戦国末期に浅井氏に仕えた林員清が高島平野と琵琶湖を見渡す城山に築いた城で、織田信長に降伏すると高島郡攻略の陣所となりました。林員清が内通の疑いで切腹させられると津田信澄が城主となりましたが、大溝城に居城を移したことにより廃城となったようです。
打下城へは日吉神社の鳥居の手前を南に進み、水路を渡って谷沿いに登って行くのが正しい登城道なんですが、何を思ったか日吉神社の社殿の南側から谷を左手に登って行ったところ、ガリバー堰堤と呼ばれる砂防ダムで行き止まりに…。「近江の山城 ベスト50を歩く」を見てみると「ガリバー堰堤を右手に見ながら」とあるので間違いに気付き、ということは谷の向こう側に登城道があるはず、と谷の水量が少なかったこともあって、少し戻ったところの梯子で谷に下りて対岸に渡り、何とか登城道に合流することができました。あとは案内表示に従って20分あまりで稜線に出て、長法寺跡との分岐から5分で中主郭南西下の堀切に至ります。
打下城は中主郭から派生する北・東・南の各尾根に曲輪を配し、南西方向を巨大な堀切と竪堀群で遮断しています。中主郭は土塁に囲まれた小さな曲輪で、北東部の虎口には石積みが見られました。虎口を出て東尾根を下って行くと、尾根を削り残して北辺の土塁とした広い曲輪が広がっています。虎口まで戻って今度は北尾根を下って行くと、小曲輪群が階段状に連続して北主郭へと続いていました。
北主郭の虎口は南側に開口していて、虎口に至る道は土橋状になっています。土橋の南東下には6条ほどの畝状竪堀群も見られました。北主郭は中主郭よりひと回り大きく、分厚く高い土塁で囲まれています。北主郭の東側と西側にいくつかの小さな曲輪があり、北東裾には畝状竪堀群も設けられています。
中主郭まで戻って最後に南郭を探索するつもりが、見当違いの方向に行ってしまい断念…。堀切や竪堀などそれ相応に見応えのある山城ですし、北主郭の石積みなども見落としているので、いつか再訪したいとは思いますが、わりとハードな山城でもあるので当面はちょっと勘弁かな、とも(笑)
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