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みぃ

慣らし運転と御城印 (2022/10/01 訪問)

GB350の納車が8月お盆明けで、雨が多い今夏、なかなか慣らし運転が進まなかった。
そこで、彦根城へGBで行こう!と思いたち出かけた。
往復172kmほどで、リターン後の1日あたりの最高距離となった。

真夏のような暑さ、プロテクターがっちりついたコスチュームにライダーブーツ。急階段が多い彦根城内で、この服装に加えビニールに入れたブーツを持ち、かなり無理があった。汗びしょびしょ汗汗汗
ひこにゃんがいたなぁ。
これが本物かあーと見入ってしまった笑
御城印は限定ものの高そうなデザインを選んだ。
500円なり!

お昼は城下町に繰り出し、近江牛のハンバーグランチをいただく。
ガッチリ身を包んでいるライダーのお城めぐりは、今後検討が必要である。

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みぃ

雨で山に上がれなかった霧山城 (2022/06/25 訪問)

北畠氏館跡(霧山城跡)
突然集中豪雨に襲われ、山を登らず引き返した。
改めて登城したいと思う。
今回は、白山のひとえやお団子をいただき、御城印ゲットしたあとで君が野ダム経由で帰宅。

また、御城印を購入した北畠神社で窓口の女性とバイクの話になり、この方とも会話がきっかけでリターンライダーとGB350購入の決意をした。
バイクでお城めぐり♡
楽しみだなぁ

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にのまる

前編 (2022/12/31 訪問)

駅の観光案内所で、無理だろうと諦めていた登城路がハイキングコースでしかも近道だという情報と手書きの登山マップをいただき、足取りも軽く登城口の山口大神宮に向かいました。
駐車場横に「史跡大内氏遺跡高嶺城登山口」の標柱があり、神社の奥まで行くと「鴻ノ峯登山口」の案内が出ていました(写真①)。
案内があったのは登城口のこの二か所で、ここから先は電波塔近くの郭跡に着くまでなかったと思います。

登城口からは石段が設置されていたので、楽々登山です。と思ったら、途中から崩れていました。しかし、眺めのいい場所に出てホッと一息。この地点までは昭和47年の土砂崩れ箇所を巻いて登ってきたということのようです(写真②)。

その先、ジグザグの石段を登ると間もなくかっこいい石積みが現れました(写真③)。つい最近までここに石鳥居があったようで、いただいた地図にも載っていますが、現在はありません(倒れています)。この上にあるのが岩戸社(写真④)です。石鳥居が崩れた跡のある石段は上がれなかったので左側から巻いて登りました。

岩戸社からは左右に道が分かれていますが、ここは左に進みます。(いただいた地図によるとジグザグの石段を上がったところの分岐を右に行くと岩戸社から右に行った道とつながっているようですが、現在どうなっているかはわかりません。)

ここから先はちょっとした登山です。道幅の狭いところや急なところもありましたが、ゆっくり気をつければ大丈夫です。史跡境界の標柱があり、ちょっとワクワク(写真⑤)。

岩戸社から5分ほどで写真⑥の場所に出ました。麓から見上げた写真⑦の矢印↓の場所です。
地図の解説を読むと“最も眺望がいい”とか“尾根を通って中継塔に出る”とか書いてあります。しかし、あたりを見まわしても理解できず……。でも、ゴツゴツ岩のところに、ここを登るとしか考えられない、ちゃんと踏み跡のある道筋がありました。地図に載っている矢印の方向とも合致しています。
若干アスレチック感のある岩を越えて出た平場からもう一段登ると、何の前触れもなく写真⑧⑨⑩の郭跡が現れました。いきなりだったのでビックリでした。尾根伝いの郭を登ってきたみたいです。(石垣どこにあった?)

ということで無事、林道経由の道との合流地点(電波塔の横)に辿り着きました。

麓の山口大神宮からは30分程度。ほぼ参道で、ほどよいハイキングコースでした。駅の観光案内所でいただいた登山マップのおかげで不安もなかったです。
ちなみにこの地図、昭和53年にハイキングガイドのために作成されたもののようです。年数が経っているので人工的なものは記載どおりではないものもありますが、自然は大きくは変わっておらず、ポイントとなる地点や分岐を間違いなくチェックすれば問題ないと感じました。

本編へ続く。


todo94さん、山梨県コンプおめでとうございます🎊
お祝い画像、選定中です♪

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みぃ

街中のお城公園 (2022/06/20 訪問)

自宅から1番近いお城
こんなところにお城があったのか!と驚きながら散策した。

織田信長の弟 織田信包が築城した。関ヶ原の戦いで開城後、藤堂高虎が大修築したという。
南北を間に挟まれた平城。広い内堀。方形の曲輪、多門櫓、高石垣など築城名人と言われた高虎らしい城。

