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赤い城

二重堀がしっかり残る平城 (2024/03/04 訪問)

県道12号線から細い坂道を登ると民家の横に案内板があります。
少し広くなっているのでそこに駐車、案内板の脇に虎口がありました。
東側には高い土塁があり、外側に二重堀がはっきりと残っています。
この二重堀には土橋がかかり、これもくっきり、見ごたえあります。
郭内に入ると中央に小さな小笠原神社が鎮座。
北側には井戸跡も残っています。
周囲は土塁で囲まれ、北側と西側は崖で守られていました。
三好氏と長宗我部氏の間で再三に渡って攻防があった城、最終的には長宗我部氏のものとなりました。

あまり大きくはない城ですが平城としてば遺構が良好に残っている良い城でした。

気づけば登録城では750城目、ようやく1/4となりました。
全国制覇は夢のまた夢。

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Tokyobay

市ヶ谷門→牛込門→田安門と散歩したら「灯台下暗し」 (2023/11/24 訪問)

天気がよかったので電車に乗らずに外堀土手を散歩。まずは市ヶ谷門跡。門の痕跡は殆どないが土橋はそのまま市ヶ谷橋として活用。土手という名の土塁上?の遊歩道を歩いていると、散歩中の巨大なワンコに遭遇。遠くから見た時はダンボールに見えたが、グッタリ横たわっていただけ。ワンコの居た先の法政の前にも新見附橋という橋がある。ちょっと見附ぽくないなと思ったら、往来の利便性のために明治期に新設された橋とのこと。
次に牛込門跡へ。ここには何度か来た事があるが、再開発に負けず遺構がそれなりに残っている。この度初めて気が付いたが、地面のタイル?が桝形虎口の石垣部分が分かるよう色違いになっており、その痕跡が辿れる。再開発されても色々と努力しているものだなと関心する。
そして九段下へ。高校時代から何度も来ている場所だが、この度初めて案内板を見て「九段」の地名の由来を知る。靖国神社もなんとなく敬遠していて横を通り過ぎるだけだったが、この度初めて訪問。といっても駐車場のある東側部分だけだが。しゃれたカフェやショップがあったり、学生ぽい人たちがくつろいでたり思ったよりも開けた雰囲気。ただし「トメさんの玉子丼」というメニューもあって、やはり普通の飲食店とは違うところも。大村益次郎の銅像は上の方にありすぎてよく見えないが、顔は有名な肖像画とは違うような。
九段下駅に向かう途中の田安門付近には移築されたと思われる銅像が2つ建っている。しかも皇居にケツ向けて。大山巌と品川弥次郎である。何度も通った道だが、正直こんなのあったっけ?という印象。2人の生家跡には行った事があるので知らない人物でもないのだが、まさかこんなところに銅像があったとは、これぞ灯台下暗し。ちなみに田安門の桝形虎口は武道館に出入りする群衆の勢いを止める役割を果たしているとかナントカ。
普段は電車で2~3分の所を天気が良いので2時間ぐらいかけて散歩したがとても有意義だった。意識して歩いてみないと見落としているものや新しい発見が色々あるものだなと痛感。

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おもしろい縄張り (2024/03/07 訪問)

 金剛山の奈良盆地側に突き出た尾根に位置し、方形の曲輪が雛壇状に見られる特長的な縄張りをしている城址です。山岳寺院を城に改修したと思われますが、詳細はわかっていないようです。
 金網フェンスから入ると10分で城域に入ることができました。両側に空堀を認める虎口から入ると主郭まで一直線に続く道があり両側に雛壇状に広さの異なる方形の曲輪が多数展開しています。土塁や空堀を見ることができます。主郭の土塁はかなり高く見ごたえがありました。主郭を過ぎて尾根へ進んでいくと空堀があり、さらに進むと土橋があります。この土橋の両側は削られて竪堀となっているようです。ただ草木などで竪堀構造はよく確認できていません。主郭へ戻り周囲を散策すると横堀が北側を除いた周囲にありました。北側は崖になっています。空堀、土塁等を求めて東西南北を彷徨いながら見て回りました。
変わった縄張りですが「近畿の城郭Ⅰ」(戎光祥出版)には
① 武力を有する宗教勢力による築城
② 寺院を一時的に陣などにとして使用した
③ 廃寺跡の区画群を利用した築城
の3通りが想定できると書いてあります。
遺構も比較的残っていて異形の縄張りを堪能できます。

