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じゅんじん

16年ぶり (2024/09/08 訪問)

飛騨牛を食べに高山へ。焼き肉前に行きました。石垣美しいし眺めもよきでした。
もちろん飛騨牛最高✨🐮

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とばつびしゃもん

毘沙門天の城 (2024/09/10 訪問)

15年ぶりの登城。春日山城跡ものがたり館で映像、展示を観覧。謙信公の館は柿崎屋敷にあったことが想定されるとの展示資料を目にしてへぇ~。館隣接の東城砦と史跡を回ってから本城へ。大手道入口を通過し春日山神社下の駐車場に車を駐車し、長い階段を登って登城開始。
謙信公銅像を右手に見ながら進み、景虎屋敷と米蔵のある三の丸、二の丸を攻める。本丸は混雑中で一旦通り越しその先の井戸曲輪から鐘楼跡を経由し、景勝屋敷、柿崎屋敷へ進む。柿崎屋敷は最も大きな曲輪のひとつで、城内唯一の池か水堀があったことからここに謙信公の館があったとの見解もうなずける。ここでUターンして本丸へもどり上越の町と日本海を一望。
下りは護摩堂、毘沙門堂、お花畑、直江屋敷を通って千貫門へ。千貫門の内側には道のように見える2本の空堀があり侵入者を沢に落とす巧妙なしくみになっていたとか。
春日山神社までもどり1時間半。見どころ盛沢山でまだまだ攻城継続したかったところ高田城へ向かう。

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イオ

ごんぼ汁

丸岡城には直接関係ありませんが、先日のお城EXPOでの平章小学校6年生の丸岡城についての発表の際にもらったパンフレットに、食チームによる「ごんぼ汁のレシピ」が掲載されていて「ぜひ作ってみてください!」とあったので挑戦してみました。

ごんぼ汁は福井県の郷土料理で、丸岡ではしょうゆ味のだし汁にたっぷりのささがきごぼうとうす揚げ、にんじん、ねぎを入れるのが特徴なんだそうです。買っておいた竹輪を家内に使われていたため蒲鉾で代用した以外は、ほぼレシピ通りに作りましたが、ほんのりと甘みのある具だくさんの汁もので、これからの寒い時季にはぴったりの身体のあったまる料理ですね。普通に一杯食べた後、ご飯に「ぼっかけて」もう一杯いただきました。平章小学校6年生・食チームのみなさん、レシピの紹介ありがとうございました。
 

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スティクラ

北陸旅最後に高岡城へ (2024/10/26 訪問)

北陸旅の最後に高岡城に訪城。
今は公園になっていて、公園内の神社は結婚式や七五三関連のひとで多かったり、芝生でのんびりしている人がいたりと地元で親しまれている公園のよう。
桜が有名な公園らしいが、もみじも多く、これから紅葉の季節は綺麗になりそう。

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ぴーかる

山崎城 (2024/10/05 訪問)

【山崎城】
<駐車場他>殿ダム展望所駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>曲輪・石垣・堀切・竪堀
<感想>初秋の鳥取縦断平山城攻め旅1城目。山崎城は室町時代に南因幡を支配する国人領主の因幡毛利氏が築城したとされます。因幡毛利氏は安芸の毛利氏とは同族別系で大江広元を同じ始祖としています。山崎城には分家筋の山崎毛利氏が居城しますが天文年間に本家に攻撃され落城し城は本家のものとなったようです。
 登城口は<35.446643, 134.341278>にあり尾根上150m程までコンクリート階段舗装がしてあります。現地説明板には東側に家老屋敷と呼ばれるところと、西側に城の中心部があると書かれています。東の家老屋敷は確認できませんでした。山頂部の城郭部分は主郭から北へ100m程細長い尾根曲輪があり北端に小さな出曲輪があります。登城口からは北から入り、まず出曲輪から攻めます。出曲輪の北に堀切土橋があり左手東側斜面に3条程の竪堀があります。出曲輪の平坦部は北東側が土塁状に上がっていて斜面に荒積みの石垣が残っていて見事な遺構です。北東隅部のみに石垣が残っていることから私は櫓台跡ではないかと思いました。南へ城跡の大看板がありその南に堀切土橋、土橋の側面には石垣があります。土橋の南が主郭の北側の腰曲輪兼、北の虎口曲輪のような削平地になっています。
 主郭は南北に長く北に上記の虎口曲輪、南に少し下がって扇状の曲輪、さらに切岸があって下段の腰曲輪があります。西側は城跡看板や東屋の資材を運ぶ車両幅の通路に改変されています。主郭の東から南にかけての斜面には大石が多く転がっており、中には人工的な感じで集中している箇所もあるので当時は相当な石垣、主郭全体を鉢巻き石垣で取り巻いていたと推察します。なかなかの見応えで斜面にへばりついて、横移動しながら楽しみました。
 先達の方々で石垣遺構を投稿されている方が居なかったので簡易な城跡かと思いきや、不意打ちの良い遺構に出会いビックリ、なかなかの城跡でした。

