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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/07/13 訪問)

大分+α城廻2日目
※臼杵城跡と共に登城
※前日大分駅付近に宿泊

豊後竹田駅から土日はバスがなく、徒歩で20分強で行けそうだったが、雨が降ってきそうだったので、タクシーで移動しました。(おかげで城跡散策中は雨に見舞われず見ることができました)
券売所から少し歩くとかまぼこ石の塀のある登り口、登りやすいよう木製階段もできていました。大手門の石垣をはじめ、ここは石垣を端のできる城跡。廟所や西の丸などをじっくり見ると2時間以上は必要ですが、その価値ありです。西の丸はあまり人が来ないようだが、近戸門跡や埋見門跡、屋敷の板張り復元など見所があり時間がある方はぜひ行ってみてください
大手門や近戸門は、扉に車がついていたのか開閉のレールみたいのがあったのが何気に気になりました
また、ボランティアの方が草刈りをしていて城跡保存の努力に頭が下がります

【本日の行程は以下の通り】
7:01大分(JR)、8:34豊後竹田
 (タクシー5,6分:800円) 岡城跡(9:00-17:00百名城スタンプ)

12:12(徒歩22分)豊後竹田(JR)、12:38(駅前でランチ),13:21三重町(路線バス)、14:13臼杵石仏
 国宝臼杵石仏見学
15:48臼杵石仏(路線バス)、16:02辻口
 (徒歩3分)臼杵市観光交流プラザ(9:00-18:00続百名城スタンプ) 
 (徒歩2分)臼杵城跡

(卯寅櫓から徒歩7分)17:09臼杵(JR) 、17:47佐伯
※泊:佐伯

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/07/12 訪問)

大分+α城廻第1日その3
※中津城、角牟礼城と共に登城
※前日中津駅付近宿泊

城内は24時間入城が可能、西の丸西南櫓付近は修復拘置エリアで立ち入りはできなかったが、現存する人質櫓、宗門櫓や復元された廊下橋などを見ることができた(廊下橋は夜間通行不可)
また、当日夜は、廊下橋を渡った山里曲輪で、お神楽を奉納していた。石見神楽にある龍に酒を飲ませて退治する演目だったが、花火も炸裂、迫力ある神楽で、見ることができラッキーでした
なお、本丸を囲む一部の堀は埋め立てられ、本丸辺りは駐車場になっていたのが残念

【本日の交通手段は以下の通り】
 (中津駅徒歩15分)歴史博物館(9:00-17:00無休)、中津城
10:10中津駅前(路線バス)、10:50,11:05柿坂(路線バス)、11:41童話碑入口
 (徒歩3分)豊後森藩資料館わらべの館2F(9:00-16:30月休)
 角牟礼城跡散策

(わらべび館徒歩7分)13:40森町(路線バス)、13:45,14:05豊後森駅(JR:特急ゆふ)、15:29大分駅
 (徒歩15分)大分城散策 (24Hスタンプ可)

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/07/12 訪問)

大分+α城廻第1日その2
※中津城、大分城と共に登城
※前日中津駅付近宿泊

歴史博物館から本丸まで徒歩で約40分。石畳や石段の箇所もあるが結構な上り坂。
天気の良い暑い日だったので、木々による木陰はあるものの汗だくの登城でした。
三の丸まで車で行くことができ駐車場もありそこからだと本丸までは10分かからない。

本丸は石垣修復中で半分以上立ち入り禁止区域だった。石垣の見事さと急斜面による攻め入る難しさを感じた城でした


【本日の交通手段は以下の通り】
 (中津駅徒歩15分)歴史博物館(9:00-17:00無休)、中津城
10:10中津駅前(路線バス)、10:50,11:05柿坂(路線バス)、11:41童話碑入口
 (徒歩3分)豊後森藩資料館わらべの館2F(9:00-16:30月休)
 角牟礼城跡散策

(わらべび館徒歩7分)13:40森町(路線バス)、13:45,14:05豊後森駅(JR:特急ゆふ)、15:29大分駅
 (徒歩15分)大分城散策 (24Hスタンプ可)

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/07/12 訪問)

大分+α城廻第1日
※角牟礼城、大分城と共に登城
※前日中津駅付近宿泊

中津に前泊したので、朝早めに城跡を散策
模擬天守だが、城の風格を感じた、石垣からはみ出した石落としなどが美しい
石垣は黒田時代と細川時代のつなぎ箇所が何か所か確認でき、横に拡張したつなぎ目と縦に高く拡張したつなぎ目があるのが面白い

