勝山城は麓の谷村城の詰めの城とされています。本丸の案内板によると文禄3年(1594)豊臣秀吉に遣わされた浅野長政家老・浅野左衛門氏重によって築城(もしくは改修)されたと記されています。位置的に谷村城とかぶっていたので存在を失念していたのですが、元々登城したいと思っていたので結果オーライということになりました。ただみんなの口コミをチェックしていなかったので本丸北側の石垣を見逃しています。江戸に献上するお茶を貯蔵していたという御茶壺倉(大沢見張台)は二の丸から帯郭を経由して尾根沿いに向かうのが正解のようですが内堀経由で向かってしまったので途中断念、そのまま南東側に尾根伝いに降りていくと、ここにも道が続いていてそのまま下山と相成りました。ちょっと消化不良ですが「いった」を押しちゃいます。
山々の間から富士山が顔を出していて登城道から良く見えます。二の丸・本丸からも見ることが出来、なんか富士山を見るために、この詰めの城があるんじゃないか?‥とさえ思えてきます。やはり富士山は特別な山ですよ。
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