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牛若丸

戦国時代の様子が復元されていました。 (2023/12/16 訪問)

一部工事のために通れませんでしたが戦国時代の様子が良く復元されていました。
当日は天気があまり良くなかったのですが、それもまた良きでした。
駐車場もあり車で行くのが便利です。バスで行くとかなりの山登りになります。

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しんちゃん

大間岬と言えば、やはりマグロ ウニもおいしい。 (2021/05/07 訪問)

本州最北端の地、大間岬は知る人ぞ知るマグロの産地です。弁天島にゴメ(カゴメ)が舞い日本最北端の地の石碑があります。早朝に訪れたのですがどうしてもマグロが食べたくて仏ヶ浦で時間をつぶしてきました。
コロナの時期だったので店内で召し上がるわけにはいかず青空の下のテーブルでいただきます。ゴメが狙ってるから気をつけなとアドバイスをいただきます。どうやらここのゴメは海鮮を狙う油断ならない奴のようです。ここはウニもおいしいので海鮮丼をチョイス。マグロもいっぱい入っています。ご飯の大小をもらい即席で海鮮丼の大小を造ります。並べ方もセンスです、今見てもよだれが出てきます。
本当に大間のマグロは美味しかったんですよ。これが本当のマグロか‥と感動したのを覚えています。おかげで大間以外のどこでマグロを食べてもおいしくなくて逆に困ってしまいました。もう一日くらいゆっくりしてマグロやウニをたらふく食べたかったですが旅の城カラスはいつまでも同じ場所にはいられないのですよ。

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しんちゃん

歩いて回るとけっこうな広さがある。 (2021/05/07 訪問)

七戸城は七戸町に接する台地上にあります。広大な城域を持ち、歴史は古く当初は蝦夷館であったようです。鎌倉時代、工藤右近将監がこの地に入ったとされ建武の新政後は伊達氏→結城氏→南部氏と領主がかわっていったようです。工藤氏のころから城郭として整備がされていた可能性があり南部氏によって本格的な城郭になり南北朝の時代には八戸城と共に南朝方の重要な拠点だったようです。
主要な部分は本城と呼ばれ公園になっていて江戸時代は陣屋が置かれたようです。北に復元された東門があり、本城の西に北館、南西に西館が配され本城と北館との間には水堀が残っています。北の貝の口は広大な田畑になっているようで南の宝泉館の周辺も畑地になっているようです。

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しんちゃん

仏ヶ浦  青森県下北郡佐井村 (2021/05/07 訪問)

国の名勝で天然記念物の仏ヶ浦は青森県下北半島の西岸にあります。何でこんなとこわざわざ来たかというと、早朝に大間の岬に寄ったら急にマグロが食べたくなったけど店がまだやってないので時間をつぶす必要があったわけですね。
以前ブラタモリでタモさんたちが大間岬に寄った時には時間に都合かマグロを食べずに恐山のほうへ行ってしまいましたが、大間と言えばやっぱりマグロですよ。マグロの話ばかりですが仏ヶ浦の投稿です。1500万年前に海底火山から噴出した火山灰が押し固められ(緑色凝灰岩)それが風雨で削られてこんな形になっちゃったらしいです。五百羅漢や蓮華岩などしゃれた名前が付いていて海上からだとより、全容がわかるそうです。最近は熊もでるらしいです、亀の死骸を見ましたがなにか流れ着いたりするんですかね。

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しんちゃん

本丸・二の丸に主の名が残っている。 (2021/05/07 訪問)

伝法寺館は舌状の丘陵上に築かれていて国道4号線が北郭に差し掛かっています。北館と南館の二つの郭で構成され、南の郭の方が本丸と見られ間に堀切が配されています。かつて南部氏に仕えた日の宮氏によって築かれたようで、同じ南部氏に仕える津村越後が本丸に入った際に二の丸に移り、それぞれの郭に「日の宮館」「津村館」の呼称が残っているようです。

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城内散歩 (2023/12/23 訪問)

