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昌官忠

2022夏の青春18キップ14日目:鳥越城 (2022/08/01 訪問)

二曲城からの転戦です。県道44号線沿いの城駐車場入口(36.366683、136.598314)から進入。先に進めば駐車場があります。
鳥越城の続100名城スタンプは、攻城日が月曜日で白山市立鳥越一向一揆歴史館が休館なので、二曲城の攻城前に白山市鳥越市民サービスセンター(36.358516、136.604511)で押印しました。

築城年代は定かではないようですが、1573年頃(天正初年頃)白山麓山内惣庄の旗本鈴木出羽守が、織田信長による加賀一向一揆討伐の抵抗の拠点として築いたようです。
1580年(天正8年)柴田勝家によって攻められ二曲城とともに落城、山内衆の主領鈴木出羽守一族は、松任城に呼び出され謀殺されました。
勝家は鳥越城に吉原次郎兵衛、二曲城に毛利九郎兵衛を置き固めましたが、白山麓一向一揆の抵抗は続き1581年(天正9年)に奪還されます。
しかし、1582年(天正10年)織田信長によって一向一揆の掃討作戦が行われ、佐久間盛政によって鎮圧、門徒ら300人が磔に処せられました。

本丸門(枡形門)を入ると、門横に望楼台跡があり、土塁が周囲に残り、掘立柱建物跡、礎石建物跡、井戸、柵列が復元されています。
中の丸には倉や中の丸門が復元されており、二の丸跡に建物跡が平面復元され土塁が残っています。
本丸と後二の丸間の堀切が凄いです。傾斜が急で薬研堀のようです。
攻城時間は45分くらいでした。次の攻城先=岩倉城に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ14日目:二曲城 (2022/08/01 訪問)

舟岡山城からの転戦です。白山市立鳥越一向一揆歴史館の駐車場(36.359774、136.599475)に駐車し、登城口付近(36.358462、136.5989)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、二曲右京進によって築かれたと云われています。 二曲氏は二曲村の土豪で代々この地に勢力を持っていたそうです。
織田信長が加賀一向一揆に侵攻すると、鈴木出羽守が白山麓山内衆の総大将として派遣され、鳥越城を築城して拠点を移し二曲城は三坂峠を押える支城となったそうです。
1580年(天正8年)柴田勝家によって攻められ鳥越城とともに落城、鈴木一族は滅亡しました。
勝家は鳥越城に吉原次郎兵衛、二曲城に毛利九郎兵衛を置き固めましたが、白山麓一向一揆の抵抗は続き1581年(天正9年)に奪還されます。
しかし、天正10年(1582年)織田信長によって一向一揆の掃討作戦が行われ、佐久間盛政によって鎮圧、門徒ら300人が磔に処せられました。

一向一揆歴史館の南東にある道を南下して城址の西麓にある公園に登山口があります。
公園に「仁誓之碑」「嗚呼田原中隊」「二曲村の歌」「加賀一向一揆山ノ内門徒衆之霊」の石碑、案内板が建てられています。
登城口から谷あいの道を登って行くと、左手の尾根の上に登って行く道が見えてきたので、そちらに回り込んでみました。
尾根をそのまま登って行くと土塁で囲まれた「二の郭」があり、掘立柱建物跡が復元されています。
更に登ると三角形の主郭があり、掘立柱建物跡や溜桝跡、井戸跡、石敷路跡が復元されています。
主郭の西側先端部から谷戸部に降りていく道があり、この下の谷戸部が「四の郭」のようです。ここには石垣(案内は土塁になっていました)がありました。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=鳥越城に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ13日目:舟岡山城 (2022/08/01 訪問)

槻橋城からの転戦です。「白山青年の家」駐車場入口(36.442905、136.633056)から進入し車を駐車後、建物南側に廻り、登城口(36.442197、136.632928)より攻城しました。

