天花寺城(てんげいじじょう・城びと未登録)は、中村川西岸の段丘上に位置し、天花寺氏の居城とされますが、織田信長の伊勢攻めの際に北畠氏の命により佐藤氏らが籠城した記録が見られるくらいで、詳細は不明です。
近くに駐車場がないので、天花寺町交差点付近の空きスペースに駐めさせてもらって登城開始。城域の真ん中を県道が南北に通っていて、交差点から県道沿いに北に向かい縁石が途切れたところから東の山中に入ると、すぐに曲輪Ⅱ西辺の土塁と横堀が見えてきます。さらに東に進んだ先でも曲輪Ⅱと主郭の間の横堀が北へと続いていました。主郭の大半は竹と笹に覆われていますが、周囲を囲む土塁は明瞭に遺り、南側には外枡形状に土塁を設けた虎口が開口しています。南東辺の土塁上を北に進むと、南東側は切り立った断崖になっていて、段丘の突端に築かれていることが実感できました。主郭から北東にのびる尾根は二重の堀切で遮断しています。
主郭一帯は竹藪と化していることもあり、時季的にタケノコを掘り返した跡があちこちに見られ、イノシシの生息域なんだろうな…と覚悟はしていましたが、堀切付近の樹木に刻まれた傷痕は……まさかクマもいるんでしょうか!? そう考えると藪の中でガサガサいう音(鳥…だと思いたい)にも震え上がって、主郭西隣の曲輪Ⅱは横堀周辺をざっと見ただけで県道まで引き返しました。
県道の西側にも曲輪が続いているようなので、竹に掴まりながら斜面を登ると竹藪と化した削平地が広がっています(クマが怖くても行くんかい!)。発掘調査では建物の痕跡は見つからず信長の伊勢攻めの際に籠城した兵の野営地と考えられるようで、遺構としては区画溝が見られるくらいでした。また、天花寺町交差点南西の山中には天花寺城南端の堀切があるようなので、西側から回り込んで行ってみると、藪に覆われてはいるものの、大規模な堀切が設けられていました。堀切を越えた先には出曲輪と思しき小曲輪群も見られます。
県道から入ってすぐに横堀に土塁、虎口や二重堀切が見られる点はおすすめですが、クマではなかったとしてもイノシシには遭遇しかねないので、登城時は充分にご注意下さい。
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