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とばつびしゃもん

石垣を導入した先駆的な城 (2022/05/04 訪問)

中山道番場宿にある鎌刃城跡駐車場に車を駐車し番場資料館へ。資料館には城の模型などの展示があり、ガイドの方に解説していただきました。続日本100名城スタンプポン。
資料館から登城開始。高速道路の高架をくぐると「クマ出没注意」の看板にぞっとする。鎌刃城大手口の案内板を通って整備された登城道を進むと、北の大堀切、北大櫓跡、段々に続く北曲輪群、大石垣とたくさんの見どころが続く。資料館から40分ほどで主郭へ。石を使った枡形の虎口がきれいに整備されている。
水の手、清龍の滝へ向かうのは断念し、南曲輪から西曲輪の畝状竪堀群を段々に下り、滝谷林道へ出て下城。

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天守無しがアツい

豊島泰経 (2023/12/10 訪問)

(東京都の御城印URL)
https://gojyoin-meguri.com/category/gojyoin-castle/tokyo/

現地に着いてみて…ここは平地の中…しかも石神井公園の一環という位置にありました。画像1枚目には空堀と土塁が写ってるかと思います

フェンスで囲まれているのは、人が誰しも立ち入れないようにしないと史跡を守れないから。公園の管理局から許可を得た…学術調査を目的とした人間とかでない限り、この中には入れないわけです

(石神井城のwikipedia)https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%A5%9E%E4%BA%95%E5%9F%8E

かつてこの城は豊島泰経という大名(?)が治めていたそう。しかし扇谷上杉氏の家臣である太田道灌に攻め込まれ、1477年に落城…泰経は小机城に逃走…それ以降の足取りは記録にない…つまり彼は没年不詳と思われます

画像3枚に渡る石神井城の写真…他にも候補として浮かぶものはあったのですが、(あまり撮りすぎるとスマホの残量が厳しくなるかもなので)とりあえず制限し、他は目に焼き付けるのみにしました👀

ここにも天守の類は無く、堀に土塁が残るだけの防御施設…時期的に言えば北条早雲の頃でしょう。予想よりあっさりと城跡見学は終わったので、石神井公園の池を一周🚶

池には鴨がたくさん泳いでおり、餌をあげている子供がいました。画像4枚目に写るはキンクロハジロ…体は黒くて目は黄色…久しぶりにその姿を目にするので、衝動的に撮影

ボートを漕ぐ方もあり、ここはカップルもしくはファミリー向けの、長閑な場所…戦国時代にこの辺りに城があり、戦闘がおこなわれ死人も出た…なんて面影はもはやありません🚣

ボート乗り場や休憩所の先にパティスリーカシュカシュというケーキ屋があり、そこで御城印の販売がありました(そもそも何故扱うのが洋菓子店?関係性が全く感じられないのだが😅)

3種類ありスタンダードタイプを選んだ私。「いっぺんに3つ買わなくていいや。また来ることがあるかもしれないから、もし別のを買う時はその時のお楽しみで…」と考えたのです

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tp.etsu

多少天気が悪く (2023/12/16 訪問)

上からの眺めは、近場まででした。
しかし、山にかかる雲もまたいいですね。
駅前に、こんな城趾があるとは、面白いですよね!

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tp.etsu

今は (2023/12/16 訪問)

館跡地に武田神社が建っていますが、敷地内のあちらこちらに曲輪跡などが残っているので、想像を膨らませて楽しめました。

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tp.etsu

暗い… (2023/12/15 訪問)

時間が遅くなってしまったので、書院の中に入ることはできず外観だけでしたが、スッキリしたスタイリッシュな佇まいでした。

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しんちゃん

広大な城域に良好な遺構。そして‥‥ (2023/12/09 訪問)

