田尻親種が、それまで居城であった飛塚城が風水害で要害が悪くなったため1548年(天文17年)この地に築城しました。典型的な近世初頭の平城であったようです。
鷹尾城の説明板が安房神社にあります。近くには田尻親種の墓碑があり、その説明板が2カ所にありました。遺構はよくわかりません。
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2024/10/27 16:30
2024/07/20 07:28
2022/06/14 07:38
202206遠征(対馬&五島&北部九州)3日目:鷹尾城 (2022/06/07 訪問)
佐留垣城から徒歩30分くらいで、田尻親種墓碑説明板付近(33.129790、130.444677)に着きました。
1548年(天文17年)田尻親種によって築かれました。
親種は風水害により田尻城に不都合が生じた為、鷹尾城を築き本城を移したそうです。
1581年(天正9年)柳河城主蒲池鎮漣は龍造寺隆信に猿楽の催しに誘われ、佐嘉に赴いた所を謀殺されます。
田尻氏は蒲池と同族でしたが、龍造寺氏に従い蒲池氏一族を滅亡に追いやりました。
しかし、1582年(天正10年)田尻氏は龍造寺氏に反旗を翻し、本城の鷹尾城を中心に江浦城・浜田城・津留城・堀切城の各支城を固めました。
龍造寺氏は直ちに軍を発し攻め寄せますが落とせず、一部の兵をもって支城を攻略させますが失敗し一年余りの籠城の末、有馬氏が島津氏と組み肥前侵攻する気配があった為、和議を結び引き上げました。
柳河城に立花氏が入封すると家臣立花織部介が城主となり、立花氏改易の後入封した田中氏の時には家臣宮川才兵衛門が城主となりますが、田中氏改易により廃城となりました。
案内板近くの水路が堀跡か不明です。 田尻親種の墓碑が残されています。
鷹尾城の説明板は安房神社(33.128922、130.442962)にあります。
また、白峯神社付近(33.127906、130.442111)に菊池氏一字一石塔があります。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=大間城を目指す為、電車で西鉄中島駅から西鉄銀水駅に向かいます。
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2020/08/16 01:44
分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 田尻親種 |
築城年 | 天文4年(1535) |
主な城主 | 田尻氏、立花氏、宮川氏 |
廃城年 | 元和元年(1615) |
遺構 | 堀跡 |
指定文化財 | 市史跡(鷹尾城跡) |
再建造物 | 説明板 |
住所 | 福岡県柳川市大和町鷹ノ尾字七ツ家 |