今さらGWの頃の写真を持ちだしてきて申し訳ない。まあ、成り行きということで勘弁して。
深大寺城は武蔵野段丘の上に築かれていてます。「川越記」などの戦記物には天文6年、扇谷上杉朝定が13歳の若さで父・朝興の跡を継ぎ、北条氏に備えて、この城を再興したと記されているようです。
第三郭は現在テニスコートになっていて、二郭と一郭の間に堀切があり土橋がかかっています。一郭は城址の雰囲気を良く残していて、周囲に土塁も残っています。
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2024/12/08 23:39
扇谷上杉氏 (2024/05/04 訪問)
今さらGWの頃の写真を持ちだしてきて申し訳ない。まあ、成り行きということで勘弁して。
深大寺城は武蔵野段丘の上に築かれていてます。「川越記」などの戦記物には天文6年、扇谷上杉朝定が13歳の若さで父・朝興の跡を継ぎ、北条氏に備えて、この城を再興したと記されているようです。
第三郭は現在テニスコートになっていて、二郭と一郭の間に堀切があり土橋がかかっています。一郭は城址の雰囲気を良く残していて、周囲に土塁も残っています。
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2024/12/08 20:46
2024/12/08 20:43
南側が見逃せない武節城 (2024/09/28 訪問)
今回も道の駅を併設した三河山間部の城。
翌週の講演会&武節城ウォークの予習で訪れた愛知県豊田市の武節城。
美濃・信濃との国境エリアで、街道の交差点となる三河の山里。
その平地部へ南から突き出た比高約50mの尾根の先端部に築かれた城で、狼煙による情報伝達を担った模様。
1500年代初期に田峰城主の菅沼定信が支城として築き、1575年には長篠の戦いに敗れた武田勝頼が落ち延びたと伝わります。
その後、徳川方の奥平氏の城となり、1590年の奥平信昌の関東移封に伴い廃城とのこと。
現在は農地や墓地、そして本丸物見台には城山神社が鎮座。
訪問時、雨が降ったり時々日が射したりの空の下、北西側の登城路からスタート。中腹のゲートボール場跡地の平地は道の駅の案内図になく、後から削平されたものでしょうか。
全体的に要塞感は薄いものの、本丸南側の空堀は大きく、本丸東隅部や外曲輪の南側は横矢を掛ける構造にも見える興味深いポイント。
南側が見逃せない印象の武節城が、私の城郭巡りの187城目となりました。
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2024/12/08 18:00
山城へ行こう!へ行ってきました (2024/12/08 訪問)
本日12月8日に可児市のイベント、山城へ行こう!に参加しました。午前中に加藤理文先生、中井均先生、春風亭昇太師匠他による楽しいシロトークを聴いて、気持ちが昂ったところで美濃金山城へ!午前中の雨が上がり、澄み切った青空と紅葉の山城は、秋の休日の思い出となりました。
山城は初めてでしたがよく整備され、迷わず登れました。シロトークで予習出来たおかげで、破城の痕跡と綺麗に積まれた石垣、天守からの眺めなど格別でした。
今回はイベント会場からシャトルバスが運行されアクセスの心配はありませんでしたが、普段は車が必要だと思います。
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2024/12/08 17:18
忍城おもてなし甲冑隊楽しい (2024/11/17 訪問)
東側の水堀から御三階櫓が雄大、忍城おもてなし甲冑隊の演舞がとても面白かった。火縄銃の実演も楽しかった
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2024/12/08 15:22
2024年度の発掘調査 (2024/12/07 訪問)
本年度の発掘調査は二ノ丸虎口付近の発掘で、虎口付近の石垣や階段、薬医門の礎石が確認されました。
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2024/12/08 15:02
もみじまつり前日-3/8 天守曲輪編 (2024/11/15 訪問)
