国道196号線から少し入ったところの鷺森神社が城趾です。
鳥居の脇に石碑が立っています。
河野氏が家臣の桑原氏に命じて築かせた城ですが豊臣秀吉の四国攻めで小早川隆景により落城しました。
境内が主郭で周囲を土塁と水堀が囲んでいたようです。
神社裏手には微かに残る土塁、その外側には水堀があります。
鳥居前、北側の堀は瀬戸内海につながっていて航路としての役割もあったようです。
今でも小舟が係留されています。
出張の際にちょっとだけ、と立ち寄りました。
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2023/12/25 22:53
鷺森神社 (2023/12/15 訪問)
国道196号線から少し入ったところの鷺森神社が城趾です。
鳥居の脇に石碑が立っています。
河野氏が家臣の桑原氏に命じて築かせた城ですが豊臣秀吉の四国攻めで小早川隆景により落城しました。
境内が主郭で周囲を土塁と水堀が囲んでいたようです。
神社裏手には微かに残る土塁、その外側には水堀があります。
鳥居前、北側の堀は瀬戸内海につながっていて航路としての役割もあったようです。
今でも小舟が係留されています。
出張の際にちょっとだけ、と立ち寄りました。
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2023/12/25 22:36
キリストの里 青森県三戸郡新郷村 (2021/05/08 訪問)
最近は邪馬台国論争に四国の徳島まで参戦してきて、ちょっとした話題になっています。四国かあ‥たしかに淡路には国造り神話にまつわる神社やらいろいろあるけど狗奴国とかどこになるんだろう。
九州、近畿につづいて四国とにぎやかになってきました。本州の北端・青森県には邪馬台国の伝承はありませんがイエス様にまつわる伝承があります。伝承によるとイエスはゴルゴダの丘で死なず(弟のイスキリが身代わりになった)みちのくの山村に渡って106歳まで生きたそうです。イスキリ‥誰ですか?。いろいろな”?”が浮かんできますがキリストとイスキリの墓が向かい合って立っています。近くには伝承館もあってキリスト渡来の伝承を説明してくれます。イスラエル国家の公認のようですね。
今の状況からは想像もつかないですが、このときはイスラエルも余裕があったようです。ウクライナ・パレスチナ・イスラエルに早く平穏が訪れることを願います。ちなみに近くにある売店はキリストっぷというらしいですよ。それではみなさんメリークリスマス
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2023/12/25 22:00
江戸期代官屋敷の格式を伝える長屋門
永禄年間(1558-69)に黒田義則が移り住んだ。義則は8代目で、現在も黒田家当主は小笠町(2005年菊川市へ)町長をするなど健在で22代目を数える。中世居館の雰囲気ある水堀が囲み、主屋や長屋門が現存する。主屋は安政東海地震(1854)後に再建、長屋門はそれ以前の18世紀中頃築と考えられている。代官として約2千石を治めていた。
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2023/12/25 21:38
太田道灌の陣城と勝海舟邸の長屋門 (2023/10/10 訪問)
石神井城跡から南に進み、徒歩15分ほどで到着。
石神井川のほとりにある早稲田高等学院が愛宕山砦の跡みたいです。太田道灌が石神井城を攻める際に築いたとされており、そのため石神井城にかなり近い場所に立地しています。
砦の遺構は残念ながら残っていないようです。
石神井城から愛宕山砦の道中には、徳川家光の狩猟の際に休憩所だった三宝寺があります。
境内には、家光ゆかりの御成門や勝海舟邸の屋敷門であった長屋門が移築されているので、登城の際はセットで巡るのがおすすめです!!
