現在大手門付近の発掘調査をしているとか。
+ 続きを読む
検索結果・・・「」を含む投稿
2023/01/03 10:38
2023/01/03 09:33
江戸崎の町の中心に (2022/12/25 訪問)
本丸は稲荷神社が建つ周辺です。
駐車場脇に説明板が立っていました。
本丸には土塁が残っていました。
二の丸である江戸崎小学校の方へ降りてみましたが改変されていて遺構は見つけることはできませんでした。
鹿島神社へ移動し、土塁を見学。
小学校にも土塁が残っています。
さらに三の丸の瑞松院へ移動。
背後の五百羅漢がある山へ登りました。
細尾根になっていて途中には斜めに落ちる竪堀があります。
今残る遺構ではここが一番の見どころでしょうか。
旧江戸崎町では中心部に位置する土岐氏築城の城です。
+ 続きを読む
♥ いいね
21人が「いいね」しています。
2023/01/03 07:51
栖霞園 (2022/11/27 訪問)
栖霞園が福光城址です。時間調整をして9時ちょうどに駆けつけましたが、何と、冬期間は利用不可とのことでした。こういうパターン結構多いです。折角なのでほど近くにある「しりとり」の思い出の地、安居(やすい)城(城びと未登録)にも脚を伸ばしてきました。登城路がはっきりせず、それなりに城っぽさは感じることが出来ましたが、正直、主郭にたどり着けたのかどうか全く自信がありません。
+ 続きを読む
♥ いいね
14人が「いいね」しています。
2023/01/03 00:38
2023/01/03 00:21
二の丸、富士見櫓跡編 最後 (2022/12/11 訪問)
二の丸から本丸方面を望むと大きな高石垣が見えてきます。本丸には櫓が2基立っていたため、二の丸からは一つ櫓台を見ることできます。二の丸も本丸と同じく高石垣で囲まれていて堅固になっています。また二の丸にはかつて富士見櫓が存在しました。富士見櫓台の石垣はかなり荒い野面積みになっています。また富士見櫓台の近くには大きな堀切が残っています。これはよく見ると喰い違い虎口になっているのでしょうか。蛇が怖くて中まで行きませんでした。その後田丸中学校のグラウンド付近を周って二の丸虎口を見ました。右側が高石垣になっています。
田丸城は終わりです。皆さんお疲れ様でした。12月11日が2022年最後の城巡りでした…
昨日(1月2日)二俣城と鳥羽山城に行ったのでまた投稿します。
+ 続きを読む
♥ いいね
21人が「いいね」しています。
2023/01/03 00:10
2023/01/02 23:56
2023/01/02 22:10
周匝茶臼山城との兄弟城 (2022/12/03 訪問)
【大仙山城】岡山県赤磐市周匝
<駐車場他>城山公園第二駐車場
<交通手段>車
<見所>堀切・曲輪土塁・横堀・畝状竪堀・井戸
<感想>1泊2日城びと美作・備前山城攻めの旅3城目。城びと未登録の大仙山城は城びと登録のある周匝茶臼山城との曲輪続きになっている城で茶臼山城と連携しています。築城年は定かではないが茶臼山城と同じ天文年間(1532~ 1555年)の初め頃に笹部勘次郎によって築城されたようで、浦上氏の居城天神山城の北の守りの城だったそうです。
城跡入口は周匝池田家西墓所と東墓所との間に幟がある入口があるので進みます。尾根曲輪を進むと堀切があり奥に大堀切があります。堀切奥が段曲輪になっていて、横の小径からロープ伝いに山の鞍部に降ります。鞍部は堀の集合地点になっていて土橋状に土塁があります。正面の高切岸の山上が主要部になっています。そこから左手に折れると左手に曲輪に沿うように横堀があり要所に竪堀があります。主郭方向に登らず最奥に進むと畝状竪堀群があり見応えあります。主要部は超広い削平地になっていて段差や土塁で曲輪を区切っています。東側の建物基壇跡や井戸が残っています。主要部西側から北側に段曲輪があり曲輪毎に溜池や井戸跡があります。最下段の曲輪に搦手虎口があります。
様々残る遺構の見ごたえある城跡で自分的には茶臼山城より満足度の高い城跡でお勧めです。こちらにも是非寄ってみて下さい。
<満足度>◆◆◆
+ 続きを読む
♥ いいね
22人が「いいね」しています。
2023/01/02 21:10
行ったほうが良い城初級編 (2022/12/25 訪問)
県道107号線沿いにあり説明板と駐車場があります。
駐車場のところにも堀と土塁があります。
以前来たときは夏だったので堀も結構な藪だったのですが、時季と整備のお陰で凄く見応えのある城ということがわかりました。
常陸名物の堀底道を歩いていくと土橋に当たります。
主郭と二郭を繋ぐ土橋です。
この先はバンブー感満載ですが竹林に外れ無し、なかなかの城でした。
主郭は土塁が囲み、二郭との間には折れのある部分もありました。
常陸ではあまり登らず掘ってる城が多いのですがここもその一つ。
体力に自信ない方も楽しめる城、おすすめです。
+ 続きを読む
♥ いいね
20人が「いいね」しています。
2023/01/02 16:19
住宅地の城址碑と公園 (2023/01/02 訪問)
説明板には諏訪氏が5代にわたって、この地にあった。後北条氏に属し二百貫文の貫高があり、北条氏が小田原城主になる前から居城していた。永禄12年(1569)に武田信玄の小田原を攻めた際に廃城になったと思われる、とある。
城址碑の東に殿山公園があり、堀・土塁の一部が現存している、とも書かれている。他の説明では曲輪も加わる。竪堀跡とあるが公園は施設改良工事で令和5年1月31日まで入れない。柵外から眺めでは、掘らしきものが下に向かっているようだが草木が生い茂り判断しづらい。
+ 続きを読む
♥ いいね
9人が「いいね」しています。
2023/01/02 14:21
島津氏統一の過程の中で (2022/07/09 訪問)
薩州島津氏、次いで島津宗家の属城となり、天正期以降は喜入氏の所領となった鹿籠(かご)の地。喜入氏が安永年間に港近くに地頭仮屋を移すまで、枕崎は桜之城とその対岸にる鹿籠麓のあたりがその中心だったのだそうだ。
+ 続きを読む
♥ いいね
9人が「いいね」しています。
2023/01/02 12:42
2023/01/02 09:27
2023/01/02 09:19
2023/01/02 09:15
2023/01/02 07:53
2023/01/02 07:48
2023/01/02 07:40
2023/01/02 07:36
✕
人が「いいね」しています。