梅の花がほのかに咲いていました
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2024/02/11 08:34
和歌山城 (2024/02/09 訪問)
梅の花がほのかに咲いていました
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2024/02/10 22:42
8郭探索 (2023/12/01 訪問)
はじめに「史跡根城の広場」に隣接する八戸市博物館へ。古代から近代にいたる八戸の歴史がさまざまな資料展示によって紹介されており、たくさんの生きた史料に触れることができました。根城の歴史も学んで探索スタートです。
八戸城東門の移築と伝わる門が「根城の広場」への入口になります。訪問時はピカピカの銅板葺きと新しい板塀にお色直し中でした。雪国は工事可能な期間も限られているでしょうし、見えない苦労も多いことだろうと思います。門を通れなかったことは残念なことではなく、歴史遺産を未来へつなぐ大切な場面にめぐり合わせたことを記憶しておきたいと思いました。
2回目の訪問となる今回は8つの郭をすべて歩きます。東構を少し歩いたあと三番堀へ向かいました。
三番堀は国道の向こう側の大きな堀で、住宅地となっている岡前館をぐるりと囲んでいます。堀に沿って歩いてみると見通しはいいのですが幅の広さが住宅地への侵攻を心理的にも阻み、このまま外周を歩き続けるしかないな、という気持ちにさせられました。
続いて沢里館に上がってみました。
こんなにかっこいい堀が隠れていたなんて!と思わず感嘆の声をあげてしまう曲線美。
幸い埋もれるほどの雪ではなかったので、地面を足で踏みしめ景色を目に焼きつけ思いっきり空気を吸い込んできました。岡前館へ抜ける堀底道から見上げる壁も、これは引き下がるしかないなぁという高さでした。
郭内に見える建物は「奥州南部糠部三十三番観音十二番札所」。利用しませんでしたが北側に石段があります。
「根城の広場」に向かいつつ通った岡前館は堀跡の一部が道路として利用されているように見え、国道側に「岡前阯」の碑も見つけました。
南側を一周して戻ってきた「根城の広場」。
東善寺館、中館は何気なく歩いているところも大発見による通路遺構だと思うと感慨深く、“裏側”から見上げる郭も惚れ惚れする高さで、自然と人間のコラボレーションによる屋外展示の傑作を鑑賞しているような気持ちになってきました。
そしてやっと本丸です。
はるばるここまでやってきたので、入れる建物内は片っ端から入ります。いろいろな仕掛けや興味をひかれるものがあって楽しかったです。建造物だけでなく、西門あたりから見下ろす土塁や堀跡もすてきでした。
このあたりでそろそろ終了かなとバス停に向かったのですが、本丸西側の堀や西の沢を素通りすることができずに寄り道を。するとそこにはまるで城旅の最後の贈り物のようなすてきな景観が広がっていました。その中を歩けることがまた楽しくて。西門があんなところに見える!とか、ここはあそこに繋がっているんだ!とか、最後までワクワクしっぱなしの楽しい時間が過ごせました。
15時過ぎに八戸駅でやっとせんべい汁ランチをいただくことができました。
(写真を撮ったはずなのですが消してしまったみたいで見あたらないです🥲)
おみやげにと何気なく買った“せんべいの耳”もドストライク。レンチンしてカリカリにしてもおいしかったです。
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2024/02/10 22:36
千貫櫓台・南御多門東脇櫓台修復なる (2024/02/10 訪問)
令和3年5月の大雨で以前より孕んでいた千貫櫓台の石垣が崩れて、また以前より孕んでいた南御多門東脇櫓台も合わせて、発掘調査の上、修復復元されました。
昨年の11月5日に発掘調査現地説明会が有ったのですが都合で伺えず、早く訪ねたいと思いながら本日天気も穏やかでスギ花粉の飛翔も少なく日帰りで往復90km程の吉田城へ山道国道362号線経由で探訪観察へ出かけました。
駐車場:三の丸美術博物館南東駐車場利用(有料500円/回)