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2023/12/25 20:19
江戸城2 (2023/08/13 訪問)
天守台を満喫した後は富士見櫓を見に行きましたが、富士見櫓を写真に取っているときに大雨が降ってきました。本丸まで歩いただけで靴下がびちょぬれになってしまいました。ただまだあまり見ていないと思ったので、大変でしたが外堀を廻ってみました。大手門から出て、桜田を通って、北桔梗門を通ってから、車に戻りました。大変でしたが、とりあえず有名な二重橋と桜田門は見れたのでよかったです。
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2023/12/25 19:02
城びと未登録のお城攻め「上野城」 (2023/10/30 訪問)
「小幡陣屋」から車で5分位の所に「上野城」があります。
場所は、群馬県 甘楽郡 甘楽町 上野 233です。
歴史は古く鎌倉時代に築城したようです。
江戸幕府の直轄地として代官のお屋敷がありました。
到着し、高い土塁と濠跡がお出迎えしてくれました。標柱を発見しましたが、ん?
「吉田家の土塁、濠跡」とあります。
「上野城」、現在の土地の所有者が吉田さんのようです。標柱のある所は虎口に見えましたが、土塁を削ってしまったようです。
道路沿いが水濠跡だったら縄張り、おかしいか?
平成24年の甘楽町のメールマガジンのバッグナンバーを読むまでは、虎口だと思ってました。
土塁は2m以上ありました。
立派なお屋敷を守っていたに 違いありません。
現在は水濠は長葱畑になっていて、行く手を阻みます。
半分はよく耕してあり、小動物の足跡が残ってました。
もう「吉田家屋敷」だな。と思った「上野城」攻めでした。
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2023/12/25 09:10
登りやすく景色も綺麗! (2023/12/24 訪問)
滞在時間:1時間ほど
ハイキングツアーにて登城。
寒かったけど天気が良く、本丸跡から大阪の街並みが一望できてとても綺麗でした。
台風の影響で一部石垣が崩れてしまったとガイドさんからお聞きしましたが、それでもしっかり見られて良かったです。
石垣以外の遺構(堀とか土塁とか)も多分これかな〜?と思うものがあったのですが、倒木や枯れ草で隠れていて自信なく。
先に遺構の位置が書かれたマップを入手しておけばよかったと反省しました。
登りやすい城跡でしたが過去にはマダニが出たとのことで服装対策等はしっかりと!
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2023/12/24 23:23
筑前国の重要拠点 立花山城 (2023/10/12 訪問)
10月の福岡旅行で訪れた2つ目の城が福岡県の福岡市や新宮町などに跨る立花山城。
福岡平野の北東、古から海陸交通のランドマークであった標高367mの立花山一帯を要塞化した城。
最高峰の井楼山を本城とし、他のピークや尾根に出城や砦などを配置。
貿易港博多の監視が可能なポイントで、筑前国を統治する重要拠点の1つとして争奪戦が繰り返された模様。
南北朝時代に豊後国の大友氏の一族が築いたと伝わり、立花姓を名乗っていたが16世紀後半に滅亡。
1571年に大友重臣の戸次鑑連が入城し立花道雪の名で知られ、養子の立花宗茂が城主を継承。
その後、筑前国の大名となった小早川の時代は名島城の支城となり、黒田時代に廃城となりました。
現在は登山道が整備され、福岡で気軽に楽しめるメジャーな登山スポットの1つ。
山頂からの博多湾と福岡市街地の眺望は絶景。
訪問時、立花口からスタートすると途中でルートが分岐し、立花山ルートで山頂の本城へ。
古井戸は埋没していたものの、山頂部に到着すると本丸は石垣と虎口らしき遺構が残る曲輪。
山頂から北西に石垣ルートで下山すると、所々で削平地が見られ、点在する石垣は徐々にレベルアップ。
予定していた松尾山は断念し、秋山谷から小つぶらを駆け足で巡り滞在時間3時間越え。
時間不足でやや消化不良ながら、立花道雪・宗茂への興味が増した私の城郭巡りの161城目でした。
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2023/12/24 22:07
