黒田氏の筑前六端城のひとつで黒田二十四騎の一人、井上周防之房が城主でした。高石垣に囲まれた曲輪を持った豊織系城郭であったようです。現在は公園として整備され石垣が一部残っています。
JR黒崎駅の北側に見える山が城址で徒歩約15分で行くことができます。
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2024/12/29 15:14
2024/12/29 14:38
藤原広嗣 (2024/12/27 訪問)
天平12年(740)に、反乱を起こした藤原広嗣が築城したと伝えられています。中世には周防の大内氏あるいは毛利氏と豊後の大友氏の間で攻防戦が繰り広げられました。豊臣秀吉の九州平定後は黒田氏、細川氏が慶長11年(1606)に破却されるまで城番を置いていました。
縄張り図を見ると、かなり見どころが多くありそうな城址ですが、平成30年7月の大雨による土砂崩れのため、多くの場所が立ち入り禁止となっています。登って下りてくるだけの登城になりました。事前にネット情報で知ってはいましたが、残念です。
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2024/12/29 14:23
ホトギ山より (2024/12/27 訪問)
標高246.9mのホトギ山(御所ヶ岳)より西に伸びる尾根の主に北斜面に築かれています。当城の北側に広がる京都平野からは旧石器時代の遺物が出土しています。また三世紀末頃には九州最大規模の前方後円墳石塚山古墳が築造されました。この地が畿内と北部九州との交通の要衝に位置していたと考えられています。城門は7カ所あり、景行神社裏には建物の存在があったことを示す礎石もあります。馬ヶ城からホトギ山を経由して登城しましたが、広範囲なため、すべての遺跡を見ることは断念して東門、中門、馬立場石塁、西門などを散策しました。中門跡の石塁は見応えがあります。第二東門跡にはブルーシートがかけてありました。古代山城は、以前はあまり興味ありませんでしたが、城門跡、水門跡など最近は結構楽しめるようになりました。
馬ヶ城から尾根伝いに行けば高低差もなく楽ではないかなと思い馬ヶ城本丸跡よりホトギ山を目指しました。ところが一度谷を下りて上がることになり思ったより大変でした。登山道は概ね整備されていますが、下り上りとも急坂でロープを頼りに進まなければなければならない所もあります。馬ヶ城本丸跡からホトギ山山頂まで約50分かかりました。ただホトギ山よりの眺望はすばらしく馬ヶ城も観ることができます。
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2024/12/29 11:44
板屋根白土塀修復完了 (2024/12/24 訪問)
木造復元天守閣の土佐漆喰壁のリニューアル完了後、昨年と今年に掛けて天守曲輪への登城路東脇の板屋根白土塀と天守曲輪東下帯曲輪の板屋根白土塀の板屋根の張替修復と白漆喰の塗替え修復が完了(今年の9、10月頃?)、先に登城側、後に東帯曲輪との二年越しの工事でした。
板屋根は黄色く塗装、土塀は白漆喰で奇麗に修復完了、30年前の木造復元天守閣が出来上がった頃に甦ってきました。
板屋根白土塀中心の写真投稿です。
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2024/12/29 10:58
祝木造復元天守閣~30周年 (2024/12/24 訪問)
今年は掛川城天守閣の本格木造復元天守閣開門30周年記念の年です、平成6年4月公開されて30年経ったのですね、その前後して木造復元が全国的に広がり白河小峰城三階櫓、大洲城天守閣、新発田城三階櫓と城好きの私を楽しませてくれました。
掛川城天守閣に登りましたが、まだまだ木の香り、生地の新鮮さは残って居り木造の天守閣の木組を観察し楽しめます。
天守閣は一昨年に土佐漆喰でリニューアルされ昨年のNHK大河ドラマどうする家康に間に合い、今年の30周年の祝いにもリニューアルで華を添えました。
今年もまだ残って居た修復工事東の帯曲輪板屋根付き白漆喰土塀9月か10月には完了し、訪ねた時には天守曲輪登城路と東帯曲輪の白土塀も奇麗に天守復元30年前と同じように光輝いて居ました。