大聖寺城は標高70mほどの錦城山一帯に築かれていて本丸を中心に広大な城域を持ち、遺構も良好に残っています。関ヶ原の合戦の際には小早川秀秋の家臣・山口玄蕃宗永が居城とし東軍の前田利長の大軍2万5000に攻められ一日で落城しています。江戸時代加賀藩主三代利常の三子・利治が大聖寺藩7万石で入りますが城山に居を置かず御止め山として入山を禁じたため遺構が良好に残っています。
遊歩道を周遊すれば一通り見ることが可能で、東出丸からは白山が眺望でき、鐘が丸には櫓台を備えた土塁が残ります。土塁の北側は骨が谷と呼ばれ、かつて前田軍に攻められたとき最大の激戦地となり多くの屍が放置されたそうです。本丸北側の通路は局谷と呼ばれ、落城の際、城内の女中が本丸より身を投げたのが名の由来だそうです。西の丸の南側には馬洗い池があり今でも水をたたえています。後述の熊はここへ水を飲みにきている可能性があります。
南東の郭・戸次丸へ向かう途中に熊のフンがありました。山家城や東北の城で見たものより小さいですね。まだ若いクマのようですが小熊ではなさそうです。こんな町に近いところにも普通に出るんですね。もう慣れっこになってしまったのでそのまま散策を続行。
せちがらい人間社会より熊のいる城山の方が落ち着く‥‥いやいや周囲の警戒を怠らず慎重に進みます。本丸には櫓台や高土塁が残り土塁の上から局谷を覗き込みます。本丸をでて馬出曲輪に到着。周囲が良く見渡せます。柿の木が有ります。先ほどのフンの主はこのあたりまで足を延ばしているかもしれません。山家城と違ってここの熊は住みついている可能性があるので朝方や夕方は特に気を付けていただきたいと思います。そういえばこの城址公園、こんなうってつけの散歩コースなのに人の姿を全く見てない。
やはりそういうことなんですかね。

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キンヤ

小牧長久手の戦いで徳川家康が改修した陣城 (2023/12/03 訪問)

山頂の主郭部に続きまして、それ以外の山麓〜山の中腹を投稿させて頂きます。

小牧長久手の戦いでは織田信雄・徳川家康の陣城となり、家康は榊原康政に命じて、堀・土塁・虎口などを改修したとされます。
山麓〜山の中腹に今見られる堀・土塁・虎口は、主にその改修時の遺構と考えられるそうです。 

山麓には、二重の土塁と堀が取り巻いていたとされます。
山麓の外側の土塁は、西側と南西側以外は消滅してましたが、内側は良く残されています。

山麓の1番の見所は、南側に復元された堀・土塁だと思います。
上から見ると深い堀で、下から見上げると高い土塁で壁のようです。
土塁の間の堀は敵の秀吉軍には見えないため、家康軍はこの堀を通って、三河中入り軍に奇襲をかけたとの説があり、大河ドラマ「どうする家康」でもそう描かれてました。

今回は西側曲輪地区は素通りして、主郭地区の中腹を見て廻りましたが、土塁・堀・曲輪・虎口が良く残されています。

中腹の1番の見所は主郭地区と西側曲輪地区を分断する堀だと思います。
長大で折れた竪堀から横堀に続き見応えがありました。

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しんちゃん

街中の すぐ近くにある わが天守。 (2023/12/09 訪問)

丸岡城は標高17(20)mの丘陵に築かれている平山城で現存12天守の一つで、柴田勝家の甥・伊賀守勝豊によって築かれたと伝わります。天守の築城時期はよくわからず、かつては国宝の指定を受けていました。現在は天守のある本丸が残っており石垣が残っています。天守は石瓦で葺かれていて、地元で取れた笏谷石を使用していて、これらの石瓦は江戸初期に葺かれたものと推測されています。小ぶりな天守ですが比高も低いので街中のすぐ近くにその姿を見ることが出来ます。非常にコンパクトで手のひら感のある城址ですが、れっきとした現存十二天守で日本百名城の一つです。