もみじまつり前日-2/8 備中櫓の2/2編の続きです。
天守曲輪は本丸西側に天守閣をぐるっと囲む様に構、備中櫓近くの5番門から入り、太鼓塀、雁木、西側にコの字の様に、南、西、北に多門櫓が構えていました、多門櫓の南西角と北西角は二階櫓が聳え、北の7番門枡形から裏中門へ、北東に長櫓を控えた8番門から本丸へ、東側には雁木が備わった石垣が防御強いました、太鼓塀と天守台の間には6番門が在り天守曲輪東エリアへの抑えと成っていました。
案内板が多門櫓解説板、5番櫓と土塀解説板として設置されています、多門櫓跡には地面表示され又二階櫓の角には色の違いで表示されています。
4層5階の天守閣を守ってる天守曲輪、西に張り出し角に二階櫓を控えた多門櫓、南に張り出した備中櫓と城下より目立って見えた事でしょう。
もみじまつり前日-4/8 天守台編に続く。
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2024/12/08 13:30
2024/12/08 13:07
もみじまつり前日-1/8 備中櫓の1/2編 (2024/11/15 訪問)
もみじまつり前日いつ見ても素晴らしいの続きです。
津山城と言えは復元備中櫓です、桜に覆われた備中櫓と一二三段城塁が津山城の顔に成っています、当日は津山城もみじまつり開催の前日で小雨が降ったり止んだりで撮影には不利な条件、表門から表中門、鶴山館、二の丸で備中櫓を下から南側を眺めて、切手門跡、辰巳櫓枡形で東面を眺めた写真を投稿します。
復元備中櫓は平成17年3月に完成し平成18年には西隣の天守曲輪南側にある復元太鼓塀が完成しました。
もみじまつり前日-2/8 備中櫓の2/2編に続く。
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2024/12/08 12:13
諏訪山北城 栃木県鹿沼市 (2024/11/10 訪問)
近年確認された城なのでしょうか。
10年前に尾根続きにある諏訪山城は訪れて
いたのですが、わかりませんでした。
標高170m程の山城です。詳細不明ですが
連続する虎口など諏訪山城と似ているので、
同じ築城者なのでしょう。
主郭は北端の岩場の上にあります。
広い曲輪が段々にテラス状にあったり、
土塁の配置など技巧的ですね。
両城ともに見応えありますので未訪の方は
是非どうぞ。
諏訪山城から尾根続きで500m。
諏訪山北城だけ訪れるには東の麓のトイレ
のある小さな広場から山麓の獣避けを跨い
で20分位直登します。
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2024/12/07 23:42
バーター訪城で… (2024/10/26 訪問)
沼平館,左沢楯山城のアトのバーター訪城。この日の〆の整理体操的な意味合いでやってきました。
完全に住宅街に埋もれてしまっていましたが,なぜか本丸跡地は誰も手をつけず…。しかし,本丸跡地最高所エリアは整地されていました。何か計画があれば嬉しいのですが,期待ウスな感じがしました。
そうそう,しんちゃんさんが投稿されていた城址碑は見つけることができず…<泣>。
移築門のある巨海院が閉門してしまうとショック大となるので,城址碑散策はあきらめました。
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2024/12/07 21:46
土岐悪五郎 (2024/12/07 訪問)
久しぶりの久々利城です。可児市広見地区センターで「山城に行こう2024」が開催されていて無料シャトルバスが出ていたので登城してきました。
土岐康貞が築城したと伝わっていますが、詳細は不詳です。谷を挟んだ東西の尾根に築かれていて主要な曲輪は東側にあります。東尾根に登城口から登って行くと曲輪が展開し天空見張台となっている曲輪の背後に2重堀切があり見どころです。東尾根から登城しましたが、帰りは西尾根を通り東禅寺へ下りてきました。途中に2カ所堀切がありました。この東禅寺へ下りるルートは以前登城したときにはなかったと記憶しています。当時は二重掘切の背後の竪堀のような地形を確認して引き返しました。カズサンの投稿を見ると整備されたのは5年くらい前ということでしょうか。いい登城路ができていましたね。