築城年代は定かではないようですが、 織田信長の加賀に侵攻に対応して、白山麓山内衆の大将鈴木出羽守の守る鳥越城への入口を固める為に修築されたといわれています。
1580年(天正8年)織田軍の加賀平定作戦で鳥越城とともに落城したようです。その後は丹羽長秀の家臣早谷五左衛門が城主となりました。
1585年(天正13年)前田利家の家臣・高畠石見守定吉が城主となりますが、1602年(慶長7年)定吉が死去すると、廃城になったようです。

建物南側の登り口に案内図があります。
空堀、土橋、櫓台(石垣あり)、虎口や土塁などが確認できます。
「白山比咩神社創祀之地」の石碑と由来碑が建っている場所は、本丸か2の丸か不明(復元図ではよくわからない)
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=二曲城に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ13日目:槻橋城 (2022/08/01 訪問)

高尾城からの転戦です。主郭付近林道(36.463351、136.626347)に路駐しました。

築城年代は定かではないようですが、加賀国守護職富樫氏の家臣槻橋の居城と伝えられています。
槻橋氏は1488年(長享2年)一向一揆によって富樫政親が自刃したとき、伴に自害した三十人余りの武将の中に槻橋近江守重能、槻橋三左衛門、槻橋式部丞、槻橋弥六、槻橋三位坊の名が残っています。

主郭は山頂にあって、林道側から主郭の切岸と空堀が見えます。
夏場で草木が多く、主郭の切岸、土塁と空堀くらいしか確認できませんでした。
林道は狭い箇所があり、対向車とすれ違うとき注意が必要。(自分は主郭付近に着くまでに2台とすれ違いました)
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=舟岡山城に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ13日目:高尾城 (2022/08/01 訪問)

富樫館からの転戦です。教育センター駐車場(36.515660、136.636611)の一番奥に駐車し、その先右側の登城口から攻城しました。

築城年代は定かではないようですが、1488年(長享2年)以前に富樫氏によって築かれたと云われています。
1488年(長享2年)加賀国守護大名の富樫政親は一向一揆衆徒に攻められ、籠城し、抗戦むなしく自害した場所のようです。

頂上は「高尾城址見晴し台」となっており、金沢市街が一望できます。見晴し台に説明板が設置されています。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=槻橋城に向かいます。

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赤い城

甲斐源氏祖の城 (2022/08/15 訪問)

北杜市考古資料館の駐車場の他にも幾つか駐車場があります。
資料館に石碑が立ち、向かい側すぐに入口があります。
早速空堀が出迎え、さらに公園内に進むと四郭。
郭の間にも空堀が走ります。
本丸の虎口もよく残っていました。
この時季は下草が元気で堀に降りることができる部分も少ないですが冬なら歩くこともできそうです。
五郭の先には竪堀も二条、見応えのある城でした。
最後搦手側にも周り、動線となる竪堀を見てここを後にしました。
甲斐源氏の祖とされる逸見氏の居城。
国指定史跡でもあり見学もしやすくおすすめです。

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小城小次郎

雨山合戦の舞台となった (2022/02/23 訪問)

三河総劇の一部に位置付けられる雨山合戦で奥平方と菅沼方が戦い、多大な犠牲を出しながら親今川派の菅沼方が勝利したのは桶狭間の戦いの3年前。所在すら定かでなかったこのお城が整備されたのはごくごく最近のことらしい。

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侍ホリタン

日本三大水城を訪ねて (2022/01/04 訪問)

JR高松駅から徒歩5分、玉藻公園内にあります。訪問時が夕暮れ時でゆっくり回れませんでしたが、整備された堀と石垣が印象的でした。

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侍ホリタン

石垣の名城を訪ねて (2022/01/04 訪問)

青春18切符を使用しての訪問、金毘羅詣でから丸亀城、高松城の予定でしたので効率よくまわる必要がありました。ちなみに私の地元からですと今治城までだと滞在時間3時間半、松山城までだと滞在時間1時間となるので今治城までが限界のようです。いずれは今治城にも行ってみたいです。丸亀城は現存天守の中で一番小さなものなのですが、やはり一番の見所は石垣の高さと美しさです。石垣の高さ合計は約66mで日本一です。