 以前から興味のあった城址で、藪が多いとの情報もあり行くなら寒い時期と思っていました。最近、このサイトで登城されている方がいることを知り触発され行って来ました。
鴨神デマンドタクシー停留所からアプローチしています。トタンのフェンスをまたいで進むと獣除けのフェンスがあり墓石のようなものの前からフェンスを開けて進むと主郭まで迷うことなく行くことができます。フェンスの開閉はしんちゃんさんの投稿が助けとなりました。墓石らしきものの前のフェンスから登城すると倒木はありましたが藪は思っていたより少なく、ストレスをあまり感じることはありませんでした。
 歴史的には不明な点が多い城址ですが、土塁や空堀が比較的良好に残っていて楽しく散策できる城址です。

 

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しんちゃん

まさかのオープンゲート (2024/02/24 訪問)

なんとなく足音が聞こえてきている気がするので、さらっと紹介させていただきます。ぴーかるさんの投稿では周囲はフェンスで囲まれているとのことでした。
それを確認してから帰る気満々でやって来ました。とりあえず某城郭サイトさんの地図で示している場所を訪れると‥開いてるじゃなーい!? 聞いてないよコレ‥とりあえず(周囲をキョロキョロして)いってみようかな‥ と思ったらひっどい藪、どうにも進めない。帰ろうか‥と思ったら藪の隙間から山の斜面が見えてしまいます。半分帰りたい気持ちがあるものの身に沁みついた習性で先に進めてしまう。藪はきついし坂は滑るし、楽して登りたい。ようやく城址に近づいてくると大きな空堀が見えてきます。その先は城というより小さな町、まるで居館のアパートのようでした。東から西へ大手が続き大手道はまっすぐ主郭に向っています。
大手の左右に複数の居館が三段に連なって主郭に続いています。まるで階層構造のようで安土城のように権威や身分を主張しているのでしょうか?この場合やはり上にいくほど偉いのかな?でも下の郭も土塁はしっかり付いているし防御そのものをおろそかにしているわけではないようです。大手道はあいかわらずまっすぐですが部分的に石が敷き詰めてあるようです。
三段構造の郭のさらに上段に主郭が存在し、上下2段の構造になっています。上段の周囲を土塁で囲み、城域の背後にも堀切を配しています。
主郭の虎口は南側にも存在し、その先はやはりまっすぐな通路が南に通じており、その周囲に郭がありました。
変わった遺構としては主郭の虎口に通じる東側と南側に巨大な堀切が有り、間を土塁で仕切ってあります。障子掘っぽくも見えますが小さな郭のようにも見えます。下人や守人が詰めていたのでしょうか?
謎が多い城ですが、面白い縄張りでもっと注目されても良いのではないかと思いました。

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永井直壮 (2024/03/07 訪問)

 陣屋跡は私有地で立ち入り禁止とのことでしたので、移築されている南門を撮影してきました。

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しんちゃん

人間だって生き物さ (2024/02/11 訪問)

先ほど石山寺の投稿で「浮気は文化?」なんて文章を書いたので浮気城の投稿をさせていただきます。なんて引っ張り方をしてくるんだ!なんてお叱りの声もあるかもしれませんが、これも浮気城の宿命というやつでしょう。(すでにネタ城あつかい)
織田晃司さんもおっしゃっているように確かにイメージは良くない。「ふけじょう」、読み方をかえると「うわきしろ」どちらもイヤーンな感じですね。いいじゃないですか‥変な名前の城。個人的には小田切城なんて好きです。(城びとの城ではありませんが)
宍戸城なんかもいいですね。鍋城に鴨城と葱生城をぶち込んでやれば鴨鍋城の出来上がりですよ!(鴨鍋城は実在しません)
ちなみに浮気城は神社の境内に土塁と空堀が残っています。車を停める場所がないので、路駐ダッシュで駆け回ってトンズラです。神社の駐車場を探せば良かったかな?早朝とはいえ少しマナーが良くなかったです。