 城内あるいは堀周辺を散策して目についた遺構などです。

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石垣を中心に (2023/12/23 訪問)

 石垣は野面積が多く採用されています。パンフレットによると雨の多い土地柄を考慮して崩れにくく排水能力も高いことから採用されているとのことです。鉄門周辺には打ち込みハギの石垣を観ることができます。石垣だけを観ていてもあきません。

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山内一豊 天守閣を中心に (2023/12/23 訪問)

 久しぶりの高知城です。
山内一豊が築いたこの平山城は現存12天守のひとつである天守閣をはじめ本丸御殿、納戸蔵、廊下門、追手門などが残っています。詰門は昔から好きな建造物です。石垣もよく残っていて楽しませてくれます。石垣を観るために周囲をぐるぐる回って散策しました。
何回来ても飽きない城址です。

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ぴーかる

山家城 (2023/11/23 訪問)

【山家城】
<駐車場他>徳雲寺駐車場を利用しました。
<交通手段>車

<見所>主郭石垣・堀切
<感想>2泊3日松本・佐久・吾妻の山城攻めの旅初日4城目。現地説明板によると「築城時期は不明だが城主は中世山家郷を支配した山家氏と伝えられる。山家氏は神為頼(諏訪氏)の子孫で1331年に徳雲寺を創建しており、山家郷の地頭を相伝していたとされる。1480年に府中の小笠原長朝に攻められ滅びたか敗走した。1505年頃小笠原氏の同流である折野昌治が播州から入城し、1550年武田信玄の攻撃によって林大城が落ちた際に自落した」とあります。小笠原氏時代は本城を守る支城としての役割を担っていたと思われます。西側の主郭に石垣が残る方が新しく、東側の連続大堀切を数条はさんで秋葉神社になっている中入城が古い時代の主郭部分だそうです。
 
 先達の方々を参考に徳雲寺からの登山ルートを選択しました。徳雲寺本堂左手の墓地を登って行くと山道に入ります。右に折れ、貯水槽の横を進むと獣柵のゲートがありますので開けて入ります。入ってすぐ神社があります。背後の尾根をまあまあひたすら登ります。途中から踏み跡の道が無いのでストック要です。やがて堀切を2条渡り西の尾根曲輪に入ります。2段構造の広い曲輪です。また堀切を渡り登ると主郭の西側の帯曲輪に着きます。
 主郭は南側の曲輪壁にも石垣が一部残存していますが、東面の全面石垣が最大の見所です。主郭はやや小さく北東側は大堀切があるため土塁で盛り上がっています。主郭西面の曲輪壁には石垣は無かったようで高い切岸になっていました。主郭北東側から旧主郭の秋葉神社まで3条くらいスケールのある大堀切があり圧巻です。大堀切はそれぞれ竪堀として急斜面下まで伸びていて落ちたらヤバイ。
 旧主郭の秋葉神社ある曲輪の方が新主郭より広く、主郭に幅広の帯曲輪で取り巻いています。旧主郭の東背後は小さめの連続堀切がありその先に広い副郭があります。

 3城目の林大城が見終わったのが14:30で予定では桐原城とこの山家城が残っていました。時間的に2城攻めは無理、宿泊が佐久市まで移動しなければならず小笠原氏城跡群はあと1択、ヒロケンさんの投稿で「山家城は小笠原氏城郭群の中でも群を抜いて見事なものだと感じました。」という記述に惹かれて山家城を選択し良かったです。大満足の城跡でした。桐原城は次の機会の楽しみに置いてこの日は終了しました。

<満足度>◆◆◆

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竹の子児童遊園 (2023/12/23 訪問)

 宮前保育園の南側の小さな山が跡地です。竹の子児童遊園入口の階段を上がって行きましたが、フェンスがあり城跡と思われる場所には入ることができません。
 公園内を少し歩いただけでひっつき虫がズボンに大量に付着していました。なんという植物かわかりませんが、取り除くのに無駄な時間と労力を要してしまいました。