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みぃ

初めてのお城めぐり 赤木城 (2022/02/11 訪問)

2022年2月11日、熊野の旅行の折に訪れた赤木城跡。
駐車場に車を停め、上まで歩いて丁寧に見た。
それから2ヶ月後お城めぐりに目覚めた。
赤木城は丁寧に見たので、是非御城印が欲しくてずっと機会を待っていたから、今回の旅行で御城印をGETできて大満足!
いつか雲海に浮かぶ赤木城を見てみたい。

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ぴーかる

本之脇城 (2022/12/24 訪問)

【本之脇城】
<駐車場他>海岸沿い<33.894349, 135.114655>に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>石積跡
<感想>本之脇城の築城者・築城年代は定かではなく、現地案内板には定かではないが美濃左兵衛の居城とされる。阿波から渡海した三好一族の拠点となった説もあるようです。上記ポイントに駐車し煙樹ヶ浜をまず堪能、長ーい海岸線の浜はなかなか楽しめます。 
 <33.894701, 135.115999>ポイントに城跡の説明板があり北方向へ道を進んで行きます。少し登ると左手に溜池、右手にくくり罠の札があるところから入り込むと居館跡があります。石垣も一部残っており数段の曲輪があります。ここから15分程舗装道を登ると堀切、木ベンチがあり添付写真のベンチ間の矢印の方向に山に入るとそこが城跡になります。案内板が無く、先達のとあるさん・イオさんの投稿がなければ見付けられず通り過ぎてしまうところでした。助かりました。城跡は尾根上の曲輪とその下段に帯曲輪があり帯曲輪に石垣が一部残されています。当時は曲輪壁に多く石垣を使用していた感じがしました。

<満足度>◆◆◇

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モト

石垣に感動しました (2023/01/12 訪問)

主郭にある石垣には誰もが感激するのでないかと思います。
その石垣だけでなく堀切など見所がたっぷりの素晴らしい城跡だと思います。
山への入り口からの道のりは勾配なども多少ありますのでそれなりに登山です。
ですが途中で見る事ができる堀切などは疲れを感じさせない遺構達でした。
まして主郭へ辿り着いて見る事ができる石垣には大満足できました。

※ぜひぜひご紹介
苦労したのは素晴らしい城跡の割に案内板などの看板の少なさです。
○○城こちらのような案内はなく登城口にはかなり迷ってしまいました。
山に入る入り口は3つくらいあります。
徳運寺からとお寺を正面に右手におよそ200mで現れる入り口、さらに20m奥にももう一つあります。
いずれの入り口も獣よけネットを開けて入ります。
ここで私は、みなさんの投稿が助かりました。
それがなければわからなかったと思います。
ですから私なりにご紹介します。
登り方は大きく2つ、徳運寺の墓地の後方にある入り口と先ほどお寺から右手に220mほど行ったところにある入り口です。
ほんとうは220mの入り口が1番近いはずですが、その入り口には登城はできないとの案内がぶら下がってました。
ただ結果的には山を降りた際はなぜかこの入り口から出る事になりました。
徳運寺からの道は一本、ひたすら真っ直ぐ進む感じですのでわかりやすいと思います。
尾根を進みますが勾配がそれなりにあるのでなかなか険しい道でした。
その間の矢印などの看板などは主郭近くまで皆無で少々不安な道のりでした。
車は獣よけネットの前のスペースに停めるか徳運寺にある駐車場が良いと思います。

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todo94

瞬殺無理です (2022/12/17 訪問)

朝田辰兵衛さん、お祝いいただきありがとうございます。クイズの方は瞬殺無理です。暫く考えてみます。

山梨コンプの後は近くの城の再訪へ。最初の時は工事中だった谷村城です。小学校の周りを板塀風に囲う景観の工事だったのですね。説明板は金ぴかで美しいのですが、まぶしすぎて文字は読みにくかったです。

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赤い城

2023年城始め (2023/01/04 訪問)

2023年は檜原城からスタートしました。
2018年もここからでしたが改めて登城。
麓の吉祥寺さんに車を置かせてもらい、裏の墓地から登城しました。
十三仏めぐりの入口から登ります。
説明板が設置してあり、九十九折の道を登って行きます。
途中、山頂から麓まで続く長〜い竪堀を見ることができます。
上に行くにつれて表情も変化、楽しみながら登ることができます。
山頂部の二郭に説明板があり、まずは北側に降りて見ました。
曲輪が段になって続いています。
引き返し、主郭方面へ。
まずは二郭から落ちる先程の竪堀、もちろん堀切になっています。
南に進むと主郭でその先に三重堀切があります。
細い尾根上の堀切、見応えがあります。
年末年始の運動不足を実感した城始め。
山城シーズンは真っ只中、今年も楽しみます。

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ぴーかる

手取城 (2022/12/24 訪問)

