大河ドラマ「光る君へ」も終盤に入ってきたので、紫式部ゆかりの地を訪ねてきました。しばらく5回くらいのシリーズでお伝えしようと思います。お城の話題から外れて申し訳ありませんが、癒し旅に少しでもなれればと思います。よろしくお願いします。
まず最初に、紫式部邸(まひろの家)を訪れました。現在は「廬山寺(ろざんじ)」というお寺になっていました(写真①②③④)。まひろはここで生まれ育ちます。父の藤原為時が漢詩の師であったため、幼い頃から漢詩を憶え教養を身につけます。弟の惟規(のぶのり)は憶えが悪かったため「そなたが男であったらのう・・」と父は嘆いていたとか。しかし父には官職がなく貧しい暮らしが続いていたようです。この廬山寺の庭を眺めていると、数々のそのドラマのシーンが浮かんできました(写真⑤)。
まひろが26才になった時、父には越前守の官職が与えられ、まひろは20才以上も年上の「藤原宜孝」と結婚します。当時の貴族は一夫多妻制で、身分の低いまひろは妾(めかけ=正妻ではない)となり、この家で暮らし続けます。よって通い婚だったようです。そして1年後には娘「賢子(かたこ)」が生まれます。しかしその幸せもつかの間、2年後に宣孝は病で亡くなり、シングルマザーとなったまひろは、また貧しい生活に逆戻り。当時は貴族の女性が働く事は許されず、家にいて子供を育てるのが当たり前だったので、働きたいがままならない。どうしようもないまひろは気を紛らわすため、石山詣に出かけました。
まひろの家のすぐ目の前には、土御門第邸(つちみかどてい=藤原道長の屋敷)がありました(写真⑤⑥)。意外とご近所さんだったんですね! と思いきや中間には土塀と清和院御門があり(写真⑦)、塀の向こうとこちらでボールを投げれば届きそうなくらいの距離に住んでいるのに簡単には行き来できない、身分の違いを感じさせられる場所でした。
鎌倉時代に入ると、この邸宅は「廬山寺」となります。その後、明智光秀が比叡山延暦寺を焼き払った時に、この廬山寺も焼き払おうとしますが、正親町天皇から止められ、そこで光秀は自ら持っていた守り神の「念持仏」を奉納したそうです。寺院内には、その仏像が今でも残っており、今回の特別公開で運よく見る事ができました(撮影不可)。
では次は、まひろが詣でた「石山寺」へ向かいます。
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