千頭峯城は大福寺の古記録「瑠璃山俊録残篇」に記載が有り、南北朝の時代に宗良親王を奉じて奮戦した井伊氏最大の拠点とされています。井伊氏一族の奥山朝藤が守将を務め、南朝方・浜名神戸庄庄官県氏、大江氏ら数百騎で籠城し、北朝方の高師兼の大軍と戦ったとされています。三ヶ月の戦いの末、暦応2年(1339)10月30日落城したそうです。
遺構の状態から見て、後世徳川氏によって改修を受けたと見られ、堀切や土塁などが残っています。特に西曲輪周辺の遺構が良好で、堀切の状態がすばらしく、最近見た中では最も形状の美しい堀切です。西の曲輪の東側と南側にも土塁が良く残っています。
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