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じゅんじん

13年ぶり (2024/01/28 訪問)

かなり整備されていました。駐車場もあり。

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じゅんじん

鳥羽山 (2024/01/28 訪問)

野鳥が多いお城。

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じゅんじん

二俣城 (2024/01/28 訪問)

岡崎信康自刃のお城

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チェブ

キンコンカンコ~ンが聞こえてきそう。 (2024/02/10 訪問)

下河辺 政義さんが築いた「志筑城」。
お名前は"しもこうべ" と、お読みします。
下河辺さんは、源 頼朝さんに地頭職を任じられた方です。
南北朝時代に「志筑城」は廃城しましたが、江戸時代には陣屋があったそうです。
廃藩置県の後は、平成23年まで小学校でした。

田畑が広がる道をドライブし、坂を上がると、案内された場所には2本の門柱がありました。
「志筑城」跡と言うより、小学校の跡のような感じが強いです。
この門を、車で進入するのが心苦しいのですが、元校庭(?)に駐車しました。
でこぼこした地面には、霜が降りたようで、ぬかるむ時間にはタイヤがはまってしまうのではないかと心配です。
郭に学校があったのでしょう。広い空地には土塁が囲ってます。
郭の中央に説明板があります。近くに石碑があります。こちらは幕末に活躍した、伊東 甲子太郎さんの物です。資料も扉つきのケースに用意してありましたが、伊東さんの物でした。
あと、赤いポストがあります。

資料を読み、なんだか小学校で勉強している気持ちになった「志筑城」攻めでした。

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todo94

三連休初日の攻城② (2024/02/10 訪問)

宇和島市内にはもう一つ、城びとには登録されていない高森城があるようですね。こちらは旧津島町で天ヶ森城も近いです。南楽園梅まつりが開催されていましたが、スルーして白王神社から登城開始。いったん下って尾根を上っていきますが、わかりやすい登城路となっている訳ではありません。一応、最高所の主郭らしき地点にはたどり着けたようですが、ここも城に関する表示等は一切なかったので何とも言えません。

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にのまる

①偕楽園 梅まつり (2024/03/09 訪問)

上野駅から常磐線に揺られ、偕楽園と水戸城へ行ってきました。
梅まつり期間中の土日休日・日中の下りのみ停車の臨時駅、偕楽園駅で下車するとJR東日本の社員さんや駅長さんのお出迎えが!特急ではなくて18きっぷ利用の普通列車だったのもあってびっくり、そしてうれしかったです(^o^)

九代藩主徳川斉昭公創設の園内には約100種、3,000本の梅が植えられています。広い園内で見事な景観をゆっくりと楽しみました。
また、梅の実は非常食で、竹は弓の材料、好文亭は物見櫓というように軍事を考慮した施設であったということを意識しながら歩くと味わいも増し、お城見学と同じような感覚になったりもしました。
特に印象深かったのは薄暗い杉林の向こうに見えた一面薄いピンクの梅林です。この一瞬に斉昭公の世界観が投影されているのだと思うと感慨深いものがありました。

このあと水戸城に向かいましたが、偕楽園駅発の電車がちょうど来るタイミングで、期間限定の臨時駅で下車も乗車も出来てラッキーでした。
お昼は水戸駅近くの「麺や 三つ葉葵」さんで“カレー味噌ラーメン”をがっつりいただきました!

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朝田 辰兵衛

🗻もスカイツリーも見えた👀 (2024/02/12 訪問)

3連休最終日,晴れわたり🗻もスカイツリーも見えました。欲を言えば,向ヶ丘遊園駅のコインロッカーが空いていると嬉しかったです。キャリーバッグを持って登城するなんて,マネをしなくて結構です。家族連れやカップルなど,大勢の人でにぎわっていました。

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しんちゃん

岩略寺城 東三河屈指の山城で古宮城との共通点も見られる。 (2024/03/17 訪問)