全体的によく整備されていて気持ちよく散策できました。
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2024/12/07 17:09
「山城に行こう2024」(岐阜のお城大集合!ぎふオシロフェス) (2024/12/07 訪問)
「山城に行こう2024」(岐阜のお城大集合!ぎふオシロフェス)が岐阜県可児市広見地区センターで12月7日、8日の日程で開催されています。「山城のまち可児市」で毎年開催されているのは知っていましたが、今まで参加したことはありません。休養日にするつもりでしたが、岐阜県内なら行ってみようかと出かけてきました。朝、開場前に行ったのですが、すでに長蛇の列ができていました。美濃・尾張の城郭ブースがあり、香川元太郎先生のイラスト展、森長可の愛槍「人間無骨」の写しの展示、武将隊演武もありました。すばらしいのは美濃金山城、今城、久々利城への無料シャトルバスが出ていることです。今城、久々利城は公共交通機関では行きにくい場所にあり助かります。おかげで予定になかった久々利城へ久しぶりに登城してしまいました。メイン会場にはキッチンカーが出ていて焼きそばと「明智光秀おすすめ十兵衛だんご」をいただきましたが、食べてしまってから写真を撮っていないことに気づきました。
楽しい時間を過ごすことができました。
8日は春風亭昇太師匠、中井均先生、加藤理文先生、香川元太郎先生によるトークショーがあり、司会は小栗さくらさんです。ただ8日は、自分は諸事情により参加する予定はありません。
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2024/12/07 12:04
山田野城 (2024/11/23 訪問)
【山田野城】
<駐車場他>駐車場はなし。<34.644440, 136.312204>辺りに車を寄せれ停めれる道幅がある。
<交通手段>車
<見所>土塁・虎口・切岸
<登城路>城跡の西側一帯がバブル時代の原野商法?のなれの果てと思われる山林の区画切売り地帯になっています。Googleマップで道路が蜘蛛の巣のように入り組んでいるのはそのせいで、道路から枝が出ている場所が結構あるので車の横を「キー」とこする可能性があります。大事に乗られている方は停めれる所から歩いた方が良いでしょう。<34.644510, 136.312997>から東へアスファルト道が伸びていて、ドン突き左手に主郭の切岸が見えるので城跡はすぐ分かります。
<感想>日帰り伊勢山城攻め旅1城目。山田野城は天正年間(1573~1592年)に長野左京進によって築城したとされます。長野左京進は三瀬の変で北畠具教を殺害したメンバーの一人なので、その功によりこの地を与えられ築城したと思われます。
城跡は東側に主郭と西側に二郭の大きな曲輪が残されてあります。南に三郭があった感じがありますが、現在は潰されています。主郭と二郭は土塁囲みになっており、主郭の南側には内枡形の虎口があり少し礫石が見られます。城跡の虎口は北と東にあり、北の虎口は主郭の北側の堀切と繋がっていて北から登山道を登ってきた場合、入って小さな枡形になっています。東の虎口は主郭の東側全体に帯曲輪があり、真ん中辺りに下がる切口があります。帯曲輪からは主郭の切岸が高くて見上げると壮観(削ってます!って感じ)です。この帯曲輪が主要部南の改変された土地と繋がっているので、三郭があったろうと連想させます。二郭の西側は緩やかな尾根傾斜から谷になっていて堀切が無いのが不思議な造りでした。主要部の遺構は結構綺麗に残されていて、なかなか見応えある城跡でした。一応この日のベストでした。
<満足度>◆◆◇
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2024/12/07 10:10
2024/12/07 08:03
城山稲荷神社 (2024/05/05 訪問)
本庄城は弘治2年(1556)に本庄宮内少輔実忠によって築かれたとされ、利根川と烏川に削られた河岸段丘の上に築かれています。北側を小山川(現・元小山川)が流れ、南東は久城堀で切断されるという天然の要害でしたが、天正18年(1590)の豊臣秀吉の関東攻めによって落城しました。元小山川の南側一帯、東の城下公園の南から西の市役所あたりまでが城址だったようで、中央の郭跡には城山稲荷神社があり、城址碑や案内板が設置されています。
