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HKISD

御所ヶ谷神籠石散策 (2024/09/08 訪問)

中門、西門の石垣が素晴らしすぎて、昔の人の偉大さに感心させられました。

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HKISD

馬ヶ岳城散策 (2024/09/08 訪問)

展望台には官兵衛の岩がありその後二ノ丸迄、結構な坂で途中、休憩しました。そして本丸へ。
素晴らしい景色をありがとうございます。
又、官兵衛の移住した所なのでジーンときました。

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T-Shionoya

川越城訪問 (2006/05/05 訪問)

過去の城郭巡りの振り返り第24弾は、埼玉県川越市の川越城。

入間川の南、武蔵野台地の北端の縁に築かれた城。

1457年に古河公方に対抗するため太田道真・道灌父子が築いたと伝わる、その主君扇谷上杉氏の居城。
1537年、北条氏綱により攻め落とされ、1576年には北条家臣の大道寺政繁が改修。
家康の関東移封後は酒井重忠などの酒井氏、近代城郭に整備した松平信綱からの大河内松平氏3代、秋元氏4代、結城松平氏7代などが城主となり幕末を迎えました。

現在は本丸付近が初雁公園となり、土塁と希少な本丸御殿の一部が残る城。
しかし城域の多くは学校や博物館、住宅地で、要所に標柱が立てられているものの城感は薄い状態。

最初の訪問時は、秋元氏の時代に先祖がこの周辺にいたのかと考えた以外、あまり記憶になし。
ところが改めて縄張図を見ると魅力的な城郭で、大手門と中曲輪の南門に丸馬出を備え、他の虎口には喰違虎口を採用。最終関門の本丸北門は甘い平虎口だが、東側にその目隠しなのか横矢を掛ける目的なのか本丸からの突出部を設置していた模様。
そんな構造を少しでも感じることができないかと2年前に再訪問すると、初雁公園は城址公園としての整備が進行中とのこと。
要塞らしい虎口の復元を期待したい川越城です。

※写真1~6,9,10は2022年9月の撮影

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まつたく

岡城址 (2024/09/08 訪問)

入場料は300円。入口のところにしか自販機がないので、全て歩く(1時間以上かかります)つもりなら、飲み物をしっかりと持って行ってください。夏場に行くのはオススメしません。
滝廉太郎像が二の丸にあります。

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しんちゃん

「馬出」はカレー味 ♪ (2024/09/08 訪問)

普段は「城びと」ある時は「キン肉マンびと」、そして今回突然に「カレーびと」になりました。
マジメに諏訪原城の投稿をしている時に「馬出」の形状を見て、突然「カレーの神」の啓示を受け、今回の投稿と相成りました次第です。そもそも諏訪原城の馬出は空堀なので、カレーは関係ないのですが、それだとビジュアル的に寂しいので、なにとぞご容赦願います。
諏訪原城には広大な「外堀」と「内堀」があり、他にも複数の「馬出」があります。特に規模の大きいのは「二の曲輪大手馬出」と「二の曲輪東内馬出」で前者は訪問してすぐに遭遇し絶大なインパクトを残します。
後者は二の曲輪の北側に配され、土橋でニの曲輪と繋がっていて、全容が把握しやすく諏訪原城のシンボルとも言える存在です。他にも「二の曲輪東内馬出」と「二の曲輪南馬出」も訪問しており、後者は規模こそ大きくはないものの、きれいな扇形の堀を残しています。
「カレーと城」繋がりですと他にも「坂本城:華麗なる水城」の坂本城カレー、「長浜城:カレーは飲み物ですか?」の滋賀‥琵琶湖カレーが好評発売中です(売ってない!)。

最期にあえて一言、「馬出は食べ物です(ポカッ!)」

※1 訪問日は脳内で馬出カレーを訪問した日付になっております。諏訪原城訪問日ではありません。
※2 「馬出カレー」には生身の武田兵は付属しておりません。

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ぴーかる

この城か荒子城が前田利家生誕地 (2024/07/27 訪問)