 高知駅バスターミナルよりバスにより上町五丁目バス停下車。徒歩5分くらいで竹の子児童遊園に行くことができます。

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本山土居屋敷など (2023/12/22 訪問)

 戦国時代には本山氏の屋敷があった跡で、山内氏の時代には山内刑部、但馬親子、続いて野中玄蕃、兼山親子4代の屋敷となりました。その後は山内氏の参勤交代時の藩主の宿泊所となり本山御殿とよばれていたようです。野中兼山は今回の旅で初めてしりました。用水工事や湾岸整備等にて業績のある方ですが、弾劾により失脚しています。機会があればもう少し勉強したい人物です。
本山町内には野中兼山関連の上の坊や山内刑部の墓があります。

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しんちゃん

恐山 青森県むつ市田名部字曽利山 (2021/05/07 訪問)

恐山菩提寺は恐山の麓にある曹洞宗の寺院で恐山の山名がそのまま寺院の通称になっています。境内には温泉がありちゃんと男性用・女性用と別れています。シーズンになるとイタコさんがやって来て口寄せをしてくれます。イタコさんは冬の間は八戸市あたりにいるようで私が訪問した時には一人しかいませんでした。活火山のよで周辺に小さな地獄のような光景が広がっており、それぞれに無間地獄や金堀地獄などの立札が立っています。あたしゃここに落ちるのかねえと思いながら散策していると宇曽利湖(うそりこ)が目の前に広がります。
通称・賽の河原と呼ばれているようで美しくもおどろおどろしい光景が広がっています。

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本山茂宗 (2023/12/22 訪問)

 土佐七雄のひとり本山氏の居城で、本山町の南側の田井山の尾根に築かれています。主郭を中心に北側に曲輪を展開しています。尾根側に堀切を設けて防御としていますが、尾根を歩いて行くともうひとつ堀切跡と思われる地形がありました。石垣を多く見ることができますが、大正時代に農林省林業試験場森林測候所が設置され、職員住宅や太平洋戦争後射的場として使用され手が加えられているようです。「土佐の山城」(ハーベスト出版)には当時のまま残存している部分が少ないと記載されていました。どれが当時からのものかは自分では判断できません。
城址からの眺望はよかったです。

JR大杉駅よりバスにて乗り本山プラチナセンター前下車。徒歩約10分で登城口である十二所神社に行くことができます。十二所神社より登城路が整備されていています。

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龍馬記念館 (2023/12/21 訪問)

 桂浜北部の丘陵に築かれた城で、長曾我部元親の居城として知られています。跡地には県立坂本龍馬記念館等が建てられています。天守台や井戸、石垣などを観ることができます。三重堀切は時間の都合もあり観ていません。

 高知駅バスターミナルよりバスに乗り龍馬記念館前バス停下車。天守台跡へは徒歩約3分です。

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しんちゃん

ドは土塁のド~ 安東氏全盛期の城 (2021/05/05 訪問)

脇本城は生鼻崎を含む丘陵地に築かれており、城域は2万平方メートルを占めています。檜山安東氏が湊安東氏を併合した全盛期のころに築かれているようで日本海に大きな勢力を誇った安東氏らしく今でも日本海や周辺を良く眺望できます。
檜山城も広い城域を誇っていましたが(見きれていない!)脇本城も広大な城でまるでゴルフコースを回っているようです。登城道からそのまま進むと西側の城域を訪問でき郭の西側に大きな土塁が連なっており土塁の上から日本海を眺望できます。天下道と名付けられた道を通って東の内館を目指していくと非常に大きな土塁が目の前にそびえます。主郭の高さに土塁の高さがミックスされているのですが実に見事な土塁です。内館の南からは周辺や日本海を望むことができます。城域が大きく二つに分かれており主郭はどちらかはっきりしませんが土塁の見事さから私は東側を推したいですね。
檜山城、湊城と並んで安東三城と呼ばれているようですが唯一、続日本百名城に選定されています。

