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HKISD

元寇防塁散策 (2024/02/11 訪問)

玄界灘の波、風を感じて観た松の中にあった元寇防塁。歴史を感じました。

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ほーり

大河ドラマが終わって (2024/02/11 訪問)

9:30に入った時はすぐに入場できましたが1時間後には行列が出来ていました。
大河ドラマ館も終わったので空いていると思ったら甘かったです。
石垣の展示が良かったです。

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小城小次郎

浪岡城と基本構造は変わらないような (2023/05/05 訪問)

完全な形の環濠集落発見に湧き、建設予定のバイパスのルートを変えて保存され、国史跡として整備された。工房を伴う10~12世紀の集落だがすぐ近くの浪岡城(こちらは16世紀)も基本構造はあまり変わらないような気がする。

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朝田 辰兵衛

大沢見張り台手前の竪堀と富士山…🗻 (2024/01/08 訪問)

このシーズンに行くということで,富士山しか期待していなかったのですが,本丸背後から下って大沢見張り台手前にある竪堀がなかなかでした。また,下る途中に石垣もあり,思わぬ発見でした。だいぶ崩れたカンジでしたが…。
富士山の眺望は,帯郭,三の丸,本丸で撮影しましたが,距離的に一番近いと思われる帯郭からの眺望が良いと思いました。

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しんちゃん

福島県庁が城址 (2019/08/11 訪問)

福島城は大仏城とも呼ばれ戦国期には伊達氏の城として機能していたようです。文禄元~2年(1592~3)にかけて蒲生氏の家臣・木村吉清が入り福島城と改称したようです。江戸時代には延宝7年(1679)に福島藩が成立し、本多氏、堀田氏と入り元禄15年(1702)より板倉氏が3万石で入り明治まで12代続きました。城域の大半を福島県庁が占め、大仏橋の北側に本丸が置かれ、北に二の丸、三の丸・外三の丸が配されています。福島県庁の中心部が桜馬場跡で城址碑と出土品の宝塔が近くにありました。県庁の南側には土塁が残っています。
城址から南西に少し外れた場所に御倉邸があり現存最古の日本銀行の役宅と旧米沢藩の米蔵が有るようです。

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ぴーかる

佐治城 (2023/12/23 訪問)

【佐治城】
<駐車場他>駐車場はなし。道路脇<34.940780, 136.216430>に停めました。
<交通手段>車

<見所>堀切・土塁
<感想>現地説明板によると佐治城の城主は佐治氏(小佐治氏)とされ、1585年豊臣秀吉の領地没収に対して籠城し抵抗したが、堀秀政・中村一氏に攻められ落城したといわれています。
 先達のじゅんじんさんの投稿登城時のゲートに入ってすぐにあるトラロープは私が行った時には無くなっていましたので奥まで進むことができました。積雪に関係あるのかもしれません。ゲートの外側にある土塁が中まで続き、先の南側が堀切になっています。奥に枡形池という堀があり、その南側が愛宕山山頂(土塁上曲輪を兼ねている)があります。山頂の西側は竹林となっていて段曲輪が数段あります。南側斜面を散策し忘れてしまいました。りゅうじん池の背後の僅かに残る土塁から南側の土塁までが主郭だったようですが、かなり改変・平坦地にされていて甲賀郡の単郭方形高土塁の遺構は見られませんでした。

<満足度>◆◆◇

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しんちゃん

岩手公園?? (2017/05/03 訪問)

盛岡城は南部氏の居城で江戸時代の南部(盛岡)藩の中心になります。正式名称は岩手公園ですが盛岡城址公園と愛称を変更するという名目で事実上の改称になっているようです。どこへ行った「岩手公園」?と言った感じでどこにも岩手公園の記載は有りません。
北側に櫻山神社が鎮座し、烏帽子岩が社宝として崇敬を受けています。南に向かってやや西寄りに城域が伸び三の丸、二の丸、本丸と続き、本丸のまわりには腰曲輪が配されています。建造物は残っていませんが見事な総石垣の城で、どこから見ても石垣の美しさに目を見張ります。

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しんちゃん

国宝・大塔 (2016/09/20 訪問)

根来寺は戦国期に最盛期を迎え寺領72万石を領したとされています。1万以上の僧兵(根来衆)を有し種子島から伝わった鉄砲で武装し、鉄砲隊を備えていたとされます。織田信長と石山本願寺との戦いでは織田信長に協力しますが、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄との戦いでは秀吉に敵対し後の雑賀攻めを招くことになりました。
江戸時代には紀州徳川家の庇護を受け、焼失した伽藍も復興し現在にいたります。

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前ちゃん

大分遠征③完 (2024/02/13 訪問)