【前田城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>近鉄線伏屋駅から徒歩

<感想>青春18きっぷで濃尾平野ちょこ城巡り第5弾6城目。城跡地である前田速念寺の由緒書によると、この地である海東郡前田村は前田氏発祥の地で寺伝では前田利家公はこの地で生まれ、幼少時に出城である荒子城に移って成長したとされます。前田城は長久手の戦いで秀吉方に付いたために徳川軍に攻撃され落城し、城主の前田輿十郎は蟹江で討死しました。利家の叔父前田利則は出家してここに速念寺初代となりました。
 速念寺境内に城跡碑、本堂の左脇に最後の城主前田輿十郎の墓碑があります。

<満足度>◆◇◇

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しんちゃん

「馬出」は極上の味 (2024/06/22 訪問)

暑いですね~。9月の始めごろに庭でコオロギが鳴いていたのに、すぐに静かになりました。来年は10月ごろに出ておいで。
異常な暑さでカエルもセミもコオロギも皆、元気が無くなっています。生態系が心配ですね。
諏訪原城の投稿です。私は土の城では山中城が気に入っていますが、武田流築城術が息づいている諏訪原城も好きです。同様に武田軍の手の入っている、愛知県新城市の古宮城も好きですし、埼玉県の杉本城も好きですね(上杉・北条?)。
ただし、古宮城や諏訪原城は徳川氏によって改修を受けているようです。ちょうど小牧・長久手の合戦のあと、豊臣軍の駿府侵攻の脅威が差し迫っていた時期で、徳川方もやっきになって改修を行っていたようです。
せっかくのストイックな馬場美濃守の縄張りが「タヌキ軍団」によって、その姿を変えてしまったわけですが、これが戦国の世において「敗れる」ということだと思います。城址はおろか、「歴史」でさえ、勝者に都合の良いように変えられてしまうわけで、これも「弱肉強食」の摂理と受け入れるしかありません。
むしろ徳川方の手が入ることによって、より「高度」に進化した縄張りを楽しめると考えた方が良いでしょう。しばらく前に昇太師匠がTVで諏訪原城の「馬出」を見て、これは徳川氏による縄張りだと紹介した時は、カチンと来ましたが今はなんとなくわかります。

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トク

海を渡って松山への旅 (2024/09/05 訪問)

松山城番外編です。今回の松山への旅は、船で四国へ渡り松山城から道後温泉まで行きました。その私のたどった経路を順番に写真に沿って御紹介します。行き方は多々あるとは思いますが、今後行かれる方の参考の一つにでもなればと思います。波もなく快適な船旅でした。やっぱり海はいいですね!

【写真①②】
柳井港から、今回も「柳井松山オレンジフェリー」を利用しました。乗り場はJR山陽本線柳井港(やないみなと)駅前(徒歩3分)の所にあります。

【写真③】
出港すると周防大島にかかる橋の下をくぐり瀬戸内海に出ます。橋の右が柳井、左が先月訪問した周防大島です。前回はバスで陸奥記念館へあの橋を渡りました。ここからは瀬戸内の島々の間をぬうように船は航行します。

【写真④⑤】
陸奥沈没地点の上に来ました(この下に陸奥は沈んでいます)。はるか向こうに三つ小さく山が見えると思いますが、その山頂に「岩国城」があります。

【写真⑥】
三津浜港(松山)に到着しました。片道2時間35分の船旅です。ここはドラマで好古・真之・子規が松山を離れ、大阪の師範学校や東京の大学予備門に入るため船に乗り旅立って行ったシーンがあった場所でもあります。

【写真⑦】
三津浜港からは松山市駅行の伊予鉄バスが出ています(松山市駅まで35分)。

【写真⑧⑨⑩】
松山市駅から路面電車に乗って大街道(おおかいどう)で下車し徒歩5分、まずロープーウェイで松山城へ登城。それから崖の崩落場所や堀の石積崩落場所を視察後、坂の上の雲ミュージアムを見学しました。途中の市役所前から見上げた松山城もよかったです。それから鯛めしを食べた後、再び路面電車「道後温泉」行に乗り終点で下車。夜は道後温泉のホテルに宿泊し、リニューアルされた「坊ちゃんの湯」で湯ったりくつろぎました。そして翌朝は、正岡子規記念館を見学し、同じルートで帰途に着きました。


豪雨による松山城の崖の崩落の視察に行ったのですが、終わってみれば「快適な船・鯛めしグルメ・道後温泉」の旅で、結局は自分の癒し旅をしてきたような気がします(笑)。

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POYO58

2年ぶり (2024/08/25 訪問)

