長命寺も城址だとか。
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2023/01/02 09:27
2023/01/02 09:19
2023/01/02 09:15
2023/01/02 07:53
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2023/01/02 06:22
2023/01/01 23:54
There are many wind-bells in Ueda castle. (2022/08/18 訪問)
2022年8月18日、長野県上田市にある、上田城を再訪。車を降り、東虎口櫓門へ向かい、真田左衛門佐幸村公率いる信州上田おもてなし武将隊の出迎えがあり、幸村公と猿飛佐助さんを撮り、東虎口櫓門を抜けると、真田神社があります。この時は、短冊に願いを書き、それを風鈴に付けて飾る、と言うのを神社でやっていたので、私もやりました。
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2023/01/01 23:45
2023/01/01 23:29
2023/01/01 23:13
本丸編
天守台につきました。天守台は結構小さい。可愛らしいですね。ただ本丸が広く何だか、竹田城の小さい版に見えました。天守台を見てみると、単なる台形ではなく1箇所だけ手前に石垣が突き出していたのでおそらく付櫓があったんだと思います。天守にかつてあった石段も今現存しています。また本丸には2基の櫓があったそうです。現在は櫓台が残っています。
では二の丸へ、二の丸と本丸は石垣の虎口で繋がっています。本丸を出て二の丸に行くと早速大きな高石垣が見下ろせます。
では二の丸を探訪しましょう。続く
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2023/01/01 22:39
遠江に残る豊臣系の城 (2023/01/01 訪問)
遠江に残る豊臣系の城遠江に残る豊臣系の城二俣城というと、武田対徳川!!付け城や周辺のお城は武田系か?徳川系か?で議論されるが、、、、この二俣城と鳥羽山城は、家康の関東移封後の堀尾氏による大改修後(途中の可能性有)、徳川が天下を取ったら廃城になったのではないかと思われ、最終形態としてはこのあたりでは珍しい「豊臣系の城」と言えるのではないか。ただし、最近整備されてきた蔵屋敷や南曲輪・天竜川に突き出た西曲輪などは、いかにも二俣城を巡る武田対徳川期の遺構で荒々しい!是非、足元に気をつけながら見学して欲しい。勿論、天守台の石垣や本曲輪の桝形・食い違い虎口周辺など、見どころ満載なのは言うまでもない。
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2023/01/01 21:46
2023/01/01 18:44
2023/01/01 18:01
2023/01/01 17:54
あけましておめでとうございます。 (2022/07/17 訪問)
2023年も,宜しくお願いいたします。
新年の最初は,北陸の名城・金沢城にしたいと思います。昨夏,母が「兼六園も含めて(石川県に行ったことがないので)行きたい」と言ったので,親孝行で連れて行きました。天候は小刻みに変化し,蒸し暑かったです。個人的には『鼠多門を…』と考えていたのですが,母がその前に疲れ切ってしまい,一緒にホテルに戻りました。
現在,二の丸御殿の復元工事中。完成したら再訪し,鼠多門を撮りたいと思います。
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2023/01/01 16:59
信長の城 (2023/01/01 訪問)
元日登城をしました。久々の安土城です。
通称大手道からまっすぐに上がっていく階段は好きでテンションも上がります。この道は本当に大手道か否かは意見が分かれるところです。標高199mありますが、屋敷跡の遺構等を見ながら進むと息も弾むことなく本丸まで辿り着けます。屋敷跡の石垣などを見ているとなかなか上がっていけません。中井均先生の「近江の山城を歩く70」を読んでいると、それまでと異なる城で日本城郭の革命といっていい城であると書かれています。理由として3つ挙げられていました。