あと中津川沿い他本丸辺りにも石垣の隙間等に沢蟹がたくさんいました、鋏を振り上げ一生懸命威嚇してくるのがかわいい

【今回の交通手段は以下の通り】
 (中津駅徒歩15分)歴史博物館(9:00-17:00無休)、中津城
10:10中津駅前(路線バス)、10:50,11:05柿坂(路線バス)、11:41童話碑入口
 (徒歩3分)豊後森藩資料館わらべの館2F(9:00-16:30月休)
 角牟礼城跡散策

(わらべび館徒歩7分)13:40森町(路線バス)、13:45,14:05豊後森駅(JR:特急ゆふ)、15:29大分駅
 (徒歩15分)大分城散策 (24Hスタンプ可)

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まさお

京都 二条城 (2024/07/20 訪問)

数十年ぶりに訪問しました。猛暑で早々に退散しました。

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赤い城

晴れの国の烏城 (2024/07/07 訪問)

昨年ちょっとだけ立ち寄った岡山城、今回はじっくりと見学してきました。

今回は後楽園の駐車場に車を置き、まずは月見橋から天守を望みます。
旭川が自然の堀になっていることがよくわかります。
橋を渡り、まずは西の丸方面へ。
市街地になっていますが石垣が残るところもあります。
コインパーキングから西の丸西手櫓を見上げることもできます。

次に旧本丸があった石山に向かいます。
福祉施設の駐車場になっていますが徒歩なら行くこともできます。
元は宇喜多直家がここに本丸を置いた場所です。
現在の岡山城天守を望めました。

さらに川沿いの東門跡を見に行きましたがちょうど朝市?が開催されていて人だかり、断念して本丸に向かいました。
途中、県庁前の内堀を見ながら内下馬門へ。

ここから入城です。
とりあえず石垣を見上げながら一周、旭川沿いの北東部が味があり良い感じですね。

一周し、鉄門から本段へ。
天守を見上げます。
時間帯の関係なのか人はやや少なめ、良い写真も撮れました。
天守には入らず月見櫓や宇喜多時代の石垣などを見学して終了しました。

晴れの国岡山とはいえこの日はとても暑かった。
3時間以上歩き回ったのでちょっとへばりました。

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todo94

筑後川の向こうは肥前 (2024/07/13 訪問)

生津城からの転戦です。久留米市立城島小学校の隣接地にある城島天満宮に城址碑と説明板がありました。立花道雪に生津城を攻め落とされた西牟田家周が築城。ここを島津に攻められると肥前に逃亡します。近くを流れる大河・筑後川の対岸はもう肥前国ですからね。

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小城小次郎

現役の居館なので (2024/01/14 訪問)

赤松氏の一族と伝わる福地氏が佐野氏の客将として居館を構えたのがこの場所。佐野氏改易後に帰農した福地氏はどうやら今もご子孫がそのまま居館の地にお住まいらしい。つまり民家敷地なので遠くからそっと眺めるだけに留めた。

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大福

登頂 (2023/07/21 訪問)

夏場には、しんどい。
トイレは登頂口近くの登山者用の駐車場に簡易トイレが、ありました。

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しんちゃん

伊東館跡 伊東祐親の像と墓所 (2024/07/15 訪問)

伊東祐親の居館は伊東市大原2丁目の伊東市役所のある丘地に築かれていました。遺構らしきものは残っていませんが、周囲を見渡しやすい位置にあり、伊東祐親の騎馬像と物見塚公園の石碑が建っています。平氏から源頼朝の監視を任され、北条時政は娘婿にあたります。
娘の八重姫と頼朝の間に千鶴丸が生まれ、平氏との軋轢を怖れ我が孫を殺害するという苦渋の決断を下した人物でありますが、地元では英雄として扱われていることが解ります。そこから南に300mほどの街中にひっそりと祐親公の墓所が佇んでおり、さらに西に150mほどいった東林寺に長男・河津三郎祐泰の墓と「曾我兄弟の仇討ち」で知られる曾我祐成と曾我時致の供養塔(首塚と記載あり)が並んで建っています。大河ドラマ「鎌倉殿と十三人」では源頼朝のみならず、主人公・義時や時政とも縁の深い人物のゆかりの地でもありますので、近くまで来たら寄って行かれると良いと思います。

