とことん江戸城・番外編(旧芝離宮)
(2024/05/30 訪問)
楽寿園は江戸前期に老中・大久保忠朝が上屋敷に作庭した大名庭園で、その後数氏を経て幕末には紀州徳川家の芝御屋敷となり、明治には有栖川宮家から宮内省が買い上げて芝離宮としました。昭和天皇の御成婚を記念して東京市に下賜されると、旧芝離宮恩賜庭園として一般に公開されて現在に至ります。
昨年に浜離宮(浜御殿)を訪れた際に、旧芝離宮とのセット券を買っていながら来ることができず、さすがに期限切れだよなぁ…と思いつつ調べてみると、有効期限なしとのことで、幸か不幸か増上寺を再訪することになったことでもあり、浜松町駅からまずは旧芝離宮を訪れました。
楽寿園(旧芝離宮)は大泉水と呼ばれる潮入の池を中心とした回遊式庭園で、州浜や砂浜を設けて潮の干満による景観の変化を楽しめるように造られていましたが、周辺の埋め立てと工業化により現在では水位の変化のない淡水の池になっていて、海水取入口跡の石垣と水門に潮入の名残が見られるのみです。大泉水には中島、大島、浮島など大小いくつかの島が配され、中央の蓬莱山に見立てた石組の中島へは西湖の堤を模した石造の堤が続き(反対側の八ツ橋は工事中でした)、最大の大島にはたい焼きを思わせる形の鯛橋が架けられていました。
勇壮な石組も特徴で、大久保忠朝の領国である小田原から運び込んだ火山岩による根府川山、山峡を流れ落ちる滝を石組で表現した枯滝、枯滝を越えて大山に続いていたとされる臥龍橋も鯛橋と同じく根府川石だったと思われます。後北条氏に仕えた松田憲秀旧邸の門柱も小田原から運び込まれて、上屋敷の茶室の柱としたと云われています。
…う~ん、浜御殿(浜離宮)や小石川後楽園はまだしも江戸城と関係がありましたが、楽寿園(旧芝離宮)に至っては江戸の大名庭園ではあっても江戸城とは全く無関係ですね。ともあれ、お天気も良く純粋に庭園散策として楽しませていただきました。
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