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カズサン

築城400年祭特別公開筋鉄御門・鐘櫓 (2022/08/28 訪問)

 福山城築城400年祭イベント当日、天守閣のリニューアルオープン日に合わせ各櫓が公開されて居ました、特に筋鉄御門と鐘櫓は伏見櫓と同じく、運良く内部見学が出来ましたので投稿致します。

 筋金御門は、福山城本丸の大手に当たり西向き建つ櫓門です、国の重要文化財指定され江戸期からの現存です、名前の通り門扉に筋金が張られて大手の要とした風格です、櫓部は白漆喰仕上げで、今回のリニューアルオープンに合わせ白漆喰の化粧直しがされて真新しく綺麗に成って居ました。
 内部は通路部のみ板張り、左右の南側と入口の北側は土間のたたきに成って居ました、今まで見てきた櫓門の内部は全面板敷しか見ていなかったので、こうゆう土間仕様もあるのかと納得、櫓石垣台の上が土間仕様。
 以前より筋鉄御門外桝形の多聞櫓復元計画が有ったようですが松も切られて発掘調査して復元かな?と思ったのですが、案内係の方に伺うと遅れている様子、まだはっきりしないのかも? 復元されると筋鉄御門、伏見櫓の間に白漆喰の多聞櫓が入り素晴らしく絵に成るのですが・・待たれます。

 鐘櫓は伏見櫓の北側、元御台所門南に現存鐘櫓として残って居り、市の重要文化財に指定されて居ます、二階建て二階部は東側に片寄って居ます、二階部に鐘がぶら下がって鐘が自動で突かれています、現在は午前6時、正午、午後6時、午後10時に時を告げてる福山の名物名鐘です。全国の現存建物では珍しい櫓です。
 
 特別公開資料、見学を運良く導いてくれた方々に感謝いたします。
 
 

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侍ホリタン

南海の名城攻城 (2022/01/01 訪問)

ここは本丸の建築群が唯一全て現存する城郭です。三ノ丸には長宗我部元親による築城時の石垣が見学できます。また雨対策として排水のための石樋が石垣に設けられています。令和4年の元旦は無料開放されていました。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ13日目:富樫館 (2022/08/01 訪問)

寺中御台場からの転戦です。久安殿屋敷公園石碑付近(36.533916、136.630652)➡石碑(36.532237、136.621768)➡説明板(36.528817、136.620195)の順番で巡りました。

築城年代は定かではないようですが、1335年(建武2年)富樫高家が加賀国守護に任ぜられた後に、野々市に守護所を設けたものとされています。
1488年(長享2年)富樫政親は高尾城に籠って、加賀一向一揆を迎え撃ちますが敗れて自刃しました。
その後一向一揆に加担していた富樫泰高が守護として富樫館に入りますが、守護は名目上だけで実態は一向宗門徒が握っていたようです。
1570年(元亀元年)富樫晴貞は織田信長と結んで兵を挙げますが、一向一揆によって攻められ伝灯寺で自刃して富樫氏は滅亡しました。

遺構は残っていないので、石碑と説明板巡りです。
攻城時間は移動時間込で20分くらいでした。次の攻城先=高尾城に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ13日目:寺中御台場 (2022/08/01 訪問)

堅田城からの転戦です。大野湊緑地公園駐車場(36.594857、136.597689)に駐車しました。

幕末期に外国船渡来に備え城下町防衛の為に加賀藩が築いた台場跡です。
現在は大野湊緑地公園として整備されており、説明板と共に土塁の一部が復元されています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=富樫館に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ13日目:堅田城 (2022/08/01 訪問)

津幡城からの転戦です。墓地入口橋の手前(36.609903、136.7049)に説明板あり、橋を渡り墓地の間を登ると終点に駐車スペースと登り口があります。
ただし、墓地終点の駐車スペースまでの道は狭く急坂ですから注意してください。

