みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

しんちゃん

日光田茂沢御用邸記念公園 紀州徳川家江戸中屋敷遺構 (2019/11/01 訪問)

日光東照宮の向かいにある田茂沢御用邸は元は紀州徳川家江戸中屋敷として天保年間に赤坂に造築されたものです。明治5年に皇室に献上され赤坂離宮となり、明治6年に皇居西の丸御殿が火事に見舞われた際には仮の皇居になりました。
明治31年に田茂沢に移築され皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の静養所となりました。現在公開されている御用邸は移築時やその後に増築された部分も多いのですが、三階建ての御座所が江戸時代の物になります。徳川御三家は三階建の建造物を特別に許されていたということです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

中禅寺湖周辺 (2019/11/01 訪問)

明治維新後のまだクーラーの無い時代、日本の蒸し暑い夏はヨーロッパから来ていた大使たちにはこたえたらしく、夏でも涼しい中禅寺湖の周辺は避暑地として人気がありました。現在は英国大使館別荘とイタリア大使館別荘が有料で公開されています。英国大使館別荘はかつての英国の外交官アーネスト・サトウの個人別荘として建造され、サトウ氏に関する展示が充実しています。いずれも中禅寺湖の湖畔に建てられていてテラスから美しい景色を見ることができます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

日光 (2019/11/01 訪問)

日光にはちょくちょく出かけています。栃木、群馬と観光しているとちょうど通り道になるんですね。このあたりは観光のネタに事欠かなく東照宮やいろは坂、中禅寺湖や華厳の滝など魅力的なスポットがそろっています。自分の中では中禅寺湖に来るとウニ丼を食べるのがルーティンになっています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

南朝方の城。眺望に優れる。 (2021/03/14 訪問)

安倍城はハイキングコースが設置されていて登山者もそれなりに多く久住砦を経由して本城にたどり着きます。古くは南朝方の国人領主の城で暦応元年(1338)北朝方の今川範国の攻撃を受けています。
安倍城は最高部の主郭の周囲に尾根上に郭を配し堀切もありますが、それほど手の込んだ遺構は残っていないようです。この城が素晴らしいのは静岡市全体と、遠く富士山まで視界に収めることの出来る眺望の良さだと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

3時代の大手口 (2023/09/09 訪問)

白石城見学後、白石駅から福島まわりで行ってきました。福島駅には6路線が乗り入れていますが、阿武隈急行は初乗車です。きょろきょろしながら目的の列車をさがすのも楽しかったです。
「政宗ブルーライナー」に揺られて梁川駅に向かったのですが、『政宗ダテニクル』のラッピング列車は先月、約7年間の運行を終えたのだそう。貴重な乗車経験となりました。

車窓からリンゴ畑など素敵な景色を楽しみ、梁川駅で下車。
広瀬川を渡り、江戸末期の楼門の残る本覚寺に寄ってから梁川城へ行きました。
城へのアプローチを実感しながら最後の坂を上がると、松前藩時代(江戸後期)の大手門跡の説明板がありました。この坂道が大手道だったようです。
左手に広がる広場が本丸跡(伊達氏館跡)で、見どころである「心字の池」は少し奥まったところに復元されていました。「ここをまっすぐ→」という大きな案内板を設置してくださっていたので堂々と突っ切って、広場の真ん中で主殿や会所を思い描き、庭園にかの時代の華やぎを感じと、想像の世界に浸ってきました。
明治期に本丸に移転した梁川小学校は震災で被災し再移転したようです。空間放射線量掲示板にはっとさせられました。

隣接する浅間神社で地元の方と少しお話しさせていただいてから本丸跡を反対側から見てみようと歩いていると「上杉氏時代の大手門」にぶつかりました。階段のあたりに櫓門を載せた石垣があったのだそうです。
周辺の鉤型も当時の名残かもしれず、初めての土地の住宅地散歩も何だかとっても楽しかったです。

