QRコードを読むためだけに清水に来るのもアレなので、80の母を久能山東照宮に連れてきてあげました。齢80の母には東照宮の石段はなかなかきついですね。とはいえ、本人の希望なので仕方がない、気を付けて登ってもらいます。
拝殿の周辺が本丸なのだろうけど、良い具合に河津桜や梅が咲いています。こないだまで雪だと思っていたら一転、春の陽気です。ついていけん・・。周囲は断崖絶壁なので、拝観エリア外にうかつに入り込むと地上に真っ逆さまです。
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2025/03/02 15:09
久能山東照宮 (2025/03/01 訪問)
QRコードを読むためだけに清水に来るのもアレなので、80の母を久能山東照宮に連れてきてあげました。齢80の母には東照宮の石段はなかなかきついですね。とはいえ、本人の希望なので仕方がない、気を付けて登ってもらいます。
拝殿の周辺が本丸なのだろうけど、良い具合に河津桜や梅が咲いています。こないだまで雪だと思っていたら一転、春の陽気です。ついていけん・・。周囲は断崖絶壁なので、拝観エリア外にうかつに入り込むと地上に真っ逆さまです。
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2025/03/02 11:57
片上港を望む浦上氏の城 (2025/03/01 訪問)
麓から尾根までの道は急な道だが、良く整備されているのでありがたい。本丸の周囲はきれいに土塁で囲まれている。二の丸、三の丸のほか、たくさんの腰曲輪があるが、とにかく石がたくさん散らばっていて、もともと岩が多い山のようだ。一部に石積みも残る。一番の見どころは堀切で、岩盤をみごとに削り取っているが、どれほどの労力であったかと感心する。本丸や東出丸からは、片上湾を一望にでき、港を確保するに絶好の場所だったことがわかる。
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2025/03/02 11:14
朝田辰兵衛さん東京コンプリートおめでとうございます
朝田辰兵衛さん東京コンプリートおめでとうございます🎉
朝田さんは拠点が新潟なのに遠方の東京攻めは大変だったことと思います。お好きな武将上杉謙信になぞらえていますね。今年は雪が多いので移動と現地の積雪の状況が掴めず苦労しています。脳内8割お城で占めている(仕事1割(笑))我々にとって、城びと登録城の都道府県コンプも、残りをどう行って、どう完遂しようかとその方法を考えるのも一つの楽しみであります。
ますますの御活躍を祈念しています。
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2025/03/02 11:02
⑪【護佐丸と沖縄6城】(6)中城城(1/3) (2025/02/06 訪問)
最後6城目は「中城城」です。場所の都合上、勝連城から転戦しました。那覇から勝連城へ行ったバス[52]で今度は逆の那覇方向に乗り40分、途中の北中城村役場前で下車し、ここからコミュニティバスに乗り換えて登り坂を登る事10分、中城城に到着です。コミュニティバスは一日6本しかないので時間を確認されて行かれて下さい。バス停は勝連方面と同じ所にあり(写真①)、前払い200円です。もし急ぐ方は村役場でタクシーの電話番号を聞けばいいと思います。私は次のバスが来るまで1時間待つ事にしたので、村役場のきれいなトイレを借り、向かい側のコンビニでおにぎりを買い、村役場の裏の高台にちょっと登って、眼下にある普天間基地を眺めながら食べて時間をつぶしました(注:中城城は店など何もない所です)。
中城城に着いてからは、まず入口でチケットを買いスタンプを押すと(写真②③)、正門までの登り坂をカートで乗せて行ってくれます(写真④⑤正門)。ここから入口まで城内を散策しながら歩いて下って戻る事にします。正門から入った場所は1853年にペリーが訪れた場所で、ちょうど石垣の補修工事中でした(写真⑥)。私もペリーと同じ場所に立ち、同じように石垣を見上げてみました(写真⑦⑧)。この城壁にペリーはさぞかしびっくりしたでしょうね(笑)。
そして南の郭へ入ると、ここは礼拝所であったようです(写真⑨)。ちょうど菜の花がきれいに咲いていました。そこから首里の方角を眺めてみました(写真⑩)。護佐丸はここ中城城に居た時に、志魯布里の乱で首里城が焼け落ちたとの知らせを受けます。その時、同じようにここから首里の方向を眺め、琉球王国の行く末を心配していたのではないでしょうか?
次はアーチ門をくぐって一の郭へ入り、(2/3)へ続きます
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2025/03/02 08:57
犬小屋城 (2025/01/25 訪問)
尾張を代表する天下の三名城、犬山城・小牧山城・名古屋城・・合体させると「犬小屋」城になります。
いいのかニャ~? ワンワン!・・ガブッ ニャギャ~ッ!!