詳細は不明のようで、木曾義仲による築城伝説があるが詳らかではないようです。 現在の遺構は一向一揆によるものと推測されています。

現在は公園として遊歩道が整備されています。
主郭の切岸は高く、北側尾根に堀切があり、主郭北側に畝状阻塁があります。
最初、主郭西側にある二郭への登り口から登城しましたが、草が多く主郭に辿り着けず、三郭下の分岐点まで戻り三郭経由で登城しました。
攻城時間は45分くらいでした。次の攻城先=寺中御台場に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ13日目:津幡城 (2022/08/01 訪問)

森城からの転戦です。説明板前(36.673858、136.734328)に路駐しました。

1183年(寿永2年)木曽義仲の軍を迎え撃つ為に、平家軍の平維盛が、小高い丘に砦を設け布陣したことがはじまりと云われています。
1190年(建久元年)には、井上庄の地頭津幡隆家が居城としました。その後、1351年(正平6年)富樫氏春が籠って桃井直常と戦ったそうです。
1576年(天正4年)から一向一揆が立て籠もっていましたが、1581年(天正9年)織田方の柴田勝家らに攻められ落城しました。
1583年(天正11年)前田秀継が築城し居城とし、1584年(天正12年)末森城合戦の時、ここで前田利家と秀継は末森城救済の軍議を開いたそうです。
1585年(天正13年)前田秀継は越中国今石動城の守将となり、後に越中国木舟城へ移りましたが、地震により没しました。

物見櫓跡と呼ばれる土壇に城址碑が建てられており、その手前に説明板があります。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=堅田城に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ13日目:森城 (2022/08/01 訪問)

御舘館からの転戦です。八幡神社鳥居前付近(36.715502、136.713352)に路駐しました。

詳細は不明のようですが、城主は村上左衛門と伝えられています。
八幡神社の祭神は応神天皇で、創建は841年(承和8年)で、1637年(寛永14年)森を領地とする野村佐馬丞重政は、信仰する八幡神社に神鏡を寄進しているそうです。
八幡神社の鳥居横に「八幡神社縁起」の石碑が建てられており、丘の上には、かって森城と云う砦があったそうです。

路駐付近から石段を登ると、すぐに山頂の八幡神社に到達します。境内には土塁の一部が残っています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=津幡城に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ13日目:御舘館 (2022/08/01 訪問)

末森城からの転戦です。説明板前(36.803091、136.767396)に路駐しました。

詳細は不明のようで、城主は順徳天皇、岡部忠澄とも伝えられているがそれを裏付ける史料は残っていないようです。

案内板の背後の土手を登ったところが、城の周囲を巡る細長い郭の上で、その先に大きな堀があり、その先の一段高くなっているところが主郭のようです。
主郭の東側に土塁と空堀があります。空堀はそのまま主郭の空堀の周囲に伸びています。主郭の北側と西側は二重の空堀となっています。
主郭は整備されておらず深い薮に覆われています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=森城に向かいます。

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侍ホリタン

西国の伊達家9代の居城を訪ねて (2021/12/30 訪問)

伊達家といえば仙台を思い浮かべる方が多いと思いますが、宇和島藩も大阪冬の陣の武功として政宗の長男秀宗が宇和島城に入城してから伊達家9代が治めていくことになります。
現存12天守の一つですが、現在の層塔型天守は2代目宗利が藤堂高虎が建てた望楼型天守を撤去して新たに建てたものです。駐車場は桑折氏武家長屋門の近く観光情報センター隣の駐車場が便利です。天守は80mの城山頂上付近にあるので石段、登山道を登って行くことになります。

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おっちゃん

史跡備中松山城案内図 (2013/05/11 訪問)

現地案内板より抜粋

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おっちゃん

肥田城跡地図 (2017/12/29 訪問)

現地案内板より抜粋

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