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しんちゃん

華やかな二の丸。かわいそうな本丸。 (2021/05/04 訪問)

横手城は戦国期には小野寺氏の城でした。このあたりは豊臣の天下の頃から江戸時代まで、領主が良く入れ替わり面倒なのですが佐竹氏の時代に城代が置かれ元和6年(1620)の一国一城令の際にも横手城だけは佐竹義宣の働きかけによって破城を免れたようです。
現在の縄張りは佐竹氏の時代のものらしく模擬天守が二の丸に建っており、城代が置かれた本丸は秋田神社になっています。本丸と二の丸の間に武者溜りがあったようです。小野寺氏の時代、主郭の周囲の切岸には韮を植えて土留めとし、敵が登って来るのを防いだそうです。
(ニラは滑るらしい)

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小城小次郎

こんなところにまーるいお城 (2023/04/16 訪問)

草津と大津を結ぶ最短距離の水運基地として近代まで活用された山田港のそばにあって、山田氏が使っていたお城なのだそうだが、その姿は方形単郭ではなく円形単郭だったらしい。こんなところにも「まーるい城」があったのか。

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にのまる

今年は!!

毎年欠かさず、年によっては3日連続で通い、EXPO検定にも(ノー勉で)果敢にチャレンジしてきた年末横浜の祭典ですが、
今年はまさかの……不参戦でした(@ ̄□ ̄@;)!!

みなさまの参城報告、読ませていただいております。
参加された方々よりもアツ~く語っておられるイオさん☺️
イオさんのもとにかるた(実物)が届きますように!
todo94さんのご投稿には、初めて平山先生の生声を聞いたときの衝撃を思い出しました。“天正壬午の乱”は平山先生の命名なんですよね。
そして、“いつできるの?”“ほんとにできるの?”と気になりつつも声に出せない投稿者たちの思いを一身に背負い、かるた大使として中央とコンタクトを取ってくださった朝田さん。ありがとうございます。
お礼にクイズです。
↓の写真は現地調達した兵糧です。どこでしょう!?

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シェル

道灌堂 (2023/10/03 訪問)

 豊島氏館から徒歩で40分ほどかけて移動し登城。最寄り駅のJR赤羽駅からは徒歩5分ほどです。
 赤羽駅側の城跡の東側の石段の所に立派な石碑があります。石段を登りきった静勝寺の山門前に説明板が設置されています。
 ここの石段はけっこう段数がありました。
 城跡は静勝寺になっていて、城の遺構はありませんでしたが、境内には築城者の太田道灌の木象を安置した道灌堂があります。
 また静勝寺の南側の山門脇にも、稲付城の説明板が設置されています。

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いんげん丸虫

砦山城 愛知県豊根村 (2023/11/25 訪問)

標高790mの山城です。南北に伸びる約100mの細尾根
上に5つの堀切があります。
無骨な城跡ですが、シンプルなのが好きですね。
別所街道、バス停砦山付近に路駐して坂宇場川を旧道
の橋でわたり、林道をしばらく行くと砂防ダムのある
川向こうに看板があります。看板の近くから登城路が
なんとなくあるので、川の浅瀬を渡ります。

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WEST

鹿野城探訪 (2023/12/09 訪問)

鹿野城は鳥取市の鹿野町にあるお城です。戦国時代の亀井茲矩の居城跡とのことです。
天守跡は御城山に登る必要がありますが、麓に堀、二の丸(出丸)跡、本丸跡があります。
「カフェしかの心」横の観光駐車場に停めて散策しました。(駐車場入口が狭いので注意が必要です)
二の丸跡から本丸跡へアクセスしようとしましたが、二の丸跡奥が学校の敷地となっているため良く分らなく、断念しました。
桜の名所とのことですので、桜の時期に再訪したいと思います。

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イオ

シンデレラ気分……から一夜明けて

朝田 辰兵衛さん、お城EXPO 2023のレポート(写真も)ありがとうございます。かるたでは和歌山城の絵札も採用されていましたか。お知らせありがとうございます。定番ショットだからでしょうけど、配慮があったのだとしてもやはり思い入れのある城で選ばれるのは嬉しいものです。朝田さんは絵札4枚と読み札3枚ですか! さすがですね。




ところで…

昨日の投稿を一晩明けてから読み返してみると……何だこりゃ…。嬉しさで舞い上がってしまっていたとはいえ、50過ぎのおっさんがシンデレラ気分とか正気を疑いますね。おかしなテンションになっている自覚はありましたが、お見苦しいものをお目にかけました。美夢さん、チェブさんも巻き込んでしまい申し訳ございません。顔から火が出る思いです…。

ただ、朝田さんからもかるたのお知らせをいただいたように、舞踏会(EXPO)に行けなかった灰かぶりに舞踏会の様子をお伝えくださる心優しく親切な城びとさんは、性別を問わずみんな舞踏会に参加する資格のあるシンデレラだ、ということで…(まだ言うか)。
 

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Daigo

熊本城 (2023/11/23 訪問)

