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しんちゃん

鶴ヶ岡城址公園。周辺には致道博物館や致道館がある。 (2021/05/03 訪問)

鶴ヶ岡城は鶴ヶ岡城址公園として整備されていて往時のように二重の堀切が残っています。本丸中心に荘内神社が鎮座し、南東の中門跡に大宝館が建っています。本丸の周囲を二の丸が囲み南を除く三方に広場が広がっています。二の丸南西部より堀を隔てた先には三日月堀を備えた枡形と三の丸が有りましたが、現在は致道博物館になっており藩主の隠居所であった御隠殿と国の名勝・酒井氏庭園があります。
鶴ヶ岡城の前身は大宝寺城で出羽国大泉荘の地頭・大泉氏によって築かれたそうです。最上氏の時代に東禅寺城が亀ヶ崎城と改名された際に大宝寺城も鶴ヶ岡城と改名されたそうです。最上氏が改易になると酒井氏が入り幕末の戊辰戦争では庄内藩は新政府軍と戦っています。

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しんちゃん

致道館 庄内藩藩校・山形県鶴岡市馬場町11-45 (2021/05/03 訪問)

致道館は庄内藩七代・酒井忠徳によって建てられた藩校です。文化13年(1816)鶴ケ岡城の三の丸に移されました。現在は復元された状態で公開されていて表御門、聖廟(孔子を祀る)、講堂、御入間が存在し、これらの建造物と敷地一帯が国の史跡になっています。

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しんちゃん

古代城柵・国の史跡 (2021/05/03 訪問)

城輪柵は国の史跡に指定されていて出羽国国府の所在地ではないかと推測されています、東門と築地塀の一部が再現されていて建築様式は時代によって4期に分かれているようです。2期の時代に掘立柱建物から礎石建物に進化を遂げており、4期では板塀から築地塀に変化を遂げています。ちなみに現在は南門も再現されているようです。

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しんちゃん

キャッスル・イン・ハイスクール (2021/05/03 訪問)

亀ヶ崎城は文明10年(1478)に武藤氏が築いた東禅寺城が始まりとされています。上杉氏、最上氏と領主が入れ替わり最上氏が改易の後に酒井氏が庄内を領し城代が置かれたそうです。かつては隣接する本丸と二の丸を堀が囲み新井田川から水を引きこみ外堀としていたようです。現在は酒田東高校の敷地となり二の丸に校舎が置かれ、かつての本丸はグラウンドになっているようで内堀は消滅したようです。
二の丸周辺には土塁が残っていて往時をしのばせます。こうして学び舎となった後でも土塁などの遺構をのこしていただけるのは非常にありがたいことで、青少年の情緒教育の一端になれば良いな(将来は城びと?)と思ったりします。

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しんちゃん

桜の名所・大山公園として整備。 (2021/05/03 訪問)

尾浦城は標高50m(比高30m)の大平山・金剛山・鳥打山などが連なる丘陵上に築かれています。天文元年(1532)武藤氏によって築かれたとされ、大山公園として整備されています。主郭には三吉神社、二の丸には古峯神社、西の郭には東屋や石碑が立っています。お手軽なハイキングコースにもなっていて私は西郭から二の丸→本丸と散策しています。各郭に山の名前が付いていますが城下大系には大平山の先端部の丘陵と記されており、それほど苦労することはありません。

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刑部

戦国期・争奪戦の城 (2023/11/04 訪問)

今回は登山スタイルで探索、坂道を登ると左右に分かれている所に到達。まずは右の神社のある方面へ各曲輪を周ってから神社の階段を登る何ともう今年の煤払いを行っていました、更に堀切を超えて奥の曲輪へ。次は本丸のある左方向へ上がり遺構を堪能しました。

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カズサン

本丸・稲荷郭・二の丸・東の丸の石垣と庭園 (2023/11/27 訪問)

 二の丸登り虎口・周辺の続きです。

 さて明石城長く時間を割き写真の撮影枚数も多く先に6編に分けて投稿させて頂きましたが、捨てがたい写真も有り投稿させて頂きます。
 本丸の北側に在る、素晴らしい乾三重櫓台、北の虎口本丸見ノ門櫓台と周辺、本丸西多門櫓台の石垣、稲荷曲輪北門石垣から桜堀方向、稲荷曲輪の西側石垣、同二重櫓台の天守台からの俯瞰、二の丸南面二段石垣、東の丸の南面石垣、武蔵の庭園で残りの写真を10枚に絞りました。
 尚、武蔵の庭園は初代小笠原忠政の命で作庭された居ます、場所は樹木屋敷に当たり現在の陸上競技場「きしろスタジアム」に成るそうです、明石公園整備にて現在の地に武蔵の庭園として歴史をつないだようです。武蔵の庭園案内板参照(案内板が経年変化して居て良く読めませんでした)。