姉帯一族奮戦す。 (2021/05/08 訪問)
姉帯城は馬渕川の北に位置する丘陵上に築かれており南は絶壁になっています。九戸南部氏の一族の姉帯氏の城で九戸政実の乱の際には城主・姉帯大学兼興・五郎兼信兄弟ら一族郎党が豊臣軍と戦いましたが大半が討死したと伝わります。現地案内板には大学の妻で長刀の名手小滝の前や棒術の名手である小屋野(性別不明・女性では?)らも一緒に戦ったようですが生死を含めて詳細が不明です。
城址は主に二つの郭で構成されていて西にある二の郭の方が整備が行き届いています。かなりの規模を誇る大堀切を渡って主郭にたどり着きますが藪化が進んでいます。主郭東側にも堀切があり城址を外部と遮断しています。
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2023/12/24 21:23
その後の高知城のモデルになった一豊の掛川天守
今川氏の遠江進出の拠点として朝比奈氏が掛川古城を築城し、永正10年(1513)頃この地に移った。徳川氏との攻防で永禄12年(1569)開城、今川氏滅亡。その後山内一豊が入城し、拡張、近世城として天守など整えた。天守は倒壊していたが平成6年(1994)日本初の木造復元された。白漆喰壁、黒い廻縁高欄、付櫓があり三層四階で青銅製の鯱があがる。他に大手門も翌平成7年(1995)に木造復元された。二ノ丸御殿は日本に4ヶ所しかない現存御殿建造物。珍しい銀杏型石垣が見られる。本丸には三ノ丸から移築された太鼓櫓が現存する。
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2023/12/24 17:48
源義経の北行伝説の舞台でもある。 (2021/05/08 訪問)
八戸城は馬渕側の南側の河岸段丘の北端に築かれていて太平洋とも3kmほどの近さにあります。元々は根城南部氏が支城として築き「中館」と呼称し城主は中館氏を名乗ったそうです。寛永4年(1627)に国替えにより三戸南部氏の直轄になり寛文4年(1664)南部重直が没すると幕府の采配により遺領10万石のうち2万石を重直の弟・重房に与え八戸藩が成立しました。八戸城の整備はこの時に行われたようです。
現状公園になっていて遺構は残っているようには見えませんが、本丸中心部にある三八城神社境内には本丸跡の石碑が建っていて南東の南部会館には角御殿表門が残っています。源義経の北行伝説の舞台の一つで、三八城神社境内に弁慶石があり、東にある「おがみ神社」には義経の正室・京の久我大臣が自害したという伝説があり、その霊を祀っているそうです。
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2023/12/24 17:42
織豊以前の石垣の城なのだ (2023/04/16 訪問)
在地土豪から六角氏の有力被官へと大きく成長した永原氏のお城だが永原氏は織田信長の勧告に応じず近江を去ったため信長近江入り前(つまり織豊系城郭誕生以前)の石垣造りの城としてこの城の価値はとんでもなく高い。
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2023/12/24 17:30
道後公園 (2023/12/05 訪問)
松山に出張があり、少し時間がとれたので立ち寄りました。
駐車場に着いた途端に雨が。
駆け足での登城になってしまいました。
搦手から入り土塁に沿って歩きました。
資料館はまた今度ゆっくり。
途中土塁の断面も展示されています。
土塁には裾石が施された部分もあります。
内堀には遮蔽土塁も施されます。
主郭部からは松山城を望むことも出来ました。
時間もなかったのでこの辺で退却しました。
ちょっと濡れたけど満足、さっ、仕事仕事。
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2023/12/24 17:23
長いものに巻かれると、静かな時間。 (2023/10/30 訪問)
「小幡陣屋」を検索すると、『織田 信長の次男 信雄の庭園』など、信長さんの七光的です。
織田 信雄さんを検索すれば、『迷走する愚将』など、お父さんが信長さんのわりに~のダメダメ評価。
でも、『名勝 楽山園』を見学すれば 信雄さんのポイントは上がるはずです。
