かさぎじょう

笠置城

京都府相楽郡

別名 : 笠置山城
旧国名 : 山城

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後醍醐天皇行在所跡
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元弘の乱 (2025/06/28 訪問)

 元弘の乱で倒幕計画が発覚した後醍醐天皇が笠置寺に行幸して御在所とし、鎌倉方の大軍と攻防戦を行った場所です。室町末期には山城守護細川晴元の守護代木沢長政が入城しています。笠置寺を受付からコースが設定されていて散策してきました。巨石が多く山も急峻であるため攻めるのは容易ではなかったと思われます。
「発掘調査の成果から、鎌倉時代と戦国時代の遺構が重複していることが判明しており、防御施設として地表面上で確認できる遺構の多くは、戦国時代に改修されたものである可能性が高いといえます」と京都府教育委員会のHPにありました。発掘調査では南尾根には堀切や土塁が観察されていたようですが、今も残っているのかわからず暑さにも負けて探すこともなく撤退しました。

JR笠置駅より徒歩にて約30分で笠置寺へ行くことができます。
笠置駅前には元弘の乱の笠置山の戦いを再現したモニュメントがあります。矢を射かけるのは三河の国の住人、弓矢の名人足助重範です。敵となる鎌倉幕府軍の攻撃を勇敢に迎え撃つ様子が表現されています。また山の上の笠置寺近くには「南朝忠臣足助次郎重範公奮戦跡」と刻まれた石碑が一ノ木戸跡に立っています。

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しんちゃん

巨石がごろごろ (2018/03/31 訪問)

笠置城は後醍醐天皇の行在所が本丸とされていて、後醍醐天皇の仮皇居があった場所が二の丸と呼ばれています。笠置山には様々な巨岩が有り、貝吹き岩は勤王の武士の指揮を高めるために岩上より盛んに、ほら貝が吹かれたとされています。笠置寺の本尊は巨岩に掘られた巨大な弥勒磨崖仏でしたが創建より三度も火災に見舞われ焼け崩れてしまったようです。
他にも笠置町の名の由来とされる聖武天皇ゆかりの笠置石もあったりします。

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しんちゃん

後醍醐天皇 行在す。 (2018/03/31 訪問)

笠置山は古くからの信仰の地とされ山中には笠置寺が有ります。大海人皇子もしくは大友皇子による建立と伝えられ磨崖仏の巨大な弥勒菩薩を本尊としています。元弘元年(1331)には後醍醐天皇が鎌倉幕府と対立し当山に籠り、元弘の乱(笠置山の戦い)が起こりますが、翌年には落城し後醍醐天皇は捕縛され隠岐に流罪になりました。天皇が当事者なのに「乱」とはこれいかに?といった感じですね。
行在所を中心に北に二の丸跡、周囲には寺社仏閣や貝吹石などの奇岩がぐるりと取り囲むように存在しており、周遊コースに沿って見学することが可能になっています。

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YAICHI

笠置山自然公園 (2020/11/19 訪問)

鎌倉幕府打倒を考えた後醍醐天皇は、京を追われ、笠置山にて挙兵。元弘の乱の舞台となった笠置城ですが、現在は自然公園として整備され、春は花見、秋は紅葉狩りで有名です。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 後醍醐天皇
築城年 元弘元年(1331)
主な城主 後醍醐天皇、木沢氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、堅堀
指定文化財 国史跡(笠置山)
再建造物 石碑(史蹟及名勝笠置山)、説明板
住所 京都府相楽郡笠置町笠置笠置山
問い合わせ先 京都府教育庁指導部文化財保護課
問い合わせ先電話番号 075-414-5903