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しんちゃん

〇曜ロードショー (2015/10/24 訪問)

最後にもうひと26‥。阿尾城は富山湾に面した独立丘陵上に築かれており、城址の周囲は断崖絶壁となっているようです。
登城道から三の丸・二の丸・本丸(伝)と続き、本丸には櫓が築かれ、ここから海上を行き交う船を監視していたようです。築城時期は不明ですが出土物から15世紀後半ごろには存在していたと思われ、天正・文禄年間(1573~1596)ごろには菊池右衛門入道・十六郎父子が居城していたとされます。菊池氏は織田信長配下の佐々成政に従いますが、成政と前田利家が対立すると前田側に付き一万石を安堵されたとのことです(現地案内板)。本丸からの眺望はすばらしく、夕陽を眺めているとなぜか頭の中にトランペットの音が響いてきます。

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カズサン

二俣城・秋分の頃‐1/4 (2024/09/25 訪問)

 7月8月9月と今夏の危険な暑さで城廻城探訪を控えて居りましたが、浜松市天竜区二俣に所用が有り30分程足慣らしの意味にも登城してきました。
 彼岸花が咲き、ツクツクボウシの鳴き声、小鳥の囀りも有る静かな二俣城散歩、当初は独りのみでしたが、2組の夫婦の方が登城されていました。
 駐車場:北曲輪北東下の5号堀跡の駐車場利用

 ※搦手登城口から本丸編

  搦手登城路、5号堀跡堀切側から入り、北曲輪西側の登城、西下は天竜川の川の流れる音が結構響き聞こえます、4号堀堀切は堀底まで奇麗に草が刈られて様く確認できます、本丸の北側土塁が多くく聳え、北虎口側は奇麗に草刈、本丸の食違い北虎口の左右の石垣も清掃されてよく確認できます。
 本丸は草刈されて居り天守台を北東に眺める、二俣城のシンボルは天守台です。
 木陰で一時独占古城の雰囲気を楽しみました、登城日は今夏の最低気温日19度でやや涼しくは成って来ましたが日中は暑い。

 2/4本丸から二の丸へ続きます。
 
 

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しんちゃん

織田家中オールスターズ (2014/05/17 訪問)

虎御前山城は小谷城に籠った浅井長政を攻略するために織田信長によって築かれ、元亀3年(1572)頃に完成を見たようです。
地理的には小谷城のすぐ目の前にまで迫っており、浅井氏の置かれた状況がいかに深刻であったかがうかがい知れます。城番には羽柴藤吉郎(案内板)が置かれ、場内の標柱には木下秀吉陣跡と記載が有ります。
登城道から北に向かって順に伝(以下省略)滝川一益陣、堀秀政陣、織田信長陣、羽柴秀吉陣、柴田勝家陣と続きます。また堀切や竪堀、土塁などの遺構も残っています。
写真はちょっと26いです‥。

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しんちゃん

大手門復元成るか? (2015/05/05 訪問)

本日は「さとふる」公認の26日(ふるのひ)だそうです。せっかくなので私も少し26めの投稿をさせていただきます。
ご容赦を。 ちなみに29日は「にくのひ」です。
仙台城は二代藩主・伊達忠宗の時代に完成したとされます。戊辰戦争の戦火を免れるも、明治維新の後に陸軍の管轄となり、多くの建物が取り壊され、大手門、脇櫓、巽門(いずれも旧国宝)は第二次世界大戦の仙台空襲により消失してしまい、城内には遺構は残っていないようです。
本丸周辺は宮城県護国神社の敷地となっており、東側の大広間には伊達政宗の騎馬像が立てられています。三の丸跡は仙台市博物館となり、二の丸跡は東北大学の敷地になっているようです。大広間には「荒城の月」の作詞家・土井晩翆の案内板と銅像が立っています。
「荒城の月」の城のモチーフは瀧廉太郎とゆかりの深い「岡城」の他にも土井晩翆とゆかりのある「仙台城」や「会津若松城」「富山城」なども挙げられることがあるようです。

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ぴーかる

忍城 (2024/09/14 訪問)

【続百名城69城目】
<駐車場他>無料駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>土塁
<感想>1泊2日埼玉大阪化計画の旅3城目。このお城もまずは周辺散策から。櫓の石垣⇒伝・進修館移築表門⇒本丸土塁⇒成田御門跡⇒勘定所跡石碑⇒三階櫓跡 どうも門跡は石碑しかなさそうなので戻る。東門水堀から中に入り東門⇒博物館⇒御三階櫓内部に入り見学⇒忍城の鐘⇒諏訪郭跡忍諏訪神社を散策⇒車で移動して總願寺に移築された北谷門を見学しました。本丸跡は少し高台になっていて残る土塁は当時の様子がよく分かりますが、その他の残る遺構がとにかく少ない。江戸時代譜代大名のお城だっただけに維新の破却も激しかったのだろうか。

