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ぴーかる

松平郷 (2024/01/27 訪問)

【松平氏館】
<駐車場他>松平郷第1駐車場無料20台分程あり。
<交通手段>車

<見所>松平氏館跡・高月院
<感想>日帰り松平郷の旅3城目。松平郷は松平氏・徳川氏発祥の地で、松平東照宮・高月院・松平城・大給城の4つが松平氏遺跡として国史跡となっています。
 系譜上の始祖とされる松平親氏は、南北朝時代の争乱で松平郷に流れ着いた時宗の僧、徳阿弥といい、領主の松平信重から高い教養を認められ、娘婿となり松平太郎左衛門親氏と名乗り松平郷の領主を継ぎます。松平親氏の子、泰親からの嫡流からはずっとこの松平郷の領主(松平郷松平家)として相続していき明治まで課役免除の交代寄合として存続します。領主は代々太郎左衛門を名乗り墓所が郷の南東の山にあります。松平泰親あるいは親氏の子とされる松平信光が額田郡(現在の岡崎市)に進出します。信光は子が沢山いて、ここから松平家が諸派に分かれてその後裔が安祥松平家の家康にあたります。

 東照宮境内にある松平郷館は無料ながら、なかなか良い資料(領主が書いた領地書440石等)が置いてあります。高月院には徳川家光寄贈の高麗門があります。参道に室町塀という趣のある土塀がありましたが撮影し損ねました。駐車場は広いですが旅行ツアーの観光ポイントになっているみたいで、行った時には観光バスが1台づつですが絶えずやって来て観光者が多かったです。満車なら高月院の駐車場を利用し松平親氏墓所から散策するとよいでしょう。

<満足度>◆◆◇

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肉球

片野城・茨城県石岡市 (2024/02/16 訪問)

城びと未登録のお城です。
鎌倉時代に小田氏一族によって築かれたようで
その後太田道灌の子孫太田資正が城主になったようです。
五の曲輪に建つ浄瑠璃光寺には資正公のお墓も残されています。
江戸時代に入り滝川氏が城主になりますが廃藩し廃城になったようです。
余湖さんのイラストを参考に歩きましたが土橋、土塁、切岸、虎口と
小さなお城ですが見所満載でした。

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POYO58

かつてはここに犬山城が…

枡形虎口を通ると本丸は目の前ですが、最初に天守台西南隅角が見えてきます。低い石垣ですが、一応天守台。天守台の南側の山道に沿って歩いていくと、近年発掘された石垣が見えてきます。少し窪んだところにあり、石垣を目の当たりにできます。昔はもっと高かったと予想されます。
その後西側に、最後の防備となる本丸枡形虎口が見えてきます。友達のY.K.さん(城びとの会員です)がこっちの枡形虎口の方が二の丸のものよりはっきりしてると言ってましたが、言われてみればそんな気がします。

虎口を通れば広い本丸が見えます。ここまで出丸から10分くらいで辿り着いた感じです。本丸はただの広場と思いきや礎石がいくつか確認できるようです。自分は見失いました。やらかしもうた。本丸からの景色はもう最高ですよ♪青々とした木曽川がめっちゃ綺麗に見えます。よくここでお弁当を食べたりする方もいらっしゃるようです。それくらい綺麗です。森さんも天守からこの景色をみていらっしゃったでしょう。

本丸からの東側へと行くと、天守台東南隅角が見えてきます。ここまで歩いてみるとかつての天守は結構大きかった気がしますね。本丸東側には石垣が顔をだしてます。周辺には井戸が確認されたようですが、どれかわかりませんでした。

では搦手道を下って米蔵跡へ行きます。続く

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☆ナンバー★357☆

松江城 (2024/03/11 訪問)

月曜平日も開業ですね。

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カズサン

【美濃・野口館】岐阜県各務原市 土塁堀が残る方形館 (2024/03/16 訪問)

 美濃南部城廻検索中、伊木山城を余湖図コレクションさんで調べて居ましたら野口館もヒットし、更木陣屋から東へ約4km程近くであり、土塁、空堀がよく遺ってる様子なので初探訪しました。

