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古賀越後 (2024/10/25 訪問)

 古賀氏の城と伝わります。境ノ松公民館の近くに「東古閑城空濠」の標柱と説明板があります。
龍造寺氏に攻められ城主であった古賀越後は城を枕に討ち死にしたと説明板にありました。

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安富純泰 (2024/10/25 訪問)

 安富氏の城です。天正十一年(1583)安富氏が龍造寺氏に味方したため、有馬・島津連合軍の猛攻を受けましたが、籠城して撃退した堅固な城です。
しかし、翌年の「沖田畷の戦」で龍造寺隆信が討死したので、安富純泰は佐賀に向って一族郎党を引連れて退城しました。
 石碑と説明板がありました。

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天守無しがアツい

未だ分からぬ畠山重忠邸の場所 (2024/09/29 訪問)

畠山重忠一族の館…通称 菅谷館は埼玉県立嵐山史跡の博物館あたり…菅谷館跡と現在呼ばれてる一帯にあったとされてますが、正確な位置はどこなのか? については現在も分かってないそうです🏠

博物館の側に(1枚目の)畠山重忠と菅谷館跡の関係性を紹介する案内板がありました。この城郭が古くから菅谷館ではないかと言われており、その西には鎌倉へ通じる街道跡が残されており、この城郭のどこかに重忠の館があったと考えられる…と

現在ここに残る城跡は…戦国時代に(河越城に対する)山内上杉氏の拠点として再興されたもので、鎌倉時代の頃の面影がないため、館の正確な位置が分からない…博物館の側に何かしらの建物があったと思われる柱跡は残っていたが、それが畠山一族が使用していたものを示す証拠が無いのでしょう

博物館の側には菅谷館跡のジオラマ(2枚目)もありました。そこから少し道を歩くと看板地図もあったので、それを頼りに城跡内を歩けるだけ歩いてみる…ことにしました🚶‍♂️

まず本廓のあたりを散策してみることに…小径を頑張って進みました…「途中でムカデ出ないか?蛇出ないか?もし噛まれたらヤバい🐍」という不安が頭の片隅を漂いながらの行進

幸い…そいつらに出くわす事は無かったものの…1番の障害となったのは、飛び回る虫でした…蚊とかカナブン(?)もしくはその他の羽の生えた虫が…しつこいくらいに私の耳元を飛び交い…集中力を削いできました😓

少しぬかるんでる階段を降りて橋を渡ったら…何とそこは菅谷館跡の敷地を超えていた…と設置されてる地図を見て気づき、せっかく来た道を引き返して敷地内の小径を通る…そこにもブンブン飛んでる虫がおり、「しつこいぞ!😠」と叫びながらの進行🚶‍♂️

この辺りが本廓(3枚目)…つまり館跡の中心地だそうです。けれど今の姿は…木々や草に覆われており、館がここにあったなんて面影は微塵もありません…何よりここもブンブン…と小さい虫がうるさい🐝 散策というよりはどこまでも付いてくる虫から逃げ回る形にさえ、なっていたかもしれない

なので撮影したらすぐに次へと進みました…一度博物館のある場所まで戻り、それから二の廓に行ってみました

どこも草木に覆われていて、土塁だ堀だと言われてもよく分かりませんでしたが、唯一の素人でもそれと分かる場所が空堀…(4枚目)どの辺りにあったか…細かい位置は忘れましたが、本廓もしくは二の廓だった気がします

二の廓では…地図上では楕円形状の道を歩いてまたこっちに引き返せると思えたので、そう歩くつもりでした。ところが歩いてくうちに…奥の方に道路があるのが視界に入り、「このままうるさい虫を我慢しながら戻るよりは、あっちに出た方が早そう」と思えたので、そっちへ向かうことに🚶‍♂️

小さい川を渡り階段を数段上るとガードレールと道路が…そこから角を2つ右に曲がると…行きに通った場所(小学校と中学校)に戻れました。ちなみにその学校の壁面に足軽のような格好をした兵士達が描かれており、地元民にこの辺りが城跡…という事が知れ渡ってると思われます

正直、今回の菅谷館跡散策は…飛び交う虫に悩まされたという点で苦行でした🐝🦟 けれど畠山重忠一族および戦国時代にこの辺りに居を構えていた人たちも…悩まされていたのかもしれませんね…「虫が五月蝿くて寝れんわ!」と

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有馬晴信 (2024/10/25 訪問)