3日目、2日間の疲れ(運動不足)も相まって、朝8時過ぎまでゴロゴロと。
杵築駅からは、バスー杵築バスターミナル(290円)。そこからは徒歩で。腰痛と戦いながら、杵築城へ。大原家、資料館のセット券(1000円)を購入し、散策。武家屋敷群(ポスターで有名な酢屋の坂、塩屋の坂界隈)で雛人形も飾っているのでご覧あれ。

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ろっし

お城探訪 (2024/02/12 訪問)

あまり知られていないのか⁉️城の下にある太鼓谷稲荷神社は人が多いが、ここは休日に来ても人がいない。

登れば他の山城にも負けない素晴らしい石垣が待っています。

ロープウェイもあるから登りやすさではおすすめです。

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かつじ

扇坂御門跡がリニューアル (2024/02/03 訪問)

以前は植え込みがあった扇坂御門跡ですが、名前の由来通り扇形の階段に整備されていました。
整備工事直後だけあって、綺麗な階段になっていました。

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カズサン

模擬鉄櫓資料館内覧 (2024/02/10 訪問)

 「裏御門と金柑丸」のつづきです。

 本丸北西隅に建っていた三重櫓跡に昭和29年3月に復興吉田城隅櫓として復元されました設計者は有名な城戸久博士です。
 今回4年振りのなので鉄櫓に登り内部に在る資料パネル、吉田城の模型を見学、二階に本丸の立体模型、三階に石膏の立体模型が在ります、1階から最上階4階までパネルで説明がなされています、最上階4階には池田輝政の顔はめパネルが有り撮影ポイントです。
 鉄櫓と私の気に入った模型、パネルを写真投稿致します。

 続きます。
 

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カズサン

裏御門と金柑丸 (2024/02/10 訪問)

 「本丸の四角に櫓が聳えていた」のつづきです。

 裏御門は本丸の東に枡形を構えて土橋で金柑丸・馬出につなっがていました。
 本丸には南面に南御多門が東脇多門櫓とL字型に連結し、西は千貫櫓が構えた枡形で土橋で二の丸につながっています、北面は北御門枡形が構えて大石段で川手の帯曲輪へつづき豊川沿いの防御の要に成っている。

 今回裏御門をじっくり観察、今まで幾度と通ていました裏御門枡形で、登り土塀基礎石列を初めて認知観察しました、中々珍しい遺構です、辰巳櫓台から北に伸びる石塁・土塁土橋側の南方から土塁上に登って居ます。
 また裏御門の南側の石垣は今回の修復工事で直されて上端が奇麗になって居ました。土橋は南側北側とも石垣で築かれており、土橋の付根から本丸堀の本丸側に輝政時代の石垣が北に少し伸びて残って居ました。

 金柑丸は本丸の東に在り二の丸とに挟まれて居り、馬出の役目を果たしていた様で東側に土塁が残って居ます、明治期陸軍の歩兵18連隊が設けられ色々な施設が有り、此処金柑丸には弥健神社が鎮座し神武天皇立像も鎮座しています、当日は陰暦の正月元旦、建国の日(紀元節)の前日でしたので、初詣と紀元節前参拝をしました、皇紀は2684年に当たります。

 今回の収穫は裏御門の登り土塀基礎石列は私としての発見と新認識です。

 続きます。
 

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イオ

中嶋(中島)城の比定地は? (2023/12/16 訪問)

南北朝期に楠木正行が築いたと伝わりますが、戦国期に本願寺一揆衆や細川氏や足利義昭が入った中嶋城を堀城でなく三津屋城に比定する説もあり、変遷や廃城時期等は不明です。

堀城から徒歩で登城。「城之前」という字が伝わる光専寺周辺が推定地ですが、市街化により遺構は消滅しています。光専寺の山門前には三津屋城跡伝承地の説明パネルと光専寺縁起が掲示されており、光専寺は室町中期に楠木正行の末裔が城跡に建立したと伝わります。

暗くなったこともあり光専寺への入口がわからずに周辺を歩き回る羽目になった上に、山門は閉ざされていて写真もピンボケと散々でしたが、この日は大阪での仕事を午前中で終えて、日没まで阪急沿線の7城(ほとんどが遺構のない城ですが)をめぐることができましたので、横浜(お城EXPO)に行けない憂さを多少は晴らすことができました(と自分に言い聞かせる…)。
 

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todo94

島原半島の城 (2023/12/27 訪問)

佐世保、平戸に続いて諫早に泊をとり、この日は島原半島の城めぐり。島原城の城カードゲットが目的ですが、行きがけの駄賃でもちろん城もめぐります。肥前の山田城は公園として整備されていました。武蔵の山田城も森林公園の中ですが、こちらは料金はかからないので安心して楽しめます。駐車場もトイレも完備しています。展望台からは諫早湾(有明海)を望むことができました。