またもや2年ぶりの掛川城に行ってきました。いやとにかく遠かったですね。名古屋駅からJRで約2時間半というところでしょうか?今までで1番遠い電車旅となりました。
掛川城は今川義元の家臣の朝比奈氏の居城でしたが、その後家康の攻略と、家康の関東移籍に伴い最終的に山内一豊が改修しました。
この城の特徴は御殿が残っていることですかね。お城で御殿が残っているのは、掛川城、高知城、川越城、二条城の四ヶ所です。これはなかなかすごいです。また掛川城は日本最古の復元天守を持ち、東海の名城と呼ばれています。
その他の遺構だとまずレアなのが、銀杏型の石垣ですね。御殿の近くにちらっと顔を覗かせていますが、当時の石垣とは思えない程綺麗に積まれています。
また十露盤堀や三日月堀などのここでしかみられないものです。
他にも太鼓櫓や腰巻き石垣などの見どころの一つです。

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しんちゃん

楠木正成像と二重橋 (2019/10/01 訪問)

江戸時代に国学の四大人の一人とされた平田篤胤によって「国学」はより宗教色が強くなり尊王攘夷の傾向が強くなっていったと思います。平田氏の思想は後の尊王攘夷志士達にも強い影響を与えているようです。
明治時代は「皇国史観」が徹底されていて、その影響もあって「楠木正成」は大人気だったようです。実はけっこうズバズバいう人で、後醍醐天皇にはちょっとケムたがられていたかもしれませんが。なんにせよ皇居を守る武将の像として正成公はうってつけだったようです。
しばらく外苑をぶらぶらしていたら陽が傾いてきたので帰ることにしました。外桜田門をくぐって出ると景色が変わってきています。大都会の中で江戸城の堀や緑は心を安らげてくれます。

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ハッスルオヤジ

松江城 (2024/07/17 訪問)

国宝

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モト

元寇と日本の為に戦った事に感激です。 (2024/09/03 訪問)

元寇からの進行に対して工事した防塁、今は分断されて点在してます。
場所によって様々な武将が携わった跡が見られます。
今まで見た事のないような武器や兵と戦った当時の武将の思いを感じて勝手に心熱くなってしまいました。
主には西新地区、今津、生の松原と残っています。
西新地区では街中の一画に残る防塁と、その側の大学の構内にも見事に保存されています。
大学は平日に見学できるようになってます。
今津では海岸に設置された防塁を見る事ができます。
当時の防塁や迫る元寇の雰囲気がかなり鮮明に想像できます。
生の松原にも残った防塁が見れます。
それぞれが積み方などの違いでどの地域の武将が工事に携わったのかがわかるそうです。
日本を守る為に戦った当時の武将の勇気、使命感の高さを想像して感激の防塁見学でした。

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伊奈忠次 (2024/09/07 訪問)

 関東郡代伊奈氏の祖、伊奈忠次の陣屋跡です。「伊奈氏屋敷跡」として説明板や案内標識が整備されています。土塁や空堀などが、いい感じで残っています。障子堀も見つかっていますが、は発掘調査後、保存のため埋め戻されています。ところが障子堀という案内標識が複数あり淡い期待を抱いて探してみました。やはり見当たりません。また藪になっている所もあり、時期的に蚊にも悩まされました。それでも十分楽しめる陣屋跡ですが、散策は冬の方がいいですね。

埼玉新都市交通ニューシャトル丸山駅からすぐの所に裏門跡があります。

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鎌倉公園 (2024/09/07 訪問)

 岩槻城主であった太田氏の家臣、松野氏の居城跡です。鎌倉公園付近が城址で遺構はありません。公園に説明板があります。

大宮駅からバスに乗り団地南バス停下車、徒歩5分くらいで行くことができます。

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北浦和東公園 (2024/09/07 訪問)

 岩槻城主高力清長の家臣中村吉照が設けた陣屋跡です。遺構はないようです。北浦和東公園にある針ヶ谷三山と天神山と記されている案内板を撮影して撤退しました。

 北浦和駅から徒歩約15分くらいでした。

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真鳥日向守 (2024/09/07 訪問)

 畠山重忠の家臣真鳥日向守の城跡と伝わっています。日向不動堂付近にあったとされ境内に石碑があります。

 南与野駅から徒歩10分くらいです。

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佐々木盛綱 (2024/09/07 訪問)