 本丸を中心に東側に二の丸、西南側に三の丸、北西側に北の丸が展開する縄張りとなっています。二の丸は段々に削平地があり石積みが見られます。発掘調査により階段遺構(現在は保存のため埋め戻されている)が発見されています。東の二の丸方面より登城し本丸周辺を散策し三の丸方面より下りてきました。ネットで見るとよく整備されているように思いましたが、この時期は草も多く少し歩きにくい所もありました。本丸の北側日野江神社のある場所から三の丸方面へ降りて行く道は「石積み崩壊のおそれのため立入り禁止」の表示があり通行不可となっていました。本丸の下くらいに三の丸方面へ行く道があり、獣除けのゲートを開閉して行くことができます。今年はまだ暖かいことも影響しているのか蜘蛛も元気な様子で蜘蛛の巣が多く散策に難渋しました。縄張り図で堀切跡や竪堀跡がある北の丸へも行きたかったのですが、蜘蛛の巣等に意欲を削がれ断念しました。時期を選べばかなり遺構としては残っているので楽しめる気がします。

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安房神社 (2024/10/24 訪問)

 田尻親種が、それまで居城であった飛塚城が風水害で要害が悪くなったため1548年(天文17年)この地に築城しました。典型的な近世初頭の平城であったようです。
鷹尾城の説明板が安房神社にあります。近くには田尻親種の墓碑があり、その説明板が2カ所にありました。遺構はよくわかりません。

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蒲池統春 (2024/10/24 訪問)

蒲地氏の支城であったと伝わります。龍造寺隆信により攻め落とされました。説明板がありました。

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塩塚石見守鎮貞 (2024/10/24 訪問)

蒲地氏の支城と伝わっています。石碑と模擬天守の模型の写真を撮って撤退しました。

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立花宗茂 (2024/10/24 訪問)

 久しぶりの柳川城です。近くへ来たので寄ってきました。蒲地氏が築いた城です。立花宗茂の印象が強い城ですが、本格的な近代城郭にしたのは関ヶ原の戦い以後領主となった田中吉政と伝わっています。この城の特徴は複雑に入り組んだ掘割です。敵が攻めてきたときは、水門を開放することで掘割の水があふれて、城の中心部を残し、そのほか周辺の町を水没させることができたといわれています。今は川下り(お堀めぐり)を楽しむことができ観光資源となっています。自分は川下りはやったことがなく、機会があれば船に乗ってのんびり堀をめぐってみたいものです。

 昼飯に鰻せいろ蒸しを若松屋さんでいただきました。

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蒲池鎮漣 (2024/10/24 訪問)

 藤原純友の弟純乗により築かれたと伝わっていますが、実際は藤原純友、純乗たちを追討しようとした朝廷側の大宰権帥である橘公頼らが建てたものとされています。その後、蒲池氏の居城となりました。蒲池氏の墓碑がある崇久寺の西側一帯が城址とされています。近くに石碑と説明板があります。

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西牟田家周 (2024/10/24 訪問)

 西牟田家周が築城したとされています。久留米市三潴町生岩の八幡神社周辺が城址です。石碑や説明板はありません。本殿の裏に城内大神宮の標柱があります。
400mくらい南の田園風景の中に「死守生津城兵の塚」があります。横に説明文が書いてありますが薄くなり見にくくなっていました。

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城島天満宮 (2024/10/24 訪問)

 龍造寺家に属していた城主西牟田家親と西牟田家和兄弟が、沖田畷の戦いの後、大友氏より派遣された立花氏等の軍勢を撃退したことで知られる城址です。最終的には島津氏によって落とされました。城島天満宮の鳥居と山門の間に石碑と説明板があります。

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安武鎮教 (2024/10/24 訪問)

 1508年,安武鑑政によって築城されたとされています。1567年,龍造寺隆信が横岳頼継に命じて海津城を攻め安武鎮教は降伏して開城しました。
石碑と説明板があります。

 グーグルマップには先人の指摘通り海津城では登録がありません。どうしようかと悩みましたが筑後海津城址として載っていました。おかげで何とか行きつくことができました。

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とばつびしゃもん

石垣のない城 (2024/09/10 訪問)