<満足度>◆◆◇

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スティクラ

調度丸まで (2024/10/26 訪問)

バスで資料館前まで行った後、資料館へ。
受付の人に調度丸までルートを聞くと、旧道(歩行者用登山道)は、危険だから車道から行った方がいいとアドバイスをもらい、車道から調度丸へ。
比較的緩やかな登り坂。資料館前から調度丸がある駐車場まで4kmほどを1時間弱で到達。
駐車場では、無料ガイドの方が3名。

駐車場から調度丸まで歩いて2分。

復旧活動が進んで、城跡まで行けるようになったら、また訪れたい。

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しんちゃん

佐賀は九州の中心だったのか‥ (2014/01/07 訪問)

佐賀って九州の中でも地味なイメージがあります。福岡は都会だし、長崎はおしゃれ、熊本にはクマモンがいるし、鹿児島は桜島。
佐賀城もすごいんだけど近世城郭としては少し地味なイメージがあります。なんでだろう? 吉野ヶ里のインパクトが強すぎるからかな?
でも朝田さんの投稿に会った鳥栖ジャンクションはまさに九州の大動脈ですね。九州縦貫自動車道と九州横断自動車道が直行する位置にあり、これだけ見るとなんと、佐賀が九州の中心のように見えてきます。
地味な県だと思っていた佐賀が実は九州の中心だったとは‥佐賀城は実は九州の中心に位置する近世城郭だったのですね。おみそれいたしました。
佐賀城は鍋島氏の城で、明治7年(1874)の佐賀の乱で本丸御殿、鯱の紋、鯱の紋続櫓・以外の建造物を焼失しています。一度は通り壊された本丸御殿も復元され、移築されていた「御座間」も元の位置に戻されています。なかなか訪れることが出来ませんが、また訪問した際にはじっくり見学したいと思います。

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しんちゃん

平戸藩と山鹿素行 (2014/01/08 訪問)

平戸城の築城は古くは松浦鎮信による日之嶽に築いた城とされます。慶長18年(1613)に火災に会い、長らく平戸藩は「城なし」の状態でしたが元禄15年(1702)に再築城を願い出て翌年に許可が下りました。
二の丸の乾櫓が天守代用とされ、今は模擬天守が建っています。また狸櫓と北虎口門(搦手)は現存の建造物として残っています。
四代藩主・松浦重信は「武家時記」の作者である山鹿素行と親交が有り、平戸に招こうとしますが果たせず、後に一族の山鹿高基・義昌を藩士として迎え入れます。平戸城築城指導は義昌によって行われ、山鹿流軍学に基づく縄張りが成されているとのことです(wiki参照)。

話は変わりますが、白峰教授が論文の中で「武家事記」記載の関ヶ原の合戦図と、参謀本部の作成した「日本戦史関ヶ原役」を比較しています。非常に細かい部分まで丁寧に説明してくれているので、明治に神谷道一氏が書かれた「関原合戦図志」が「武家事記」を参考にしていることが良くわかります。
神谷氏は「武家時記」記載中の矛盾点も修正し、自らの視点を南宮山の布陣に反映させるなど非常に真摯に歴史に向かい合っています。
残念ながら、「武家事記」の内容そのものの信憑性が乏しいので、「関原合戦図志」の布陣図も正解とは思えないのですが、参謀本部に都合よく改修された現在の関ヶ原の布陣よりは、よほど好感が持てます。

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しんちゃん

ありし日の津山城 (2013/12/15 訪問)

慶長8年(1603)に津山藩が立藩し、森忠政が18万6千石で入封し、現在の様な近世城郭として整備がされたそうです。小倉城を模したとされる層塔型の天守を始めとして、広島城すらしのぐ77棟の櫓が立ち並んでいたそうです。
「ありし日の津山城」の絵画を見ると、高石垣の上に櫓や天守がびっしりと立ち並んで、非常に壮麗な城郭であったことが伺えます。集合アパート感が良く出ていて、ある意味では姫路城以上に美しい城であったかもしれません。本丸御殿の焼失後、廃城令で次々に競売にかけられ、これほど美しかった城も備中櫓(再建)をのぞいては石垣を残すのみです。
今は桜の名所となっています。

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しんちゃん

古代のロマン (2013/12/15 訪問)