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とばつびしゃもん

星形稜堡の城 (2024/05/04 訪問)

であいの館の道をはさんで向かいにある駐車スペースに車を駐車し登城開始。開館直後のであいの館で資料を見学し、入口に設置された続日本100名城スタンプポン。
星形稜堡内にある遺構のお台所は10時開場のため、それまで堀沿いに星型の外側歩道を歩く。石積の高さは意外に低い。
大手門跡から稜堡内に入りお台所内部を見学後、稜堡から歩いて数分のところにある大手跡を見学し、五稜郭展望台へ向う。展望台への山道は対向困難と聞いていたので、車で行くか迷っていたところ、であいの館のスタッフの方から「展望台へ向かう車、今日は少ないよ」との助言を受け車でトライ。
林道から山道に入るところで対向車に出会うも2キロ先の駐車スペースまでは対向なしで到着。かなりの悪路で擦ったりして車を傷め、モヤモヤ感が残る。展望台からはきれいな星型が確認できました。

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しんちゃん

見どころは東西の二重の堀切。 (2024/07/16 訪問)

伊豆周遊のついでに葛山城にも行ってきました。リピートになりますが、富士山に登った時の写真と一緒にデータが消滅してしまったので、もう一回リトライです。去年から城びとに参加していますが875城「いった」状態で参戦しています。
自分の矜持として「いった」を押した以上「必ず」投稿はしたいので200~300はリピートで回っています。けっこう大変なんですわ。
葛山城ですが今川氏国人衆の葛山氏の城とされています。南東に300mほど行ったところに居館跡があり、居館跡にも土塁が残っています。葛山氏がいつごろから今川氏の被官になったのかは不明ですが、伊勢新九郎が堀越御所を急襲し足利茶々丸を討った際には今川から葛山氏が援軍に使わされていて、伊勢新九郎の次男氏時を養子にしていることから今川の被官の中でも独自な存在であったようです。

葛山城はコンパクトながら良く遺構を残す城です。今は登城道が整備中なので東の大手からの登城になります。中央の最高所が本丸で北側に土塁が残っています。西の二の丸と帯曲輪はつながっていて、北側を除く本丸の周囲を囲っています。この帯曲輪はニの丸の延長か事実上の三の丸に相当すると思います。東と西に二重の堀切を残しており、この城の見どころになっています。
‥‥先ほどの浜松餃子の話ですが、私は好きですよ(汗)。キャベツがいっぱい入っているし、ダウンタウンの浜ちゃんもおいしいって言ってたし‥。

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カズサン

チョイ寄り長比城登城口 (2024/06/24 訪問)

 米原市柏原御茶屋御殿の探訪を終えて、長比城の登城口が柏原宿の東側旧中山道沿いに、グーグルマップ記載されて居ましたので浜松への帰路序でにチョイ寄り。

 駐車場:無し、登城口に一時路駐
 参考資料:グーグルマップに依る

 柏原宿観光駐車場から東に約1.3km程の旧中山道沿い山手側に「長比城跡登り口」の石碑があります。長比城跡登り口道標の解説が掲示板に張ってあります。少し東に、「歴史街道 中山道 ←柏原宿 長久寺→」が刻まれた立派な道標があります。
 登り口の西側には神明神社の鳥居。
 長比城跡の駐車場は登り口より北約150mと案内板有り。
 また登り口の左右の溝は分水嶺に成っており、左は大阪湾へ、右は伊勢湾へとの案内板が有りました。

 掲示されてる解説を読むと。
 織田信長は、浅井長政を討つべく、元亀元年(1570年)6月19日、浅井朝倉勢が守るこの城と苅安城を攻めた。
 木下藤吉郎・竹中半兵衛の働きで浅井方の鎌刃城堀氏が寝返ったため、長比・苅安の城兵は敗走し、信長は長比に無血入城、一両日滞在した。
 この長比攻めは、姉川の戦いの前哨戦で、本戦である姉川の戦いは、9日あとの28日に始まった。
 と記載有り。

 この後は国道21号線経由し、関ヶ原ICより名神・東名・新東名で浜松へ。
 今回の滋賀県近江未踏の城探訪1泊2日は終了、17城と番外安土城の18ヶ所でした。
 

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零汰

大分に行く

ユーロもコパも無事に終わりスペインとアルゼンチンが各々の大会で順当に優勝。漸く仮眠だけで乗り越える不健康な生活から抜け出せました。ユーロもコパの様に延長戦は無しにして即PKではだめでしょうか?延長PKが終わるのが朝7時前でそれから仮眠はキツイものがあります。決勝を待ったかのように梅雨が明けた様子、堪らず不健康を引きずりながら18~20日の3日間で大分県を中心に城訪問に車で出掛けました。