この先に土塁が残っているようだったのでさがしに行くとそこは「伊達氏時代の大手口」。鉤型の大きな土塁が残っています。まだ夏の盛りで近づききれなかったですが、見ごたえ充分でした。

図らずもではありますが、伊達氏・上杉氏・松前藩領時代の大手口を確認することができて、記憶に残るうれしい城旅となりました。

帰りは「やながわ希望の森公園前駅」(駅名長い!)から。(梁川駅より本数が少ないので要注意です。)
無人駅で券売機もなかったのですが車掌さんがぱっちんぱっちんの補充券で作ってくださいました。





☆☆ブルボンも新潟だったのですね!
アルフォートは“水色派”です。んまい^m^

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

POYO58

天守台と外堀 (2023/11/03 訪問)

二の丸探訪後は城内東側へ進みました。城内東側からは結構見にくいですが、表門付近の石垣が綺麗に遠望できます。(写真⑦)
その後は埋め門を通って城外へ出て、外堀を一周しました。埋め門からは南に出るのですが、振り返ると天守台と高石垣が綺麗に見えます。埋め門周辺は打ち込みはぎの比較的丁寧な石垣が建っています。外堀沿いにある何やら白っぽい石垣は復元されたもののようです(写真②)
その後は東へと進んでいくと南側に土塁が築かれていました。用途はよくわかりませんが、はっきりと残っていましたよ。
東側へ進んでいくと、日本ではこの篠山城と諏訪原城でしか、見られない馬出しが見れますが、どうやら住宅地の中にあるように見えて断念しましたが、やはり見るべきでした…。しかも石垣の馬出しはここでしか見られないのに。皆さんは絶対ご覧になってください。東側の水堀も結構幅広く青々としていました。その後は駐車場まで外堀に沿って歩き、探訪を終えました。
ちなみに天守は元々築かれてないようですね。まあ確かにこんなに堅固な城ならわざわざ天守を建てる必要もなさそうです。でもこんなに大きい天守台に立つ天守があれば見てみたかったですね…
思ったより迫力満点でしたね。こんなに石垣で囲まれた平城というのはあまり見たことがなかったので。しかも現存建造物もないのになかなかの魅力でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

新ろくべえ

荒砥城に行ってきました。 (2023/12/25 訪問)

荒砥城は、信濃の大名である村上氏の一族山田氏によって築城された山城です。
《山田氏時代》
この城は、1524年(大永4年)。
千曲川を挟んで反対側にある村上氏の本拠・葛尾城の支城として
村上氏の一族の山田氏によって築かれた。
そこから30年近く山田氏によって統治されてきたが、
今まで上田原の戦いや砥石城の戦いで追い返していた武田軍の猛攻にあい、
真田幸綱の攻略によって砥石城が奪われると、武田に内通していた家臣に謀反を起こされ、
葛尾城から脱出。一度は奪い返すも、また攻められ葛尾城に火を掛け敗走、
この時荒砥城も焼かれてしまった。
《武田、上杉時代》
武田の領地となった荒砥城は、
武田に内通し裏切った屋代政国が城主となった。
そして、屋代政国が隠居し、屋代秀正が城主となるが、1582年武田が滅亡したため、
秀正は上杉氏につき、海津城の副将になった。しかし、信頼されず、
上杉景勝によって監視された。
そのためか、德川に内通し、上杉景勝に攻められ、荒砥城に火を放って、出奔。
その後、荒砥城は廃城となった。

【城情報】
・形式       ❙山城
・築城年      ❙1524年(大永4年)
・廃城年      ❙1584年4月
・築城者      ❙山田越中守二郎?
・最後の城主    ❙屋代秀正
・廃城理由     ❙德川に内通し、上杉によって攻められたため
・主な城主     ❙山田氏、屋代政国、屋代秀正
・遺構       ❙ 石垣、土塁、(復元)
・主な建築物    ❙門、櫓、柵、建物、
・説明看板、石碑  ❙石碑(裏面に説明)有
・駐車場、トイレ  ❙駐車場 有(狭め)
・天守       ❙中世の山城のためない
・保存状態(自身判断)❙復元だが、当時を思うことが出来る(さすがに石垣はなかったのでは?)
・城レベル     ❙3(詳しくは新ろくべえのプロフィールへ)
・備考       ❙・石垣の石が珍しい
          ❙・櫓や二の郭からは千曲市や坂城町が一望できる
          |・15分おきほどで、荒砥城の説明映像が自動で流れる。
          ❙・入城は有料のため注意