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金シャチ事業部

天下様もかなわぬものは 金の鯱ほこ 雨晒し (2020/04/01 訪問)

天下様(江戸の将軍様)もかなわぬものは 金の鯱ほこ 雨晒し(K18で88kg、時価6億6千万円を天守で雨晒しにする程の尾張の殿様)

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しんちゃん

ちょっとだけ天空の城。越前大野城 (2023/12/08 訪問)

戌山城・天空の城鑑賞スポットからの眺めです。この日は周囲はけっこう霧がかかっていたのですが、肝心の大野城はこんな感じです。夜中の2時から夜通し走ってきたのですが展望所に登ったころは朝8時近くになっていました。べつに朝霧を期待していたのではなかったのですが周囲が霧に囲まれてくるとつい期待してしまうものです。よほど霧が濃い日でないかぎり天空の城みたいにはならないようですが、雰囲気は感じとれました。日が高くなってくると朝もやがたちこめて、なんちゃって天空の城みたいになります。地元であればちょくちょく通ったりするのですが今回はこれでよしとして大野城に向かいました。(オチが先についてますが)

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しんちゃん

越前大野城遺構 (2023/12/08 訪問)

大野市には大野城にまつわるいろいろな遺構が残っています。
藩主隠居所・時鐘‥大野城駐車場近く、隠居所は今は休憩所として使用されています。
鳩門‥光明寺・大野市犬山
不明門‥真乗寺・大野市中丁
土井利忠像・金森長近像‥大野城址
大野城は現在冬期休館中で続百名城スタンプは武家屋敷旧内山家に設置されており、近くには旧田村家があり、田村家には大野城の外堀の一部が残っていて築山として利用されています。
武家屋敷旧内山家‥大野市城町10-7
武家屋敷旧田村家‥大野市城町7-12

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カズサン

現存巽三重櫓 (2023/11/27 訪問)

 現存坤三重櫓の続きです。

 現存巽三重櫓は本丸南東角に存在し大堀切越しの二の丸虎口も合わせて睨みを効かせています、展望デッキからは明石大橋を遠くに眺めてのツーショット写真を撮る事も出来ますが、この日は採光が良く無く曇りの雨の降りそうな天気で写真は今一。
 本丸の西と東に現存三重櫓が存在する事は明石城だけです、大変貴重な存在です、築城当時は北側に乾三重櫓と艮三重櫓があり、本丸を4基の三重櫓で護っていた豪華な造りでした、大天守が無い分を大いにカバーしていた事でしょう。
 グルーと巡って撮った巽三重櫓の写真を投稿します。
 
 次は二の丸登虎口周辺に続きます。
 

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しんちゃん

天守は冬季閉館中。でも石垣は健在です。 (2023/12/08 訪問)

大野城は標高249~250mの亀山の上に築かれている平山城です。織田信長の越前平定の後、金森長近が戌山城に入った後に亀山に城を築き入ったとされています。石垣などの遺構が残り、天守台に模擬天守が建っています。天空の城として有名になりましたが、城下町を含め野面積の石垣など見所も多く、天守も正面から見るとなかなかの男前です。
代々の城主により幾度かの改変がなされたとありますが基本的には金森長近の築いた城が踏襲されているようです。かつては高山城もこのような立派な石垣に囲まれていたのでしょうか。大野城は10年ぶりになりますが、これで戌山城・大野城・鍋山城・高山城・そして隠居城の小倉山城と長近公ゆかりの城を一通り散策したことになります。大野荘は周囲を山に囲まれていて朝霧が立ち込めやすくこの日もけっこう霧が出ていたのですが、城山の周囲には霧はほぼありませんでした。年に数度集落全体が朝霧に覆われる日があるようで、その日ならTVで見るような天空の城の姿を拝見できるそうですが地元でないかぎりなかなかハードルが高いです。
ちなみに天守は冬季閉館で3月いっぱいまで入れないみたいです。その日はまだ暑いくらいでしたが入れません。
10年前に入ったからいいけど久しぶりに見たかったという気持ちがちょっぴりあります。

