みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

トク

甲冑工房「丸武」訪問(後編) (2023/09/23 訪問)

次は展示館の中で、映画やドラマで使用された展示コーナーを見学しました。
ここで作られ、撮影に使用された中で、以下のものが展示されていました。

(写真①)乱
黒沢映画です。三本の矢をモチーフにした仲代達也さん主演の作品です。
(写真②)影武者
これも黒沢映画です。武田信玄の死を3年隠すため、影武者を演じた仲代達也さん主演の作品です。
(写真③)ステキな金縛り
数年前に公開された、三谷幸喜監督、西田敏行さんが落武者で主演する作品です。
(写真④)天地人
妻夫木聡さんが主演した大河ドラマです。直江兼続の「愛」の兜がよかったですね。
(写真⑤)レジェンド&バタフライ
今年の映画で木村拓哉さんと綾瀬はるかさんの主演作品です。木村さん着用の織田信長の甲冑が展示されていました。

これ以外にも、おみやげコーナーや、お食事処もありました。ちょうどお昼でお腹がすいたので、ざるそばを食べました。おいしかったです(写真⑥⑦)。着付け体験もこれは有料ですができるようです(写真⑧)。しかし、おみやげコーナーは休業中で買えませんでした😩。どうやらここでふだん売られているおみやげや武将グッズは、「お城EXPO姫路」へ運ばれたようです。

無料なのに予想外に楽しめました。皆さんも、もし機会があれば、訪れてみてはいかがでしょうか? パンフレットも掲載しておきます(写真⑨⑩)。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トク

甲冑工房「丸武」訪問(前編) (2023/09/23 訪問)

ドラマや映画に出てくる甲冑や兜、これらは今どこで作られているか、皆さんは御存知ですか?

大部分がここ「丸武」という会社の工房で作られているそうです。そこがいつでも見学できるという事なので、行ってきました。JR鹿児島本線「川内(せんだい)駅」から南国交通「川内港フェリーターミナル」行のバスで30分、船間島入口で下車し徒歩3分の所にあります。

入口に立つと何とビックリ😯! ここはいったいどこのお城? 立派な門や三重の天守もある? 中に入ると庭園や櫓もある?(写真①②③)。いやいや、ここはお城ではありません、会社の工房です。

行ってみると実におもしろい所でした。制作工程が見学でき、職人さんたちの真剣な眼差しにも感動しました(作業場は撮影禁止なのでお伝えできないのが残念)。

展示館では各武将の甲冑がずらりと並んでいました。すごい数です!(写真④)。販売も兼ねているようで価格も提示されていました。これらは、いったいくらすると思いますか? 最も高かったのは大友宗麟で600万円(写真⑤)。300万円台の価格帯が多かったです。いちばん安かったのは石田三成の150万円でした(三成がちょっとかわいそう)。島田紳助さんが購入されたという信長もありました(写真⑥)。

本来は30体くらい展示されているはずですが、なぜか10体くらいありません(あれ?なぜ?)。どうやら「お城EXPO姫路」に運ばれアクリエ姫路で展示されているそうです(写真⑦)。たぶんイオさんが見られたのも、ここ丸武の甲冑ではないかと思います。

現在の大河ドラマ「どうする家康」で俳優さんが身に着けている甲冑もほとんどがここで作られたそうです。松本潤さんのもありました(写真⑧)。また最近話題になった、エンゼルスの大谷翔平選手がホームランを打った時にかぶる兜もここで作られたそうです(写真⑨⑩こま犬が飾られているとの事)。

(後編)に続きます。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

お城Expo姫路第3弾 (2023/09/18 訪問)

今回が最終日です。
第3日の厳選プログラムは、宮武先生の「徹底解説・姫路城の石垣とその技術」と千田先生の「世界の城から見た姫路城」です。
最初は、宮武先生の講演ですが姫路城の石垣の特徴について、羽柴時代、池田時代、本多時代に分けて説明をして頂きました。
各時代で異なった石垣の積み方になっているとの事でした。
自然石を使った野面積み、規則通り算木積みになっていないものもある。
重ね積みのままのものもある。打込接、切込接などもあるが不揃いである。
上記のように石垣の年代によって様々な石垣が存在することを説明して頂きました。
非常にマニヤックで何処でも聞けない素晴らしい講演でした。
最後に、千田先生は、中学三年生の時新幹線のホームから一秒かニ秒ほど姫路城を見て姫路城の虜になられました。
旅行から帰宅して図書館でお城を勉強し始めて今の城郭考古学者になられました。
姫路城には特別の思いがあり、今も城郭研究に精力的に邁進しておられます。
私は、そのような千田先生のお人柄と気さくな面が大好きです。
千田先生は、世界のお城も数多く研究しておられます。
世界のお城も日本のお城も城郭面に於いては全く同じと言って良いと思います。
虎口が枡形になっていたり、狭間などからの攻撃も良く似ておりますね。
千田先生は、テレビなんかでも新しい角度から城郭を教えて下さっております。
私は、千田先生の「歴史を読み解く城歩き」という本を購入して千田先生にサインをして頂きそしてツーショット写真も撮らせて頂きました。
講演は毎度の事ですが、面白くて素晴らしい講演でした。
今回、ツーショット写真を撮らせて頂きこと感謝感激です。