【手取城】
<駐車場他>駐車場有<33.899917, 135.219837>の分岐に城跡案内板があります。左に進むと専用駐車場があります。
<交通手段>車

<見所>堀切・竪堀・石積・曲輪・土塁
<感想>イオさん投稿の堀切パラダイスに惹かれてやって来ました。城跡の詳細は先達方々が記述しておられるので割愛します。駐車場から舗装道を行き着く所は東の丸に着きますが、途中の堀切に惹かれ三の丸から入り込み、西の丸⇒北側斜面2重堀切⇒二の丸・本丸⇒本丸北側の4重堀切⇒帯曲輪を北東部へ回り込み⇒東の丸に出ました。東の丸から東側の堀切は未散策で二の丸・本丸と西の丸を隔てる堀切から南の下段の曲輪へ下り更に小径を通って藪化した溜池の脇から舗装道へ出て終了しました。溜池の場所が山尾根の鞍部になっていますが藪化が激しく西側の墓場のある曲輪の尾根に登ることが出来ません。500m手前の城跡入口「古城行道」の石碑のある奥から尾根に取り付いて行けば行けそうな感じでした。
 曲輪の端や切岸・堀切起点の土橋に小さい石ですが随所に石垣が残っており、ダイナミックな堀切、見応えと攻略しがいある城跡で堀切渡りと石垣探しで体力をかなり消耗して全て見切れなかったが大満足、再チャレンジしたい城跡です。

<満足度>◆◆◆

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小城小次郎

千葉の真ん中で重厚な土塁を見る (2022/08/07 訪問)

模擬天守に全部持ってかれる感のあるお城だが天守前には重厚な土塁が馬蹄形に広がる。旧来のものかどうかの確信は持てないものの、千葉の真ん中でこれだけ重厚な土塁が見られるのだから有難いことだと思う。

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朝田 辰兵衛

todo94さん,山梨コンプおめでとうございます! (2023/01/14 訪問)

todo94さん,山梨県コンプリートおめでとうございます!
長野県ではなかったんで,ちょっと驚きました。ま,長野県はちょっと難しい城がありますね…部矢沢城とか。あのピンの場所に何がある?
さて,個人的にtodo94さんの山梨県の攻城で印象的だったのは,御坂城です。「体力的に衰える前に,私も行きたい」と思わせていただきました。また,しりとりではtodo94さんの手札がとても有効に機能して,ホントに助かりました。あらためて感謝申し上げます。

そんなtodo94さんに,僭越ながら恒例の「この城はどこ?」クイズを出題します。
高い山城は得意のtodo94さんですから,今冬の雪景色の平城から。ちなみにtodo94さんは攻城されてました。
日本100名城,続日本100名城ではありません。
もし私が瞬殺されたら,次はにのまるさんにバトンタッチしますので,宜しくお願いします。

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加藤城乃助

渋谷駅のすぐ近く (2023/01/11 訪問)

金王八幡宮の敷地がかつての渋谷城だと言われており、遺構はありません。唯一、砦の石という物が残っており、展示されております。
時期的に初詣に訪れている方が多いようで、ほとんどの方はお城としての認識はされてないかと思います。

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todo94

城びと登録の山梨の城コンプリート (2022/12/17 訪問)

山梨県内には別の勝山城もありますが、こちらは都留市内の勝山城です。2022年に初めて訪れた城のベスト3に入る素晴らしい城でした。きれいに整備されていて、郭の表示がしっかりとなされているのはありがたい限りです。なお、トイレは閉鎖されておりましたのでお気をつけください。これで山梨県内の城びと登録の城、コンプリートと相成りました。

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退会済み
ユーザー

彦根城 (2022/10/02 訪問)

天守閣の階段が恐ろしいほど急でびっくりしてしまった…
また玄宮園から見える景色がとても美しかったです☺️

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橋吉

一番新幹線駅に近い城 (2023/01/06 訪問)

三原市歴史民俗資料館の2階に三原城の展示コーナーがあると聞きましたが、閉館5分前に着いたので、続日本100名城スタンプだけいただきました。

クルマを市役所の駐車場に置いて、歩いて見て回ることにしました。

本丸中門跡→JR三原駅→天守台→後藤門跡→船入櫓
とまわって45分

そのあと三原焼をいただきました。
(三原焼きは広島風お好み焼きに鶏もつが入っています。)

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朝田 辰兵衛

駅からの移動距離が一番長いところから。 (2022/12/17 訪問)

JR入谷駅から意外に距離があるな…と感じたので,相模線内でのスタートはここから。18きっぷだと,こんな自由が可能。電車にばかり乗ってないで,さっさと歩きたくなってきたので,ここで降りたという理由も少しあります。
距離的には,小田急小田原線の座間駅からのアクセスのほうがビミョーに近いです。