 明石城を7編で分割投稿しましたので明石城の素晴らしさがぼやけてしまいましたので「ダイジェスト版」を次に纏め投稿させて頂きます。
 

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しんちゃん

かつての城跡としての雰囲気を良く残す。 (2021/05/03 訪問)

新庄城は新庄盆地の中央に位置し現在は新庄八幡宮の境内になっています。戸沢藩初代戸沢政盛によって寛永3年3月に築城がなされたとのことです。かつては本丸を中心に二重の堀を配し指首野川を天然の外堀としていたようです。今でも八幡宮の周囲に堀が残り各所に残された櫓跡の標識が往時をしのばせます。

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カズサン

二の丸登り虎口・周辺 (2023/11/27 訪問)

 現存巽三重櫓の続きです。

 本丸の巽三重櫓を過ぎて本丸番ノ門跡の櫓台石垣を土橋へ南北に大堀切が控えています、明石城の大堀切は本丸と二の丸の間しかも石垣城塁で固まった大堀切です、存在感が凄い。
 今回時間も迫っており、二の丸は虎口辺り、東の丸は探訪せず、虎口から巽櫓を眺めて、登り石垣の上段から下段方向を眺めて、改めた登り石垣での二の丸登り虎口石段を再認識しました、素晴らしい造りです、東の丸西端の二重櫓からの横矢もかかり、虎口下段の枡形も厳重です。嬉しく登り降りしてしまいました。

 次は本丸・稲荷郭・二の丸・東の丸の石垣と庭園に続きます。
 

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ヒロケン

三河・遠江国境の城 (2023/09/30 訪問)

宇利城は、標高165m比高90mの山上に位置し、東西両側には深い谷、南は登城口、北は城郭の背後で尾根が続いている山城で、周辺の地域は東南北に峠を抱え、西には遠江との国境がある、交通の要所に位置しています。
中心となる主郭は山頂に位置し、南面を除く周囲に土塁、北端に櫓台、その北側に比高差10m程の切岸、納所平と呼ばれる平坦地、納所平には堀が掘られています。主郭の東側には姫御殿跡が所在し、主郭の前衝的な曲輪の機能を有していると考えられます。宇利城全体では、曲輪・土塁・堀・井戸・石垣が残っています。

宇利城は1469年~1486年頃の間に熊谷重実が築城したとされ、その後の城主、熊谷実長は今川方に属し、三河統一を目指す松平清康に攻められた「宇利の戦い」で熊谷方320名・松平方90名の戦死者を出し、城を明け渡したとされています。
その後、徳川家康公の遠江平定後、宇利城の状況は不明とされているので、廃城になったものと思われます。

駐車場は中宇利交差点の一角に結構広い駐車場があります。トイレはありません。駐車場から歩いて10分位で登城口に着きます。
今回、「宇利の戦い」で戦死した松平右京亮の墓などもあり、戦国時代激しい戦いの場であった城跡を散策しましたが、一部雑木で立ち入ることが出来なかった場所があるため、2013年5月6日に登城した画像と織り交ぜて投稿させていただきます。

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しんちゃん

人面魚・善寳寺-貝喰池  山形県鶴岡市下川関根100 (2021/05/03 訪問)

今さらですが人面魚の話です。もちろん城郭とは全く関係の無い話です。ただの私の趣味でございます。
山形県鶴岡市の曹洞宗の寺院 善寳寺の北に貝喰池という池があります。この池の周辺には魚籃観音菩薩が奉られているお堂があり竜神様を祀る祠があります。そのせいか知らんけど、この池には人面魚が住んでいるというもっぱらの評判です。会えるかなーと思ってしばらく池を除いていると案外あっさり会えました。たしかに知らずに見たらびっくりするかもしれません。
どうやらネットの情報では七匹いるようですね。珍しい物にあえて少し気分が良かったです。

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しんちゃん

大手門の存在感は抜群である。 (2021/05/03 訪問)

松山城は庄内藩の師範松山藩の城で松山藩三代・酒井忠安によって築城がなされました。大手は西につき、三の丸の東に本丸が置かれ、周囲を二の丸で囲む構造でした。土塁・堀が一部残り、建築物としては唯一大手門が残っています。この大手門じつに立派で唯一の建造物遺構ということもあり、この城址の中での存在感は抜群です。城址中心は松山歴史公園として整備され、松山文化伝承館で松山藩時代の展示を見ることが出来ます。

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しんちゃん

見所はやっぱり枡形虎口。 (2021/05/02 訪問)