岩略寺城は長沢松平氏の城とされる長沢城と国道1号線(東海道)を挟んで向かい合う標高169mの御城山に築かれています。
古くは今川氏の一族、関口満興によって築かれたとされますが詳細はわかりません。小牧・長久手の合戦の後、羽柴秀吉の駿府侵攻に備えて徳川家康によって改修されたとされていて、東三河の山城を代表する縄張りを誇ります。加藤先生の講義にもありましたが、東海道を南進する羽柴の軍勢を対岸の長沢城と挟撃する予定でいたようです。
新城の古宮城といくつか共通する部分があるようです。郭の周囲を走る横堀(三日月堀)そして本丸を土塁や堀で分割し、新たに郭を設けている部分です。この本丸を分割した郭は羽柴軍の進行方向を向いていて本丸に敵が侵入しようとしても容易に落城をするべきではないという意味合いを含んでいるのかもしれません。
他にも侵入した敵に対し隠した武者で迎撃する武者隠しなどの、この城独自の仕掛けもあり三河の山城を語る上で欠かせない城であると思います。
岩略寺城‥愛知県豊川市長沢町字御城山

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しんちゃん

五平餅屋 あさぎり 愛知県豊田市花沢町 (2024/03/17 訪問)

五平餅屋 あさぎり には豊田市の松平城山城に行く途中に立ち寄りました。国道301号線の道沿いのコンビニに隣接しているのですぐにわかります。メインはなんといっても五平餅でうどんやそばとセットで頼めます。そばやうどんはハーフサイズでも選択できます。
写真が小さいので五平餅の大きさがわからず通常のセットで頼んだのですが、思ったより五平餅が大きかったです。武田信玄の軍配くらいあるんじゃないか?‥いやいや横幅はそこまでじゃないから。
五平餅を半分残して、お持ち帰り用のパックにしてもらいます。少し歩くとお腹の中に隙間が出来てきました。戻ってデザートのクリームぜんざいを頂きます。別腹ってやつですね。残った五平餅は城攻め用の兵糧丸です。三河の山の中はやっぱり五平餅ですよ。

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しんちゃん

丹羽氏重奮闘す コスパ最高の城 (2024/03/17 訪問)

岩崎城は県道57号線を北上していくと右手に復興天守が見えてきます。小ぶりな復興天守は本丸南東に築かれており周囲は城址公園として整備されています。天文7年、丹羽氏清が築き本郷城から移ったとされ、丹羽氏は織田氏に属した後は家康公に従いました。
天正12年の小牧・長久手の戦の際に城主氏次の弟氏重が守り、羽柴秀吉方の武将、池田恒興が岡崎に中入りを仕掛けた際には氏重が城兵300を率いて戦いを挑み討死をとげたそうです。
周囲は市街地ですが意外と遺構が残り、本丸周囲の堀と二の丸周辺の堀が残っています。本丸の北西には土塁と櫓台が残り、南西には古墳が残っています。本丸南東には櫓台がありそこから少しずらすようにして模擬天守が建っています。模擬天守とはいえ、なかなか雰囲気があり、城館風の歴史資料館と合わせて閲覧は無料(!)です。無料とはいえ展示はなかなか充実しておりコスパも最高です。
二の丸には本丸から橋を渡って行け、周囲に土塁が良く残っています。この二の丸は馬出の役割をしていたとも考えられています。

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カズサン

伊木山・木曽川展望台から犬山城眺望 (2024/03/16 訪問)

 県道95号線より伊木山北山麓より進入し最初の駐車場に「名勝木曽川展望台」が有り木曽川面は樹木が伐採されて展望が開けて木曽川、日本ライン、犬山城が東方向に展開し素晴らしい景観ですが、当日は春霞で靄っとしていましたので写真の映像ははっきりしませんが臨場感だけでも感じて頂けたらと投稿させて頂きます。
 この後伊木山城探訪へ。
 

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Fカット

陣屋の石垣、案内板 (2024/03/18 訪問)

龍王城登城口近くに陣屋跡(石垣)もあるので一緒に見学することをお勧めします。

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三浦の晃ちゃん

名将 蒲生氏郷 (2024/03/17 訪問)