それぞれ天守のありようが異なります。犬山城は現存天守で国宝、最古の天守とも言われ木曽川の眺めも最高です。アクセスも比較的容易で訪問もしやすいです。これらの城は私が城好きになったきっかけでもあります。ここまで来たら岐阜城まで足を延ばしていただきたいと思います。晴れの日の岐阜城からの眺めは格別ですよ。
小牧山城は史実と異なる模擬天守が建っています。以前は赤じゅうたんが敷いてあったので少しはマシになったのかな? 個人的には百名城に匹敵する城郭だと思います。
名古屋城は悲惨ですね。元々外観のみ復元した鉄筋コンクリートのビルだったのですが、木造復元にクレームがついて現状・巨大なオブジェです。どこの城でも危険な石垣は交換しているし、天守というのはエレベータを設置するのに一番 適していない形状をしているんですよ(そもそも鉄筋で作るのがおかしい)。
熊本城を見てきましたが、市のバリアフリー政策が暴走気味で、けっこう悲惨なことになっています。バリアフリーは大切ですが、城郭でそれを進めると城の本来の姿から、どんどん遠ざかって行くのが現状のようですね。場所を選ぶべきだと思います。
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2025/03/02 08:03
三連休の攻城③ (2025/02/22 訪問)
豊後松尾城からの転戦です。佐伯市歴史資料館にて続100名城のスタンプと城カードをゲットしました。今まで佐伯城に来たときは泊を大分市にとっていたため、城も資料館も駆け足で巡っていましたが、今回は初めて佐伯市に泊をとりましたので、じっくりと資料館の展示を楽しめました。栂牟礼城、栂牟礼合戦の映像を見て、翌日の栂牟礼城再訪を決めました。毛利高政や大鉄砲の展示など、たっぷりと楽しめました。そして城の方も、北出丸に初めて足を伸ばして雛壇の石垣も拝むことができました。三の丸では御殿跡の発掘調査が行われていました。
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2025/03/02 07:05
朝田さん おめでとうございます! (2025/02/01 訪問)
あれ・・いつのまにか朝田さんが東京都コンプリートしている・・??? あっ、最後の一行か。
東京都コンプリートおめでとうございます。
東京は大島があるから、ハードルが高いですね。山梨県は御坂城があるし・・そういえば私もコンプラリーやってました・・
某アプリで忙しくて忘れてましたわ。いまは合戦で負けて心が二階から落としたポッキーの箱の中のようになっています。ポキポキ状態です。またじわじわ始めますか。
写真は伊豆極楽苑のものです。深い意味はないです。一言で言えばヘンなとこですよ。
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2025/03/02 01:42
2025/03/01 22:44
2025/03/01 21:52
伊豆水軍 (2025/03/01 訪問)
某アプリの「伊豆水軍」の異名をゲットするために清水港フェリー乗り場に来ています。前にも来てるぞココ。
フェリー運休延長のためQRコードを読み取るために二回来ています。せっかく異名をゲットしたのでプロフィールにセット。「日本一の兵」の異名、半日で外されています。またそのうち戻すから・・
イオさんへ・・基本的にアプリはたしなむ程度のものと考えています。でも・・・・・特定の異名は一定の時期にしか取れないので、がっつり行きます。人生は壮大な暇つぶしなので、やるときはとことんですよ。
合戦で負けるとダメージはでかいです。自分は初陣になりますが、幾度も敗北を味わっている人で引退を考えている人もいるようです。士気の異様に高い集団もいれば、特典狙いで軽く流している人たちもいます。合戦もこちらが100人ぐらい少なくて、その差を埋めることが出来ません。上位陣の士気が敵軍より高くても、すでに諦めてしまっている人たちもいるからです。
理不尽ですよね・・・・いくら頑張っても自分たちの力ではどうにもならない・・本当に理不尽です。つらいです・・
・・・・・・・・・そこがいい!! あらゆる理不尽がつまっているからこそ逆に燃えてきますね。たかだかアプリの合戦だからこそやるときは本気です。大人げなくいきますよ。さあ次の合戦に向けて貫を溜めておきますか(こりんヤツ)。
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2025/03/01 20:27
2025/03/01 20:09
一升桝遺跡の投稿より続きます… (2025/02/24 訪問)
一升桝遺跡の投稿より続きます…
法論対決で敗北を喫した極楽寺良観房忍性は,矛先を日蓮信者へとシフトします。
鎌倉幕府の作事奉行で武蔵国の千束の大池(洗足池)のほとりに住んでいた池上康光は,極楽寺良観房忍性の熱心な信者でした。