+ 続きを読む

しんちゃん

暗渠のある珍しい城 (2023/09/24 訪問)

鳥羽山城は武田方に落ちた二俣城を攻略するために天正3年に徳川家康によって築かれた
とされています。同時期に築城された毘沙門堂砦、蛯原砦、和田ヶ島砦の中核を成したと
考えられ、攻城の為の陣城としては手の込んだ造りをしています。鳥羽山の山頂部を扁平して
本丸を築き周囲を土塁で周回し、大手門や東門、本丸の西側などを石垣で強化して
あるようです。大手門の左手と東門の右手側に暗渠が配され本丸内部を排水の為の溝が
走っています。本丸東手には二の曲輪が配され東側に堀切があり、先の郭との間を寸断
しています。北西には笹郭があり、本来なら天竜川が望めるはずですが、いささか木が
育ち過ぎているようです。本丸西側には枯山水庭園があり、二俣城奪還の後も何らかの
役割を以て機能していたのかもしれません。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

城内散策 (2023/09/19 訪問)

城内では「るの門」「特別公開」のほかの写真はあまり撮らなかったのですが、10枚選んでみました。

① 三の丸広場より西の丸方向。菱の門の白さが際立ちます。
② 撮影人気スポットである将軍坂のはの門南方土塀が修復工事中で、にの門に至る方まで覆われていました。工事は来年3月までの予定だそうです。
③ 直前の「歴史探偵」で千田先生が“狭間からの狙い”の実験をされていたのを思い出して覗いてみたら、ちょうど屋根の上の敵をピンポイントで狙える狭間がありました。撃破!
④ 動物園の入場料、大人210円・小人30円!
⑤ この飛行機に乗って石垣を眺めてみたい。観覧車からの天守も!
⑥ ニの渡櫓に入れる日は……!?
⑦ 泣く子も黙る大天守
⑧ お母さん(大天守)にべったりくっついてうれしそうな子供(西小天守)。
⑨ この角度に惚れます。
⑩ 横顔もすてき。(喜斎門より)

<「姫路城十景」めぐりにつづく>

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

お城Expo姫路第2弾 (2023/09/17 訪問)

