室町中期に北畠氏一門の北畠雅俊が築城して坂内氏を名乗り、代々北畠三大将の一人として坂内御所を称しました。北畠信意(織田信雄)が北畠氏の家督を継ぐと、坂内氏六代・具信、七代・具義らは謀殺されて坂内氏は滅亡し、阪内城も廃城となりました。
阪内城は坂内御所(坂内館)と呼ばれる山麓の居館と山上の詰城からなり、坂内御所の遺構は消滅していて、跡地の子育て支援センターの入口脇に坂内城阯碑と坂内城跡・坂内御所跡の説明板が立てられているのみですが、子育て支援センターは土日祝は閉まっているため、金網越しに跡地や石碑と説明板の裏側を確認することしかできませんでした。
坂内御所を満足に見られなかったのは残念ですが本題は詰城のほうだから、と気を取り直して県道沿いに東に進み、「天守・ガイコツ峠」の案内表示から山手に入り、小川を渡って進むと前方に電気柵が張られているのが見えてきました。防獣柵もめぐらされているし、このあたりもシカやイノシシが出るんだろうな、などと考えながら歩いていると、「天守」の案内表示のすぐ先の登城道が電気柵で封鎖されています。…えっ!? いやいや、市指定史跡への道を電気柵で通れなくしてしまうなんてあり得る?? どこかに通行できるゲートなりがあるのでは? と考えて周囲を見渡すも見当たらず、ゴム軍手で電気柵を掴んで突破しようかという考えも頭をよぎりましたが、やはりその勇気は無く(そんな勇気は無くていい)、しばらく未練たらしく行きつ戻りつした挙げ句、断念して撤退しました。
…ということで、山麓の居館跡は満足に見られず、山上の詰城にはたどり着けずで何とも消化不良に終わってしまいましたが、さすがにこのままずっと山上の詰城には登城できません、ということにはならないんじゃないか、何らかの手立てが講じられるんじゃないかとも(多分に願望を込めて)思いますので、いつかまた登城できるようになったら再挑戦したいものです。
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