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

カズサンの令和5年心に残る10選

 今年も押し迫って参りました、登城数は近年減って来ていますが今年は134ヶ所の城郭を訪ねていました。振り返って心に残る、記憶に残る城郭、景観を10枚選び投稿させて頂きます。10枚に絞るのも難渋しましたが、長年訪ねたかった、景観が奇麗だった、復元中などを要にしての選出です。
 投稿写真の順番は甲乙つけがたく、登城、撮影日の早い順にしました。

 1・久野城(R5/03/29)新しく出来た遊水池に写る桜と久野城。
 2・宮沢遺跡(R5/09/17)以前から訪ねたかった宮沢遺跡東側の入口。
 3・多賀城(R5/09/18)外郭南門復元作業中、是非見たかった。
 4・篠山城(R5/10/01)内堀復元の確認と天守台とのツーショット。
 5・若桜鬼ヶ城(R5/10/02)以前より山頂の石垣群の探査を願って居た、本丸虎口。
 6・田和山遺跡(R5/10/04)以前より訪ねたかった弥生時代三重環濠遺跡。
 7・五龍城(R5/10/06)以前より訪ねたかった、安芸宍戸氏の山城、麓よりの景観。
 8・岡山城(R5/10/10)昨年リニューアルした岡山城天守閣。
 9・杉原砦(R5/10/21)以前より訪ねたかった藤橋城模擬天守閣。
 10・西宮砲台(R5/11/27)以前より訪ねたかった幕末期円形石造砲台。
 
 暫く登城の計画は有りませんので以前の投稿写真の再デビューです、10枚ではまだ心残りの城、写真も有りますので番外編10選を続けたいと思っています、選定整理が付きましたら投稿させて頂きます。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

私の兵糧丸

トクさんの投稿で夏場の兵糧丸を思い出しましたので…

温暖化の影響でか夏場は猛暑が当たり前になる中、水分補給は当然として、塩分補給用に「塩タブレット」を携帯しています。昨今は塩キャンディなどのバリエーションも増えて、あれこれと気分で選んでいます。

それと、携帯品ではありませんが、以前使っていたスマホは発熱が凄まじく、夏場はよく挙動不審になっていたので、車のエアコン吹き出し口に付けるスマホホルダーで冷却していました。本来はスマホをカーナビとして使うためのものなんでしょうけど(笑)

※ 「お城いろは」いいですね。何だ? と「とりあえずクリック」してしまいました。
 

+ 続きを読む

トク

私の兵糧丸

寒い冬の最中に夏の話題で恐縮ですが・・・

私が夏の登城時に必ず持ち歩いた物、それは「くまモンのタオル」と最寄りのコンビニで買った「氷」(ロックアイス)です。

九州の夏はとにかく暑い! 最近は6~9月は30度以上の真夏日はあたりまえ、7~8月は35度以上の猛暑日も数えきれないくらいありました。昨年はせっかく汗ダクで登城したのに、いざ写真を撮ろうとしたらスマホのカメラが起動せず、肝心の写真が撮れない😱~! なんていうトラブルを何度も経験しました。どうやら私のスマホは35度前後の炎天下に30分以上いると動作しなくなるようです(たぶんICが限界温度を越え動かなくなる)。よって今年は登城前に最寄りのコンビニで氷を買ってスマホといっしょにカバンの中に入れて冷やしながら登城しました。途中でその氷や融けた水を口に含めば熱中症も防げて一石二鳥です。コンビニの氷は融けにくく結構2時間近くもつので、そうやって克服しながら写真も撮れました。そしていよいよ疲れた時に元気をくれたのが、熊本城で買ったこの「くまモンのタオル」です! これで汗を拭きながら「トクもがんばるモン!」なんてものまねをすると最後までがんばって歩けました(でも全然似てなかったよ🤔)?・・・
 