<満足度>★☆☆

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朝田 辰兵衛

彦根城を空殺できました…👀 (2024/06/25 訪問)

西側の龍潭寺から登城し,南側の彦根歴史公園佐和山遊園に下山しました。南側の登城口はちょっとわかりづらい気がしました。
天候は小雨が降り,モヤがかかったりしていましたが,無事に彦根城を空殺できました。

トクさんへ…
私は人吉城攻城の際,天神バスターミナルから宮崎行きの高速バスに乗り,人吉ICで下車して徒歩で。復路も逆パターン。これだと,博多駅のバスターミナルも通ります。新八代駅での乗り換えは不要になります。ご参考までに…。

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トク

人吉城(4/4):人吉城への行き方(新幹線と高速バス) (2024/09/18 訪問)

ここからは私が人吉城を訪れたルートについて、詳しく御紹介したいと思います。人吉城は100名城なので、訪れてみたい方は多いと思います。しかし車でない交通機関で行きたい方は、JRが不通な今どうやったら人吉へ行けるの? と大変分かりにくく迷っている方もいらっしゃるのではと思いました。よって御参考にしていただければと思います。

【写真①②③】
博多駅から九州新幹線「つばめ」号で新八代まで乗車しました。ラッキーにも800系でした。木の香と和布の内装がきれいで座席も広く快適です。わずか1時間で着いてしまうのがもったいないくらいです。この800系は九州(博多-鹿児島中央)でしか走っていません。新大阪からは直通の「さくら」号700系が新八代に停車します。

【写真④⑤】
新八代駅から接続する高速バス「B&Sみやざき号」に乗りました。40分で人吉ICに到着します。バスは新八代駅では新幹線改札口を出てすぐ右前に停車しています。B&Sは予約が必要です。JR九州のチケット予約のHP(お得なきっぷorみやざききっぷ)からか、バスのみであればバス会社(宮崎交通or九州産交バス)のB&S予約のHPから予約できます。JRからは新幹線とのセットや早割もあります。JRから予約した場合は、JR九州管内駅の「みどりの券売機」で予め発券してから御乗車下さい。私は博多駅で新幹線とバス(往復分)一緒に発券して乗車ました。バス会社から予約の場合は、スマホからWEB乗車票を見せるだけのチケットレス乗車もできるようです(詳細は各HP参照)。

【写真⑥】
人吉ICバス停から始発の路線バス「人吉駅」行きに乗り10分、途中の「札の辻夫婦えびす神社前」で下車しました。降りたバス停横の今夜泊まるホテルに荷物を預け、球磨川にかかる大橋を渡り、ここからスタートして人吉城を一周しました(その内容は前回投稿を御参照下さい)。

【写真⑦】
そして夜は前回と同じ人吉温泉「あゆの里」へ宿泊しました。ここの露天風呂はとても気持ちよかったです。そして部屋からは人吉城が一望できました。

【写真⑧】
翌日は、帰りに人吉ICでバスの待ち時間があったので、歩いて5分の所にあるラーメン「龍風」で豚骨ラーメンを頂きました。おいしかったです。海苔が何だか珍しい?🤔

【写真⑨⑩】
帰りは、新大阪行の「さくら」号に乗車し博多駅で下車しました(写真⑨⑩)。

🔶JR肥薩線の不通について🔶
JR肥薩線は少なくとも2033年(約10年後)まで「八代~人吉~吉松」間で不通です。つまり熊本八代・宮崎・鹿児島いずれの方向からも、JRで人吉へは行けません。路線バスもありません。高速バスでしか行けませんので御注意下さい。(ということは太川陽介と村井美樹は人吉では対決できないという事ですか?😯=はいそうです😱)。
 

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トク

人吉城散策(3/4):本丸から下り球磨川へ (2024/09/18 訪問)