 住所:岐阜県各務原市蘇原野口2丁目26(ご子孫の方がお住まいです)
 駐車場:蘇原コミュニティセンター施設そはらふれあいセンター駐車場利用、野口館にも隣接しています。
 参考資料:余湖図コレクションさん、グーグルマップ、城郭放浪さんによる。

 南側の虎口から土塁、空堀沿いに、南東角、北東角、北西角、南西角と廻れる範囲を外側から眺めて撮影してきました。丁度虎口入口にご婦人の方がいらしゃり、お声掛けして廻りましたが、御婦人の方は「中は何もないよ、土塁と堀が残るだけ」をおっしゃっていましたが、その土塁と堀を見に来ましたと答えて堀外伝いに探訪。
 規模は約80m四方で南東角に土塁に囲まれた小曲輪が在ります、栄通りから東側がよく確認できます。よくこんな市街地に残ったものです。大変ありがたい事です。
 案内板解説板は無く現地探訪のみで、歴史は良く分かりません。
 
 
 

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イオ

青塚砦(愛知県犬山市青塚) (2024/01/08 訪問)

青塚砦(城びと未登録)は、小牧長久手の戦いの際に古墳前期の前方後円墳(青塚古墳)を改修した陣城で、羽柴方の森長可が守備したと伝わります。

青塚古墳史跡公園の駐車場から登城。愛知県で2番目の大きさの前方後円墳ということで、後円部はなかなかの高さです。徳川家康の籠る小牧山城までは直線距離で約4km、墳丘からは小牧山が望める…はずですが、立入禁止のため確認できませんでした。また、現在は古墳として復元されていますが、かつては墳丘を削平してテラス面を広げ切岸を設けた様子が見られたようです。もともとは古墳なんだから古墳として復元するのが当然ではあるものの、陣城としての姿も見てみたかったとも思ってしまいますね。

古墳の周囲を一周すると、史跡公園の南側には青塚古墳の説明板と青塚砦ののぼり旗が立てられ、ガイダンス施設「まほらの館」があります。入館無料なのでちょっと覗いてみると、青塚古墳の解説や出土品の展示だけでなく青塚砦についての展示もありました。

この日はニッポン城めぐりのイベント「激闘!森長可の小牧・長久手合戦」の完全制覇がお目当てでしたが、犬山城での城初めに思いのほか時間を要したため、羽黒城も八幡林古戦場も楽田城も小牧山城もポチのみでスルーすることに…。青塚砦だけでも登城できて良かったとはいえ、いつか小牧長久手の戦いをテーマに今回の取りこぼしも含め一日かけて城めぐりしたいものです。
 

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todo94

道路標示と説明板 (2024/01/27 訪問)

富沢館から太子堂駅を経由してオール徒歩でアプローチしました。交通量の多い道路沿いに表示と説明板がありました。私は徒歩でしたので全く問題ありませんでしたが、車での攻城だととても路駐できる環境ではないので難渋するかと思います。近くの焼肉冷麺や中華料理の店で食事をしてささっと説明板をチェックさせてもらうという作戦はいかがでしょうか。この後は長町駅に向かい、予約を入れてあった仙台の杜の都献血ルームAOBAへと向かいました。当初は翌日も宮城の城めぐりをするつもりでいましたが、トーハクで特別展・中尊寺金色堂が開催されていることを知り、仙台のホテルをキャンセルし、東京に泊をとりました。帰りがけに立ち寄った東京ステーションギャラリーの「みちのくのいとしい仏たち」もとても良かったです。

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肉球

本丸以外にも見所あります (2024/03/16 訪問)

2度目の訪問でした。
足を乗せた瞬間に気づきましたが本丸南西虎口の石積みはレプリカで石ではありませんでした。
脇には『乗らないでください』の案内板があり悪いことしました。🙇
レプリカであることは、にのまるさんが呟いてました。
本丸の整備は完了しているようですが周りの曲輪や堀跡は調査が続けられているようで
今後の整備が期待されます。
近くの龍勝寺には小田城から移築されたといわれる門があります。
最後の城主は佐竹氏一族で瓦には佐竹扇の家紋が入っています。