名将 蒲生氏郷の築いたお城です。
石垣が見事でした。
早朝の訪問だったので、天守閣跡から、朝日を眺めました。
春らしく、城内の梅もキレイでした。

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イオ

河川の合流点 (2024/01/08 訪問)

戦国中期に村瀬作左衛門が築いた城で、小牧長久手の戦いでは羽柴方について長久手で討死したことにより廃城となったと伝わります。

庄内川堤防沿いの道路脇に路駐して登城。子安神明社が城跡とされ、境内南部の土壇の上に祠と大留城趾の石碑が建てられています。社殿の奥や東側には堀跡があるようですが、見付けられませんでした。石碑の土壇も遺構かどうかわからないしなぁ…などと思いながら堤防を歩いていると、城跡の東側で支流が庄内川に合流しています。なるほど、川を東側と南側の天然の堀としているんですね。目立った遺構はないとしても、大留城がこの地に築かれた理由だけは理解できました。

この後、さらに長久手古戦場(武蔵塚)や岩崎城もめぐるつもりでしたが、時間切れのためいずれもポチのみになってしまいました。これは小牧周辺と長久手周辺の両方をめぐろうと思ったら一日ではとても無理そうですね。
 

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todo94

三連休初日の攻城① (2024/02/10 訪問)

四国ドライブの定番、夕食後に家を出て淡路SAで車中泊のパターンです。宇和島市街のさらに南方、愛媛銀行岩松支店を目的地にセットしていましたが、現在の岩松支店は宇和島市津島支所に移転していました。かつての愛媛銀行岩松支店は更地になっており、その更地の近くに土日祝日無料の駐車場があります。天ヶ森登山口は民家の路地の奥に表示があり見つけるのに難渋いたしました。比高300m超の山城はなかなか手ごわいです。北曲輪は古い神社の跡となっており、主郭には防空監視哨跡がありました。四国では標準的な状態なのですが、城に関する表示や説明板はありません。

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トク

97【関ケ原の26人】(25)島津豊久 (関ケ原-島津の退き口①(烏頭坂))

(25人目)島津豊久の続き⑩です。烏頭坂(うとうざか)を訪れました。関ケ原の徳川家康陣跡から前の道を牧田に向かってまっすぐ、チャリで15分程こいで行った所にありました。

義弘を逃がすべく、豊久は何と殿(しんがり)を務めます。そしてここで壮絶な捨て奸(すてがまり)を敢行しました(写真①)。

私も烏頭坂に立ってみました。手前から来ると坂の向こうは全く見えません(写真②)。まさかこの坂の向こう(写真①の場所)で豊久軍が座して鉄砲を構えているとは、井伊直政・松平忠吉・本多忠勝らは予想だにしていなかったでしょう。忠勝はここで愛馬が撃たれ、追うのを止めてしまいます。しかし豊久にとって相手は多勢、善戦するもやはりかなりの深手を負ってしまったようです。

ここには豊久の墓がありました。しかし、豊久の死については三つの説があります。
(説1)家康の陣の前ですでに討ち取られていた。
(説2)ここ烏頭坂で討死した。
(説3)勝地峠を越え白拍子谷で自刃した。

この墓(写真③④)は(説2)を示すものだと思います。(説1)は、家康の家臣山口直友が首実検をしたとあります。しかし私は(説3)を信じ、もう少しこのまま追っていこうと思います。しかし(説3)であるとしても、もはやこの烏頭坂でかなりの深手を負っていたのは間違えないようです。自力では歩く事もできず、長寿院盛淳が琳光寺にて次の捨て奸を行って敵を食い止めている隙に、家臣達にかつがれて牧田から伊勢西街道の方向へ逃げ、勝地峠を越えて白拍子谷へ向かったようです。

では私も、烏頭坂から琳光寺を経て、その勝地峠をも越え、直政軍に追い付かれないよう、必死にチャリをこぎ続け、白拍子谷まで向かおうと思います!(さあいざ、ちぇすと~!😯)
 

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しんちゃん

野田城の戦いの後の改修箇所(推察) (2024/03/16 訪問)

