鷺山城主館址を終えて、稲葉山に聳える岐阜城天守を望み、岐阜駅繁華街を通り、加納城を横目に済美高校内に在る川手城に初登城。
駐車場:無し、川手城跡の在る校内道路の南側の西に学校関係者駐車場が有り邪魔に成らない範囲で路駐。一時停止。
参考資料:古城盛衰記さん、グーグルマップ、現地案内板「手城の由来」による。
川手城は革手城とも称し、現在は済美高等学校の校内に遺跡が石碑、案内板、神明神社、遊具と共に土壇上に遺っている。現在地は案内板によると川手城城域のほぼ北隅の地と推定されると記されてる。
高校の校内に在り見学できるとは大変ありがたい事です。
土岐氏は清和源氏の一族で美濃を中心に栄えた、3代美濃国守護職土岐頼康の時代に美濃国・尾張国・伊勢国守護職に成ったおり、手狭になった長森城(川手城より約3km東)から文和2年(1353年)川手城を築き、以降11代土岐頼芸まで居城し頼芸は斎藤道三に美濃を追われた。
道三の時代には革手の町屋は庇護され、信長の時代町屋は岐阜に移り、江戸期には加納城が築城されて残って居た土塁等も使われて遺構は消滅した。(革手城の由来抜粋)
西美濃未踏の城廻の残りが4~5城有りましたが暗くなり車中泊でもと思っていたのですが荒れて気温が下がる予報で5℃までの寝袋では心もとなく日帰りとし後日挑戦とした。
帰りは少し暗くなっても大丈夫な隣300m程の加納城を門限前までにと10年振り2度目の立寄り探訪しました。
+ 続きを読む