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きのこ

日帰り (2024/01/02 訪問)

正月に暇だったので行ってみたら感動

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小城小次郎

しぶとい三浦氏 (2023/06/17 訪問)

三浦氏は伝統的にしぶとい一族だと思うのだが美作三浦氏も三度に渡って違う当主が違う相手から美作高田氏を奪還している。最後に勝山藩主となって明治を迎えたのは美作三浦氏とは異なるがやっぱり三浦氏だった。

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肉球

住宅に攻め込まれてます (2024/03/02 訪問)

江戸時代に入り秋元氏によって築かれ甲斐国谷村へ転封となると廃城。
わずか30年ほどしか存在しなかってようです。
本丸と二の丸の一部は利根川に侵食され存在していません。
説明板のある城川公園東側は二の丸跡なのか堀跡なのかわかりませんが
宅地化され住宅に埋め尽くされるのも時間の問題かと。
その宅地化された南端には二の丸堀といわれる溝が僅かに残されています。
物見櫓があったとされる遠見山古墳の西側も住宅の建設が進められ
こちらも住宅に埋め尽くされそうで城の痕跡を見つけるのも難しくなりそうです。

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カズサン

美濃南部城廻り旗本徳山陣屋 (2024/03/16 訪問)

 日帰りで美濃南部城廻りを昨年10月21日美濃西部城廻りで取り残した南部木曽川沿いの城跡群を探訪、先ずは高速を飛ばして各務原市の更木陣屋・旗本徳山陣屋を初めて訪ねました。

 駐車場:更木陣屋・徳山陣屋門前の導入路脇の北側縦列駐車場を利用(3台ほど有る)、トイレ完備。
 参考資料:城郭放浪さん、グーグルマップ、城びと投稿者の皆さん。

 登城前は駐車できない時に桜体育館駐車場も考えていたのですが9時前に着き陣屋門の縦列駐車場に駐める事が出来ました、復元された模擬陣屋門が脇土塀を従えて朝日に当たり脇の黄色いサンシュユの花が門前に映えていました。
 陣屋門南前には旗本徳山陣屋公園の案内板、復元井戸、公園トイレがります、門を入ると北側に庭園池、地元の方が散歩中、南側に屋根付き井戸の復元、大きめの東屋、その奥に地面表示の屋敷跡、部屋名が石盤に刻まれ埋められてる、南の玄関先から北の奥向きの間まで表示されて居り草刈されて時期には良く分かりますが、草が伸びたら見分けがつきません。
 北西側の低い土塁が残っており今の時期の白モクレンが丁度満開でした、東側の導入路には早咲きの桜が咲き始め、枝垂れエドコヒガンサクラの様な小振りな桜で可憐でした。
 
 陣屋跡は平成12年発掘調査と古文書の更木陣屋絵図を基にした復元が行われて平成15年旗本徳山陣屋公園として整備された。

 徳山氏は美濃国大野郡徳山郷の出身で、初代徳山則秀は織田信長、柴田勝家、前田利家に仕え関ケ原戦では徳川家康に仕え戦功をあげ出身地徳山郷周辺含め旗本5千石の知行地を拝領し明治まで徳山氏が継承した。(案内板抜粋)
 

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T-Shionoya

丸馬出だけでない諏訪原城 (2023/12/30 訪問)

昨年12月末に訪れた静岡県島田市の諏訪原城。

牧之原台地北端部、駿遠の国境とされた大井川を見下ろす比高約150mの台地の縁に築かれた城。
東海道沿いに位置し、7つの馬出を備えた正に軍事要塞。

信玄が没した1573年に武田家臣の馬場信春が築城。
1575年の長篠の戦の後、徳川が攻略し牧野城として改修。
武田時代も徳川時代も高天神城攻めの拠点の1つとなった模様。