+ 続きを読む

しんちゃん

八幡山城 静岡県静岡市駿河区八幡 (2021/03/14 訪問)

八幡山城は八幡神社の背後に立つ標高63mの八幡山に築かれています。平山城でなだらかな尾根上に郭が築かれており富士山も良く眺望できます。応永18年(1411)に駿河守護今川範政がこの地に入った時に築いた城塞の一つだそうです。
今川家の家督騒動の際に太田道灌が布陣したという伝承があり、伊勢新九郎盛時に関わる伝承もあるようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

三保松原 国指定名勝・世界遺産 (2021/03/14 訪問)

三保松原は静岡県清水区の三保半島にあり世界文化遺産に指定されています。古くからの景勝地で国指定名勝でもあります。
この清水区もともと私の生まれ故郷なのでして、生まれてしばらく次郎長通りのすぐ近くで暮らしていました。三保松原は7kmほどの長さが有りますが羽衣の松あたりから海岸に出て見る景色が素晴らしかったです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

大岩山砦 中川清秀墓  滋賀県長浜市余呉町 (2019/12/01 訪問)

賤ヶ岳砦から北東へ尾根伝いにしばらく進んだ先、標高280mの大岩山の山頂部に大岩山砦は築かれていました。賤ヶ岳の合戦の前哨戦で中川清秀が佐久間盛政の軍勢と戦い坂虎口の周辺で討死したとあります。賤ヶ岳砦からの道中に清秀の首を洗ったという首洗い池がありました。その亡骸は地元の民が谷におろし芝で覆い隠し守ったとされています。
南側の坂虎口を北に向かうと二の郭がありその先の主郭に中川清秀の墓がありました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

妻籠宿 長野県木曽郡南木曽町 (2019/03/10 訪問)

妻籠宿は中山道42番目の宿場で中山道と飯田街道の追分に位置する交通の要衝でもありました。江戸時代の面影を非常に良く残しており観光地として有名で、外国人を含む多くの観光客が訪れています。
熊谷家住宅や妻籠宿本陣、脇本陣奥谷・林屋住宅(歴史資料館)など多くの観光施設があり、のんびり回れば一日は楽しめそうです。
交通の要衝らしく街道の抑えの妻籠城や、街中に枡形(町の史跡)が残っています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

街道を押える城 (2019/03/10 訪問)

妻籠城は室町時代にはその存在が確認できていて天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いに際には木曽義昌の家臣・山本甚兵衛良勝が入り徳川勢の菅沼・保科の軍勢と戦ったとあります。
土橋を渡っていくと右手に東郭、左手に主郭があり間に堀切がかかっています。主郭の周囲には帯郭がいくつか残っていました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

大曲輪群と石垣跡 (2023/11/24 訪問)

【平賀城】
<駐車場他>瀧不動寺前に駐車スペースあり。または城跡東側の霊園手前、道路カーブミラーの所<36.226034, 138.510709>の道路脇
<交通手段>車