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ぴろちゃん

鉄砲隊〜‼︎ (2023/01/15 訪問)

知らずに行ったら鉄砲隊の演舞がありました。思わぬ轟音にビックリしましたが、とても楽しくはしゃいでしまいました。桜御門もやっと行けました〜🌸

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T-Shionoya

石垣の関東代表 新田金山城 (2022/11/18 訪問)

昨年11月、桐生宝徳寺の床もみじとセットで、群馬県太田市の新田金山城へ。

上野国の新田郡。足尾山地から関東平野に飛び出た比高約180mの金山を城郭とした城。
新田は東山道の上野国府と下野国府を結ぶ中継点で、古くは東山道武蔵路の分岐点。戦国期も南へ向かうルートが存続していたことでしょう。

1469年に新田一族の岩松家純が築城し、主な城主は岩松氏家臣から下剋上を起こした横瀬氏(後に由良氏に改姓)。
1584年に調略で小田原北条氏が没収し、秀吉の小田原征伐で廃城に。

現在は発掘調査をもとに大手虎口周辺から西城エリアに掛けて石垣の城を復元。
二ノ丸は竹林、三ノ丸は民家のため立入不可で、本丸は新田神社。
比高130m地点に駐車場があり、隣は西城筋違城門の食い違い虎口。本丸に向けて尾根上を進むに連れ、徐々に石垣が増すコース料理のような城。
メインの大手虎口は、直進を阻む正面土塁石垣もポイント。デザートに日ノ池が現れ、本丸は食後のコーヒー?

ゆっくりしすぎて北城等には行けず、訪問時間は3時間。
関東を代表する石垣の城が、私の城巡りの136城目となりました。

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にのまる

砲台を備えた稜堡式城郭だった (2022/12/31 訪問)

18きっぷ4回目は大みそかに山口へ出かけました。
「やまぐち」と発音するとき「ま」にアクセントを置くと山口県、「や」にアクセントを置くと山口市のことを指します。出かけたのは「や」まぐちです。

山口御屋形(山口城)は、山口藩庁から山口県庁へと引き継がれ、現在も同じ場所に県庁舎が建っています。
幕末に築かれた際の初代石門は第一次長州出兵で破却されたため、現在残る薬医門は明治3年に山口藩庁門として再建されたものですが、高さも幅もある堂々とした構えで、脇門ですら主役感が漂っており、格式(と気位)の高さを感じました。水堀や枡形とともに当時の面影を残していますし、歴史を伝えるモニュメントとしてだけではなく、150年を経た今もなお現役で、その役目を果たし続けているのが素晴らしいです。

大みそかの訪問で建物はすべて閉館していましたが敷地内を歩くことは可能でしたので、県政資料館(旧本庁舎)や旧議会堂の外観などを見学しながら砲台の跡が見られるという東稜堡跡へ行ってみました。規模の大きな土塁も残っており、大内氏の築山御殿の石垣も転用したと伝わる砲台基礎石垣など、激動の時代を物語る遺物を確認することができました。

高嶺城を後盾とし、数基の砲台を備えた幕末の稜堡式城郭。
萩城があるので、藩は「これは城じゃないです💦屋形です!」と主張するも、だれがどう見ても「城」。
藩内外で呼称が違ったのがおもしろいです。


🏔この日のいちばんの目的は高嶺城でした。
続100名城スタンプラリーでは大内氏館とセットになっているため、以前大内氏館を訪問した際にスタンプは押印済みなのですが、高嶺城は未登城。山口大神宮から見上げただけで絶対無理……と退散していました。
今回、登山道のよくわからない山口大神宮側からではなく、木戸神社から林道をひたすら歩いて高嶺城に行く計画を立てました。そして、無事下山できたら歴史民俗資料館で2個目の続100名城スタンプを押そうと。2個目というのは城郭協会さんが会員にくださった2冊目の公式スタンプ帳で、高嶺城を極めるまでは(何度大内氏館に行こうとも)押さないぞ!と決めていました。
ところが、朝、山口駅に着いたのがちょうど観光案内所が開く時間だったのでパンフレットがあればいただいていこうかなと立ち寄り、その際、つい口が滑って「山口大神宮から高嶺城に行くのは無理ですよね……」と聞いてみたところ「そっちの方が近いですよ。ハイキングコースだし。」というお返事。「でも地図がないと無理そうで…」と言うと「あったはず」と、手書きの地図のコピーを出してくださったのです。何たる僥倖♡
「この地図さえあれば山口大神宮から高嶺城に行ける!」とすっかり調子にのってしまい、先に登城口近くの山口御屋形(山口城)に寄り、下山後に押すと決めていた2個目のスタンプも歴史民俗資料館(休館日のため門のところに置いてありました)でさっさと押して高嶺城を目指したのでした。

→高嶺城へ続く

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