二ノ丸から本丸へ登りました(写真①)。本丸には護摩堂があったようで祈祷の場所だったようです(写真②③)。

再び中ノ御門へ戻り、そこから御下門へ下りました(写真④)。ここもずいぶんと大きな門です。20mもの櫓があった櫓門だったようです。川から攻め込まれる事を想定し、このあたりが防御の中心だったと思われます(写真⑤⑥)。相良氏は鎌倉時代に源頼朝から地頭に命じられてこの地に住み始め、伊東義祐・島津義久の両方から執拗に攻められるという危機にも耐え、さらに豊臣秀吉に敗れるも修羅場をくぐりぬけ、九州の関ケ原では西軍に付くも徳川家康に何とか本領を安堵され、結局は鎌倉から幕末までの670年もの間この地を守り抜いた相良氏ですから、守りに徹する力は相当なものがあったのかもしれません。

水ノ手門を内側から眺めました(写真⑦⑧)。跳ね出し石垣から水ノ手門周辺のこのあたりは、1年前はまだ立ち入り規制区域が一部残っていたのですが、今は完全に撤去され河原まで行けるようになっていました。

さらに水ノ手橋を渡りながら川からも眺めて見ました(写真⑨)。当時はあそこで船から荷物を積み下ろし城内へ運んでいたわけですね。その船頭さんたちの光景が何だか目に浮かびます。

最後に河原に下りてみました。今日は水量が少ないですがそれでも流れは速く、ドドドドと音がすごかったです(写真⑩)。豪雨の時はまだこの100倍くらい水があったと思うので、想像しただけで足が震えてしまいました。

最後は、この人吉城へ現在どうやったら行けるのか、わからない方が多いと思うので、私が今回行った方法を御紹介したいと思います。
 

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イオ

豊岡陣屋(兵庫県豊岡市京町) (2024/09/08 訪問)

豊岡陣屋(城びと未登録)は、江戸前期に丹後国・田辺から入封した京極高盛が豊岡城北麓の居館跡に築いた陣屋で、減封されつつも京極氏のもとで明治まで存続しましたが、廃藩置県により豊岡陣屋跡には豊岡県庁が置かれました。

豊岡城に続いては豊岡陣屋へ。陣屋跡は図書館になっていて、説明板が立てられているくらいで陣屋自体の遺構は見られませんが、図書館南側には藩主京極家の屋敷が遺っています。東側の豪壮な薬医門は旧豊岡県庁の正門(旧久美浜県庁から移築)であり、豊岡陣屋の遺構ではありません。豊岡陣屋の門は市内3か所に移築されていて、長松寺(豊岡市下鶴井)と慈等寺(豊岡市三宅)の山門は確認しましたが、福成寺(豊岡市出石町内町)の表門は未確認です。近いうちに出石城・有子山城とあわせて訪れたいものです。また、Google Mapによれば図書館北西のめぐみ公園にも旧豊岡藩庁門とされる門があります。

豊岡といえば大石内蔵助の妻・りくの出身地としても知られますが、図書館から東に約100mには大石陸女生誕之地の石碑と説明板が立てられています。りくの実家は豊岡藩筆頭家老の石束家であり、藩主の隣に屋敷を構えていることから考えても、やはり赤穂藩筆頭家老の大石家に釣り合う家柄の出身なんだなぁ、と妙に感心してしまいました。りくは内蔵助と離縁して豊岡に戻った後、三男・大三郎の浅野本家仕官に伴って広島に移り、広島の国泰寺に葬られていますが、豊岡の正福寺(豊岡市梶原)には豊岡で早逝した長女・くうと二男・吉千代の墓と並んでりくの遺髪塚が祀られています。6月に泉岳寺で内蔵助と主税のお墓にお参りしているので、こちらでも手を合わせてきました。正福寺の麓には大石りく像と顕彰碑も建てられています。
 

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しんちゃん

魚津城うおーず(Wars) (2015/10/23 訪問)

この写真もちょっと26いです。ご容赦を。
建武2年(1335)に椎名孫八入道によって築かれたとされています。その後、上杉氏の城になり河田長親が城代を務めます。天正10年(1582)の魚津城の戦いでは柴田勝家率いる4万(wiki参照)の大軍によって攻められ落城し、上杉方の将13人が自刃して果てたそうです。
その直後の本能寺の変で織田信長が横死すると、再び上杉方の須田満親が入ったようです。
城址は大町小学校となっていましたが、現在は魚津市立よつば小学校に統合され大町小学校跡となっているようです。二の丸は魚津簡易裁判所となっているようです。

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しんちゃん

ちょっと昔の熊本城 (2014/01/09 訪問)