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カズサン

現存坤三重櫓 (2023/11/27 訪問)

 比翼の三重櫓の続きです。 

 現存坤櫓三重櫓は船上城の遺構と伝わり、本丸南西角で睨みを効かせています、現存する巽三重櫓とで明石城の目玉ポイントです。南西下から、稲荷曲輪から、天守台から、直近から、三の丸、武蔵の庭園からと眺めて楽しみました、生憎の空模様が雨の降りそうな曇り日だけが残念でした、入場出来ませんでしたが、坤三重櫓は特別公開として9月から11月の土日祝日10時から16時の公開が太鼓門跡に看板が出ていました、当日は月曜日残念、また、試しませんでしたがスマホでQRコードを読み取り明石城廻り3DCGで明石城再現の画像が楽しめるようです。
 各ポイントから撮った写真を投稿します。

 次は現存巽三重櫓に続きます。
    

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ぴーかる

貝吹山城 (2023/11/19 訪問)

【貝吹山城】
<駐車場他>駐車場はなし。<34.463349, 135.780264>地点の道路脇に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>主郭・眺望
<感想>貝吹山城の築城年は定かではありませんが、西にある越智氏本城の支城でありました。現地説明板には天文年間(1532~1555年)頃までは越智本城を守る矢倉台として、他の支城と連携して危急の際に法螺貝を吹く任務を帯びていたそうです。天文頃から防御施設を強化して越智本城の詰城としたそうです。越智氏は戦国時代は織田信長に仕えますが、本能寺の変後は羽柴秀吉に通じて存続を試みますが、筒井順慶に通じた家臣に暗殺され滅亡します。
 登城口はカンジョ古墳の東側にあり古墳から案内がありますのですぐ分かります。登り始めてすぐぐらいに右手に古墳の丘陵があります。堡塁のような役割をしていたと思われます。登山途中には堀切等の遮断遺構は見受けられませんでしたが、侍所のような小さな削平地や土橋がありました。山頂主郭は東西に長く中心部分が高くなっています。現地説明板(手書きの説明板で素敵)には「四方の尾根上に諸郭を設け」とありますが藪化と尾根上にもあまり目立った遺構は見受けられませんでした。西側と南西側の木々が開けていて眺望が良かったです。

<満足度>◆◆◇

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しんちゃん

大野斯波氏の拠点で天空の城スポット。 (2023/12/08 訪問)

戌山城は標高324.6mの犬山の尾根上に築かれています。斯波高経の三男、義種が入り大野斯波氏の始まりとされています。南北に渡って郭や堀切が連続して続き主郭周辺には畝掘や空堀が多数配されています。主郭の東尾根にも遺構が続きますが大野城を早く見たいので主郭を経由して南を目指します。城址の南端が郭になっていますが、その手前に天空の城鑑賞スポットがあり、この周囲だけ木が切り倒されていて眺望が開けています。朝、大野を目指して車で走っている途中、周囲はすごい霧だったのでひょっとしたらと期待していたのですが、大野城の周辺だけ霧が少ないですね。どうやら街全体が完全に霧で埋まらないと天空の城にならないようです。
確か大野市の市長が自分で売り込んできたはずですが、なかなかハードルの高い天空の城です。南側の遺構を散策して戻ってくるとさっきよりガスが増えている気がする。ちょっとだけ天空の城の感じが出てきました。とりあえず、今はこれが精いっぱいです。

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しんちゃん

林道ジャバミ線はやめといたほうが良いです。(四駆除く) (2023/12/10 訪問)