前回に続いての第2弾です。
厳選プログラムの第2日は、小和田先生、辰巳琢郎さん、
三浦先生の講演でした。
最初は、小和田先生の「徳川家康の娘婿 池田輝政の姫路築城」です。
池田輝政までの池田氏については、源頼光の玄孫泰政が美濃池田郡池田荘に居住して池田氏を称したのに始まると云われております。
しかしながら、出自については詳細が不明であるとの事でした。
確実なのは、戦国時代に池田恒利が織田信秀仕えたからとされています。
池田恒利の妻が織田信長の乳母になったことから、池田恒興は織田信長に仕え、織田信長の死後に豊臣秀吉に従った。
池田輝政は、徳川家康の次女督姫を継室に迎えて、関ヶ原の戦いでは東軍として活躍しましたね。
その功績により播磨に52万石を与えられた他に、備前に28万石、淡路に6万石を加増されて86万石となります。
池田光政は幼少の為要衝の地の播磨から因旛に転封なりました。
ここは時系列に覚えなくてはならないところですね。
池田輝政の初陣は、1578年12月の15歳のときの有岡城攻めだとされているとの事でした。
1584年4月9日に池田恒興と兄の死により池田輝政は家督を継ぐこととなった。
1590年の小田原攻めの論功行賞で池田輝政は15万2000石の三河吉田城主となりました。
1594年10月27日に徳川家康の次女の督姫と池田輝政は結婚致しました。
池田輝政は、岐阜城攻めで福島正則と功績を争います。
池田輝政は、南宮山の抑えの役を務め関ヶ原本戦には参陣していませんね。
南宮山には毛利秀元、吉川広家、安国寺恵瓊等がいて警戒にあたっていました。
その論功行賞で、播磨国52万石を与えられ1601年に姫路城を大改築していますね。
姫路城が完成したのは1609年で8年かかっています。
姫路の城下町は、内掘の中には内曲輪、中堀の中には中曲輪、外堀の中には外曲輪を拝し総構えで姫路城を守っておりました。
小和田先生は、時系列に池田氏の変遷などを踏まえて御講演をして頂いたことに感謝致します。
辰巳琢郎さんの「歴食は、究極の地域愛」を拝聴致しました。
各地には歴食があることを具体的にお話頂き知ることが出来ました。
武将のもてなしお膳から戦時食まであることが解りました。
歴食を頂くことが出来るとの事なので、歴食を頂きたいと思いました。
歴食は、地域食となっているとの事でした。
最後に、三浦先生の「こんなにある姫路城の日本一と日本唯一 ~天守・櫓・城門・縄張り~」の講演を拝聴致しました。
姫路城の特徴に付いて写真付きで説明して頂きました。
地階の入口が鉄板の扉になっていること、軒唐破風は飾りであること、イの渡櫓1階の入口には鉄板の扉があること、姫路城の最上階には蟻壁付きの天井があること、史上最大の出格子窓と軒唐破風、史上唯一軒唐破風の間があったこと、三階入母屋破風の間に内向きの狭間があること、4階の石打棚と千鳥破風の間の説明、柱を挟む半間窓の対の説明、史上最高性能の現存最古の石落としの説明、史上最高性能の鉄砲狭間の仕組みの説明、格子窓・排煙窓・鉄砲狭間などの説明、窓格子(最も太く高性能の八角形)、石落としから水の一門から水の四門への攻撃が出来史上最強であること、トの一門は、現存最古の櫓門、ぬの門は、2階建て櫓で現存最厳重の櫓門、りの門は、現存最古の高麗門、菱の門は、現存最高格式の城門、にの門は、現存で最も複雑な櫓・城門で現存唯一の暗がり門、への渡櫓は、日本一豪快な鬼門除け、りのニ渡櫓は、石塁に片足を掛けた古式な構造、などさすが一級建築士から見た特徴を細かく説明して頂きました。
建築の面からもよく勉強すべきと思いました。

+ 続きを読む

お城Expo姫路 (2023/09/16 訪問)

今年、姫路城世界遺産30周年を記念して特別版のお城Expo姫路が3日間に渡って開催されました。
私は、ほとんど厳選プログラム中心に行って参りました。
第1日は、平山先生の「羽柴秀吉の中国大返しと姫路城」というタイトルの講演です。
この講演で最も注目すべき点は、豊臣秀吉のすばやい撤退の秘密で有ります。
「御座所」の存在ですね。
千田先生が近年、御座所の発掘でわかった中国大返しの真相を発表しております。
御座所とは、織田信長と織田軍の為に徳川家康に整備を命じたものなのですね。
豪華な御殿、休息所、調理施設、街道と水路の整備、情報ネットワークを駆使したものが御座所と言えると平山先生は考えておられます。
千田先生は、発掘された兵庫城は御座所である可能性が高いと言っています。
私も兵庫城は、御座所であると考えています。
そう考えていくと、中国大返しは奇跡などではなく御座所を利用してすばやく畿内に向かったと思います。
素晴らしい講演でした。
もう一つは、中井先生の「姫路城研究三題 縄張り・滴水瓦・二つの天守」です。
姫路城の縄張りに付いて中井先生は、「正保城絵図」から
姫路城は平山城ではなく「山城」と認識されていたと考えていますね。
池田輝政よって近代城郭として築城しましたが、古いタイプを残しての改修であったとしております。
1617年に本多忠政が姫路城に入封して、千姫夫婦の為に西の丸が大改築したというくだりは特に印象深かったですね。
菱の門は、豊臣系城郭の特徴的な虎口で枡形と云うより喰い違い虎口となっていますね。
桜門は、桐の一ノ門、桐のニノ門と桜門から構成される変則的な内枡形虎口ですね。
中掘に面する11の門は、全て枡形門ですね。
鬼門除けとしての隅欠など全てに納得がいく説明でした。
姫路城に滴水瓦が使われている点ですね。
滴水瓦は、高麗瓦、朝鮮瓦と呼ばれており朝鮮出兵した大名がよく使っていたのですが、池田輝政は朝鮮出兵には参加しておりません。
その点に付いて、中井先生はステイタスではなく、慶長期築城の流行として使われたとしています。
そこが非常に興味深かったです。
最後に、二つの天守の内一つが1580年に羽柴秀吉による姫路城築城ですね。
大天守解体修理で検出された天守台の埋没石垣が羽柴秀吉時代の天守台石垣である可能性が高く三重天守が建っていたと中井先生はおっしゃいました。
ほぼ同じ位置に池田輝政が新たな天守を築いたが、それは徳川家康の娘婿である池田輝政であるので、豊臣の城を封印して新たな政権として築城したことを示す為と中井先生はおっしゃいました。
これも素晴らしい講演でした。
この日、二つの講演を拝聴して私も勉強をしていかなくてはいけないと思いました。