(1) 城域がすべて石垣によって築かれていること
(2) 本丸の中心に天主という高層建築造営したこと
(3) 城郭の建物がすべて瓦によって葺かれたこと
以前からこの城の天主には興味がありました。どのような建築物であったのかはもちろんですが、天主台が歪な形状をしていることが気になっています。また現在、通行止めとなっている八角平や搦手方面はどうなっているのかも興味のある所です。
何回行っても石垣に魅了される城址です。
元日で人はいないのではないかと思っていきましたが、予想以上に見学にみえている人は多かったですね。
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2023/01/01 16:56
主郭はゴルフ場に。 (2022/12/25 訪問)
説明板がが立っているところから案内に沿って細い道を進むと駐車場があります。
そこから石碑が立つ方向に登って行きました。
堀のような地形を登ります。
縦土塁のようなものがあり、段になった曲輪が残ります。
登ると石碑があり、神社が建っています。
神社の脇から竪堀が落ちていました。
主郭はゴルフ場になっていて消滅。
残っている部分は少ないですが残る部分は大切に残してほしいですね。
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2023/01/01 15:15
「美」の山城 (2022/12/03 訪問)
【三星城】
<駐車場他>道の駅彩菜茶屋
<交通手段>車
<見所>畝状竪堀・土塁
<感想>1泊2日城びと美作・備前山城攻めの旅2城目。現地説明板によると三星城は1160年頃に土豪の渡辺氏によって築城され妙見城といっていたそうです。室町時代の1336年に地頭職として入封した後藤氏の居城となります。戦国時代の後藤勝基の時に近隣の豪族を従えて東部美作国の大半の勢力を誇りますが浦上氏が宇喜多氏に滅ぼされると宇喜多直家に攻められ落城、自刃します。
三星山はみまさか商工会が美作建国1300年を記念して「美」の文字を点灯しています。たぶん城びと会員になる前の百・続百名城巡りをしている時に点灯しているのを偶然見て覚えていました。今、城跡だったのだと繋がりました。
城跡は明見三星稲荷神社の参道から登って行きます。鳥居前に城跡説明板、三星合戦の説明板等があります。幅広のスロープを登っていくと寺跡の曲輪があります。忠魂碑の横の五輪塔が後藤勝基の墓碑になっています。寺跡横の車止めのチェーンをまたいで進むと山腹の西の曲輪に入ります。西の曲輪には背後に土塁、畝状竪堀を備え外枡形虎口らしきものも見られ見応えあります。山頂側に竪土塁・竪堀が立ちそびえています。ここを無理して登らず横の整備道を進みます。右:頂上へ登る方と左:山腹を進む方の分岐を右の山頂方面をアタックします。急斜面の岩場をよじ登るような感じで進むと「美」の電灯のある斜面に出ます。山頂からの眺望はとてもいいです。山頂は二の丸らしいのですが超狭で物見台がある程度だったでしょう。山頂から南側に進んで灌木ゾーンを突破するともう一つの山頂に主郭らしい場所に出ます。主郭は中央端に土壇らしきものがあり点灯用の電柱があります。主郭は平曲輪で土塁や他の防御遺構が見当たらず小さい曲輪です。主郭から南へ降りて行きます。主郭南側も段曲輪もなく道も無くなって不安になりもう少し行って戻ろうかと思った時に道が薄っすら復活して「各段ハ曲輪アト」の札が落ちています。「段曲輪はもはや無い!」とつぶやきつつ復活した山腹の小径を進むと岩井戸があります。岩井戸横を進むと先の2股分岐地点に戻ってきますので城跡を1周できました。
<満足度>◆◆◇
<グルメ>道の駅彩菜茶屋は野菜コーナーが充実しフルーツ館、食堂もあります。黒豆が名産らしく黒豆を使ったメニューがあります。私はうどんと鳥丼のセットをいただきましたが付いている茶碗蒸しがすごく美味しかった。
新年あけましておめでとうございます。今年も城びと生活を楽しみ、また事故なく攻城をしたいと思います。拙い文章ですが少しでも役立つ情報をお伝え出来ればと思います。よろしくお願いいたします。
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