鷹巣城は標高438mの高須山の山頂部に築かれています。林道ジャバミ線を使えば山頂まで比高90m程度の所まで行けますが、酷い荒れ道で車が傷ついてしまいます。車が大事な方は白山神社から歩いて登りましょう。四駆の車高が高い車なら大丈夫です。
駐車場には熊出没注意の看板がありますが猪のフンが落ちています。猪の縄張りなら熊は出ないでしょう、たぶん。熊スズを鳴らしながら山頂にたどり着くと広い郭が広がります。立派な城址碑も立ち基本的に単郭の城のようですが遺構も残っているようです。北東には土塁と堀切らしき跡が残り、北西には段々の平地が幾つかありました。戦国期の改修は見られないようですが登城道の途中に竪堀らしきものがありました。
鷹巣城は南北朝時代に新田義貞四天王の一人、畑六郎左衛門時能がわずか300人で籠り、7000人もの北朝の軍を相手に一年以上籠城したとされています。暦応4年10月時能はわずか16騎を率いて城を脱出し伊自地山を目指すも奮戦の末に同地で討死し鷹巣城も落城したと現地案内板に記されています。

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しんちゃん

斯波氏によって築かれた戌山城の支城。なかなか見ごたえがあり散策しやすい。 (2023/12/08 訪問)

小山城は有力守護大名であり管領職を兼務する斯波氏の全盛期に斯波義兼によって築かれたとされています。戌山城の支城とされ城山の上ほぼ全域に築かれています。尾根は南端の最高所を主郭(たぶん)とし、北東と北西にV字状に展開し、それぞれに複数の郭を配しています。北東の郭には土塁を良く残し、北西には堀を挟んで二郭があり、その先に複数の郭と堀切が存在します。
西北端の遺構より先は土取りで消滅していますが遺構の損壊は数十年進んでいないようで、そのことは幸いです。案外城域は広いですが尾根上に遺構がすべて繋がっていて散策は比較的容易です。
城址にある案内板には朝倉孝景の謀反により戌山城、小山城は落とされ斯波義兼は自害したとあります。戦いに勝利した朝倉氏は越前守護に就いたと書かれていますが、そうだったっけかなあ?斯波氏に謀反を起こした千福中務大輔が朝倉孝景に討たれたという説もあったのですが、どっちなんだっけ。

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くうくう

特異な水ノ手がある大給松平氏の居城

長坂新左衛門が館城として築いたものを松平信光が奪い、忠親の次男乗元に与えた。乗元とその子乗正が永正7年(1510)頃までに大改修した。乗元は大給松平の祖として祀られ城の東に墓がある。天正18年(1590)家康関東移封に伴い廃城した。
天然の巨石を利用した主郭を中心とした素朴な山城の縄張りを持ちながら、大規模な城域、東西北にそれぞれ大きな堀切、谷筋には石積でつくられた堤防のある水ノ手曲輪、主郭副郭を区切る石塁など目を見張る遺構もある。とても永正時につくられたものとは思われず、また松平氏の城郭では突出した石積みがあるなど、謎が多い。また大給松平氏そのものも不明点がある。松平3代信光4代忠親と整理され、後に大給松平氏が4家の大名家を排出したことなどで、ゆがめられた歴史もあるのかな、と思う。今後の遺構の評価、詳細な歴史の解明が期待される。

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朝田 辰兵衛

♬この一瞬をずっと待っていたんだぜ♬ (2023/11/03 訪問)

石神井城は「東京文化財ウィーク」に合わせなきゃダメだろ…と思い,満を持しての登城となりました。公園が隣接しているからなのか,待ちわびておられる方が大勢いたのかは知り得ない範囲ですが,他人が入り込まないように撮影するのに苦労しました。
今年は内郭の奥までは入れなかったです…<泣>。

開いたゲートを見た時の脳内BGMは,『I'm Jumping/A.R.B.』です。俳優としての認知度が高い,石橋凌がボーカル。福岡から片道切符で上京。ソレを唄った『魂こがして』が代表曲。
♬この一瞬をずっと待っていたんだぜ♬

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