ニの丸にある上越市立歴史博物館の駐車場に車を駐車し、まずは博物館で続日本100名城スタンプポン。博物館は越後の都をテーマに市の歴史を紹介する施設で、高田城に関する展示も多く興味深く観覧できました。
博物館を出て登城開始。二の丸から橋を渡ると本丸。本丸のほとんどは中学校で、西に復興された三重櫓がある。鯱があり、初重と三重の中央部には突き出た切妻破風屋根がありと意匠を凝らした櫓で、石垣ではなく土塁の上に直接建てられているのがめずらしい。
櫓内部を見学した後、極楽橋を渡り二の丸を通って駐車場へ。60分の攻城。

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しんちゃん

東海コンプ山の巻 岐阜県コンプ 東海四県フルコンプ達成! (2024/10/13 訪問)

岐阜県コンプ一番槍達成 これで東海四県フルコンプ達成です。
7月から東海4県「鬼攻め」を開始しましたが、8月に80近い母が体調を崩し、城攻めどころじゃなくなりました。
9月になって体調を戻してきてくれました。「カロリーメイト」の缶に入っているのや「メイバランス」を飲むことができたので回復が早かったです(ホッ)。
9月半ばから城攻め再開。三重県、岐阜県を怒涛の勢いで攻め落としました。やはり、しっかり足場固めをしておかないとですね。
けっこうリピートが多かったですけど、新たな視点で得るものもあったと思います。高原諏訪城は何度でも訪れたくなる良い城です。

神岡城は正式名称「東町城」といいますが、神岡城のほうがカッコいいですね。永禄7年(1564)に武田信玄の命で江馬盛時が築いたとされ、現在は模擬天守が建っており、神岡町のシンボルになっています。最上階は展望所になっていて、傘松城や飛騨の街並みを見ることが出来ます。うん‥飛騨は良いところです。
岐阜県制覇で
美濃国 540000石
飛騨国 38000石
合計57万8千石をゲットしました。 美濃国は案外大国なんですね。飛騨国は苦労のわりにはオヨヨです‥。そういうゲームなんですよ。東海四県 / 十ヶ国を制覇したので「しんちゃん」領の石高は、およそ合計260万石になりました。※1
徳川家康が関東に移封した時の石高(255万石)より少し多いですね。東海四県、案外石高多いのね‥といった感じです。

※1 あくまでしんちゃん脳内です(笑)。城びとの数だけ領土はあります! また攻め方も人それぞれ、楽しんだモン勝ちですよ。

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しんちゃん

東海コンプ火の巻 愛知県コンプです! (2024/06/15 訪問)

足助城に行ってきました。これで愛知県コンプです。というか‥城びとに参戦した時点でほぼ「いった」の状態でした。
もう一回ひとしきり回って写真を集めてきたので時間がかかったのですね。ちなみに愛知の城郭は千数百回っていますが、まだ訪問していない城もあります。案外愛知県も城が多いんですよ。
意外だったんだけど、愛知県の掲載コンプも私が一番槍のようです。でもほぼほぼ回っている方が数人いるので(すぐわかります)比較的コンプしやすい県だとは思います。愛知にも比高300m以上の山城もありますが「城びと」には無いので、頑張ればコンプできると思います。
足助城は良い城です。戦国時代の山城を再現してある、まさに等身大のジオラマといった感じの山城ですね。キテレツな模擬天守が多い中、こういった発想は素晴らしいと思います。
香嵐渓は秋がシーズンの盛りですが、足助城は年中オススメです。近くのうどん屋の定食もすごくリーズナブルでした。シーズン中は知りませんが、この時は千円以下だったと思います。このボリュームでですよ! 私は大満足です。

尾張国 571737石
三河国 290715石
合計86万2450石をゲットです。 案外三河も侮れませんね、まあ地元ですし岡崎城や吉田城、長篠城、古宮城、長篠・設楽原古戦場もありますしの~(手前ミソ!)。


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しんちゃん

東海コンプ林の巻 三重県コンプ一番槍! (2024/09/29 訪問)

今日は選挙の日ですが、入れる相手がいない‥。私はけっこう「保守」なので自民党にいれてたんだけど、今回ばかりは‥。
外国の人達と仲良くやるのは大事だけど、乗っ取られちゃ意味がないと思うぞ。
さて9月、10月と三重県、岐阜県をガン攻めでコンプして参りました。私の場合は
訪問→写真撮る→城びとに掲載で、コンプの対象になります。山城は主郭まで制圧して「いった」になります。まあ人それぞれ事情もありますが、私はこの方式で行きたいと思います。

南北朝末期に川面氏がここに城を築きますが、九鬼浦から勢力を伸ばしてきた九鬼氏の傘下に入ったとのことです。断崖絶壁の要衝に築荒れており、主郭からは大王崎灯台が良く見えます。