残された資料と発掘調査から大半が徳川時代の大改修跡と考えられ、現在も6つの馬出や堀が良好に残る整備された城跡。

訪問時、まずは二の曲輪大手馬出の思い掛けなく深い三日月堀と二の曲輪外堀に驚嘆。
本曲輪虎口は期待した桝形ではないものの、堀と土橋は立派もの。
そして複雑な二の曲輪南馬出周辺はワクワクさせられるつくり。

ビジターセンターは休館日でしたが、滞在時間は約3時間。
丸馬出以上に堀のハンパない土木量に目を奪われた、私の城郭巡りの169城目でした。

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とばつびしゃもん

日朝外交の舞台の城 (2024/03/09 訪問)

対馬初上陸。レンタカーで観光情報館ふれあい処つしまへ。パンフ収集と翌日攻城予定の金田城の続日本100名城スタンプポン。案内所の方から勧められた周辺4施設対象の「対馬の歴史探訪パスポート」を購入。情報館前に車を駐車し、歩いて各施設と金石城へ。
最初に対馬博物館で対馬の歴史(宗氏の国書偽造事件は興味深い)を学んだ後、大手門から金石城登城開始。
大手門には珍しい2階建て櫓門があり、特徴的な石垣の積み方とともに目を引く。手前にはかつて遮蔽物があり桝形虎口になっていたそうだがその遺構は見られない。櫓門を通って城内右手には御台所門跡が見られる。先に進むと金石城庭園、その出口には搦手門櫓台が残る。
20分ほどで攻城を終え、搦手の先にある萬松院へ。日本3大墓地の一つに挙げられる宗氏の墓所がある。
昼食に対馬グルメの対州そばを食べて腹ごしらえをし、清水山城へ向かう。

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3月18日(月)池袋駅にてアプリ「風雲Yotte GO! 謎解き寄居町 ~鉢形城攻防戦~」PRイベント開催

3月18日(月)11:00~18:00
池袋駅にて
アプリ「風雲Yotte GO! 謎解き寄居町 ~鉢形城攻防戦~」PRイベント開催!

日本100名城を有する埼玉県寄居町および鉢形城を120%楽しめる凄いアプリがリリースされました。
PRイベント会場では、現在寄居町で開催中のリアル宝探しの冊子配布や、VRチャンバラ「VS北条氏邦」無料体験を実施。
「VS北条氏邦」で装着するVRゴーグルは最新の『Meta Quest 3』!
実際に戦いの場にダイブしているような不思議な感覚で、迫りくる敵方のド迫力に圧倒されます!
ぜひ、お立ち寄りください。

開催日時:2024年3月18日(月)11:00~18:00
開催場所:東武池袋駅南口地下1階イベントスペース(東京都豊島区東池袋4丁目4−4)
※JR池袋駅南改札出てすぐ右。オレンジロードつきあたり

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POYO58

森蘭丸、長可が愛した地 (2024/03/15 訪問)

2年ぶりの攻城です。これが2回目。今回は美濃金山城と犬山城に行きました。なぜかというともちろん通りすがりだからという理由もあるのですが、美濃金山城の天守と門が実は今の犬山城に移築されたという説があるので、関係掴みに行ってみました。でも時間の都合上で犬山城の移築門は見れませんでした。
美濃金山城のルートとしては新可児駅からさつきばすで城戸坂まで行き、そこから森蘭丸広場まで歩き、出丸→三の丸・二の丸→本丸→搦手道→米蔵跡の順にしました。

ではまずは出丸から。出丸には主に石垣が現存しています。破城の痕跡も僅かに確認できます。石垣は野面積みで約5m程でしょうか?比較的長く、低い石垣でした。出丸周辺は駐車場になっており、トイレもありました。春になると周辺には桜が咲くだとか。

次は三の丸と水の丸。三の丸には破城の痕跡が1番確認できる大きな石垣があります。約2メートルほどの高さでしょうかね。切岸も存在します。また、水の手の方に行くと水の手虎口が確認できます。写真ではわかりづらいですが、枡形が意識されている模様。