ふるさと納税(さとふる)では26(ふる)~30(さと)の間、キャンペーンを行っているそうな。26でふるか‥
せっかくなので私もちょっと26い写真を投稿させていただきます。ご容赦を。
古い写真とはいえ、量が多いので極一部にはなりますが、石垣といい、現存櫓といい、国内でも屈指の城郭であると思います。
天守はエレベータを付けて修復がされたようですが、他の櫓や御殿の修復の進捗も気になるところです。なかなか熊本まで行く機会は無いですが、九州に行った際には寄ってみたいと思います。

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しんちゃん

油山寺 掛川城・移築大手二之門 (2022/12/03 訪問)

静岡県袋井市村松にある遠州三山の一つ、油山寺は紅葉の名所として知られ、眼の守護・眼病平癒の寺として信仰を集めています。
古くは行基による創建とされ、山門は万治2年(1659)に建立された掛川城の大手二之門を明治初期に移築したものと伝わっています。
他にも書院( 元禄12年(1699)建立)は横須賀城より移築されたものとされ 、方丈(宝暦14年(1764)建立)は浅羽代官所より移築されたものと伝わっています。書院・圃場・本堂は静岡県の有形文化財として指定を受け、三重塔は国の重要文化財に指定されています。
寺院を巡りながらも城郭建築物を楽しむことが出来ます。

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たか

鯉城! (2024/09/12 訪問)

わたしが若いころに転勤で広島に来た時に鯉城パーキングというところがあったのを思い出しました。
これは広島城の別名だったのですね。

仕事の関係上頑張って1時間程度しか無かったのがとても残念。
しっかりと石垣と土塁、水堀まで堪能できず。
そのうえ天守に入ってもお客さん多くて途中で御城印買って退散。
外国人の方が興味を持ってもらえたことはとても嬉しい。
でもわたしは自分時間ができない悲しさ(笑)
また時間を作って必ず行きます。
毛利家とても興味があるんで!

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しんちゃん

清見寺 徳川家康ゆかりの寺 (2022/01/01 訪問)

静岡市清水区興津清見寺町にある臨済宗の寺院・清見寺は今川氏と関わりの深い寺ですが、徳川家康公とも繋がりの有る寺です。
古くは奈良時代の創建とされ平安時代には天台宗の寺院でしたが、鎌倉時代より禅寺となり足利尊氏や今川氏の帰依を受けて繁栄したとのことです。幼いころの竹千代(徳川家康)が住職である太原雪斎より教えを受け、「家康公手習いの間」が残されています。武田氏が駿府に侵攻してきた際には今川氏真が本陣を置きますが、家臣の離反が相次いだため、戦わずして駿府城に撤退しています。
徳川家康も後に、小田原征伐や会津征伐、関ヶ原の合戦に向かう途上など度々立ち寄っています。交通の要衝といえる立地条件にありますが、家康公にとっても幼い日の思い出の残る当寺は特別な存在だったと思います。

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たか

広大な山城のあとに (2024/09/11 訪問)

大野城にしっかりと登城して大宰府との関連性を確認して行ってきました。
この部分的とはいえ土塁の凄さ!
そもそも今から約1350年前にこれだけの土木技術で建造されたかと思うと感嘆しかありません。

車で行くと狭い道の交差点なのでどこをどう行くのか悩みますが早めに行って資料館の駐車場に止めることをお勧めします。
スタンプは大野城と併せて心のふるさと館でゲットしました。

心のふるさと館の展示もとても興味深くぜひ皆さん行ってみてください。

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しんちゃん

けっこうすごい城址だったのでは (2024/05/03 訪問)

青ヶ台城は「青ヶ台」と呼ばれる丘陵上に築かれていました。今は住宅地となって面影はほぼ残っていないですが、住宅地の合間から断崖のような切岸が垣間見え、なかなか難攻不落な雰囲気を漂わせています。
ぐるぐる回っていると阿王ヶ台公園なるものがあり、ここは少し城址の雰囲気を感じさせてくれました。いかんせん訪問時間が遅かったので写真が暗いです。釜利谷赤坂公園は未訪問です。

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しんちゃん

片参り。 (2024/05/04 訪問)

平山季重居館は京王線・平山城址公園駅の前のロータリーの場所が居館跡とされ、案内板と石碑が立っています。駅名がヒントになっていたとは‥ 南に平山季重神社と平山城址公園があるようです。皆さんの投稿にもありますね。これは「片参り」になってしまったようです。「行った」は押させてもらいますが、いずれ再訪するとしましょう。