小島陣屋移築復原御殿書院探訪の帰路、今年4回目どうなってるかなと?寄りました。
駐車場:掛川大手門駐車場を利用(有料)30分100円です。
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2024/12/29 10:57
2024/12/29 10:51
黒田官兵衛 (2024/12/27 訪問)
豊前を領地とした黒田官兵衛、長政親子が中津城に移るまで居城とした城です。
大谷登山口から山麓にある土塁、横堀、畝状竪堀群を見て登って行きました。坂は急なところもありましたが、歩きやすく整備されています。途中、堀切などを観ることができました。二の丸から本丸までは少し離れていて尾根を移動します。本丸手前に横堀の表示があり行ってみると見事な堀とそれに続く竪堀がありました。縄張り図には堀切となっています。自分も堀切の方がしっくりきます。本丸に説明板がありました。眺望はすばらしく京都平野や周防灘を見渡せます。
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2024/12/29 10:26
2024/12/29 10:08
出丸と別曲輪周辺散策 (2024/12/26 訪問)
出丸、別曲輪を一部ですが散策しました。城内の説明板では東側に出丸を設け、両脇を固めるように別曲輪を五つ配置していると書かれています。出丸と別曲輪の表示がありますが、主要な城域との位置関係、規模を考えると同じように思います。畝状竪堀もありました。別曲輪跡の表示のある曲輪の奥にも曲輪が展開していました。主要な曲輪はよく整備されています。奥まで行くと藪や倒木がありました。余湖くんのホームページには他にも曲輪があり、次に来た時は今回時間の都合で断念した東南にある別曲輪群も散策してみたいですね。
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2024/12/29 09:49
2024/12/29 09:29
本丸付近散策 (2024/12/26 訪問)
豊臣秀吉の一夜城伝説が残る城で、黒田氏が筑前を治めた時代は筑前六端城の一つとして位置づけられています。小石原街道と秋月街道が益富城下で交差し、交通の要衝でした。
興味深いのは縄張りで標高約190mの場所に本丸、二の丸があり、北東の尾根には別曲輪群が展開しています。その曲輪は余湖くんのホームページの図では出城となっていて9カ所記載されていました。現地の表示では出丸、別曲輪と表現されています。まずは本丸方面へ向かい水の手曲輪、二の丸、本丸、さらには馬屋跡まで散策し、戻って北東の別曲輪群を見学しました。時間の関係で東南にある別曲輪群は散策していません。それでも約2時間半かかりました。城域はかなり広いです。曲輪、枡形虎口、石垣などが残っていました。畝状竪堀が多く設置されていることは、この城の特徴のひとつです。
上の方まで車で上がれます。公共交通機関を利用される方は、桂川駅からバスが出ていて大隈バス停下車し、そこから徒歩で上まで上がります。
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2024/12/29 09:07
2024/12/29 09:05
日出城(3/3):ハローキティとくらすまち (2024/12/22 訪問)
日出城の続き(3/3)です。
瀧廉太郎の銅像の後ろには、かつては裏門櫓があったそうで、今では二の丸(銅像の前)に再建されています(写真①)。その二の丸には、駐車場・トイレ・案内所・おみやげ屋などがありますので、最初に立ち寄られて、地図などの情報収集をして散策されたらいいかと思います(写真②)。
また裏門跡には釣鐘櫓があり、今でも釣鐘がぶら下げられていました。朝8時になったら小学校が鐘を鳴らすそうです(写真③④)。登城ならぬ「登校の時間だよ~!」(笑)。
また城内のいたる所の電柱には、二階堂麦焼酎が宣伝されていました(写真⑤)。二階堂酒造の工場はここ日出町にあり、今ではいいちこ(宇佐の三和酒造)と並ぶ、日本で二トップの麦焼酎の会社です。