駐車場より三の丸、二の丸を通り本丸南から冠木門跡、本丸南土橋より千貫櫓台、南御多門・東脇櫓台を南側より、門枡形より、本丸内の裏側からと見学観察させて頂きました、本日は大勢の方で賑わっていました、如何も吉田城を廻るウオーキングが有った様で夫婦連れの方々が多いように見受けられました。
奇麗に修復なった石垣を堪能しました。修復は北御門、腰曲輪東角に修復箇所の縄張されて居り令和7年まで続くようです。
この後は鉄櫓登閣、本丸内部、北御門、裏御門、金柑丸、二の丸、三の丸各土塁、豊川側に降りて、川手櫓台、腰曲輪、本丸堀西と東、二の丸堀豊川側の確認、水門確認、総堀の大手門跡確認、大手門跡傍の五月寿司店で握り寿司を頂く、三の丸大手門・18連隊正門の鏡石の確認、二の丸口門跡確認、二の丸御殿跡確認、、金柑丸に立つ神武天皇像参拝、二の丸土塁・虎口、三の丸東の川毛口門跡、豊橋刑務支所東面残滓の総堀土塁探訪観察、豊川北側のグラウンドゴルフ場側で鉄櫓を観察撮影で約3時間超廻りました、写真は各篇に分けて以降投稿させて頂きます。
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2024/02/10 17:29
備前掘を深堀り (2024/02/10 訪問)
熊本城で城内の水堀、備前掘が水を抜いて修復工事前に一般公開が行われました。この機を逃すと水堀の底に降りる機会は無いと思い参加しました。
担当の方の話では、某池の水を抜いてみる番組からオファーがあったらしいが、予定が合わず見送られたらしいです。
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2024/02/10 08:33
河川改修の影響 (2023/12/16 訪問)
戦国後期までに十河一存が築いたと伝わりますが、詳細は不明です。江口の戦いの前哨戦では、細川晴賢が籠る柴島城を三好長慶軍が攻め落とし、江戸初期には摂津中島藩に封ぜられた稲葉紀通が居城としましたが、丹波福知山藩への移封にともない廃城となったと思われます。
阪急千里線・柴島駅から登城開始。現在の柴島中学校周辺が主郭に比定されるようですが、市街化と河川改修により遺構は消滅しています。柴島城址の石碑は中学校から北東に徒歩4分の位置に立てられていますが、河川改修により北に移転した柴島神社との位置関係に基づいて立てられたことから、城跡から北に150mほどずれているようです。
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2024/02/09 22:14
城跡の整備が待ち遠しいですね (2023/10/24 訪問)
西武池袋線 豊島園駅から徒歩5分ほど、西武練馬駅からは徒歩15分ほどです。
石神井川沿いの練馬城址公園の旧としまえんの高台が、練馬城跡とされています。旧としまえんのエリアは、工事中で立入禁止でしたので、エントランス広場から遠目に見学しました。
またエントランス広場のとしまえん思い出コーナーの所に、練馬城についても少し記載された案内板が設置されていました。
これから本格的に城跡は整備される計画があるらしいですので、楽しみです!!
石神井川を挟んで城の反対側には、ワーナーブラザーズスタジオ東京があり、駅などもハリポタ仕様になっていました。訪問日もハリポタ好きの方で、エントランス広場周辺は、ものすごく賑わっていました。
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2024/02/09 22:04
ブギウギ (2024/01/27 訪問)
朝ドラの舞台にもなっている引田、城はドラマとはあまり関係なさそう(見てないのでわからない)ですが続100名城です。
引田港側の登城口には広い駐車場が完備、登城口のところにパンフレットと杖も設置されています。
登城路も整備されていて歩きやすいですが例によって少し外れてみるとピンクリボン。
人の手が入ったような地形がありました。
曲輪なのかな?
登城路に戻り登ると狼煙台、引田港を見下ろす眺望もよい!
