元弘の乱で倒幕計画が発覚した後醍醐天皇が笠置寺に行幸して御在所とし、鎌倉方の大軍と攻防戦を行った場所です。室町末期には山城守護細川晴元の守護代木沢長政が入城しています。笠置寺を受付からコースが設定されていて散策してきました。巨石が多く山も急峻であるため攻めるのは容易ではなかったと思われます。
「発掘調査の成果から、鎌倉時代と戦国時代の遺構が重複していることが判明しており、防御施設として地表面上で確認できる遺構の多くは、戦国時代に改修されたものである可能性が高いといえます」と京都府教育委員会のHPにありました。発掘調査では南尾根には堀切や土塁が観察されていたようですが、今も残っているのかわからず暑さにも負けて探すこともなく撤退しました。
JR笠置駅より徒歩にて約30分で笠置寺へ行くことができます。
笠置駅前には元弘の乱の笠置山の戦いを再現したモニュメントがあります。矢を射かけるのは三河の国の住人、弓矢の名人足助重範です。敵となる鎌倉幕府軍の攻撃を勇敢に迎え撃つ様子が表現されています。また山の上の笠置寺近くには「南朝忠臣足助次郎重範公奮戦跡」と刻まれた石碑が一ノ木戸跡に立っています。
+ 続きを読む