つつみどるい

堤土塁

佐賀県三養基郡

別名 : 小水城
旧国名 : 肥前

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モト

古代の人の技術力の高さを感じる土塁跡です。 (2024/07/19 訪問)

ただの土塁、されど土塁と改めて感じる場所でした。
古代からこの技術力があるのはすごい。
一見ただの公園にも見える場所ですが我々城好きにはロマンを感じる場所です。

以下は案内文から参照
鎮西山から南に延びる八藤丘陵と二塚山丘陵をふさぐように築かれた土塁である。築成当時は両丘陵を東西につないでいたと思われるが、中央を流れる船石川により分断されている。規模は全体で300m。東側で幅10~15m、高さ1~1.5m。西側で幅34~40m、高さ4~5mである。堤体は種類の違う土を交互に積んで叩き締める「版築技法」が用いられている。この土塁の築造時期については、出土遺物が少ないため断定できないが、版築の技法、周辺の遺跡の状況等から、7~8世紀頃と推定されている。築成目的については、灌漑施設説、防衛施設説、道路跡説、併用説などがある。古代における大規模かつ高度な土木技術を示すものとしても重要である。

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)4日目:堤土塁 (2022/06/08 訪問)

綾部城からの転戦です。石碑付近(33.347401、130.423752)に駐車しました。

土塁が造られた時期は7~8世紀と考えられているそうです。
農業用水を蓄える灌漑施設説、大宰府などの防衛施設説、または古代の道路説などの諸説があるみたいです。

現在は、堤土塁跡歴史公園となっており、幅広の土塁が東西に伸びています。
東側には空堀があり、木橋が架かっていますが、立入禁止になっており、中にはいれません。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=帯隈山神籠石に向かいます。

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ぴーかる

堤土塁 (2020/07/23 訪問)

【堤土塁】
<駐車場他>石碑横に3台分程の駐車スペースあり。
<交通手段>車

<感想>2泊3日スタンプ取得九州初上陸の旅2城目。吉野ヶ里遺跡来訪後に高速道路脊振ICの近くなので立寄った。大雨予報のなか、運よく吉野ヶ里は雨に見舞われることはなかったが、ここに向かう途中から激しい雨になってしまった。行く途中の道に案内板が出ているのでスムーズに到着することができます。

 案内板によるとこの土塁の造られた時期は7~8世紀と考えられており、版築工法に似た技術で造られています。農業用水の灌漑施設説・大宰府防衛施設説・古代道路説があり目的は判明していません。現在は土塁の中心に切通川という川で東西に分断されていますが、東西合わると幅20~40m 長さ300m程になります。東側の土塁部分が公園化されていて、東端には空堀(切通し)が残っています。また土塁公園の西奥には版築土塁を切り取って展示している小屋があります。

<満足度>◆◇◇

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todo94

吉野ヶ里歴史公園開園前に (2019/01/13 訪問)

吉野ヶ里歴史公園開園前に時間調整のため立ち寄りました。堤土塁跡歴史公園として整備されていますが、灌漑施設説、太宰府などの防衛施設説、古代道路説などがあり結論は出ていないとのこと。ここを攻城数としてカウントして良いものかどうか、悩むところです。

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城郭情報

分類・構造 防塁
天守構造 なし
築城主 不明
築城年 7〜8世紀頃?
主な城主 不明
遺構 土塁、横堀(空堀)
指定文化財 県史跡(堤土塁跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 佐賀県三養基郡上峰町大字堤字迎原
問い合わせ先 上峰町教育委員会文化課
問い合わせ先電話番号 0952-52-4934