また暘谷駅に隣接する交流センターの二階には、日出城の模型もありした。時間があれば見学されたらいいかと思います(写真⑥)。私はバスの待ち時間に、ちょっと見てきました。
【周辺観光】ハーモニーランド(写真⑩)
日出町と言えば、知る人ぞ知るキティちゃんの聖地「ハーモニーランド」があります。日出城から車で北へ10分程坂を登った所、国道10号線(赤松峠)です。暘谷駅や杵築駅から本数少ですが路線バスも出ています(タクシー乗場あり)。暘谷駅は小さな駅ですがキティちゃんムードが漂う駅でした(写真⑦⑧)。平日や特に冬(1~2月)は正月を過ぎると寒くて人が急に少なくなり休園日も多いので、私は適度に人の多い春秋の週末に行かれる事をオススメします。でもGWは混雑します(笑)。かなり広い遊園地なので乗り放題のアトラクション付チケットを購入し、サンリオキャラクターが躍るステージやパレードもあるので、小さな女の子たちは1日中楽しめて大喜びすると思いますよ! ちなみに数年前ですが、私はステージに上がりバットばつまる君と抱き合った事があります・・・(何しに行ったの?😲)。
次は(写真⑨)のバスに乗り、今回ハーモニーランドは通過して、杵築城へ向かいます。
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2024/12/29 08:45
千葉 本佐倉城 (2024/12/28 訪問)
本佐倉城と佐倉城を京成本線利用で行ってきました。
大佐倉駅で下車し、駅構内でスタンプをゲットしました。
ちょうど昼食時だったので、コンビニでおにぎりでも買ってお腹を満たしてから
登城しようと思ったのですが、駅周辺には何も店がありませんでした。
20分くらい歩いて到着し、大堀切・城山虎口を通り城山郭に、さらに奥ノ山・東山に
行きました。
東山からは順天堂大学キャンパスが見え、天気がよければ筑波山も見えるそうですが
この日は見えませんでした。
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2024/12/29 08:27
主郭は竹藪 (2024/12/08 訪問)
平賀氏城館の2城目です。
白市の町内に説明板が設置されています。
西福寺の前の無料観光駐車場に車を置き西福寺から光政寺へと登ります。
光政寺右手の廃屋の浦から登城路がありました。
一応整備はされていて道は明確に分かりました。
途中、曲輪を見ながら少し登ると堀切に着きます。
まずは右手に登るも竹藪。
引き返し主郭方面も竹で覆われています。
国土地理院の三角点までは道がついていたのでそこまで行って引き返しました。
戦国期に平賀弘保が築いた城で御薗宇城から本拠を移しました。
白市は当時交通の便もよく、山頂からは四方をよく見渡せる防御に適した立地でした。
遅くなりましたがtodo94さん、沖縄コンプおめでとうございます✨
次は香川ですかね。
お待ちしております😊
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2024/12/29 07:15
お城EXPO2日後の沖縄攻城② 【城びと未登録】越来城(沖縄県沖縄市) (2024/12/24 訪問)
中城城からの転戦です。吉川弘文館「沖縄の名城を歩く」所収の城で「ごえくぐすく」と読みます。第一尚氏第6代の尚泰久王が王子時代に居城したといわれています。尚泰久に仕えていた金丸(第二尚氏初代尚円王)もここにいたということになりますね。なかなかの歴史を持つグスクではありませんか。公園になっていてお年寄りの皆さんがグラウンドゴルフに興じていらっしゃいました。ものすごくきれいに草が刈られていましたが、日常的に利用されている皆さんあってこそなのだなあと感じさせられました。
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2024/12/29 06:32
とことん一乗谷(復原町並) (2024/10/13 訪問)
(続き)
博物館からのシャトルバスを降りると、復原町並南側の券売所には行列ができていましたが、博物館との共通観覧券(210円分割引)を買ってあったので、列に並ぶことなく入場できました。
