福岡県那珂川市の高台に「安徳台遺跡」という所があります。ここは壇ノ浦の戦いの時、入水した事で有名になった、幼い安徳天皇が1年間ほど源氏から逃れ過ごしていた場所だとされています。私も以前からこの一帯には「安徳」という地名が多く(例えば安徳小学校など)不思議に思っていましたが、やっと謎が解けましました。
安徳天皇は、高倉天皇と建礼門院(平清盛の娘)との間に生まれた子で、幼くして第81代天皇として皇位を継承しました(この時まだわずか満1才)。1183年源氏の台頭により木曾義仲(源義仲)が京を占領すると、都を追われ大宰府へ逃れます。当時太宰小弐の原田種直の所領であった岩門城そばの高台であるこの地に館が建てられ、三種の神器を携え1年程ここで匿われたそうです。
そして安徳天皇3才の時、木曾義仲が追討され亡くなると、京に戻るためいったん屋島に移されますが、そこで源頼朝が台頭してきます。平家追討軍として源義経が屋島に攻め込んだため、安徳天皇は平家の船に乗り込み、瀬戸内海を西へと逃げました。そして壇ノ浦で入水し、悲惨な最期を遂げたようです(参考写真⑤⑥:壇ノ浦安徳天皇入水の地)。この時まだ満6才だったそうです。
ここ安徳台には、幼くして亡くなった安徳天皇を偲び、「安徳宮」が建立されています(写真①)。
次は、その隣にある岩門城に行き、小弐氏の栄枯盛衰を追いたいと思います。
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