岡山城天守は耐震工事を施してリニューアルされました。エレベーターは設置されていますが、地下1階から4階までで5階と6階は階段でのぼることになります。天守閣は上にいくほど狭くなるので頑張っている方だと思います。
特徴的な形状の天守なので、本来なら木造で見たい所なのですが、木造の天守は第二次世界大戦の空襲で残念ながら消失してしまいました。内部はエレベーターを設置しながらも余裕のある造りで、移動にもストレスを感じることは有りません。スペースに余裕が有るのでゆっくり展示物やパネルを鑑賞することが出来ます。
関ヶ原の合戦で西軍が敗れた後、宇喜多秀家と二人の息子は八丈島に流されてしまいました。
二人の息子は母恋しさに豪姫の絵を撫ですぎたため、絵の額の部分が薄くなってしまったという逸話が残っています。
長男は早逝しており、次男の秀高は数えで10歳、三男の秀継は数えで4歳ごろだったと思います。徳川の地盤を盤石にするためとはいえ、わずか3歳の子供を母から引き離し、島流しにするとは家康公も非情なことをするものです。
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