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しんちゃん

石山寺 女性文学者に愛された寺 (2015/06/21 訪問)

石山寺の写真が余ったので投稿させてただきます。国の天然記念物・石山寺硅灰石 や国宝の本堂、多宝塔など見所は多いですが、境内には松尾芭蕉の句碑や、紫式部の供養塔、源頼朝の供養塔なども立っています。
紫式部の印象が強いですが、他の著名な女性文学者の作品にも記載があり清少納言の枕草子の208段にも霊山の代表として引用されています。和泉式部日記にも敦道親王との関係に悩んで参詣した様子が描かれているそうです。この二人の関係はだいぶドロドロしていて、どこかのお茶の間ドラマのようです。不倫は文化なんですかね?

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りあそーる

酒蔵 (2023/02/12 訪問)

見学と市立美術館の史料展示がオススメ。
北の砦は歩いて行くと雰囲気ありますよ。

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りあそーる

ジオラマ (2024/02/12 訪問)

体育館にあると聞いて行ったんですが、どうも今は資料館にあるみたいです。
外郭の名残を歩きながら商店街、旧街道、落語資料館を巡るのも良し。
観光協会のチキンラーメンまぶし唐揚とかアイスクリームが良い。
温泉宿もあるよ。

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カズサン

【遠江中村砦】静岡県掛川市 徳川高天神城攻め六砦の一つ (2024/03/01 訪問)

 中村砦は高天神城から南東に直線で約3.3km程に位置し標高約30mの独立丘陵。
 住所:静岡県掛川市中
 駐車場:若宮神社(掛川市中777)南前の幅広道に幅寄せ路駐(34°40'41"N 138°03'46"E)
 参考資料:余湖図コレクション中村砦、グーグルマップ、掛川市発行高天神城家康読本。

 若宮神社南前の道路脇に縄張図付き解説板が設置、若宮神社の社前に「中村城山砦・六砦の一つ」と記されて標柱が立つ、解説板によると若宮神社の裏手の小山が南西の物見台と成っていた、若宮神社の東側斜めに登って堀切に入り西側の崖に西、北、南に折れ曲がって登り南側から頂上部の物見台に入る、物見台は馬蹄形に成ってい北、南は曲輪が続いてる、東に落ち込んで開いており平場は駐屯地・兵糧庫、北東角が虎口、周囲は濠で囲まれていた、往時は南の田園は菊川入江広く遠州灘と繋がっており徳川軍の高天神城攻め兵站基地として横須賀城、馬伏塚、磐田見附今之浦と礁湖、河川、遠州灘でつながっていた。
 案内板によると徳川軍の高天神城攻めの六砦は築城順に小笠山砦を築き天正7年(1579年)頃から南の三井山砦、南東の中村砦、翌年に獅子ヶ鼻砦、火ヶ峰砦、能ヶ坂砦と築いた。
 高天神城は天正9年(1581年)3月徳川氏に奪還された。

 中村(山)砦は中地区まちづくり協議会、中村砦城山保存会の方々によって整備保全されており神社前には花壇に花が咲き奇麗で大変探訪しやすく成っておりありがたい、感謝感謝です。
 
 三井山砦に続きます。

 
 

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Tokyobay

「目的なしの勉強」に励みたいとの思いを強くする (2024/01/15 訪問)

念願の適塾訪問。予想はしていたが高層ビルの谷間にある異空間に存在。「ついに来たか」という感じ。1階の教室や展示を見て急階段を上り2階へ。まず目に入るのが、刀痕が刻まれた大きな柱で、血気盛んな若者たちの情熱が伝わってくる。そして、ここが『福翁自伝』に出てくる所謂「大部屋」かと思うと非常に感慨深く、しばし座り込み思いに浸る。自分が今居るこの場所で、大村益次郎や橋本佐内や福沢諭吉らが寝食し、勉学に励んだのかと想像すると、感動で全身が震えて止まらなくなる。
福澤は適塾時代を振り返り「目的なしの勉強」を提唱しているが、自分も気持ちを新たに「目的なしの勉強」に一層励みたいとの思いを強くする。適塾の大部屋でとても幸せな時間を過ごさせてもらった。まさにこれが歴史探訪の醍醐味である。