そして二の丸へ行ってみますと、ここ最大の見どころの大枡形虎口があります。一の門から入り、右側の二の門へ行く敵を阻む堅固な防備になっています。一の門から入って左手に櫓が、右手に二の門があったそうです。今は石垣が残っており、枡形もはっきりとしています。

では、次は本丸へと行きます。 続く

評価★★★★☆

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ヒロケン

平井金山城 (2024/03/02 訪問)

平井金山城は関東平野の北西部、鮎川が関東平野に流入する谷口にある、標高331m金山の山頂とその尾根筋に築かれた山城で、平井城の詰城であったと考えられています。
城の規模は、東西400m、南北400m程で山頂の主郭を中心に東、北、西側稜線に郭が展開された不規則な連郭構造で構築されています。
主郭から北側に伸びる尾根筋に北郭群が設けられ、主郭の下に帯郭、主郭と北郭群とを隔てる堀があり、主郭と北郭群をスロープ状の土橋で繋げています。
北郭群はなだらかな北側稜線を加工し7~8段、階段状の郭群からなり、低い段差で仕切られており、尾根筋が狭く、また側面が急峻な斜面になっていて、堅固な防御ラインとなっています。また、北郭群から北西方向に張り出した稜線に井戸郭があり、岩盤を削って築かれた井戸跡が残っています。

平井金山城へは、初めての訪問でT₋shionoyaさんが投稿した櫓門跡の石垣が見たく行ってきました。皆さん方の投稿にあるように、結構急峻な登城路で、枯葉で足を滑らせながらの登城です。また、登城口から登り始めて直ぐに、人為的に竹が伐採され登城路を塞いでいました。登城路を間違えたのかと思い、登城口まで引き返したぐらいです。また、至る所に獣の〇〇が大量にあり、相当数の獣がいるものと思われます。
 何故、この様に平井金山城を否定的に投稿するかと言うと、T₋shiionoyaさん投稿の櫓門跡の石垣を見学するのを忘れてしまったからです(涙)駐車場・トイレ完備、説明版、各郭の案内、パーフェクトでした。ですが、石垣を見ずに帰っちゃった(涙)途中のサービスエリアで画像の確認をしている折に気付き、引き返そうかと思ったが、泣く泣く帰宅しました。
それともう一つ、金山城で検索すると、100名城の金山城ばかりがヒットして、平井金山城はあまり出てきません。下調べをする際は、平井金山城で検索することをお勧めします。

正直、石垣を見ずに帰宅するという大チョンボをおかしましたが、それ以外は戦国時代の構造をよく残す山城で、絶対にお勧めの山城です。

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大嶽城 福寿丸 山崎丸 (2024/03/16 訪問)

 大嶽城は浅井亮政によって築かれたとされています。亮政の時代には小谷城は大嶽にあったという説があるようです。小谷山山頂にあり、土塁、堀切、竪堀と遺構が思っていたより残っていました。北西部にある二重堀切は見どころのひとつだと思います。山王丸から六坊を経由して行きましたが、こちらも登城路は整備され歩きやすかったですね。城域は藪になっているかもしれないと思っていましたが、予想以上に整備され遺構が見やすくなっていました。下から見ると小谷城の尾根続きの高い山が小谷山で大嶽城です。大嶽城へ行く途中の岩尾からは小谷城を眼下に見ることができます。
福寿丸、山崎丸にも土塁などが残っています。こちらも整備され散策しやすくなっていました。

 前回登城したときは出丸方面から登城し清水谷から下山したため、小谷山山頂経由のルートは散策していません。いつかは大嶽城、福寿丸、山崎丸を見てみたいと思っていました。天候にも恵まれ、登城路、城域とも思っていた以上に整備されていて気持ちよく散策できました。
あまり人はいないだろうと思っていましたが、大嶽城方面にも多くの方が登城されていました。

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あっちゃん

一乗谷城 (2024/03/16 訪問)

のどかな谷から戦国時代を想像して散策しました。

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あっちゃん

丸岡城 (2024/03/16 訪問)

急な階段でした。落ちないように気をつけました。

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