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2024/12/07 07:45
箕田源氏 (2024/05/05 訪問)
箕田館は城郭大系に載ってないので詳細は不明でした。箕田古墳の南あたりが館址らしいので二号墳と、以前城びとに掲載されていた山神荒神の石の写真を掲載させていただきます。
どうやら源経基に仕え、天慶の乱にて功績のあった源仕から源綱までの三代が居住していた館跡らしい。氷川八幡社の案内板によると、箕田は武蔵武士発祥の地で源経基(六孫王清和源氏)は文武両道に秀でた優れた武将で武蔵守として源氏繁栄の基礎を築いたとされ、源仕(嵯峨源氏)は知勇兼備の人で経基を助け、箕田に住んだことから箕田源氏を称したようです。これらの歴史は氷川八幡社にある箕田碑に刻まれているようです(よく読めんかった)。
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2024/12/07 05:45
上山城 徳島県名西郡神山町 (2024/11/23 訪問)
こちらも城びと未登録城です。
こちらも近くに登録城が無いので関係はないですが上桜城のところでのレポートです。
ここもかなりの山奥にあります。
細い山道を走ると出雲神社があり、ここが城跡です。
駐車場が無いので少し下に下ったところのやや広いスペースに車を置きました。
遺構は曲輪と切岸が残る程度かな。
主郭に土塁っぽい部分もありますが神社を建てた際のものかもしれません。
平安末期の古い城で詳細は分かりません。
近く(とはいえかなり距離がある)には四国八十八カ所霊場第12番札所の焼山寺があります。
こちらも細い山道を登っていきます。
札所の中で2番めに高い場所にあります。
雰囲気のある山寺で眺望もgoodでした。
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2024/12/06 23:35
熊城 (2024/12/05 訪問)
要害山城の南東の谷を隔てた標高約730mの尾根に築かれた城で詳細はわかっていないようですが、要害山城の出城のように考えられている城址です。要害山城へ来たのは今回で3回目です。いつも熊城をセットで散策していました。要害山城より武骨な雰囲気で結構すきな城址です。
要害山城を散策した後、戻らずに背後の尾根を歩いて行くと深草観音・岩堂峠へ行く標識があります。その道を、道なりに尾根筋を回りこむように歩いて行くと西へ伸びる尾根があり降りて行くと熊城へ行けます。ハイキングコースの道から熊城方面の尾根へ入る場所に標識はありません。以前登城したときは土管があり目印としていましたが、撤去されていました。ただその場所に黄色いリボンが左右の木に巻かれて目印になっています。ここを降りて行くと途中で左右の尾根に分かれる所がありますが、右側(岩に石が積んであるのが目印)へ進みます。すると深い堀切があり、ここからが城域です。その堀切を越えてもすぐにまた深い堀切があり二重掘切といってもいいのかもしれません。それぞれの堀切は左右が竪堀となっていました。2つ目の堀切の東側に竪堀を降りて行くと南側に畝状竪堀を見ることができます。竪堀を戻り堀切を上がると主郭です。その下にも曲輪が続きます。下の曲輪から南東部へ回り込むと、ここにも畝状竪堀がありました。元の道に戻り降りて行くと堀切が2カ所あり、ここまでが主要な城域と思われます。コンパクトな城址ですが、堀切は見事で、畝状竪堀も観られ、所々石積みも残っていて楽しく散策できます。ただ道は整備されていないので歩きにくい所もあり多く、左右は急峻なん崖で高所恐怖症の自分は少し怖かったですね。
さらに下りて行くと山麓に石積みと曲輪の跡かと思われる地形があります。後世の畑などの跡かとも思われますが、館跡と見えなくもありません。山麓のこの地形についての資料は見つけられませんでした。詳細は不明です。
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