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しんちゃん

石山寺 紫式部ゆかりの寺で、珍しい岩盤の上に建つ。 (2015/06/21 訪問)

古い写真で申し訳ないんですけども石山寺の投稿をさせていただきます。石山寺の歴史は古く聖武天皇の発願によって天平19年(747)良弁(金鐘行者)により創建されたとあります。紫式部が寛弘元年(1004)に参篭したさいに8月15日の名月の晩に「須磨」「明石」の巻の発想を得たとされ、本堂の「紫式部源氏の間」には伊藤久重氏による紫式部の御所人形が飾ってあります。
天然記念物の石山寺硅灰石の巨大な岩盤の上に建っていて、これが石山寺の名称の元になっています。本堂の南側は懸造になっていて国宝に指定されており、日本三塔の一つとされている多宝塔も国宝に指定されています。
硅灰石とは不純物を含んだ石灰石やチャートの層に、花崗岩などが入り込んだ影響でできた(接触変成作用)ケイ酸カルシウムを主体とする鉱物のことらしく、古来より大切にされ、1922年に国の天然記念物に指定されています。以前から名古屋城で使われている花崗岩に興味はありましたが、淡路を旅して砂岩などの堆積岩にも興味がわいてきました。石の世界もなかなかに奥が深く、まだ知りたいことの1/10も理解していません。でも石の種類によって切り出し方から加工方法、積み方に至るまで全く変わって来るので、避けて通ることはできません。天下普請の城を除けば石垣の石は基本的に現地調達なので、それらを踏まえて城めぐりに少しづつ生かしていくことが出来ると良いと考えています。
名古屋のお城EXPOで三浦先生の講義で「信長の石垣革命」といった講義がありました。私としては花崗岩の扱いに長けた技能集団と織田信長・明智光秀らの出会いが全国の石垣のレベルを飛躍的に引き上げたのだと思っております。信長公はシステムを造りだす天賦の才を持っていて、それを支える明智光秀らの才能も並々ならぬものがあったと思います。

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シェル

大谷吉継の居城&天狗党終焉の地 (2024/02/24 訪問)

 北陸新幹線延伸前に初の北陸訪問!!福井県へ行ってまいりました!!
 まず北陸最初の城攻めは敦賀からスタート!!
 冬季期間は玄蓄尾城の続日本100名城のスタンプが敦賀市役所に設置されているため、押印したのちに、敦賀城跡に立ち寄りました。
 敦賀市役所から徒歩10分ほどで、来迎寺に着きました。JR敦賀駅から来迎寺までは徒歩30分。真願寺までは徒歩25分ほどです。
 来迎寺では、敦賀城中門が境内東側に移築されています。
 中門の移築されている来迎寺の西側には、わが地元の茨城ゆかりの水戸藩天狗党の武田耕雲斎等の墓がありました。天狗党は筑波山(茨城)で挙兵し、尊王攘夷の志を朝廷に直訴すべく、京を目指して進軍。敦賀で降伏し、幕府に引き渡された後、来迎寺で300名以上が処刑されたということです。墓の西側の広場には、降伏後に天狗党が収容された鯡蔵の移築が行われていました。
続いて笙の川を渡り、真願寺へ移動。真願寺周辺が敦賀城の跡とされており、真願寺境内に城址碑と礎石がありました。
そこから5分ほど歩いた敦賀西小学校の所に、敦賀城、敦賀奉行所・代官所、敦賀県庁の説明碑が置かれていました。
説明碑から徒歩5分ほどの所には、敦賀城主であった大谷吉継ゆかりの八幡神社もあります。

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ぴーかる

生野城 (2024/01/13 訪問)