3日間で登録城は14か所、その他の山城6か所、唐原山城に向かう最中に宇佐・中津市の平野に点在する無名な城跡20か所程度訪問してきました。驚く事に平野部の無名な城跡は石碑・表示のみの城跡は少なく、6割程度の城跡で何かしら遺構を見る事が出来ました。空堀アリ、水堀アリ、状態の良い曲輪や陣屋門などとしっかり楽しむ事が出来ました。皆様のお住まいの地域でも埋もれた無名な城跡廻りをしてみたら違った楽しみを味わえるのでは無いでしょうか。

大分県の登録城未訪問3か所
・山野城・・・・1時間半~2時間ほど掛かりそうなので今回無名な城跡廻りに時間が掛かり過ぎて断念
・水賀城・・・・半時計周りで廻っていましたが途中でスルーしてました。国東半島に入った頃に気が付いて引き返したく無く断念
・鳥岳城・・・・途中まで訪問(写真1~5)滑る登山道から登りましたが伐採により登山道が破壊された上に立入禁止。前情報よりこちらはハードな訪問だとの事、その上直登も加わる事を考えてしまって挫けました。

他にも1か所挫けた城跡もありましたが全体的に良いシリースでした。写真6~10は登録城のダイジェストです。北海道関連の後に個別投稿する予定です。

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しんちゃん

大瀬崎の鈴木繁伴館跡  (2024/07/14 訪問)

鈴木館は駿河湾に突き出た沼津市の大瀬崎先端の神池の周辺に築かれていました。館の遺構は残っていないようですが、駿河湾に面し周囲360度を警戒することが出来、南に大瀬神社が建てられています。
館の主・鈴木繁伴は鎌倉時代後期から南北朝の時代の武将です。人気漫画「逃げ上手の若君」の時代の人ですね。ちょうど今、深夜帯でアニメがやっています。キャラはかわいいけど内容は子供向けじゃないですね。元々少年ジャンプは青年向きの内容も含んでいるので不思議ではないですが(北斗の拳とか)。
鈴木繁伴は北条方として熊野で護良親王と戦いましたが幕府滅亡後、建武3年(1336)伊豆国江梨村に潜伏します。観応2年(1351)薩埵峠の戦いでは足利直義に味方し、またも敗れたので江梨村に逃れて定着したようです。鈴木館は繁伴の初期の居館とされ、ここで大瀬神社の祭祀にいそしんだとのこと。この周辺は家族連れのダイバーが大勢来ています。比較的内湾なのでダイビングに向いているのでしょうか。

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しんちゃん

了仙寺 MoBS黒船ミュージアム (2024/07/17 訪問)

了仙寺は下田市七軒町にある日蓮宗の寺院で、下田条約締結の地として国の史跡に指定されています。下田条約は嘉永7年(1854)3月に結ばれた日米和親条約の補修を目的とし、内容は9条に及び、下田港・函館港への米人の駐留の許可、日米双方の犯罪人の裁きの方針、長崎港の追加開港などが記されています。Wikiには日米追加条約として記載があり下田協定や下田協約とも呼ばれているようです。
境内はこじんまりとしていていますが、広さは幕末のころから変わっていないようです。絵画等では比較的広めに描かれていますが、あれは米兵をいっぱい描きたかったからだそうです。他にも境内には下田奉行の墓所や横穴遺跡があり、黒船ミュージアムが隣接しており、開港や異文化交流に関する展示が充実しています。

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you

原田しろあと館スタッフの皆様 ありがとうございました (2024/07/20 訪問)

城跡と旧羽室家住宅(原田しろあと館)を訪問しました。

【原田城跡】
天正6年(1578)、謀反を起こし伊丹城(有岡城)に移った家臣の荒木村重を討つために、織田信長が改修した付城。
原田城は北城と南城から構成されており、天文16年(1547)の内紛で北城が落城して以降は南城が原田氏の拠点とされていたそうです。
南城は開拓が進んでおり遺構は消滅していますが、有岡城の戦いの際に利用された土塁は北城(館内)に現存しています。
当時この土塁からは西方面に有岡城を望むことができたそうです。また、信長軍が付城として利用した池田城、刀根山城などがこの原田城とともに有岡城の東側を囲っています。

