久野城は明応年間(1492~1501)久野宗隆によって築かれたとされています。家康が
関東に移封されると久野氏も関東に移りますが、正保元年(1644)に廃城になるまで
城主がいた城です。久野城は地元の方々によって良く整備がされていて、北の堀の跡に
駐車場があり、そこから北の郭を見ながら登城していきます。本丸を中心に周囲に数段に
わたって郭が配されています。北の郭を確認した後は、三の丸、二の丸を経て主郭に
至ります。そのあとは南西の虎口から再び二の丸に下り井戸跡を確認します。
南に移動し、高見から周囲を見渡すと、かつての水堀があった場所に貯水池が
あるようです。その後は下段に降り、南の郭を経て西側の遺構、東側の遺構を確認して
大手から脱出します。大手から本丸を見ると久野城址の看板が本丸から下段あたりに
下げられているようです。
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