【生野城】
<駐車場他>琵琶の丸公園駐車場5台分程度あり。
<交通手段>車

<見所>石垣跡・石列・曲輪切岸
<感想>生野銀山には若い頃2度行ったことがあるので今回は見送りました。
 登城口の琵琶の丸公園から城跡までが長い登山で45分かかりましたので2㎞程はあるかと思います。冬場でも飲み物あったほうがよいかと。琵琶の丸公園の山頂展望東屋の手前から山に入ります。中間地点に池のある出曲輪のような削平地があります。城跡は主郭を中心に北・西・南の三方の尾根に曲輪が連段となっています。主郭から北はぐんと下がって曲輪が3段あり、1段目の曲輪北側端に櫓跡の土壇が残っています。主郭から西も曲輪が3段あり3段目がぐんと下がった位置にあります。主郭から南はすぐ下に1段だけ小さめの曲輪があります。
 主郭は比較的小さい円形で中心に巨石が置いてあり、磐座と思われます。主郭の曲輪壁北側に石垣跡が見られます。また西側の連段の曲輪壁に石垣跡、曲輪内部に石列が見られます。
 尾根を削平したオーソドックスな山城の造りですが、苦労して登り着いた城跡、迫力ある曲輪壁切岸に見応えを感じました。城跡にある説明板は日焼けして完全に文字が消えてしまっています。琵琶の丸公園にある縄張り図の西端にある大手曲輪のような場所には行ってません(道も気付かなかった。藪化、ロストしていたかも)。

<満足度>◆◆◇

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しんちゃん

足立美術館 国内トップクラスの庭園を誇る (2019/05/03 訪問)

足立美術館は島根県安来市にあります。120点にもおよぶ横山大観の作品を収蔵し、世界が認めた日本一と言われる庭園があるそうです。
米国の日本庭園専門雑誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』が行っている日本庭園ランキングで連続日本一になっており、ミシュランでも三ツ星の評価を受けているようです。
正直に言うと、国内に凄い庭園は他にも有ります。たしかに世界が認めたと言われるだけの凄い庭園ではありますが、アメリカ人に日本の文化や伝統がわかってたまりますかって気持ちは有りますね。わび、さびとかわかんないでしょ。外国人が認めたから日本一というよりは日本人が認めた庭園こそが日本一で然るべきですね。
ちょっと挑戦的な文章になってしまいましたが足立美術館には全く落ち度は有りません。展示内容も庭園も国内トップクラスです。島根を訪れたら是非訪れてほしい観光地の一つです。ちなみに庭園の撮影とSNSへの掲載は自由です。美術館に直接許可を得ています。

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にのまる

つづき (2024/01/07 訪問)

逆井城でぜひ見たかったのが関宿城の移築門です。
関宿城訪問から6年越しの願望がようやく叶いました。
朱塗りの薬医門は現在の関宿城の印象と重ね合わせるのは難しかったけれど、奥にある庭園や主殿と融和した佇まいで、この場所こそが終の居場所であるという落ち着きと安心感がありました。

主殿の広々とした二間には日本建築の伝統美がちりばめられています。襖を開けて畳の上で伸び~っとすると心まで解き放たれた気分になり、縁側に腰掛けて眺める枯山水は雑念だらけの心を鎮めてくれました。
暫しの休憩のあと建具を元どおりに閉め、園内散策へと繰り出しました。

馬出と鐘掘池から続く大堀の力強さがとても印象的です。堀を辿っていくと西仁連川に注いでいたのも感動的でした。復元された櫓門や木橋も当時の雰囲気を伝えるのにとても効果的。逆井城の復元建物は根拠のある模擬なのがうれしいです。途切れた堀を想像で繋いでみたりしつつ北出口から西外堀をぐるっとまわりました。

再び現れた井楼矢倉。こちらからだと平櫓~二階櫓の眺めが一段とよかったです。沼地であった二重堀を確と記憶に刻み終了としました。
見学時間は約1時間30分でした。
桜まつり・バーベキュー・ゲートボール場というキーワードに、訪城前は遊び場的要素の強いところなのかなと思っていましたが、実際に行ってみると遺構も中世城郭の再現度も素晴らしく、城の時代を肌で感じることができました。
<おわり>

