずニッポン城めぐりでガラポンを回し(姫路城だけに千姫…はすでに居るので、越前北ノ庄城天守を)、その隣の城びとブースに行きました。お目当ては(朝田さんと同じく)「お城かるた」の進捗確認。サンプルくらいは出来ているのかしらん、と思いきや、当初想定していた箱のサイズに収まらないため見直し中とのことでした。100名城だと読み札+絵札で200枚必要ですし、百人一首サイズになりますもんね。

そして、城めぐり観光情報ゾーンや「姫路城世界遺産登録30周年記念展示」をひとめぐりしたところでワークショップを終えた子どもと合流し、お城模型展や大甲冑展を見学して(姫路城下町スクールサミットを忘れてた…)、お城EXPOはここまで。その後は謎解きイベントの続きで姫路城下町を歩き回り、姫路駅の播州うまいもん処で夕食(姫路おでんと姫路玉子焼き)を摂って姫路を後にしました。一人で来た時のように好き勝手に見てまわれない不自由はあるものの、ゆるキャラにクイズにワークショップと子どもにも楽しめる企画がたくさんあって、お城EXPOは家族で来ても楽しいですね。

…最後にお詫びと訂正?を。先日の外堀跡発掘調査現地説明会の投稿で「発掘調査の成果は「特別版 お城EXPO in 姫路」の「姫路城世界遺産登録30周年記念展示」でも紹介される」と書きましたが、見当たりませんでした。どこで聞いた(見た)話だったか今となっては確認できませんが、お城EXPOと同日から来年3月末まで開催されている姫路市埋蔵文化財センター主催の「姫路城世界遺産登録30周年記念展 姫路城」で紹介されているのかもしれません(未確認ですが)。発掘調査現地説明会も埋蔵文化財センターの企画でしたしね。いずれにせよ誤った情報を流してしまい申し訳ございませんでした。
 

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赤い城

東レの工場前 (2023/09/11 訪問)

東レの工場前の通りにありました。
大きな案内板がありますが駐車場は無し。
交通量も少なくないので路駐も微妙。
やむを得ず隣のGSで給油し、少し停めさせてもらいました。
城の説明板に加え加藤嘉明の配下にもなっていた塙団右衛門の説明板も立っています。
こんもりした盛り土の上に石碑が立っていますが遺構はありませんでした。
少しずつ四国の城にも訪れることができるようになりました。
これからの季節、楽しみです。

にのまるさん、るの門のフォトありがとうございます。
懸案事項が解消されてよかったです。
私ももっとじっくり見るため再訪したいです。

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能登守利信

呟き (2023/09/16 訪問)

菊川駅よりバスに乗車し、平田本町バス停から徒歩30分の菊川市営保養センター小菊荘にて、自転車をレンタル、約55分。旧妙音庵薬師堂から直登するルートと、山を挟んだ道路から登るルートがあります。どちらも尾根伝いに二郭で合流、主郭あたりから堀切が見えるようになります。 案内板は一切ありません。藤枝市の朝比奈城と勘違いされやすいです

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能登守利信

呟き (2023/07/16 訪問)

二戸駅下車、二戸市観光協会より自転車をレンタル、約70分。国道4号を姉帯入口交差点で曲がり、西郭の城址に至ります。 東屋にパンフや資料があり、案内板確認後に、慰霊碑裏手の土塁、堀切から東郭に至れます。

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しんちゃん

原城 各郭 (2020/01/02 訪問)

原城はその広大な城域の大半が田畑になっています。天草丸も荒れてはいますが、
元は(今でも?)農地だったように見受けられます。謎の多いキリシタン一揆軍の
首魁、天草四郎時貞は小西行長の家臣、益田甚兵衛好次の子とされ、益田四郎時貞が本名とされ
15歳の若さで一揆軍の総大将として幕府と対立しました。一揆の裏には、それを先導する
武士の集団がいるのはキリシタン側も一緒のようで、実質豊臣側の残党による反乱という
見方もあるようです。

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じゅんじん

本攻め (2023/09/10 訪問)

暑かった。石垣上からの風は気持ちいいがとにかく暑かった。でもいいお城です!!

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じゅんじん

夜討ち (2023/09/09 訪問)

夜は意外に暗かったです。

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しんちゃん

亀山砲台 下関市 (2019/12/31 訪問)

下関市の亀山八幡宮境内には江戸末期に亀山砲台が築かれたそうです。文久3年
5月11日、久坂玄端の指揮によりアメリカ商船攻撃合図の砲弾が亀山砲台より
発射され、下関戦争の幕開けになったとされています。現代では砲台のかわりに
ふくの像が飾られています。フグは当たると死ぬので「てっぽう」と呼ばれており
大砲の代わりに「てっぽう」の像を展示しているのも妙な話です。
境内には伊藤博文夫婦のなれそめの話も伝わっているようです。

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しんちゃん

浦上天主堂 長崎市 (2020/01/01 訪問)

一般的に知られている浦上天主堂というのは旧称で、カトリック浦上教会というのが正式名称
だそうです。明治13年(1880)に浦上村の庄屋屋敷の跡に建てられ、今でも
石垣が残っています。長崎への原爆投下で破壊され、その時訪れていた信者の全員が
死亡、崩れ落ちた鐘楼堂の残骸が残っています。現在建てられている協会は
1980年に鉄筋コンクリートで再建されたもので、翌年にはローマ教皇ヨハネ・パウロ2世
が当協会を訪れミサを捧げ、司祭叙階を行ったそうです。

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