場内常設がとても良い、隈本歴史から、加藤清正まで勉強出来ました。

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Daigo

甲府城 (2023/09/06 訪問)

夜に入城したら気持ちいいです

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Daigo

武田神社 (2023/12/06 訪問)

ミュージアムにも寄ることをお勧めします

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Daigo

松本城 (2023/09/01 訪問)

周りの風景とお城がとても良い

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todo94

畝状竪堀パラダイス (2023/11/24 訪問)

雲海が出なかった立雲峡から途中、朝食をとった後、向かいました。事前の下調べを全くしていなかったので、素晴らしい畝状竪堀には見事なる不意打ちを食らってしまいました。2023年初攻城の城のベスト3に入ること、間違いありません。畝状竪堀といえばハリネズミのような豊前長野城が有名ですが、写真撮影はなかなか難しいものです。此処の畝状竪堀は見栄えの良さ、写真撮影のし易さで群を抜いているかと思います。竹田城の雲海の穴埋めが十分にできました。ただ、主郭と思しき広い郭から北側の谷に下ってしまい、帰路は大きく遠回りをすることになってしまいました。

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Daigo

小田原城 (2023/08/14 訪問)

駅前から小田原城を見て、行きたくなりました

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朝田 辰兵衛

お城EXPO 2023 (2023/12/16 訪問)

姫路で「じゃあ横浜で…」と言ったことで,城びとスタッフに「かるた」の圧をかけてしまったなと思ってました。営利企業であれば,これだけのビッグマーケットに間に合わせるのはミッション。しかし,印刷会社はカレンダー等で多忙なシーズン。現実的にビミョーかな…と。
よく間に合わせましたネ…深く感謝申し上げます。あれっ,結果的に集客に一役買ったかな…?

さて,城びとブースで「約3ヶ月ぶりです」と挨拶したら「あっ,朝田さん」とすぐわかっていただいて,感激です。実は,チェブさんと入れ替わりだったようです。スタンプラリー前に立ち寄っていれば,お会いできました…残念。
スタンプラリーは,先月の八王子イベントのパターンです。八王子では,八王子城と滝山城が出来上がりました。
今回,単品の丸亀城ができるシャチハタブースで確認したら,「八王子にもこられました?」とビックリされました。

かるたは,特定の投稿者に偏ることなくチョイスされたようです。ただ,居住地域や思い入れのある場所に忖度されてるな…と感じました。にのまるさんは,武田氏館の読み札。イオさんは,和歌山城の絵札。トクさんは,人吉城の絵札。私は画像にもあるように,新発田城の読み札など…。誰が見ても感じられるテイストです。
「かるた取り大会」は,みんな熱いハートの持ち主ということで「ケガ人が出ちゃいますよ~」と進言しました。
普通にオフ会でいいんじゃないかな…と思います。

サタデーナイトプログラムは,内容詳細アップを制限されておりますので,テーマの発表程度になります。
忍者ブラスの演奏はもはや恒例。私はバイオリンを交えると必ず演奏される「真田丸」がスキです。紹介チラシの画像アップは許容範囲と思います。
平山優先生は,「天正壬午の乱」をテーマに講演。今回は,講演後のサイン会に緊張されていたのか,笑いを取りにこなかった…<笑>。

越後への帰路は,積雪量を確認しながらの移動でした。越後湯沢は約2m。浦佐は約1m。長岡は約50cm。燕三条は約10cm。新潟は0cm。
ご参考までに。

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しんちゃん

角館歴史地区 秋田県仙北市角館町 (2023/05/04 訪問)

角館の街並みは戦国期・戸沢氏の時代には古城山の北側にありましたが蘆名氏の時代・元和6年(1620)古城山の南麓に移転されました。ちなみに最初に角館に入った蘆名義勝は佐竹義宣の実弟になるそうです。桜の名所で「角館のシダレザクラ」は国の天然記念物に指定されています。
GWには桜は終了していましたが、青柳家や石黒家など幾つかの武家屋敷が有料で公開されています。青柳家にはハイカラ館などおしゃれな展示館も設置しており博物館として収納品も充実しています。
街中では秋田名物・稲庭うどんを頂くことができます。店の方がおっしゃるには温と冷があるけど冷たい方がうどんの味が良くわかるそうです。アドバイスに従って冷で食べてみると‥なるほどうまい。上品な甘さを感じます。三大うどんと言われるのもわかります。
本場のいぶりがっこも付いているので食べてみると、これまたうまい。うどんの旨味を引き立ててくれています。見て良し、食べて良しと桜が無くても十分楽しめました。腹が膨れたので角館城へ向かいます。

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ぴーかる

大要塞の小笠原氏城跡 (2023/11/23 訪問)

【埴原城】
<駐車場他>蓮華寺前に駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>曲輪群・石垣・堀切・畝状竪堀群・武者走り
<感想>2泊3日松本・佐久・吾妻の山城攻めの旅初日1城目。現地説明板によると、埴原城の築城年・廃城年は定かではありませんが信濃国守護である小笠原氏の家臣埴原氏によって築城されたとされます。1550年に武田晴信の進攻によって落城しましたが武田氏滅亡後に小笠原貞慶が奪還し改修した可能性が高い、現在残る遺構はこの時のもののようです。