<見所>石垣・石切り場
<感想>2泊3日松本・佐久・吾妻の山城攻めの旅2日目5城目。平賀城は1184年に平賀義信が築いたと伝えられる。平賀義信は平安時代末期の河内源氏の武将で父は新羅三郎義光の四男、平賀氏の祖でもあります。本家平賀家はその後新田氏に内包されていき、平賀郷の在地土豪が平賀氏を名乗るようになります。戦国時代には小笠原氏庶流の大井氏の出である平賀玄信という者がこの平賀城主であったようです。
 上記瀧不動寺に駐車できるのを知らず、城山保育園付近の道路脇に駐車して登城しました。瀧不動寺も当時は勿論山城の一部に含まれていただろうし下仁田街道側に接しているのでこちら側が防備の要かも。瀧不動寺は切り立った大岩が多くここも岩の切岸兼石切り場だったかもしれません。城跡はさほど広くない山頂の削平地に連郭に主郭2郭3郭と段々にあります。南西面の傾斜地と北東面の傾斜地に横幅の広い段曲輪があります。北東面の曲輪群の先に出丸があり霊園手前のカーブミラーの道路に出ます。出丸の南側曲輪壁には良好に石垣が残されています。出丸南方向にさらに連郭の段曲輪になっており崩れた石垣遺構が残ります。
 凄いのが南西面の曲輪群で幅150m程の段が6段程度、麓付近の住宅地のすぐ手前まで広がっています。石垣が良好に残り曲輪の区画が明瞭に分かります。曲輪の間々の仕切り石垣はスロープ状になっています。最奥の主郭の南壁にあたる箇所に巨石群がありここも石切り場だったように思います。南西面の曲輪群は麓から見上げると圧巻の見応えで、やはり葉の落ちた冬場がいいと思います。素晴らしい城跡で百・続百名城以外のマイベストに入る城跡でした。お勧めです。

<満足度>◆◆◆

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

新倉山浅間公園 山梨県富士吉田市新倉 (2019/04/20 訪問)

富士山と桜、五重塔が一緒に見られるスポットとして有名になった神社があります。新倉富士浅間神社です。神域が公園になっており神社の上に建っている五重の塔は忠霊塔みたいです。様々な絶景の本などでも紹介され海外の人にも人気が高く、凄い人出でした。
忠霊塔の後ろから桜と富士山を一緒に写真にとることが出来ますが人が多くなかなか大変です。でも苦労をするだけの価値がある素晴らしい絶景だと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

光明寺墓地裏から廻り込めます↻ (2023/11/04 訪問)

光明寺の西側から墓地裏に廻り込んで行けます。ただ,光明寺にはパネルが設置してありますので見落とし注意です。ちょっと,境内を突っ切って,本堂の裏から…っていうのは気が引けます。
主郭を取り囲むように横堀が走っており,主郭からは眺望が開けています。光明寺のパネルだけで終わってしまってはもったいないです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

POYO58

結構広い平城 評価★★★☆☆ (2022/11/03 訪問)

竹田城の訪問を終えたあと、車で1時間くらいかけて篠山城に行ってきました。車の中では結構寝てました。かなり寝不足だったので。詳しくは竹田城の投稿をご覧ください。
篠山城の駐車場は篠山城のすぐ前にありますが、意外と混んでましたね。部活をしている学生さんたちが結構いたのと、バイクが結構止められてました。
篠山城は徳川家康が藤堂高虎に命令して築城されました。なのでこの城はまっすぐとした石垣が多いですね。加藤清正とは違って斜面が直線になっています。
早速城へ向かいますが、もう初めっからすごかったですね。やっぱり家康さんのお城は最初っから恐ろしいものを見せてきますね。表門跡からいくのですが、城自体が水堀に囲まれていて、高石垣が立ちはだかっていました。そこを通ると枡形虎口になっていて、中之門跡に続いていました。その後は復元大書院の中に入って、御城印とスタンプを押して見学させて頂きました。中では資料映像や模型甲冑が結構置いてありました。やはり丹波なので明智光秀の情報も結構載ってました。
大書院を終えたあと、二の丸に行きました。二の丸にはかつて御殿が広がっていたようです。二の丸には荒々しい石垣が多かったです。二の丸には寺もあってお参りしました。

さあ次は天守台へ向かいます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

刑部

鷲之巣城 (2023/11/04 訪問)

駐車場とトイレ完備で整備された城址。近くにコスモス畑があり丁度満開でした、ここから遠目で久野城が見えます! ここは遠州グルメなら鰻!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ344