何回行っても飽きない☺️地元最高‼︎
紅葉の季節に行った際の写真です。
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2023/01/03 16:40
松山城 (2022/11/16 訪問)
何回行っても飽きない☺️地元最高‼︎
紅葉の季節に行った際の写真です。
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2023/01/03 16:39
2023年 初のお城探索 (2032/01/03 訪問)
公民館の横に立派な城址の石碑と案内板があります。この1番高くなっているところが本丸でしょうか。見れば各々曲輪がわかる感じですね。
ちなみにここまで道は細いですが車で来れます!
お昼は蔵王の卵で作った親子丼を食べました。
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2023/01/03 16:32
仙台藩21要害 「伊達の三傑」成実の居館 (2022/12/24 訪問)
年の暮れも押し迫った24日、今年最後の城館巡りと考え、昨年来続けている仙台藩21要害探訪に出かけた。まずは県南の亘理要害に。ここは慶長7年(1602)に、政宗を支えた「伊達の三傑」のひとり伊達成実が拝領し、藩政時代を通じて御一門亘理伊達氏2万3850石の居館として明治維新まで続いた。
要害絵図によれば丘陵上に本丸、東側に二之丸を配し、北西側の大沼と水掘りで囲み、本丸東方の南と北に虎口、二之丸も南側に内舛形、北側は外舛形の虎口を設けた縄張となっていた。
現在本丸跡は成実を祀る亘理神社が鎮座しており、本丸東側は南北虎口部分に道路が作られ分断されている。残念なことに、その他の遺構も都市化でほとんどが湮滅している。
要害跡から1.6kmほど南の大雄寺の亘理伊達氏歴代墓所には成実の霊廟があり、手を合わせることができた。中には甲冑姿の成実像が納められており1月と8月の16日に開帳されるという。
JR常磐線亘理駅の隣に白亜の天守閣風建築物の亘理町立郷土歴史館「悠里館」が周囲の街並みにそぐわない立派さで建っている。
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2023/01/03 16:14
初日の出 (2023/01/01 訪問)
熊本城(入り口)、和歌山城(天守てっぺん)、に続き清洲城(天守てっぺん)からの初日の出。5時に到着で先客数名。
良い場所から見事な初日の出が見れて素敵な新年の始まりになりました。
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2023/01/03 16:01
主郭や二郭は畑に (2022/12/25 訪問)
川尻川西岸の台地に位置します。
主郭は畑になっていて前に説明板が立っています。
この前に少しだけ駐車スペースがありました。
主郭の南側には空堀がありますが訪問時は草で覆われていました。
二の丸も畑で傍らに朽ちそうになった碑がありました。
少し離れた八坂神社には空堀が残っています。
ここから霞ヶ浦を望むことができます。
戸崎氏によって築かれた城ですが戦国時代には佐竹氏のものとなります。
今ではほとんどが農耕地ですがじっくり歩くと雰囲気が感じられると思います。
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2023/01/03 14:44
③【関ケ原の26人 】(1)小早川秀秋 (小早川秀秋と名島城) (2022/09/06 訪問)
(前書き1・2の続きです)
2023年トクの空想旅を始めさせて頂きます。
今年もよろしくお願いいたします。
今回は、関ケ原の武将26人の陣跡とゆかりの城またはゆかりの地を巡ります。
まず(1人目)は「小早川秀秋」です。
関ケ原当時の居城、「名島城」を訪れました。
名島城は、豊臣秀吉の九州征伐の恩賞で、筑前の地を加増された「小早川隆景」が30万石で入り、水軍の本拠地となる城に大改修しました。
そして隆景は、1594年秀吉の命で木下家定(ねねの兄)の子で五男の「秀秋」を養子に迎え、文禄の役のあと小早川の家督を譲り、自身は三原へ帰って隠居し、そして生涯を閉じました。
1597年、秀秋はここ名島城より慶長の役へ出陣します。しかし蔚山での軽率な行動を石田三成に報告され越前北ノ庄15万石へ減封左遷されてしまい、名島城は石田三成の預かりとなりますが、翌年秀吉死後、家康の計らいで再び旧領の筑前名島へ復帰します。
そして迎えた1600年7月、小早川軍15,000の中の主力部隊はこの名島城から関ケ原へ向け出陣しました。この時大坂にいた秀秋は戻り合流します。姫路城では実兄(三男)の木下延俊から西軍であるという理由で休息を拒否されたり、伏見城の戦いでは西軍として参戦し東軍の鳥居元忠と戦ったりしながら、本戦前日の9月14日、関ケ原に到着、松尾山に陣を敷きました。
関ケ原の後、秀秋は55万石に加増され岡山城へ移りますが、2年後の21才で生涯を閉じてしまいます。現在の名島城は、本丸に石碑や名島神社が立つのみで名島公園になっています。
私は名島城の本丸跡に立ち、そこから博多湾を眺めて見ました(写真⑧)。秀吉に命じられ、右も左もわからぬまま小早川家へ養子に入ってから6年。旧領の筑前名島へ復帰した当時まだ19才の小早川秀秋は、同じようにここから博多湾を眺め、これまでの事をどう受け止めていたのでしょうか? そしてどのような気持ちで関ケ原へ出陣して行ったのでしょうか?