舘山城は鬼怒川の支流・北は小樽川、南は大樽川に守られた丘陵の先端部に築かれています。天正12年(1584)より伊達輝宗の隠居所となり、十七世政宗により大規模な築城が行われたそうです。先端部に腰郭を備え、西に曲輪1があり石垣で固められた枡形虎口が有り曲輪2に続きます。枡形には破城の痕跡があり、石垣の礎石が残っている珍しい例のようです。
曲輪2の北西には搦め手があり大土塁の先に堀切があり南西部に物見台が残っています。枡形周辺の遺構はすばらしく、この城郭の最大の見せ場になっています。

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城山稲荷神社 (2023/12/16 訪問)

保土ヶ谷駅からバスに乗り金剛寺バス停下車。民家横の細い道を上がって行くと階段があり、その先に城山稲荷神社と石碑があります。

じゅんじんさんが登城したときにトラロープがあり侵入不可であったと投稿されていましたのでダメ元で行ったのですが、自分が登城したときはなくなっていて石碑まで行けました。

 お城EXPO2023の帰りに行って来ました。

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初参加 (2023/12/16 訪問)

 お城EXPOは初参加です。よい情報を得ることができ、楽しい時間を過ごさせていただきました。

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太田小学校 (2023/12/16 訪問)

 横浜市立太田小学校付近が跡地とのことです。京急本線黄金町駅から徒歩約15分です。思っていたより急坂でした。

 お城EXPO2023に参加するために横浜に来て、時間が早かったので登城しました。

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三浦の晃ちゃん

幻のお城 (2023/12/16 訪問)

山崩れで、城下町ごと消えた幻のお城です。世界遺産の白川郷に向かう途中に、通りかかりました。

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しんちゃん

城址入口は東側の道沿いにあり。 (2023/12/10 訪問)

三留城は居館跡である正寿寺の近くに案内板が有ります。一乗谷朝倉氏初代・敏景の六男景儀の子・孫六郎景冬が築いたと書かれています。東に見える小山が五位山であり山頂部が主郭になります。登城道が不明らしいので近くまで行って直登しました。
今回は人目に付きにくい北西側の道から取りつきました。ザクザク登っていくと主郭らしい扁平地にたどり着きます。基本的に山頂部一帯を主郭として使用しているようですが遺構らしいものは見当たりません。南東側より降れそうなのでそのまま降りていくと平場にたどりつきそこから道が続いているのでそのまま脱出しました。どうやら入口は東側の道路沿いについているようです。そこから道なりに進んで途中から直登すれば難なく主郭にたどり着きます。山の持ち主がいるかは不明でトラブルを避けるため注意は必要です。

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とばつびしゃもん

三成に過ぎたるもの (2022/05/04 訪問)

龍潭寺前の駐車場に駐車し登城開始。
寺の山門をくぐり登山道を20分ほど登ると本丸へ。本丸の南側に天守の石垣と考えられる石が見られます。また本丸からは彦根城の天守がばっちり。
5重の巨大な天守があったと伝わる城。当時、徹底的に破城させられたのかその面影は感じられない。

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チェブ

ありがとう合戦。 (2023/12/16 訪問)

昨日まで、疲れているし今回はパスと、思ってましたが、いやいや 城びとの皆さんにお会いして、お礼がしたい!と、朝 家を飛び出しました。

4回目の登城。初めて電車で来ました。
みなとみらい線の新高島駅から10分弱です。出口を間違えたのと、工事中で通れない道があり20分近く携帯と標識を見ながら進みました。

でもって、当日券を入口付近で買えるかと思い、入城する例に並んでいたらチケットは別の場所とのこと。でも係の方が売場まで案内してくれました。ありがとうございます。
パシフィコ横浜ノースでのお城EXPOが初めてで、まごまごしてしまいました(゚д゚;)

と、一直線に城びとブースへ。
『チェブです』と遠慮がちに名乗ったら、『チェブさんっ』と。
すぐに私の投稿の話になり、読んでいただいている事に嬉しくなりました。ありがとうございます。
それから、あの例のカルタが展示してありました。
もう、城びと 『みんなの投稿☆オールスター』の方々のお名前がたくさんあり、『さすが~』『やっぱりな~』の連発です。
あっ、私のも絵札を1枚見つけましたよ。
カルタ大会が楽しみです(((o(*゚∀゚*)o)))

その後は、いろいろなブースで『必ず行きます。』と言いながら歩きました。

いつも、話せないお城のお話。
今日は、思う存分に話せました。
そして、いろいろな お城関係者に、お礼を言う場所だと思った「お城EXPO城」攻めでした。
本当に、ありがとうございました。楽しかったです。

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