荒木村重はこの戦乱で家族を捨てて尼崎城→毛利方へ移り、のちの本能寺の変によって信長の手を搔い潜ったという話をしろあと館のスタッフからお聞きしました。なかなかしぶといですね、、、


【旧羽室家住宅】
時間があったので、ついでですが国登録有形文化財に指定されている旧羽室家住宅の見学も行ってきました。
見学の際は館内の方が丁寧に説明してくださいました。
2階は立入禁止になっていましたが、1階は当時の家主さんの趣味・嗜好がほぼそのままの状態で残っており、和洋折衷の古式ゆかしい雰囲気がなんとも魅力的でした。
ついでのつもりで来たはずでしたが、見学後は応接室でスタッフの方々とお城トーク等で盛り上がりました。
長々と付き合っていただき本当にありがとうございました。
この投稿が届いていることを願うばかりです。


原田しろあと館は土日のみ開館しており、月によって色々なイベントが催されています。
また、季節の移り変わりを感じられる花が植えられおり、館内を四季が彩ります。
時間ができれば秋頃もう一度お伺いして、紅葉を観に行きたいと思っています。

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しんちゃん

白銀の遠州灘 そして浜松道中 (2024/06/01 訪問)

リハビリがてら遠州の山城を攻めてきた帰り道、浜名バイパス(無料)を通っていたら遠州灘がやたらキレイに見えるじゃないですか。夕方7時近くなのに海がめっちゃ明るい。光の塩梅もあるのかもしれないが、海ってこんなに白く光るんだな。
浜名バイパス(国道1号)が2車線から1車線に変化するあたりに幾つか休憩所があり、遠州灘を眺望することが出来ます。こういうサービスは評価できますね。できれば国1は最初から全部片側2車線で作って欲しかったですな!
こうして見ると遠州灘も捨てたもんじゃない。世界は海でつながっているんだよな~。いいことも悪いことも「山ほど」あるけど。
このちょっと前には有玉神社で参拝して来ました。例のキンタマ落としの谷の投稿以来、金運が下がってきているんですわ。停止違反でポリコウに捕まるわ、家の屋根は壊れてくるわで出費が重みます。落としたツキ(玉)を拾いに来たんですね。
そのあとは石松で浜松餃子定食、餃子は肉餃子です。ぐるっと回したやつの写真が欲しかったけど、一人じゃ食べきれないんですね。ここではなんといっても餃子が主役!浜松は餃子の街です。個人的には宇都宮のほうが旨いと思うけど(ボカッ)。
‥‥一言多いしんちゃんでした。

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零汰

オチリシチャシ・ルイオピラチャシ (2024/05/09 訪問)

シベチャリ川流域チャシの残り3か所のうちの2か所です

オチリチャシ(写真1.2)
共同墓地内にあるようですが入口には開閉式のフェンスがあり小心者の私は中に入る事をためらってしまいました。(写真2はフェンスの穴からなるべく奥を撮りました)

ルイオピランチャシ(写真3.4)
牧草地の先の柵向こうの林の中にあるようです。右側林の中を迂回して行く方法もありましたが小心者の私は熊が怖くてためらってしまいました。こちらは内陸にある上に周囲に人の気配がない場所です。
道路にゲートがあります。ナビで裏側から辿り着いたのですが出られなくなって来た道路を引き返しました。何の為のゲートか不思議です。

2か所見れなかったので、残り1か所は挫けて行かず仕舞でした。

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モト

コンパクトですが城の縄張りが把握しやすく見学しやすいと思います。 (2024/06/26 訪問)

隆守院の横に登城口がありました。
登城口を登ってすぐ城跡の碑がありました。
登城道より本丸の切岸を確認しながら山頂に登ります。
本丸跡があり、そこから降ると順に二の丸、三の丸を見る事ができました。
それぞれ二の丸からの本丸、三の丸からの二の丸を見た切岸のある段々が城跡の雰囲気を強く感じる事ができました。

築城は文明年間(1469年〜1487年)と言われているそうで、
麻生遠江守家延(家信とも)によって築かれたと云われる。 花尾城合戦で大内氏と和睦した家延が岡ノ荘二十八ヶ村が与えられ、岡城を築いたといいます。
城郭放浪記より参照

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