+ 続きを読む

T-Shionoya

のどかな白井城散策 (2023/04/09 訪問)

前回投稿した岩櫃城に続いて訪れた群馬県渋川市の白井城。

吾妻川と利根川の合流点、2つの川に挟まれた三角形の台地の先端に築かれた城。
特に西側は高さ約20mの断崖絶壁。

白井城は前橋の北に位置し、北は沼田、その先は越後という上野国の中心部と越後を結ぶ拠点。
また西は中之条、その先は草津などを経て長野善光寺に繋がるポイント。

築城時期は諸説あるが、15世紀中頃に関東管領上杉氏の家臣長尾景仲が築いたと推測され、以後白井長尾氏の居城となった城。
小田原征伐後は徳川家臣の本多氏(豊後守)などが城主となり、整備されるも1624年に廃城となりました。

現在は、土塁と堀に守られた本丸が城跡として整備され、二の丸から北は農地となっているものの広い堀が残存。
訪問時は道の駅から八重桜で賑やかな白井宿を経由し、大手虎口から観光客不在の城域へ入城。堀や土橋が風景に溶け込んだ三の丸と二の丸を進み本丸土橋に辿り着くと、東側の堀は屈曲があるため三日月堀と呼ばれているのでしょうか。土橋を側面攻撃するこの本丸突出部は魅力的な部分。
復路は帯郭を歩き、北遠構まで回ると滞在時間は約2時間。
のどかな白井城散策が私の城郭巡りの154城目でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

出世大名家康 (2023/09/17 訪問)

直虎のほうが好きです。
かなり樹木が伐採されましたね。野面積みの石垣はいい味出してます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

奥山荘城館遺跡 (2021/05/09 訪問)

坊城館は江上館の200mほど南に位置し、三浦和田一族の館跡と考えられています。
国指定史跡・奥山荘城館遺跡の一つに数えられており、目立った遺構は残されて
いませんが、領主館とみられる建物跡が発掘されています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

大河ドラマ館 (2023/09/17 訪問)

小学校だったところを発掘調査し今年は大河ドラマ館があります。
どうする家康よき作品ですね!

松潤~

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

堀と土塁(おそらく復元)を良く残す国の史跡。 (2021/05/09 訪問)

江上館は三浦和田氏の総領家・中条家の居館と考えられていて、主郭は堀まで含めて
一辺約110mの方形で、北と南に門が設けられています。北側には土塁を備えた北廓が配され
北廓の西端には鷹麻神社が建てられています。小ぶりですが主郭の南に南郭があり、各郭の間を
木橋で繋いでいます。南北の門は木橋からすこしずらした配置になっており、15世紀ごろに
喰い違い虎口の形状に作り直されたと見られています。当時としては先駆的な構造として
注目されているようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

周囲を大規模な土塁で囲っている。 (2021/05/09 訪問)

古館館は現在は曹洞宗・常光寺の境内で周囲を土塁で囲まれ、東側に壕跡が残ります。
土塁内の西の大部分が主郭で東に東郭が付随します。南側が大手のようで常光寺の入り口
として機能しています。案内板には奥山荘の北条内の高野条(郷)を治める高野氏の居館
とされています。高野氏は黒川氏の庶家とされており、黒川氏は中世に越後国奥山荘を領した
三浦和田氏の有力一族とされています。常光寺の過去帳には「堀近江守一万石の館跡也」と
記載があるようで、この人物が江戸時代の越後椎谷藩9代・堀直起と同一の人物であるかは
わかりませんが鎌倉時代の遺構をそのまま残しているわけではなさそうです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