またまた野田城に行ってまいりました。お城EXPO・名古屋に行った際に会場を間違えて加藤先生の講演に遅れてしまったのですが、なかなか興味深い内容でした。小牧長久手の合戦の後に、豊臣秀吉の駿府侵攻を遅らせるために東海道を始めとする家康方の城が改修を受けたようなのですが、野田城もその一つのようです。少なくとも長篠・設楽原の合戦の後に改修を受けているようです。
この後、三河の山城をいくつか訪れたのですが、そのうちの二城に三日月掘などの共通点が見られました。
野田城も高度な縄張りを持っていて、本丸と二の丸を繋ぐ土橋は、その用途の重要性から簡単には崩すことが出来ないと思いますが、その弱点を補うように本丸北西部の櫓台から横矢を容赦なく浴びせられる構造になっています。堀も非常に深く、この周辺と横矢の仕掛け、そして三日月堀と西の馬出(消失)などは改修を受けているのではないでしょうか。

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シャンシャン

中国地方屈指の山城 (2024/03/01 訪問)

広島県にある百名城の一つで中国地方屈指の規模を誇る山城。
櫓などの遺構はないけど、毛利家の墓や百万一心の石碑、堀切など見どころはたくさん。
三の丸にわずかに石塁や石垣の跡が残っている。
所々にある撮影ポイントから見える景色は絶景!
まあまあ本格的な山登りになるので、それなりの靴や服装で行く必要あり。
一点だけ残念なのは、百名城カードのデザインはダサい(^^;

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しんちゃん

馬防柵  新城市大宮字清水 (2024/03/16 訪問)

馬防柵は長篠・設楽原合戦古戦場の一角に設置されています。馬防柵に使用されている丸太は織田信長が岐阜から兵士たちに一本づつ運ばせたと伝わり、実の所それほど大きい物ではありません。合戦の屏風絵をうつした古いパネルが展示してあり、織田軍より徳川軍が全面に出て戦っていたことが解ります。馬防柵の木材は5年に一度、交換されており織田軍と徳川軍とでは構造が少し異なるようです。
当古戦場は長篠城とセットで扱われることが多く、周囲には合戦にまつわる墓や碑、陣所跡が多数残っており一日では見切れないほどのボリュームがあります。私もここには幾度となく通っています。

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しんちゃん

道の駅もっくる新城 首洗池 (2024/03/16 訪問)

道の駅もっくる新城は新城市八束穂字五反田にある道の駅です。長篠城や長篠・設楽原の合戦古戦場に向かう国道151号線沿いにあり丸太のような独特な屋根をしています。人気の道の駅で休日はいつも人手でにぎわっています。
お昼はここで鹿カレーを頂きました。シカ肉というと堅いイメージがありますが、ここのシカ肉は柔らかいです。本当はクマカレーを食べたかったのですが1500円となかなかのお値段だったので、また次回いただきたいと思います。売店で売っているおにぎりはどれもジャンボサイズで飛ぶように売れているようです。他にもおいしそうなものがいっぱいあります。
オリジナルのクリアファイルを売っていて全10種、お値段も各330円となかなかお値打ちです。私は馬場美濃守と大河に出てきた鳥居強右衛門、そして於ふうさんという女性の3枚を購入しました。
「来世畜生に生まれたい」という強烈なコピーが目を引いたのですが、なかなか思い出せない。スマホで調べてみると13歳で武田に人質に出され16でコオリ坂で処刑された、奥平貞昌の妻の於ふうさんでした。奥平が武田を裏切ったので処刑されてしまったのですが、奥平方には夫や父親の貞友(この人もかわいそうな人です)もいるわけで、裏切りの横行する人の世よりも、「来世は畜生に生まれとう存じます」といって亡くなったそうです。凄い可哀そうな人ですね‥なんとなく思い出してきました。
そういえば、さっき食べたカレーは鹿‥きまずい。於ふうさんも来世も人に生まれ変わって、もっと良い人達に囲まれて暮らしていただきたいと思います。

首洗池は長篠・設楽原の合戦で討ち取られた首を洗った池とつたわり、今でも水をたたえています。
※クリアファイルやおにぎりの写真は掲載の許可を頂いています。

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