さらに進むと本丸エリアに。
石垣が見られます。
天守台跡に進み下を見下ろすと巨石が、また道を逸れて降りてみました。
巨石が天守を守っています。
化粧池から灯台を経て東の丸ヘ。
ここも眺望がよい場所でした。
播磨灘を見下ろせます。
東の丸にも石垣がありました。
メインの北二の丸の石垣は上段は崩落の危険がありシートに覆われていますが下段は見事。
北二の丸には御殿があったとされています。
北曲輪まで行って引き返し下山しました。
次回は推定大手道を歩いてみたいです。
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2024/02/09 22:01
後醍醐天皇 行在す。 (2018/03/31 訪問)
笠置山は古くからの信仰の地とされ山中には笠置寺が有ります。大海人皇子もしくは大友皇子による建立と伝えられ磨崖仏の巨大な弥勒菩薩を本尊としています。元弘元年(1331)には後醍醐天皇が鎌倉幕府と対立し当山に籠り、元弘の乱(笠置山の戦い)が起こりますが、翌年には落城し後醍醐天皇は捕縛され隠岐に流罪になりました。天皇が当事者なのに「乱」とはこれいかに?といった感じですね。
行在所を中心に北に二の丸跡、周囲には寺社仏閣や貝吹石などの奇岩がぐるりと取り囲むように存在しており、周遊コースに沿って見学することが可能になっています。
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2024/02/09 21:37
鶏足寺(飯福寺) 紅葉の名所 (2019/11/24 訪問)
滋賀県長浜市にある鶏足寺は己高山の麓から徒歩で15分ほどの位置にあり紅葉の名所として人気を集めています。絶景の特集本などで紅葉の参道が評判となり多くの人が訪れていました。滋賀県は紅葉の名所が多いですが東近江の方は昔ながらの山寺が多く、なかなか体力を消耗します。山頂付近にも鶏足寺が存在し奈良時代に行基および泰澄によって築かれたとされています。
滋賀県の山寺はどれも歴史が古く山城としての機能も持ち合わせているように感じました。
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2024/02/09 21:16
金剛輪寺 湖東三山 紅葉の名所 (2019/11/23 訪問)
滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺にある金剛輪寺は百済寺と同じく湖東三山の一つで紅葉の名所とされています。山城の面影が強かった百済寺ですが金剛輪寺も負けずに石段がきつく、山城としての雰囲気は漂っています。織田信長の焼討ちの際には金剛輪寺も被害を受けますが本堂や中心堂宇は本坊より数百メートルの石段を登ったはるか上にあったので焼失を免れたのではないかとする説もあるようです。
境内の紅葉は「血染めのもみじ」と呼ばれており、なかなか見事なものです。オーバーツーリズムを避けてやって来ていた日本のオジイオバアさんたちがたくさん来ているのですが、前述のとおり石段がきつく皆、ヒイヒイ言って登っていました。
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2024/02/09 21:02
玉巻城跡の看板は立派なのに (2024/02/09 訪問)
福知山線谷川駅のすぐ西横の踏切に玉巻城跡の看板があります。
ただその先にはまったく案内なし。
突き当りの長慶院の裏手墓石群にも登城路は見当たりませんでした。
県道86を少し北上しJR線路沿いの踏切先に山への登り道があるのですが、
入り口は施錠されていて進入は不可能です。
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2024/02/09 20:52
この手札がなければ「しりとり」は… (2024/01/07 訪問)
この手札がなければ「しりとり」は,光秀の天下よりも短命に終わっていました…。「角牟礼城ブレイキン」を救ったのが,当時にのまるさんが持っていたこの手札でした。その後,47都道府県制覇,日本100名城制覇,続日本100名城制覇とつながり,もはや伝説(?)となってしまった「しりとり」ですが,いまだに「角牟礼城」からリレーできるのはココ以外に見当たりません。
誤って「勝連城」のリレーでココを使用してしまったなら,どうしても「角牟礼城」をラストにもってこなければならないという,重要手札です。
そんな連方屋敷ですが,途中下車でいつでも行けるという立地から,この日のついでの登城になりました…<苦笑>。
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2024/02/09 20:49
釈迦山百済寺 湖東三山 山城でもあった寺 (2019/11/23 訪問)
滋賀県東近江市百済寺町にある百済寺は湖東三山の一つで国の史跡に指定されています。歴史は古く推古天皇の時代14年(606)に聖徳太子によって建立されたそうです。室町時代には栄華を極めルイス・フロイスの書簡には地上の楽園と記されていたそうですが、元亀4年(1573)に織田信長と対立した六角氏に味方し織田勢によって焼討ちされ寺は全焼したそうです。
境内には山城としての百済寺の遺構が残り古い石垣が残っています。焼討ちの際、石垣の石が比較的小さかったため石曳きをされず残ったそうです。
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2024/02/09 13:20
良い御殿 (2024/02/08 訪問)
バイク走らせて訪問。
拝観時間ギリギリだったため、中を見れませんでしたが。100名城スタンプだけ押させてもらいました。危ない危ない。
またゆっくり訪問します
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2024/02/09 11:45
当たり?