きよまさ

長島一向一揆450回忌法要 (2023/09/24 訪問)

今日は桑名市長島町にある、願証寺で長島一向一揆450回忌法要があったので、行って来ました。
あわせて信長に徹底的に滅ぼされた長島城跡と願証寺がもともとあった場所(今は川底に沈んでいる)も訪ねて来ました👍️

+ 続きを読む

夏の特別公開 (2023/08/18 訪問)

姫路城の夏の特別公開に行って来ました。
大天守、イの渡櫓、東小天守、ロの渡櫓、乾小天守、ハの渡櫓、折廻り櫓を見て来ました。
姫路城は、連立型の天守で大天守と3つの櫓を4つの渡櫓で繋いでいます。
各々に特徴があり、鉄壁の守りの天守ですね。
るの門は、埋門で石垣をくりぬいた穴門です。
菱の門の塀をよじ登ったり、屋根づたいに侵入してきた敵兵がいの門に向かって突き進んだ場合後詰で敵兵を攻撃と
また、敵兵がるの門を発見してきた場合石垣を崩して敵兵を中に入れないようにする防御を兼ね備えて有ります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

曳馬城と椿姫観音 (2023/09/24 訪問)

どうする家康効果で曳馬城にも観光客が訪れています。
お田鶴さまの椿姫観音は初めて行きました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

堀江館 (2023/08/19 訪問)

【堀江館】
<駐車場他>駐車場はなし。館跡そばの道路脇に停車できます。
<交通手段>車

<感想>越前ちょこ城巡りの旅2城目。現地説明板によると堀江館は長禄年間(1457~1460年)に築いたとされます。 堀江氏は鎮守府将軍藤原利仁の末裔で利仁より九世の孫實嗣のときに堀江郷を以って姓としました。一乗谷城主朝倉敏景に仕え郡内2500貫を領し勢力をはります。加賀一向一揆とも対峙しました。現地に遺構は残されておらず、跡地の石碑が残るのみです。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

じゅんじん

番所と城門 (2023/09/17 訪問)

番所が大須賀支所に移築現存されています。城門もお城から徒歩20分ぐらいのお寺にありました。丸石垣のお城です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

朝駆け (2023/09/17 訪問)

5年ぶり。7時過ぎから走り回りました。最初の階段はどえらいえらいです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

夏の特別公開 (2023/09/19 訪問)

「るの門」制覇を果たしすっきりしたところで「夏の特別公開」開催中の天守群に向かいました。非公開エリア6棟の同時公開は本日(9/24)が最終日です。

【イの渡櫓】
コロナ渦籠城中につくったペーパークラフトで気になっていた台所櫓が中庭の真正面に見えました。実物を見ることができて感激です。

【東小天守】
窓越しに迫る大天守、迫力がありました。との一門や北側の入れないエリアもよく見えました。

【ロの渡櫓】
足裏に伝わる手斧はつりの感覚が時代を超えさせてくれます。ホの櫓もばっちり見えました。折り重なってぎゅうぎゅう詰めの屋根も眼福です。

【乾小天守】
ロの渡櫓の長い屋根や大天守が至近で見られました。
格子のない窓枠が素敵なフォトフレームに早変わり。西の丸もよく見えました。

【ハの渡櫓】
短い渡櫓ですが、乾小天守と西小天守を結び、外から見ても存在感があります。
閉ざされた扉の向こうの西小天守は来年2月に初公開されるそうです。

【折廻り櫓】
 天守見学を終えて備前丸に出ると石垣の上に聳える大天守。その威容に圧倒されながらも気になるのが石垣から突き出ているように見える折廻り櫓です。昨年改修を終えたばかりで漆喰の白が眩しかったです。往時の姿とは少し異なるようですが、備前丸に御殿があった時代の面影を残す居室内にある狭間が特徴のひとつで、重要な防御施設だったと知ることができました。退出してから全体を眺めるとガチで狙われているように思えたのがおもしろかったです。

「ふだん見ることのできないところ」の公開でしたが、「ふだん見ることのできるところ」すら理解があやしいので、せっかく行っても何も感じなかったらどうしようと不安で、行く前は“楽しみ”というところまで気持ちが達していませんでした。しかし、懐の大きな姫路城は知識の多寡など関係なく受け入れてくれました。
たくさん撮った写真を見返しながら『この写真はどの櫓から見たどの櫓のどの部分でしょう?』クイズを自分に出題するのが楽しいです……( *´艸`)


<城内散策へつづく>

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ413