のうみねじょう

直峰城

新潟県上越市


旧国名 : 越後

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主要部遠景
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ぴーかる

直峰城 (2023/11/04 訪問)

【直峰城】
<駐車場他>国道403号線の直峰城跡登城口の道路を北上し行き着いた場所に12台程度駐車できる駐車場があります。駐車場にはトイレがあり、パンフレットも置いてあります。
<交通手段>車

<見所>曲輪群・堀切
<感想>1泊2日上越の城攻め旅2日目4城目。現地説明板によると直峰城は南北朝時代、南朝方の新田義貞に味方した風間信昭の居城であったと伝わります。16世紀前半は越後守護代長尾為景の家臣・吉田英忠が城主であった。上杉謙信の時は城主は不明で、御館の乱後は功績のあった樋口兼豊(直江兼続の父)が城主となります。上杉家が米沢移封後は堀秀治の家臣・堀光親が城主となります。1610年堀家の改易後とともに廃城となりました。
 駐車場から山頂の主郭へは家臣の屋敷跡の曲輪が多く残る東側のルートと、谷あいと家臣の屋敷跡が数か所と主郭下の二の丸・蔵跡曲輪が見られる西側のルートの2本があります。駐車場も曲輪跡だったようで、駐車場の傍に曲輪跡があります。私は東側のルートから登り主郭から西側のルートを降りて戻りました。本丸・二の丸奥にある大堀切、山頂までに広がる曲輪群はかなり見応えがありました。正直なところ前日に行った鮫ヶ尾城より見応えがありいい城跡でした。曲輪配置、造りが何となく春日山城を彷彿とさせるものがあります。

<満足度>◆◆◆

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くうくう

春日山城から関東へ抜ける要衡の地

南北朝期に築城、南朝方風間信昭の居城として知られる。時代が下って上杉支配下の城となり、春日山城支城として機能した。
標高344mの山城。100m下には駐車場があり遊歩道もあって見学しやすい。尾根に段郭や堀切があり、比高感のある縄張は堅城を思わせる。西尾根の連続した堀切などはよかった。主郭は90m×40mの羽子板形で切岸がよく効いていた。眺望もまた良かった。

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上杉謙信関東往還の要衝の地 (2023/11/03 訪問)

 南北朝時代に築かれたとされ、南朝方であった風間氏の居城であったと伝わっています。戦国時代には上杉謙信が関東へ出陣する往還の要衝の地にあり繋ぎの城として重視されていたようです。
 登城路は2つあります。駐車場の「ピカピカのトイレ」の看板から西側の登城路を登って行くと「伝 上杉藤五郎房友殿 屋敷跡」の標柱があり、その後も各所に屋敷跡の標柱が曲輪に立っています。途中に水の手としても活用されていたような池がありました。階段が多いですが登城路は整備されています。東側の登城路にもても同じように屋敷跡の標柱が立っています。カズサンが草刈りの現場に遭遇されたそうですが、主な曲輪は草刈りもされていて見学しやすくなっています。眺望はすばらしく、本丸には「春日山遠望⇒」の標識があり春日山が見えているようですが、どの山が春日山なのかわかりませんでした。反対側を見ると日本海がきれいに見えました。西側にある多重堀へ行きたかったのですが、下調べが不足していて行く道がわからず結局時間切れで断念しました。楽しみにしていた場所だったので残念です。尾根にはいくつか堀切があるようですが、全部は確認できていません。それでも曲輪の跡、空堀等を見ることができ整備も比較的されていていい城址だと思います。

 

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カズサン

上越市未踏の城廻Ⅱ 謙信公関東遠征の中継城郭 (2023/06/18 訪問)

 3年位前から登城したいと願って居た城でやっと訪ねる事が出来ましたが両ひざ痛で登城途中断念。
 直峰城はノウミネジョウと呼称されています。

 駐車場:専用の駐車場、トイレ完備、(37°08'19"N 138°27'03"E h=240m 比高90~100m) 国道403号線に案内看板が有り、林道を約900mで到着、アスファルト舗装です。トイレにパンフレットが有りました。
 案内ガイド:古城盛衰記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依ります。

 前日は午後過ぎに箕冠城登城と春日山城再登城で以前から左ひざの痛みが増していましたが、各重臣の屋敷跡をゆっくり見ながら登城しようと搦手登城路を選択、その前に二階建てトイレの前面に掲げてある、直峰城跡俯瞰図付き解説板、散策のご案内図、武将・風間信濃守信昭の解説板を確認撮影し、スタート、当日草刈の人材派遣の軽トラックが6台駐車しており既に山城中より草刈り機の音が鳴り響いている。
 案内看板は搦手側、大手側とも徒歩約15分と記されている、丸太階段を登り、上杉藤五郎房友殿屋敷跡、隣の池が水を湛えてる、更に進み、池田隼人正賢殿屋敷跡、家老宅馬若狭守殿屋敷跡、丸太階段を更に登り、三の丸へ続く直登り丸太階段辺りで今度は右ひざが痛み出し、登城路は朝から草刈がされておりコンデションは良く、熊も6人の草刈り機の音で逃げて居る事でしょうし、絶好の登城日なのですが、両ひざの痛みではままならず、引き返すことにしました、誠に残念です。
 高低差のある階段ではひざに痛みが来るかも? 大手道の観音堂までは足を延ばしました。

 時空を超えて謙信公と場所をおなじゅうした事でも良しとしました、中々来れないところですので誠に残念でした。
 皆さんの投稿写真で行った気分にしたり雰囲気を楽しみます。

 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 風間信昭
築城年 正応年間(1288〜1292)
主な城主 風間氏、上杉氏、堀氏
廃城年 慶長15年(1610)
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
指定文化財 県史跡(直峰城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 新潟県上越市安塚区松崎字黒滝他
問い合わせ先 上越市文化振興課
問い合わせ先電話番号 025-526-6903