城への道は楽しい道ー-。中古で買った書籍になんと城郭考古学者・千田嘉博先生の直筆(多分)が!
お城好きにとっての“神”と崇拝する向きもちらほら。首からカメラをぶら下げて現場に赴くと、そのテンションはやや常人離れしたものになる(だって神だから?)。
歴史家・磯田道史氏との相乗効果もあってか露出度は年々増すばかり。相思相愛であろうこのふたりがテレビ番組で絡むと、時に進行役や他のゲストを置き去りにしてしまいそうな危うさが漂うところがたまらなく好きだ(笑)。
一方で苦労人だという見方も。ご本人が別の著書で語ったところによれば、考古学は文字史料がない時代の歴史や文化を、その時代の遺構や遺物から解き明かそうとする学問。そうした一次資料が残されている時代につくられた城郭に考古学的アプローチを試みるのは当初、かなりの異端とされたのだとか。
が、今ではすっかり一般層に浸透して引っ張り蛸。そんな「千田先生」でググると、自動予測キーワードの中に「かわいい」の文字。たしかに画面の中の茶目っけたっぷりのおじさまはそう見えます。他方、そのメディア戦略はなかなかの“軍師”っぷりだと思うのは私だけでしょうか。
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2024/02/09 08:35
大阪城(100名城1城目) (2024/01/31 訪問)
残念ながら曇りでしたが、100名城スタンプを集めようと決めたので、まずは大阪城に行ってきました!
天守閣まで行ったのは初めてです!
遠くから見ることは多かったのですが、虎がいるなんて知りませんでした。
展示も充実していて、初めて知ることや学んだことも多かったです。
屏風絵の解説もたくさんで、見入ってしまい予定の3倍くらいの時間滞在してしまいました。
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2024/02/09 07:55
城地山 明教寺 (2023/12/16 訪問)
織豊期に中川清秀が茨木城の支城として築いた城で、中川氏移封後の動向は不明ですが、現在の城地山 明教寺が城跡と伝わります。
阪急千里線・下新庄駅から登城(明教寺まで徒歩5分)。明教寺周辺は住宅地になっていて遺構は消滅しています。新庄城の石碑も説明板も見当たりませんが、境内にある明教寺縁起には新庄城に関する記述があるようです。「城地山」ですもんね。とある煩悩の登城目録さんの登城時には山門は開放されていたようですが、この日は閉ざされていたため縁起は未確認です。駐車場越しに縁起の石碑があるのは見えましたが…。
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2024/02/09 07:21
世界遺産の構成資産の近く (2023/12/26 訪問)
世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産・春日集落の結構近くに所在する城です。世界遺産が目的の平戸でしたが、この城の攻略も当然予定に入れてありました。県道の脇に「まこ地蔵」があり、ここが登城口になります。古代朝鮮式山城の水門を彷彿とさせる石塁の両側に郭が伸びていました。ロープが張られる急峻な登城路ですが、攻略の価値のある城だと思います。
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2024/02/08 22:54
交錯する二人の「武田」 (2023/05/05 訪問)
南部一族武田信義を祖とする蠣崎氏5代目の蠣崎蔵人は蝦夷に流れた。若狭出身とされる武田信広はこの地を経由して蝦夷に流れて現地で蠣崎季繁の養子となり松前氏の祖となった。蠣崎蔵人と武田信広は同一人物かはたまた別人か。
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2024/02/08 21:59
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