天守を見学後、まず天守門の手前まで行って浜松城の100名城をスタンプ帳に押印。それからコンビニのイートインスペースにて昼飯…昼休憩の最中…「家康がボロ負けした三方ヶ原の古戦場に行こうと予定してたけど…天守門に東照宮という存在をここに来てから知った」
熟考した結果…「三方ヶ原は止めよう。ここから少し離れてるし城から現地まで直通のバスがあるかも分からないし」「その代わりこの城見学に専念。天守以外の施設を可能な限り抑える。その方が安定した1日を過ごせるだろう」
という方向性に…🚶♂️ 天守門は中に入ると思ったより規模は小さく、石落とし(1枚目)がありました。敵が攻めてきた時にこの床板を開けて石を落とすなどして迎撃🪨
ビデオ上映があり、この天守門を再建した際の作業工程が紹介されてました。椅子が何個か置いてあったのでそこで小休憩も兼ねて視聴
天守門の瓦(2枚目)…この辺りを発掘した際に出土した瓦も展示されてました。天守門の屋根には鯱瓦や軒瓦などの瓦が使用されており、建物は解体されても…その残骸までは徹底して撤去されないみたいで、当時の様子が伺える品々が地中に埋まって残るものなんですね
城の記念メダル販売機…こういう天守の存在する規模の大きな城ではありがちかとは思うのですが(小田原城、広島城などにもある)、気分的に買いたくなったので1枚購入🪙 刻印機で名前と日付も彫ってもらいました
天守門を訪れる前に…昼飯直後に元城町東照宮を参拝⛩️ 東照宮がここにもある事は…何とこの日初めて知りました。城内の案内板に「元城前東照宮◯m」という表示があり、「ここにもあるのか東照宮!ならば後で行ってみよう🫢」という気分になったから
少し迷いましたが何とか到着🚶♂️ まず(3枚目の)本堂で参拝しました。賽銭箱に投げたお金が弾かれて外に落ちてしまい、手を伸ばして今度はそっと投入…すると今度はちゃんと箱内に入りました。他にも外に落ちてるお金が何枚かあったので…全部入れてあげました🪙
境内には秀吉(右)と家康(左)の銅像(4枚目)がありました。この東照宮はかつて引間城というものがあった場所。天文二十年(1551年)に尾張を出た農民の秀吉が今川の居城であるこの城を訪れて松下氏に仕えた…という案内板のエピソードを読んで…
「そう言えば秀吉の偉人マンガ読んだ時そんな話あったわ…秀吉は気が利くというか主が求めてるものを瞬時に察知する…場の空気を読める能力に長けていたので松下氏からたいそう気に入られたが、それが他の家来の反発を招き「今度あいつ(若き秀吉)を懲らしめてやろう」と陰口叩いてるのを耳にした松下氏は…「あいつばかり贔屓しすぎたか…」と考えて、秀吉に金だけ渡して「ここを去れ…これ以上は何も聞くな😌」と告げる」
「秀吉は瞬時に「ああ俺…他の家来から妬まれてるのね…それで殿は大事に至らないうちに俺を逃がそうと…今までお世話になりました…このご恩は一生忘れません😭」と呟いて城を去る。その後天下人になった秀吉は松下氏を探し出して笑顔で彼をもてなし、恩返しをする事ができた…という心温まる話
他方で元亀元年(1570年)に今川から独立した家康は遠江を平定した際にこの地に住み、(引間(引く馬)というニュアンスの名前は縁起が悪いので)浜松に地名を変更したそう。そういう話の関係で2人が銅像になって祀られてる
銅像見てもう一つ思った事は…「秀吉幼くね?数え年で16歳…今の年齢で中学3年としても…これでは10歳くらいにしか見えない🧒」「絶対これ製作者のミスでしょ🤣」「いくら昔の人間は栄養が不足しがち…中でも秀吉は身長が140cmほどしかなかったそう…とは言ってもこれはねえ😅」「期待に胸膨らませてる天真爛漫な少年…という感じはするけどさ」ですね
東照宮は御朱印こそ存在するものの受付日が限定されており、残念ながらこの日は対象外でした…境内を後にして坂を下ると偶然…引間城の御城印受付所を見つけました。2種類あり、「徳川家康公ゆかりの地」を選びました(5枚目右)
浜松城のは天守で既に購入していたのでその隣に…御城印帳におさめました(5枚目左)。城公園には他にも大河ドラマ館跡…日本庭園…美術館もあり、それらはついでにざっと眺める程度に見学しました
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