鞍掛山城は鞍掛山(240m)の山頂部に本丸が築かれ、そこから北に降っていった先に二の丸があり古戦場址の石碑が建っています。さらにそこから北にのびる尾根上に三の丸が配されているようです。弘治元年(1555)厳島の合戦で陶晴賢を滅ぼした毛利元就が防長二国に侵攻した際に最初の合戦場になったとされています。
大内氏の奉行三家老の一人で玖珂盆地の領主であった治部大輔杉隆泰は2600の兵を率いて毛利軍7000を迎え撃ちましたが、将兵1370とともに討死し落城したそうです。城の近くまで車道が通じていて駐車場にトイレも整備されています。ありがたいですね。
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