三重県制覇により
伊賀国 100000石
伊勢国 567105石
志摩国 17854石 (以上 慶長3年期)
をゲットしました 計68万5千石になります。
志摩少ねぇ~(涙) 静岡分と合わせて116万石になりました。

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しんちゃん

東海コンプ風の巻 静岡県コンプ! (2024/07/15 訪問)

静岡県コンプして参りました。7月ごろクソ暑い中、車中泊しながら伊豆を周ってきたんですね。いやいや‥伊豆は暑かったです。
ずっごく意外だけど静岡県は私が掲載コンプ一番槍みたいです。でも事実上の初コンプは姫街道さんだと思います。
伊豆はなかなかハードルが高いようですね。下田城の近くに叔父の家があるので、数十年ぶりに訪ねてきました。ほぼ初見の従兄弟がびっくりしてました。いやはや、お騒がせ‥ご容赦を。
下田城は北条氏の海城で豊臣秀吉の小田原征伐に備えて改修を受けています。別名「鵜島城」で叔父はそちらの名で呼んでましたね。
小田原征伐の際には、伊豆衆の筆頭・清水康英を水軍の総大将とし、下田城を守らせています。
現状・下田公園で無料の駐車場もあります。途中、いくつもの記念碑が有り、居館跡の大広間の南には開国記念碑もあります。
展望台が複数あり、最初の展望台を訪問した後に大堀切を越えて主郭を目指します。

みなさん、かなりいい所まで行かれているので、せっかくだからコンプまでされてはどうでしょうか。
私、コンプで遊びを一つ考えてみました。静岡県を制覇したので
遠江国 255160石
駿河国 150000石
伊豆国 69832石
をゲットです。合計47万5千石獲得です。駿河と伊豆、思っていたより少ない。いや、伊豆はこんなもんか。
どうやら苦労した場所ほど石高が少ない遊びのようですね。

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しんちゃん

機動戦士へたれガンダムⅡ 愛・戦士編 (2024/09/16 訪問)

そこに愛はあります。福島県福島市へたれガンダムの続きです。
興味の無い方には、ただのへんちくりんな鉄の立像にしか見えないと思います。作者である地元のアマチュア鉄作家の男性はこの像の完成の翌年ごろに亡くなってしまったので、この像は遺作の意味合いもあります。
2009~2010年頃に製作されたとされ、その特異の外観から「へたれガンダム」として地域の方々や多くの人に愛されています。
一度は錆びついてしまったものの、除染作業員の方々やファンによって二度の塗り直しがされています。ガンダムが手にしていたビームライフルは一度、盗難にあいますが福島工業高等学校の3年生6人と教諭によって、放課後1週間かけて新たなビームライフルが製作され寄贈されました。以前のライフルの形状を受け継ぎながら、細部はさらに造りこまれています。まさに愛のなせる業です。
ボヤ事件が起きた際にも被害をまぬがれ、「地域の守り神」と称されるまでになっています。
賽銭箱も置かれ、地域の神社より賽銭が多いようです。また正月にはしめ縄が巻かれたりしているそうです。
へたれガンダムは既に神の領域にまでさしかかろうとしているようですね。

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todo94

秋の乗り放題パスでの攻城⑦ (2024/10/13 訪問)

七松城からの転戦です。JR神戸線の甲子園口駅から徒歩にてアプローチしました。日野神社では子どもからお年寄りまで大勢の方々が清掃をされていました。ご苦労様です。日野神社御由緒にも瓦林城について、触れられていました。この日の午前中の攻城はこれまで。ここから三宮に向かい献血ルームmimamoにて献血をしてまいりました。神戸での献血は3度目ですが、最初は三宮センタープラザ、二度目はミント神戸15でしたので、mimamoでの献血は初めてです。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)7日目:箸尾城 (2024/09/28 訪問)

箸尾駅から徒歩10分弱で、石碑/説明板横(34.565399、135.751625)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、箸尾氏によって築かれたと云われています。
箸尾氏は興福寺一乗院方の民で、筒井氏、越智氏、十市氏と並んで大和四家に数えられるほどの勢力を持っていたそうです。

箸尾城は教行寺箸尾御坊の東側一帯に築かれていたそうですが、現在は石碑と案内板があるのみです。
攻城時間は5分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。宿泊先の王寺駅に戻りました。
本日の攻城徒歩=40128歩、攻城距離=28.08Kmでした。

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