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前ちゃん

木下さん (2024/02/12 訪問)

関ヶ原の戦い後、転封された木下延俊の城。現在は小学校で空堀スペースが駐車場に。海岸側の遊歩道でじっくりと石垣が楽しめる。

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前ちゃん

大分遠征② (2024/02/12 訪問)

2日目は、豊後森の角牟礼城へ。大分駅(6時13分発)ー豊後森駅(8時6分着)、循環バス(西回り8時22分発)でわらべの館(8時35分着)へ。
まずは挨拶がてらの登城。三の丸経由で登り、本丸へ。本丸では石垣修繕工事のため一部見学は出来なかった。下山後、資料館で名城スタンプと御城印をもらい、13時03分発で大分へ戻る。
電車を待つ間、駅近くのSL公園で暇を潰す

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にのまる

新・松本市立博物館へ。 (2023/12/02 訪問)

5か月ぶり、通算5度目の松本入り。
今回のいちばんの目的は、2023/10/7に移転・オープンした松本市立博物館です。
場所は松本駅と松本城の中間あたり。スタイリッシュな外観が目を惹きます。博物館特有の閉塞感はなく開放的で、美しく飾られた手毬のモビールが出迎えてくれました。
1・2階ともオープンスペースが広くとられています。特に目的がなくても市民のみなさんがふらりと立ち寄って思い思いに過ごせる、そんな雰囲気があり、博物館とは思えないほど(!)たくさんの人が出入りされていました。

3階の常設展示室(大人¥500)に行くと巨大なジオラマが目に飛び込んできました。
江戸時代後期の松本城と城下町が再現されているそうです。歴史や縄張りを学習しながらこれまでの登城を振り返ったり、精巧なつくりに魅入ったりと大好きな世界に浸ってきました。階級による屋敷のかたちの違いなど勉強になることもたくさんありました。
旧博物館にあった模型も展示してありました。こちらも制作された方々の思いが伝わってくる作品で、松本城は長い間、たくさんの人たちに愛されてきたのだなとしみじみ思いました。
ほかにも自然や文化など松本の魅力がいっぱいの展示室でした。松本に行く機会があればきっとまた行くと思います。

博物館を満喫したあと、松本城に向かいました。
真冬の天守の寒さと帰りの特急あずさの都合もあり堀沿いに天守まわりを見るにとどめましたが、定番といわれるこの眺めがなによりすばらしく心惹かれます。
いつも変わらずすてきな姿を見せてくれることはあたりまえなのではなく、奇跡であり守ってこられた方々のご尽力の賜物であるということを忘れないでいたいと思います。

この日はわりと“食べ続け”の日でした。
ラストは松本駅で買った山賊焼き弁当。おみやげはくるみ餅にしました。
前回訪問時に雨でよく見えなかった篠ノ井線の景色をしなの号から見たり、お城と電車と博物館でたくさん遊んで楽しかったです。

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とばつびしゃもん

水に浮かぶ城だった城 (2023/12/31 訪問)

川手城から車数分で到着。本丸南側の加納公園臨時駐車場に駐車し登城開始。
本丸は石垣で囲われた広々とした空間。北側入口の案内板には、当時は5つの曲輪が堀と川に囲まれた「水に浮かぶ城」という景観だったと記されている。その面影は本丸北面の堀ぐらいか。本丸と二の丸の当時の出入口にあたる東側の桝形を見るとその大きさを感じる。現状出入口はない。
30分弱攻城後撤収し長良川温泉で宿営。近くのお寺で除夜の鐘をつかせてもらったのち、金華山頂上に浮かぶ岐阜城を見上げ年を越す。

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カズサン

本丸の四角に櫓が聳えていた (2024/02/10 訪問)

 「千貫櫓台・南御多門東脇櫓台修復なる」のつづきです。 

吉田城の本丸には四角の北西に三重鉄櫓、その東に武具所台、北東に二重入道櫓、南東に三重辰巳櫓、南西に三重千貫櫓が池田輝政入封後土造りから総石垣大改修されて四ヶ所に櫓が建っていました。
 現在は復興鉄櫓が建ち吉田城のシンボルと成っています、辰巳櫓跡は本丸内側石垣、本丸堀側は土塁、入道櫓跡は本丸側石垣、続きの雁木は現在崩落気味、鉄櫓台の北西角下は輝政時代の石垣が残って居り高石垣は圧巻です。
 先投稿の千貫櫓台・南御多門東脇櫓台を除き写真投稿致します。

 続きます。
  

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