鬼ノ城の投稿です。これも以前投稿した写真を選抜して使用しています。ご容赦を。
西門から回って南側から反時計回りに回って一周できます。特に前半部に多くの遺構が集中しています。自分は第五水門あたりまで行って引き返しましたが、そこまで行ったのなら一周してもたいして変わらん。今にして思えば回っとけ、回っとけといった感じです。
若かったなあ‥(今よりは)。
城めぐりを始めた初年に訪問してます。だいたい2013~4の2年で百名城と続百名城(まだやってない)は7割ぐらい回りました。比較的著名な城を回ると、あとからそれが続百名城になるといった感じですね。
百名城も96まではすんなり集まるけど、アイヌの城と沖縄が残ったまんま。首里城焼けちゃうし、どこかでエイやで訪問するしかなさそうです。鬼ノ城は百名城の中でもインパクトありました。吉野ヶ里もですが、古代ロマンいいですね。
手塚治虫の火の鳥が飛んできそうなビジュアルも最高ですよ。

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しんちゃん

国道・鉄道のクロスボンバー (2019/01/01 訪問)

またちょっと26い写真を掲載させていただきたいと思います、ご容赦を。北条家家臣・笠原信為が城主を務めていた時に組織した「小机衆」が歴代の城主を支え、その子孫は江戸時代になってもこの地に代々住んでいたようです。
城址は現在「小机城址市民の森」として管理され、遺構の保存がなされています。城址は北は鶴見川が流れ、JR横浜線と国道466号線がクロスしている場所に位置してます。線路が通り、国道に跨がれている状態です。まさに「クロスボンバー」を食らっているような状態ですね(29・肉の日?)。それだけ交通の要衝にあるということですね。
それでも本丸、二の丸などの遺構は良く保存され、土塁・空堀も良い状態で残り、竹林も良い味を出しています。地元の方の散歩コースとしてはうってつけですね。

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しんちゃん

ダイバーシティでガンプラ買いたい (2018/08/26 訪問)

横浜の山下公園の「動くガンダム」も大阪に移動して、こっちではガンプラが買えなくなりました。いろいろな意味で残念‥
福岡は遠いし、お台場のダイバーシティに行かないと珍しいガンプラが買えません。というか城めぐりに忙しくて作ってるヒマがない。
部屋の中がだいぶ狭くなってきました。
品川台場は江戸末期に築かれた砲台跡で、第三台場が公園として残され、歩いて渡ることが出来ます。第六台場は貴重な史跡として海上に保全されています。

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しんちゃん

鎌刃城 (2017/05/20 訪問)

今日は26日ですので、ちょっと26(ふる)い写真を掲載させていただきたく思います。
東海コンプは‥ちょっと休憩。前回、無印で使用した写真の使いまわしですが、ご容赦を。
東海4県は地元なので、かなりリピートで回っています。菩提山城は写真がロストしたので、もう一回登っています。愛知に限っては、ほぼコンプの状態で城びとに参戦しましたが、もう一回、巡回して新たに写真を集めて来てます。すごく以外なんだけど東海4県ってコンプした人がいないんですね。皆さんあまりコンプに興味ないのかな‥
私はコンプで新しい遊びを考え出しました。制覇した国や県を石高換算してみると、私は260万石になります。まあ、掲載が完了してないので、ちょっとフライングですが。東海4県って案外石高高いのねと思いました。美濃が54万石と思っていたより高い。

鎌刃城は堀氏の城ですね。標高384m、比高250mの山頂に築かれ、石垣と櫓台、石垣で築かれた枡形虎口が良く残っています。
以前はゲートから歩いたのでかなりの距離になりましたが、林道からのアクセスも可能なようです。鎌刃状の尾根を見逃しているので、もう一回訪問してみるのもありですね。まずは一度正式登録させていただきます。


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todo94

秋の乗り放題パスでの攻城⑥ (2024/10/13 訪問)

富松城から徒歩にてアプローチしました。ここは荒木村重の有岡城を織田信長が攻めた時に陣がおかれた城だったのですね。有岡城落城後、一族家臣がここで処刑されたということで大きく立派な故六百三十餘人之碑が建てられていました。イオさんの情報で昭和公園東側の道路が堀跡とのことでしたのでこちらにも脚を伸ばしてきました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)7日目:高田城 (2024/09/28 訪問)

高田駅から徒歩10分くらいで、城碑説明板前(34.511779、135.746999)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、高田氏によって築かれたと云われています。
1447年(文安4年)には越智・古市方の布施氏によって攻められ、五重の木戸を四重まで攻め落とされながらも撃退したそうです。
松永氏と筒井氏が対立すると高田氏は松永氏に属しましたが、1571年(元亀2年)松永氏が筒井氏に大敗すると筒井氏が大和国を支配することとなり、高田氏は中坊で殺されたそうです。

高田城は片塩小学校一帯に築かれていたそうです。
遺構はありませんが、小学校の南側にある小公園に案内板と石碑が建っています。
電車の時間がせまっている為、攻城時間は5分くらいで速攻で撤退しました。次の攻城先=今井環濠を目指す為、高田駅から電車で畝傍駅に向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)7日目:片岡城 (2024/09/28 訪問)

下牧南口バス停から徒歩10分くらいで、説明板前(34.576370、135.708824)に着きました。

片岡城はこの地域の国衆、片岡国春によって築かれた城です。1569年(永禄12年)、城主が片岡春利のときに松永久秀に攻められ城を奪われ、このときに城は改修されたようです。
その後、1577年(天正5年)に久秀が織田信長に反旗を翻すと、明智光秀によって攻められ落城しました。

見学路が整備され、主郭に入れるようになりました。 
案内板を正面に見て左側に30mほど下った所に登城口があります。 2分ほどで主郭に着きます。 その道以外は私有地のため、立ち入らないように気をつけてください。
現在城址には、空掘を確認することができます。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=高田城を目指す為、畠田駅から電車で高田駅に向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)7日目:恩智城 (2024/09/28 訪問)

恩智駅から徒歩10分ちょっとで、恩智城址公園入口(34.606491、135.633082)に着きました。

建武年間(1334年〜1338年)に恩智左近満一によって築かれたと云われています。 恩智氏は河内国二宮恩智神社の社家の後裔だそうです。
恩智左近は元弘年間(1331年〜1334年)に楠木正成に従って千早城籠城や、飯盛山城攻撃に加わり、楠公八臣の一人だそうです。
1348年(貞和4年・正平3年)楠木正行に従って四條畷に出陣し討死したそうです。

恩智城は恩智神社へ向かう参道の途中の南側にあり、現在は公園となっています。
公園西側の一段高くなった所に、石碑が建っています。
電車の時間がせまっている為、攻城時間は10分くらいで速攻で撤退しました。次の攻城先=片岡城を目指す為、恩智駅から電車と奈良交通バスで下牧南口バス停に向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)7日目:高安城 (2024/09/28 訪問)

近鉄の高安山バス停から徒歩10分ちょっとで、レーダ観測所(34.616262、135.656412)に着きました。

高安城は古代の天智天皇6年(667年)に築かれた「古代高安城(たかやすのき)」と戦国時代に築かれた「中世高安城(たかやすじょう)」の2つがあります。
古代高安城の遺構としては倉庫跡の礎石が発見されており、この遺構は簡単に見ることができるそうですが、時間の都合で行っていません。
中世高安城は信貴山城主となった松永久秀が出城と築いたと伝えられ、高安山の山頂に築かれていました。
中世高安城では、いくつかの曲輪と土塁、横堀が確認できるようです。

今回、高安山山頂(34.616938、135.657495)に向かう予定でしたが、ケーブルの発車時間が迫り、途中で断念しました。攻城時間は10分くらいでした。
次の攻城先=恩智城を目指す為、ケーブル高安山駅からケーブルと電車を利用して恩智駅に向かいました。

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じゅんじん

赤い (2024/10/13 訪問)

神社でコンサートの準備をしてました!

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しんちゃん

(本来なら)眺望は素晴らしい (2024/10/19 訪問)

菩提山城は良い山城です。だから登った方が良いですよ~。個人的には菩提山城と松尾山城を国の史跡に登録して欲しいと思っています。
何せあの竹中半兵衛の城ですからね。遺構も素晴らしいですよ。
実は大谷吉継陣跡の背後にも遺構が広がっていて、太田牛一の「内府公軍記」には宇喜田秀家の陣が山中にあったとされています。
南宮山(朝倉山から入りました)一帯にも大軍を駐留できるスペースが有り、後で確認したところ神谷道一氏の書いた陣跡とほぼ一致しています。南宮山の北側の尾根にある郭は神谷氏が毛利秀元陣跡とした場所と一致し、周辺からは関ヶ原を一望できます。
松尾山城の北西にある小山には出城があり(北側の崩れから訪問)白峰氏の言われる、一次資料にある岡の可能性もあります。そもそも松尾山は戦をするにしては標高が高すぎます。
吉川家文書には広家も南宮山に登ったという記載がある(小池氏の文書から流用)ので、いずれ関ヶ原に関する遺構の洗い直しと保存を検討するべきでしょう。

菩提山城に話を戻しますが、ハイキングコースとして整備されていて、とてもかわいいクマの注意書きがあります。イラストは可愛いですが、ひっかかれたら顔の半分が吹っ飛びますよ(笑)。まあ、この山はよほどのことが無ければクマは出ません。
比高335mと結構な高さと距離があります。大手曲輪を経て三の丸を訪問します。台所曲輪は立入禁止になっていますが、西の曲輪は訪問することが可能です。まずは本曲輪と二の曲輪を目指します。

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