 平安末期佐々木盛綱により築城されたと伝わっています。名物うなぎ川魚割烹幸楽園さん付近が跡地で、遺構はないようです。看板に旧領ヶ城址とあり、撮影させていただき撤退しました。幸楽園さんのHPに旧領ヶ谷城址の説明があります。

 南浦和駅より徒歩約20分です。
 

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しんちゃん

カレーは飲み物ですか? (2013/07/21 訪問)

スイカバーは来年までお預けでしょうか? それはさておき、スギ薬局でレトルトカレーが安売りしていたので、こんなものを作ってしまいました。琵琶湖の周りに戦国期の主要な城郭を配置します。うん、これで滋賀県が、ほぼ収まった‥「滋賀県カレー」と名付けよう!
えっ? 滋賀県はもっと広い? 琵琶湖は滋賀県の六分の一? ‥‥じゃあ琵琶湖カレーでいいです。
安土城の石段には「石仏」を配置しています。うう‥細かい、でも安土城にはこれがないと。さあカレーを注水、あれっ なんか琵琶湖の形がおかしい‥。うーん、低い方に流れてしまったか、でも坂本城がギリ水没していないし、良しとしよう。

長浜城の方向から声が聞こえてきます。「俺をダシに使うんじゃない!」すみません、今からやります。長浜城は坂本城と同じく琵琶湖に面して築かれた「水城」です。正確な往時の姿は不明ですが、二重の外堀と内堀に囲まれていて、南北約1.2km、東西約0.7kmの規模を持っていたとされます。かつては琵琶湖に面し、坂本城や長浜城、安土城が築かれ、竹生城などを含めて戦国期と思えないほどの優雅さを誇っていたと思います。

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しんちゃん

広い城域を持っています。 (2014/05/17 訪問)

最近コンビニでスイカバーを見ません。スーパーにも無いです、何かの陰謀でしょうか(夏季限定?)。
それは置いておいて、少し古い写真を掲載させて頂きたいと思います。車で番所あたりまで行くことが出来るので、この日は最高所である大嶽城まで訪れています。徒歩で来られた方は、そのまま福寿丸、山崎丸を経由して下山されるのも良いでしょう。東西の尾根に曲輪が連なり、かなりの城域を持っています。また主要な部分は東側に築かれています。
この日のルートは「金吾丸」「御茶屋」「御馬屋・御馬池」「首据石」「大広間」「赤尾屋敷」「本丸」「御局屋敷」「中丸」「京極丸」「小丸」「山王丸」「六坊・月所丸」「大嶽城」の順になります。
「金吾丸」は大永8年(1525)に六角高頼が小谷城を攻めた時、越前の朝倉金吾教景がここに布陣したと伝わります。
「番所」は主要部への入り口に当たり、番所が置かれていた場所になります。この近くまで自動車で来ることが出来、温存できた体力で大嶽城までたどり着きました。
「御茶屋敷」は番所の上に配置され、名前にそぐわぬ高い防御力を持った曲輪です。「御馬屋」周辺には井戸や、池があり馬に関係する曲輪かどうかについては意見が分かれているようです。
「首据石」は黒金門の手前に置かれ、天文2年(1535)1月に六角氏との合戦の際に初代・浅井亮政は敵に内通の疑いがあった家臣の今井秀信を神照寺で殺害し、首をここに晒したとされています。
「赤尾屋敷」は重臣・赤尾氏の屋敷で、重臣の屋敷としては本丸の最も近くに配されています。天文元年(1573)9月1日に浅井長政が自刃した場所としても知られています。

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朝田 辰兵衛

ヒルにヤラレました…😨 (2024/06/24 訪問)

相生駅前~瓜生東まで,路線バス(ウイング神姫)を利用しました。交通系IC可【460円】です。瓜生東バス停から,徒歩約20分で登城口到着。バス停からは,羅漢の里を目指すと良いでしょう。
この日は雨上がりで,暑さへの心配はありませんでした。これが,油断につながったのだと思います…。
井戸跡に向かおうと少し足を進めていたら,左足に数匹のヒルを発見。慌てて払いましたが,1匹どこかに隠れていたようです。下山後に確認したら,左足のスネ付近をヤラレてました。その痕はまだ消えていません…😨
結局,井戸跡への散策は断念しました。

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