 登城口は蓮華寺の北<36.188000, 138.009114>にあり屋敷跡が残ります。獣柵のゲートを開けて入って登ると主郭から西に伸びる尾根曲輪の真ん中辺の堀切に出ます。私は行きませんでしたが、登城口の屋敷跡を左手の山道に入っていくと西に伸びる尾根曲輪の先端から登れるようです。

 城跡は主郭を中心に東側以外の5方向の伸びる尾根上に曲輪群を配し、1つの尾根曲輪群に5~8条の堀切で遮断しています。城跡全体では大小合わせて数十条の堀切があるでしょう。主郭の西南方向に2郭・3郭・構という曲輪が連なっています。主郭の東側に大堀切があり大堀切の東側は山の上方になりますが、かなり見応えのある扇状の畝状竪堀群があります。竪堀群の中に1条、堀底状通路という大切通しがあり圧巻です。
 主郭は2局構造になっていて中心に堀切・土塁で仕切っています。東側の主郭は東面の大堀切のための大土塁がありアーチ構造、西側は平坦で南面と西面に見事な石垣が残っています。主郭の南側は2郭3郭から伸びた斜面に並行して武者走りが2・3本通っています。
 主郭南の武者走り・登城路の更に南下段、構という曲輪の東下段の削平地にも石垣遺構が見られます。現地にある縄張り図に曲輪になっていないので見落としがちかもしれません。ここもかなり見応えあります。
 
 多くの堀切渡りでかなり体力を消耗しますが、それを忘れる程の見事な見応えある大城郭の城跡、夢中で散策して3時間かかりました。「日本100名城、続日本100名城に負けない名城 第19・20回小笠原氏城跡」に含まれるようですが、この埴原城跡の詳細な記事は無い、私的には埴原城跡は単独個別で百・続百名城に負けていない城跡でお勧めです。

<満足度>◆◆◆

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しんちゃん

角館の街並みを一望できる。 (2021/05/04 訪問)

角館城は角館町の北側にそびえる標高166m(比高100m)の古城山の山頂に築かれています。西に桧木内川、東に院内川が流れ、城山と角館の町を守っています。創建の時期については諸説ありますが応永30年(1422)菅利邦が城主の時に戸沢家盛に落城させられ、以降戸沢氏が角館城の城主になりました。戸沢氏は慶長7年(1602)茨城郡小河城に4万石で転封となり、角館城は元和6年幕府の命により佐竹氏家老・梅津半右衛門憲忠により破却されています。
城跡には麓から登城道が続いていて西曲輪を経て一気に本丸にたどり着きます。本丸と南曲輪からの眺望は素晴らしく、角館町の街並みを一望できます。南曲輪の先端には東屋が設けられています。

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しんちゃん

田沢湖 秋田県仙北市 (2021/05/04 訪問)

田沢湖は秋田県仙北市にある淡水湖で日本で最も深い湖で最大深度は423.4mにも達します。人から龍になった辰子と八郎の伝説があり舟越保武氏による辰子像が湖のほとりに立ち、その美しさに拍車をかけています。流木を祀ったといわれる漢槎宮も辰子像の近くにあります。
湖の東岸には辰子観音、北岸には姫観音像、御座石神社境内には「たつこ姫像」があるらしいですが、八郎はどうなったのでしょう。八郎だけなにもないのはちょっとかわいそうです。でも今さら辰子像の近くに八郎像を造られても困る気もします。

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しんちゃん

本丸周囲の堀はかなり深い。 (2021/05/04 訪問)

門屋城は御嶽神社の鎮座する高台に築かれています。桧木内川と支流である西ノ又沢を天然の守りにし、本丸の西に西館を置き、周囲を深い堀で囲い土塁も残っています。特に本丸と西館の間の堀はかなりの規模で小谷のような雰囲気です。北に中館、北の丸などいくつかの郭があるようですが北の郭の一部まで見て藪が深いので撤退しました。本丸と西館だけでもかなり広さがあり十分見ごたえがありました。
平安時代の安倍頼時の六男・北浦六郎重任の居館とされており、戦国期には戸沢一族の門屋嘉兵衛尉が入り、天正18年(1590)豊臣秀吉の命令で戸沢35城の一つとして破却されたそうです。

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いんげん丸虫

津具城 愛知県設楽町 (2023/11/25 訪問)

標高770mの山城です。
遺構は100m四方に入るコンパクトな城郭ですが、堀切、
横堀、竪堀、土塁と良い状態で残ってます。
戦国末期まで活躍した城郭で、武田氏による改修も考え
られるようです。
街道に小さな看板があり、そこから登城口まで約200m位
車で入れるように整備されてたみたいですが現状では
普通車では厳しいですね。
登城口からの道はわかりやすく要所に看板が設置されて
ます。

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