栃木と福島に行って来たのでお土産のラーメンがけっこうありますが、思ったより消費期限が短い。一月持たないんですね。
今屋は佐野ラーメンです、「べこ」たちが寄って来ました。うるさい「だるま」達まで来る前に早く食べてしまおう。

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拾荒山男

本丸丑寅櫓 (2024/09/20 訪問)

本丸丑寅櫓

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/09/21 訪問)

紀伊半島南部城廻で登城
※赤木城跡と共に登城
※城廻のほか熊野古道を歩いたり熊野三山詣と合わせた旅でした

新宮駅から城跡、スタンプ設置場所の歴史資料館、更には熊野三山の一つ速玉大社まで徒歩圏内です。(速玉大社は駅からバスでも行けます)



なお、今回は熊野三山、熊野古道散策も予定していたので、名古屋駅からJRの南紀熊野古道フリーきっぷ(中辺路コース)を利用しました。熊野市駅ー道の駅熊野九郎兵衛間の路線バスはフリー切符対象外ですが、名古屋から熊野市や新宮までのJR特急での往復運賃よりフリーきっぷの方が安価で、翌日、翌々日の熊野三山詣で、熊野古道中辺路散策のための交通手段すべてフリー切符範囲内でした

【本日の行程は以下の通り】
6:00東京(新幹線)、7:34,8:02名古屋(JR特急南紀1号)、11:13熊野市
11:25熊野市駅(路線バス:2番乗場(瀞流荘行))、12:10道の駅板屋九郞兵衛
 (道の駅内)続百名城スタンプ(10:00-17:00(平日16:00))
 ※道の駅で電動アシスト付レンタサクル(3H500円)、赤木城跡まで片道5.6km往路25分+復路20分
 赤木城跡散策60分

14:51道の駅(路線バス)、15:34,16:05熊野市(JR特急南紀5号)、16:24新宮 
 (駅徒歩8分)新宮市歴史民俗資料館(続百名城スタンプ9:00-17:00月休)
 (資料館徒歩10分)新宮城跡
18:30新宮駅前(路線バス)、19:07紀伊勝浦
 泊:紀伊勝浦駅付近

 ※翌日那智山、那智の滝、大門坂散策、更に本宮大社近くの熊野温泉に泊
 ※翌々日に熊野本宮、熊野古道中辺路散策、速玉神社参拝し、名古屋経由東京へ

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/09/21 訪問)

紀伊半島南部城廻で登城
※新宮城跡と共に登城
※城廻のほか熊野古道を歩いたり熊野三山詣と合わせた旅でした

藤堂高虎の縄張のお城で石垣がしっかり残っていました。縄張はさほど広くなく、各曲輪すべて廻っても1時間あれば余裕かと。
本丸や南曲輪とかには桜の木が植えられていましたが、櫓などを復元しないなら個人的には何も植えないほうが好きですが・・・

熊野市からスタンプのある熊野板屋九郎兵衛道の駅までバス、そこからレンタサイクルで登場しました。電動アシスト付自転車ですが、これまで他所で借りたものよりアシスト力が弱く行きはまあまあ脚力が要ります
名古屋からの特急も数時間かかり、公共交通手段では思ったより行きづらい場所でした

なお、今回は熊野三山、熊野古道散策も予定していたので、名古屋駅からJRの南紀熊野古道フリーきっぷ(中辺路コース)を利用しました。熊野市駅ー道の駅間の路線バスはフリー切符対象外ですが、熊野市や新宮までのJR特急での往復運賃より安価でした

【本日の行程は以下の通り】
6:00東京(新幹線)、7:34,8:02名古屋(JR特急南紀1号)、11:13熊野市
11:25熊野市駅(路線バス:2番乗場(瀞流荘行))、12:10道の駅板屋九郞兵衛
 (道の駅内)続百名城スタンプ(10:00-17:00(平日16:00))
 ※道の駅で電動アシスト付レンタサクル(3H500円)、赤木城跡まで片道5.6km往路25分+復路20分
 赤木城跡散策60分

14:51道の駅(路線バス)、15:34,16:05熊野市(JR特急南紀5号)、16:24新宮 
 (駅徒歩8分)新宮市歴史民俗資料館(続百名城スタンプ9:00-17:00月休)
 (資料館徒歩10分)新宮城跡
18:30新宮駅前(路線バス)、19:07紀伊勝浦
 泊:紀伊勝浦駅付近
 ※翌日那智山、那智の滝、大門坂散策、更に翌々日に熊野本宮、熊野古道中辺路散策、名古屋経由東京へ

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