次は(小早川秀秋と松尾山)に続きます。
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2023/01/03 12:53
2023/01/03 11:00
2023/01/03 10:54
2023/01/03 10:49
2023/01/03 10:38
2023/01/03 09:33
江戸崎の町の中心に (2022/12/25 訪問)
本丸は稲荷神社が建つ周辺です。
駐車場脇に説明板が立っていました。
本丸には土塁が残っていました。
二の丸である江戸崎小学校の方へ降りてみましたが改変されていて遺構は見つけることはできませんでした。
鹿島神社へ移動し、土塁を見学。
小学校にも土塁が残っています。
さらに三の丸の瑞松院へ移動。
背後の五百羅漢がある山へ登りました。
細尾根になっていて途中には斜めに落ちる竪堀があります。
今残る遺構ではここが一番の見どころでしょうか。
旧江戸崎町では中心部に位置する土岐氏築城の城です。
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2023/01/03 07:51
栖霞園 (2022/11/27 訪問)
栖霞園が福光城址です。時間調整をして9時ちょうどに駆けつけましたが、何と、冬期間は利用不可とのことでした。こういうパターン結構多いです。折角なのでほど近くにある「しりとり」の思い出の地、安居(やすい)城(城びと未登録)にも脚を伸ばしてきました。登城路がはっきりせず、それなりに城っぽさは感じることが出来ましたが、正直、主郭にたどり着けたのかどうか全く自信がありません。
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2023/01/03 00:38
2023/01/03 00:21
二の丸、富士見櫓跡編 最後 (2022/12/11 訪問)
二の丸から本丸方面を望むと大きな高石垣が見えてきます。本丸には櫓が2基立っていたため、二の丸からは一つ櫓台を見ることできます。二の丸も本丸と同じく高石垣で囲まれていて堅固になっています。また二の丸にはかつて富士見櫓が存在しました。富士見櫓台の石垣はかなり荒い野面積みになっています。また富士見櫓台の近くには大きな堀切が残っています。これはよく見ると喰い違い虎口になっているのでしょうか。蛇が怖くて中まで行きませんでした。その後田丸中学校のグラウンド付近を周って二の丸虎口を見ました。右側が高石垣になっています。
田丸城は終わりです。皆さんお疲れ様でした。12月11日が2022年最後の城巡りでした…
昨日(1月2日)二俣城と鳥羽山城に行ったのでまた投稿します。
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2023/01/03 00:10
2023/01/02 23:56
2023/01/02 22:10
周匝茶臼山城との兄弟城 (2022/12/03 訪問)
【大仙山城】岡山県赤磐市周匝
<駐車場他>城山公園第二駐車場
<交通手段>車
<見所>堀切・曲輪土塁・横堀・畝状竪堀・井戸
<感想>1泊2日城びと美作・備前山城攻めの旅3城目。城びと未登録の大仙山城は城びと登録のある周匝茶臼山城との曲輪続きになっている城で茶臼山城と連携しています。築城年は定かではないが茶臼山城と同じ天文年間(1532~ 1555年)の初め頃に笹部勘次郎によって築城されたようで、浦上氏の居城天神山城の北の守りの城だったそうです。
城跡入口は周匝池田家西墓所と東墓所との間に幟がある入口があるので進みます。尾根曲輪を進むと堀切があり奥に大堀切があります。堀切奥が段曲輪になっていて、横の小径からロープ伝いに山の鞍部に降ります。鞍部は堀の集合地点になっていて土橋状に土塁があります。正面の高切岸の山上が主要部になっています。そこから左手に折れると左手に曲輪に沿うように横堀があり要所に竪堀があります。主郭方向に登らず最奥に進むと畝状竪堀群があり見応えあります。主要部は超広い削平地になっていて段差や土塁で曲輪を区切っています。東側の建物基壇跡や井戸が残っています。主要部西側から北側に段曲輪があり曲輪毎に溜池や井戸跡があります。最下段の曲輪に搦手虎口があります。
様々残る遺構の見ごたえある城跡で自分的には茶臼山城より満足度の高い城跡でお勧めです。こちらにも是非寄ってみて下さい。
<満足度>◆◆◆
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2023/01/02 21:10
行ったほうが良い城初級編 (2022/12/25 訪問)
県道107号線沿いにあり説明板と駐車場があります。
駐車場のところにも堀と土塁があります。
以前来たときは夏だったので堀も結構な藪だったのですが、時季と整備のお陰で凄く見応えのある城ということがわかりました。
常陸名物の堀底道を歩いていくと土橋に当たります。
主郭と二郭を繋ぐ土橋です。
この先はバンブー感満載ですが竹林に外れ無し、なかなかの城でした。
主郭は土塁が囲み、二郭との間には折れのある部分もありました。
常陸ではあまり登らず掘ってる城が多いのですがここもその一つ。
体力に自信ない方も楽しめる城、おすすめです。
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2023/01/02 16:19
住宅地の城址碑と公園 (2023/01/02 訪問)
説明板には諏訪氏が5代にわたって、この地にあった。後北条氏に属し二百貫文の貫高があり、北条氏が小田原城主になる前から居城していた。永禄12年(1569)に武田信玄の小田原を攻めた際に廃城になったと思われる、とある。
城址碑の東に殿山公園があり、堀・土塁の一部が現存している、とも書かれている。他の説明では曲輪も加わる。竪堀跡とあるが公園は施設改良工事で令和5年1月31日まで入れない。柵外から眺めでは、掘らしきものが下に向かっているようだが草木が生い茂り判断しづらい。
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