しかし,長男の宗仲,次男の宗長は,日蓮の弟子の日昭の甥という関係性から,日蓮信者になりました。
ここで,極楽寺良観房忍性が池上康光を焚き付け,日蓮信者の引き離しに動きます。
池上康光は長男の宗仲,次男の宗長に日蓮の信仰を捨てるよう迫り,長男の宗仲を勘当しました。当時の勘当は,家督相続権の剝奪となります。経済的基盤や身分を失うため,社会的抹殺に等しいと言えます。次男の宗長にしてみれば,日蓮の信仰を捨てるなら家督相続権が転がり込んでくることとなります。かなり動揺していたと伝わります。
日蓮は「兄弟抄」をしたため,兄弟らが団結して難を乗り越えるよう激励。
兄弟は粘り強く父に極楽寺良観房忍性の誤りを指摘し続けました。
そして,ついに池上康光は日蓮信者となりました。その翌年に逝去。
兄の宗仲が家督相続し,作事奉行も引き継ぎました。
日蓮は常陸国に湯治に向かう途中,兄の宗仲の居住する池上邸に立ち寄りました。近隣の門下が集う中,鎌倉幕府に最初に提出した「立正安国論」の講義…。
その翌日の,弘安5(1282)年10月13日に入滅。
現在の池上本門寺には,「此経難持坂」に加藤清正が寄進した96段の石段があります。此経難持は,此(こ)の経を持(たも)つことは難しいと読み下します。池上宗仲と宗長の兄弟を讃えるものと推察します。
また,昭和58(1983)年,入滅から700年を経て建立された日蓮像があり,台座には「開目抄」の主師親の三徳をあらわす一節が刻まれていました。
これにて,東京都の城びと登録城をコンプリートしました。
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2025/03/01 20:06
2025/03/01 19:41
2025/03/01 17:47
2025/03/01 17:28
石垣と巨石 (2025/03/01 訪問)
一の曲輪周辺に石垣が観られますが、ほとんどは昭和40年代に積み直されたもののようです。周辺の曲輪にも石垣は所々ありました。この城の魅力の一つは多く存在する巨石です。巨石が石垣のように積まれているように見える所がありました。実際には自然にできたもので説明板には「これは「節理」という現象です。マグマが地下で冷えて花崗岩になる時に、収縮して等間隔に割れ目(節理)が多数できます。地表に現れた時、風化浸食によって四角形のかたまりに分かれ、あたかも人が積んだように見えます。」と書いてありました。巨石は山頂周辺は至るところにあり巨石を利用して防御力を高めていたのでしょう。
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2025/03/01 17:21
城めぐりのきっかけは…
皆さまが城めぐりをするようになったきっかけは何でしょうか? 小学生の頃はお小遣いを貯めてはお城のプラモデルを買って作るなど長らく城好きを自認していながら、積極的に城めぐりをするようになったのは7年ほど前からという私ですが、私の城めぐりをするようになったきっかけはちょっと変わっていまして…。
仕事は基本デスクワークながら、ちょこちょこと外出する用事もあり、外出している間は書類仕事の手が止まってしまうため、外出するの面倒くさい…と常々思っていました。とはいえ、外出するのも仕事なので行かないわけにもいかず、だったらせめて外出に付加価値を持たせられないか、ということで、スマホを持つようになったのを機にスマホアプリ「ニッポン城めぐり(以下、城めぐ)」を導入してみました。
果たして効果は絶大、○○市役所に行くなら○○城と××城は攻略できそうだな、とか、いつものルートだと△△城は取れなかったので次は違うルートで行ってみよう、とか次の外出が待ち遠しくなるほどでしたが、紀州・九度山で真田親子に遭遇したことにより次第に道を踏み外していきます。真田推しとしてはぜひ登用したいと思っても、登用には幸村(当時)15万石、昌幸10万石、大助1万石で計26万石の石高が必要で、仕事での外出を待っていては間に合わないので、週末に石高を稼ぐために出掛けてポチ攻めするようになり、攻略先でその日に獲得した以上の石高を要する武将たちを発見すると、またその石高を稼ぐために…の無限ループに陥ってしまいました。さらに月間攻略城数1位になれば異名「日本一の兵」が与えられる(らしい)と知り、真田推しとしてはぜひ欲しい! ということで、毎週末に出掛けてはポチ攻めばかりを続けていたある時、ふと我に返りました。「オレ、何やってるんだろう…」 仕事での外出に付加価値を、という当初の目的などどこへやら、やってることと言えば、朝早くに家を出たあとは道の駅やコンビニに立ち寄る以外はひらすら車を走らせてポチポチポチポチ…。激しい虚しさに襲われて、そのまま城めぐをアンインストールしようかとも思いましたが、ここで消してしまっては本当に時間と労力の無駄で終わってしまう、と思いとどまり、「100名城スタンプラリーを始め、ポチ攻めはその道中に限る(多少の回り道は可)」「日本一の兵は諦める」という条件を自らに課して城めぐを続行することにしました。