復原町並は発掘調査により発見された塀の石垣や建物礎石などをそのまま用いて往時の町並みを復原したもので、南北約200mの通り沿いに町家や武家屋敷が建ち並んでいます。また、訪れた日は「戦国城下町生活再現」が開催されていて、復原町並のあちこちで一乗谷に暮らす往時の姿の人々を見かけました。通り沿いの露店には野菜がならべられ、茶店が営業し、商家では越前焼の湯呑みや皿が売られています。店の人に尋ねてみると、往時の再現としてだけでなく実際に販売しているんだとか。復原町並、おもしろいなぁ。復原された町家に入ってみると、柱や梁にちょうなの痕が見られ、土間には井戸があり、紺屋の土間には染料が入った越前焼の大甕が半分埋められて並んでいます。裏庭に出ると井戸や排水溝、トイレにゴミ捨て場まで完備され一乗谷の生活水準の高さが窺えます。
町家群から通りをはさんだ北側には中級武家屋敷群、西側には上級武家屋敷群が広がっていますが、上級武家屋敷群の土塀と薬医門の向こう側は平面復原のみで建物は復原されていません。それでも建物礎石や井戸跡、排水溝と説明板やリーフレットを照らし合わせて見てみると、往時の姿を思い描くことができました。中級武家屋敷群には土塀と棟門のほか、主殿や蔵、納戸、トイレが復原されていて、主殿の台所では鯛がさばかれ、座敷では朝倉将棋(酔象の駒入り)が指されていました。
復原町並の通りは少しずつ角度を変えて見通しが利かないように造られており、南端は行き止まり、北端は矩折と呼ばれるクランク状になっていました。城下町ですもんね。そして、北側の休憩所にある復原町並のジオラマで上級武家屋敷群の様子を確認して復原町並をひとめぐり。
説明板やリーフレットなどと照らし合わせれば、平面復原でもある程度は往時の姿を思い描けるとはいえ、やはり復原された町並を見て、その中を歩き回って…という経験とは比べものになりませんし、その経験があれば、平面復原を見て思い描くイメージもより明瞭なものになるでしょうから、実に良い経験をさせてもらいました。その上に「戦国城下町生活再現」で住民の暮らしぶりまで感じられるとあっては、言うこと無しですね。…などと大いに満足して復原町並を後に朝倉館に向かいましたが、100名城スタンプを押し忘れたことに気付いたのは帰宅してからのことでした。やれやれ(続く)。
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2024/12/28 22:46
たどり着きました (2024/12/28 訪問)
全く城に興味のない友人に、一緒に行ってもらいました。
「本当にこんなところにあるの?」と言われながら、たどり着きました。
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2024/12/28 22:19
臥龍山雲松寺 (2024/12/22 訪問)
土井谷砦は小机城の城代であった笠原氏によって築かれた支城のような砦であったようです。雲松寺の裏山が城址とのことですが、周囲の高まりも、なかなか急で実際に登るのはリスクがありそうです。実際には雲松寺の南東の畑地になっている丘陵地が城址の主要部になるようです。私は小机小学校のあたりだと思っていたので当てが外れました。
雲松院は小机城の城代・笠原信為が父・能登守信隆の追善のために季雲を招いて開山とし、自らが開基となり建立したとされています。
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2024/12/28 21:37
円妙山大慶寺 相良城御殿の一部を移築 (2024/06/22 訪問)
静岡県藤枝市の円妙山大慶寺は田中城の姫君の病気平穏の功により田中城の祈願寺とされ「さむらい寺」と称されてきました。境内の久遠の松は日蓮上人お手植えとされ、樹齢は750年を越えるとされています。
客殿は天明8年(1788)に相良城の御殿の一部を移築したものとされ、大黒柱・梁・柱などは当時の物を使用しています。奥の間の部屋は往時に田沼意次が接見した間とされています。
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