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朝田 辰兵衛

真田のネームバリューが引き寄せた… (2024/02/11 訪問)

真田のネームバリューに引き寄せられました。東海大学前駅より,徒歩約20分で天徳寺到着。ここより北側の墓地方向に突き出したエリアまでが城域だったのかな…と思いました。西側の堀と思えるところは真田与一公園に改変された様子。東側は面影を伝えていると思われますが,墓地の拡張が計画されれば改変され,フラット化されることと思います。

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刑部

二条城 (2024/03/06 訪問)

二条城は西方城の麓にある城址、藤田氏の居城です。
何故、廃城だった西方城を改築せず新たに麓に築城したのでしょうね?今でも西方城址は遺構が残ってるのだから当時は相当残っていて改築は容易だったと思いますが・・・。ここも良く遺構が遺されてますのでこれから西方城址に行く方は是非ここにも一緒に寄ってください! 駐車場は同じで手前に二条城の登城口があります。主郭部は石積みも見られます。

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カズサン

追手口登城路 (2024/03/01 訪問)

 「追手門跡と着到櫓跡」のつづきです。

 未踏だった見張台を探訪しようと高天神城南口駐車場に駐めて追手登城口より登城を開始、高天神城初回登城が平成26年(2014年)11月27日で追手登城路を使用、2回目が昨年令和5年5月25日で搦手登城路で断崖の登城路を満喫して居ります。
 
 追手口登城路は南口駐車場に案内図、想像図が有りこれからの登城のワクワク感を沸き立たせてくれます、高天神社鳥居を潜り進行、高天神城跡標柱も脇に立ち50~60m程で追手門跡、縄張図付きの解説板有り、着到櫓跡の曲輪切岸が高く追手門を護っている、着到櫓跡から三の丸跡への階段を登り、三の丸虎口の手前に今は通行不可の二の丸・高天神社と三の丸・本丸の分岐点、登って三の丸虎口、三の丸虎口から本丸方向への階段を登って行くと本丸の南東にある御前曲輪の南東端切岸、南側の切岸を観察し、本丸への登城階段、本丸南側の高い切岸を観察し、本丸北西虎口・的場曲輪への登城階段を見て進むと搦手側からの登城路と繋がる踊場へ、井戸曲輪へ繋がる灯籠の在る階段へ鐘曲輪を経て井戸曲輪井戸跡へ到着。

 今回見張台をやっと観察探訪、細い尾根道、ぞっとする北堀切を覗き未踏の見張台を実態体験、3回登城で一応高天神城の遺構を廻りました。スギ花粉の中、目の痒さ、鼻水の苦行探訪でも満足です。

 この後は高天神城見張台だけでは時間が余るので高天神城に関係する砦などを廻りました、後ほど投稿致します。
 高天神城見張台、東峰遺構4編投稿長々とご覧いただきありがとうございました。
  
 

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栃木西方城

西方城跡総合調査報告書が完成しました!!! (2024/03/06 訪問)

 西方城跡と二条城跡について、平成30年度から考古学や文献史学などの幅広い分野での総合調査を実施し、その成果を報告書にまとめました。
内容として大きな点では、お城の時期として、西方氏、結城氏、藤田氏があること、西方城跡と二条城跡が結城氏の段階で同じ時期に使われていた可能性が考えられました。また、お城の東側の平地部には城下町があった可能性も考えられました。
 また古文書の中に「にしかたによきちゃうすあり」と書かれていて、発掘調査でも石積みから茶臼が出土していたことが面白いなと思っています。ぜひ見ていただけると幸いです。
 今回の調査では、各関係諸機関の方々に多くのご指導をいただきこの報告書を発刊することができました。また、この調査にあたり地域の方々のあたたかいご声援に心から感謝いたします。
今後ともさらなるご支援をお願いいたします。城びとの皆さま、城びとの情報を見てくださった皆さま!ぜひ、現地の西方城にも訪れてみてくださいね!
お待ちしておりますm( * _ _)m

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