入城料は300円だったと思います。お城関係のパンフレットやチケットを入れる箱の中から見つけられませんでした(;´д`)
復元された中門をくぐれば枡形虎口。もう、「小幡陣屋」を忘れて庭園へ向かってました。
広い庭園に池があり、鯉が集まってきます。エサも無いのに鯉と遊び、疲れたので梅の茶屋へ。
畳が敷いてある茶屋で、上がって良いとの事です。もう、ゴロンとしたくなる感じです。
弓道場が見えて、タイムスリップしたような錯覚。
遠くの山々が綺麗で、春の緑や冬の雪も素敵な眺めになることでしょう。
庭園を終えて「小幡陣屋」へ。
井戸跡や、建物はありませんが、何の間だったかのパネルがあり識別してあり解りやすかったです。
それから、土塁の向こうに長屋が復元されてました。
中は展示物があります。こちらに鯉のエサも売ってます。
信雄さんを検索し、よく最後まで読むと戦国の世を器用に渡り歩いた、とか織田家の血筋を絶やさず繋いだ等、誉めてます。
不器用だけど、一生懸命な信雄さんと、しておきます。
「小幡陣屋」には、織田 信長さんのカラーマンホールがありました。
『信雄さんのだったら写真に写したのに』と、無視しました。
今更ながら信長さんマンホールの写真、写しておけば良かったと後悔する「小幡陣屋」攻めでした。
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2023/12/24 17:16
奥平氏5代の居城 (2022/10/09 訪問)
古宮城から数分で到着。二の丸直下にある駐車場に駐車し登城開始。
二の丸を通って本丸へはものの数分。本丸には石碑や案内板があり、きれいに整備されていました。
本丸西側の土橋跡から西曲輪を通って一旦城外へ出るとそこは道の駅の駐車場。折り返して本丸下の堀跡を東へ進み、虎口跡、大手跡を通って駐車場へ戻る。
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2023/12/24 17:09
2023/12/24 16:48
北館は公園になっている。 (2021/05/08 訪問)
一戸城は国道4号線沿いの馬渕川の東の台地上に築かれていました。北館・八幡館・神明館・常念館の4つの郭で構成されています。最北の北館は公園になっているので気軽に訪問できますが、他の郭はビニールハウスなどになっているようです。
近くからこっそりのぞきましたが写真は有りません。一戸城は一戸南部氏の城で建長年間(1249~1256)に築かれているようですが一戸氏が身内同士の諍いで滅亡してからは九戸氏と南部氏の間で争奪戦が有り南部氏の配下になったそうです。
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2023/12/24 16:33
整備された先住民族蝦夷の遺跡 (2021/05/06 訪問)
高屋敷館は国道7号に面する舌状の台地上に築かれていました。10~12世紀ごろにかけて人が住み中央の環濠集落とは異なる時代に築かれています。蝦夷などと呼ばれた先住民のものと見られ、青森県八戸市では10世紀中ごろ以降に中央からやってきた国司や城司との軋轢があったようで、この地方における情勢の変化があったようです。
高屋敷館は国の史跡に登録され整備が進んでいます。周囲を堀と柵塀で囲み土塁も復元されているようです。
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2023/12/24 16:33
遺構がほぼ完全な状態で残る城 (2022/10/09 訪問)
湯谷温泉から作手歴史民俗資料館へ。古宮城模型を見学し続日本100名城スタンプポン。
資料館から数分で城址に到着。城址の一角にある白鳥神社横の駐車スペースに車を駐車し登城開始。
祭事中のところを邪魔しないよう神社の右手から城内へ入る。主郭の虎口では神社の御神木である大木が目に留まる。曲輪、土塁、堀切など、遺構を1時間ほどかけて見て回る。中には牢屋と考えられる曲輪がありました。
城址は公園的な整備がされていないが、戦国時代の城郭がほぼ完全な状態で残されていて極めて貴重とのこと。城内は個人所有地という注意を促す看板もあり、迷惑にならないよう登城する必要あり。
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