さて、そうして100名城スタンプラリーを始めた頃の私は、城=建物(天守や櫓、門など。復元、復興も可)であり、石垣や土の城には何の興味もありませんでしたが、松坂城で石垣もいいかも、となり、岩村城で朝霧の中に次々と現れる石垣(とどめに六段壁!)に魅せられ、続100名城スタンプラリーが始まると、古宮城のシナモンロールで土の城の面白さに目覚め、玄蕃尾城ですっかり虜になってしまいました。そして(続)100名城に限らず城めぐりするようになって、現在に至ります。
現在は城めぐとも程よい感じで付き合えていて、日帰り圏内はほぼ攻略済みのためポチ攻めは遠征や出張時のみ、地域限定イベントや合戦イベント(真田推しなので三増峠は武田軍でした)に参加し、各地のお城イベントではガラポンを回したり手裏剣を投げたり、リアルの城めぐりのお供として楽しませてもらっています。思えば、熱に浮かされていたような状態から我に返って虚しくなった時に城めぐを消してしまっていたら、城めぐりを一生の趣味とするであろう現在の自分はいなかったわけで、何が人生を左右するかわからないものですね。
…なお余談ながら、城めぐ導入の当初の目的だった「仕事での外出に付加価値を」は、現在はスマホアプリ「ステーションメモリーズ!(通称 駅メモ!)」に引き継がれていて、城めぐでの反省を踏まえて基本無課金のグリーンライセンス勢ですが、仕事での外出の付加価値だけでなく、地域イベントなどは城めぐりの行先にも影響を与えていたりします(昨秋の但馬とか福井とか)。
> しんちゃんさん
異名「日本一の兵」獲得おめでとうございます! 2位以下に大差をつけての獲得はまさに「日本一の兵」であり「城めぐ勢百万も候へ、男は一人もいなく候」ですな(言い過ぎ)。焚きつけておいて何ですが、私は上記のようにポチ攻めのみの日々が虚しくなりアンインストール寸前までいったので、あまりの猛攻ぶりに燃え尽きてしまわないか気になっていましたが、これからはまた心穏やかな城めぐりに戻られますね。…と思ったら、合戦に姫に異名にと、すでに後戻りなど考えも及ばないほどハマっておられるようで(笑)
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2025/03/01 17:19
妻木貞徳 (2025/03/01 訪問)
久しぶりの妻木城です。
土岐頼貞の孫、土岐明智彦九郎頼重が築いたとも伝わりますが、発掘調査の成果から実際の築城年代は15世紀中頃から後半と考えられているようです。関ケ原の合戦の際、東美濃地方唯一の東軍であった妻木城主の妻木家頼により、西軍方の攻撃に備えて防備を固めるために、土塁や堀切、横堀を普請して改築されました。その時の功績により妻木氏は7500石を領有しました。
北側の山麓には御殿と呼ばれる領主の館と家臣の武家屋敷が築かれ石垣などが残っています。
御殿跡から登城しました。登城路は整備されていて、それほど急勾配でもなく歩きやすかった。城内も以前に来た時(10年以上前)は倒木や藪になっている所もありましたが、処理されて散策しやすくなっています。
JR多治見駅から妻木上郷バス停までバスがありますが、本数が少ないので要注意です。
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2025/03/01 16:49
2025/03/01 16:39
城山遊歩道ありのハイキングコース (2025/02/26 訪問)
桐生市のHPを参考にすると、正平5年・観応元年(1350)に桐生国綱が築いたとされている。居住地を山麓の居館におき、梅原館を下屋敷とする。規模は大きく、桐生川扇状地の両袖の高地である西の丸山砦、南の浅間山砦、両砦をつなぐ下瀞堀、北の物見山砦とを結ぶ一帯を城郭とした。本丸を斗口とし、二の丸・三の丸を柄とする柄杓型の梯郭構造で・・・城跡の全部が完全に残っている。
城域は桐生氏の発展とともに整備されたが・・・、金山城主由良氏により、天正元年(1573)3月、桐生氏は滅びた。由良氏は北条氏に属し、天正18年後に常陸国牛久へ転封となり廃城となる、と載っている。
城山林道の駐車場を利用。林道を少し上上がると遊歩道入口があり、案内板が立っている。以前に一度来ているが、入口の案内板があらぬ方向を指しており、林道の終点まで行き戻ってしまった。
堀切・竪堀・横堀など幅も深さも充分にあり見応えがある。郭は幾つもあり、案内板に載る本丸・二の丸・三の丸、何方かが付け足した北曲輪などがある。北曲輪側には行けなかったが、本丸以外の二の丸・三の丸は杉・ヒノキ林、自然林になっている。
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