重原陣屋は浄福寺のあたりに築かれていたようです。案内板によれば寛政の一揆によって仮谷藩は幕府から村替えの処分を受けて、重原村・野田村・小垣江村などの18の村を奥州の福原領・幕府領の一部と交換することになり、福島藩は陣屋を置いて郡代により、ここの飛地を治めたとのことです。
浄福寺の脇には重原陣屋の石碑と、福島領の西の端から移築された従是東福嶋領の石碑が建っています。
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2024/03/05 20:43
2022/11/28 22:34
福島藩板倉家の飛地陣屋 (2022/11/06 訪問)
知立古城、知立神社を終えて南西に約3km程の近くの城びと登録未登城の重原陣屋を目指す、ナビの目的地は近くの刈谷市重原市民館に定めて進行。
駐車場は重原市民館北裏の駐車場(34°59'19"N 137°01'12"E)を利用。
城びとの重原陣屋は重原市民館南の広場にマークが付いています、南は段丘で落ち込んでおりそれなりの適地と成ってる、史跡マークの重原陣屋は浄福寺南門前の重原陣屋跡石碑、福島領の石碑、案内板の有る所と成ってる、浄福寺一帯が陣屋跡なのでしょう。
案内板に由ると陸奥福島藩板倉家の三河の国飛び地、寛政の一揆によって刈谷藩は幕府から村替えの処分を受け福島藩と天領の一部との交換となった。
近くの願行寺に移築門、十応寺に移築玄関が残っているようですが立ち寄らず帰路につきました。
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2022/09/08 06:57
2022夏の青春18キップ15日目:重原陣屋 (2022/08/03 訪問)
刈谷城からの転戦です。重原駅より徒歩10分ちょっとで、重原陣屋碑付近(34.988933、137.019852)に着きました。
この地は元々、刈谷藩領でしたが、1790年(寛政2年)に起こった土一揆により、幕府に福島藩領との領地替えが命ぜられました。
福島藩板倉氏は天明の飢饉(1783年)などによる財政の圧迫により幕府に領地替えを嘆願しつづけ、刈谷藩領13,000石と福島藩領10,000石そして天領3,000石が替え地となりました。
この飛領地を管理するために、1792年(寛政4年)陸奥国福島藩板倉氏によって築かれたのが、重原陣屋です。
陣屋で使われた門が、半城土町の願行寺の山門に、玄関は十応寺にそれぞれ移築されているようですが、行っていません。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=知立城を目指す為、電車で重原駅から知立駅に向かいます。
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分類・構造 | 陣屋 |
---|---|
天守構造 | なし |
築城主 | 板倉勝長 |
築城年 | 寛政4年(1792) |
主な城主 | 板倉氏 |
廃城年 | 明治3年(1870) |
遺構 | 移築門(願行寺)、移築玄関(十応寺) |
指定文化財 | 市史跡(重原陣屋の跡)、市有形文化財(重原陣屋の正門) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 愛知県刈谷市下重原町5 |
問い合わせ先 | 刈谷市文化振興課 |
問い合わせ先電話番号 | 0566-62-1037 |