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天然温泉はるのの湯 (2023/12/21 訪問)

 天然温泉はるのの湯付近が跡地です。遺構はないようなので、駐車場にある説明板を撮影して撤退しました。

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吉良親貞 (2023/12/21 訪問)

 土佐七雄の一人吉良氏の城と伝わっています。城址は案内標識があり迷うことなく登城することができました。登城路を歩いて行くと南側の曲輪の西側にある畝状竪堀に遭遇します。浅くはなっていると思いますが形状は確認できます。城は主に南北に主要な曲輪があり真ん中には見ごたえのある堀切が設けられています。この堀切は、昔は竹製で作られた橋が架かっていましたが、今は崩落しています。北側曲輪の北西に伸びる尾根には4重の堀切があり、この城の見どころだと思います。他の尾根にも堀切がありました。
以前に整備されたようですが、その後はあまり維持されている気配が乏しく尾根筋に降りて行く道もわかりにくくなっています。4重堀切付近は降りて行く道がわからず難渋しました。
城域は広くありませんが、楽しませてくれる城址です。
 高知駅バスターミナルからバスに乗り新川通バス停下車。約10分で登城口に行くことができます。

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朝田 辰兵衛

帰宅してから気がついたのだが… (2023/11/04 訪問)

辛垣城を攻めるため,JR福生駅前のホテルをリザーブしていました。帰宅してから気がついたのですが,1駅となりに「しろうたカフェ」があったんですね…。今日はイベントやってたんだナ…。私は「東京の端っこ」に行くぜと気合いが入り過ぎていたのか,完全に失念してしまいました。

辛垣城ですが,思ったより岩場が続きました。悪天候時はおすすめしません。
下山時に,これから攻城される女性とすれ違いました。登城口がここで合っているのか不安だったようです。なので,登城口の画像も入れておきます。そこから先は,にのまるさんの投稿が参考になります。

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しんちゃん

湊騒動発端の城、そして‥ (2021/05/05 訪問)

豊島城は岩見川の北、標高70mの台地上に築かれています。永正3年(1508)畠山重忠の末裔豊島玄蕃頭(畠山荘司次郎重村)が豊島城主となったそうです。玄蕃頭の子・豊島次郎重村は湊安東氏と深いつながりがあり天正16年(1588)豊島城にいた湊安東高季が本家に反乱を起こし結果的に敗北したそうです。
豊島城は奥御殿を主郭とする本城と南方に位置する前御殿(見張用の郭?)に分かれ、登城道の途中から道が二つに分かれます。ここにヤツのフンが有りました。こら!クマ公 大事な城跡で縄張りアピールするんじゃない!
城跡で熊のフンを見たのはこの時が初めてで、それなりに動揺していたと思うのですが前御殿と奥御殿はしっかり見ていますね。最近はツキノワグマも狂暴化してきているので注意が必要です。熊が臆病だという人がいますが、見えないものを恐れているわけで実際に遭遇すると奴ら逃げてくれないみたいですね。私もそろそろポリスマグナム(水性・本州用)でも装備しようかな。

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しんちゃん

太宰治記念館「斜陽館」 青森県五所川原市 (2021/05/06 訪問)

今日は休日だというのにイヤイヤ工事に駆り出され、鉄粉まみれで仕事です。話が違うじゃん‥どうせまみれるなら金‥いやいや、どうせならお金にまみれたいですなあ。
今回は太宰治記念館の話です。太宰治の生家で五所川原市の施設となっています。また近代和風住宅の代表として国の重要文化財に指定されています。太宰治は衆議院議員・津島源右衛門の六男としてこの家で生まれました。子供の頃は運転手つきで学校に通っていたそうです。お金持ちですなあ。成長した太宰は5回以上も自殺を図った後、最後は愛人さんと心中してしまいましたが「走れメロス」「斜陽」などの傑作を多数生み出した偉大な文豪でもあります。ちなみに私は「人間失格」を購入してまだ読んでいません。(ちなみに表紙はストレイドッグスのあの方です)

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