寺戸城からの転戦です。今回の京阪の城めぐりにおけるメインターゲットの城です。前もって普門寺に拝観予約の電話を入れておきました。拝観料は500円です。1時間20分に及ぶ長いお話を拝聴させていただきました。等持院に足利義栄の木像がないこと、徳島で見たことなど話をしてしまって話が弾んだせいかもしれませんが、大変勉強になりました。
+ 続きを読む
✕
人が「いいね」しています。
2024/04/02 06:59
2023/07/29 07:49
当日拝観できました。たまにはいいことがあっても。 (2023/07/18 訪問)
永禄4年(1561)、三好長慶がかつての主君、細川晴元を幽閉し周囲に土塁や堀を、巡らせて城塞化し
それを普門寺城と呼ばせたと伝わります。
合わせて普門寺の復興もされ、永禄6年(1563)晴元が死去した後、永禄9年(1566)には
三好三人衆に擁立された足利義栄が入り、ここで将軍宣下を行い
室町幕府の征夷大将軍に就任したとのことです。(wiki参照)
境内は国指定名勝「観音補陀落山の庭」があり、片隅には細川春元の墓と伝わる宝篋印塔があります。
北西と北側には土塁が残り、特に北側には堀の名残と思われる細い通路があり外側からも
フェンス越しに土塁を眺めることができます。
拝観には前日予約が必要とのことですが、コロナも収まってきていることだし
ダメもとでアポを取ってみたら幸運にも拝観させてもらうことが出来ました。
ひとしきり由来を説明していただいて、この寺が周囲より高地にあることも教えていただきました。
当日の予約は運に左右されるので基本は前日予約が望ましいです。
+ 続きを読む
♥ いいね
11人が「いいね」しています。
2023/07/22 21:50
2023/04/25 23:39
日没前のデザート訪城 (2023/03/04 訪問)
そろそろ30,000歩を超えそうな夕刻、最後にあと1城!とよくばって行ってみました。
拝観は予約制のため叶いませんでしたが、フェンス越しに土塁跡(多分)を確認しました。
「高槻まちかど遺産」の標示板をこの日はいくつも見かけたのですが、普門寺のすぐ近くにも「旧富田小学校の門柱」と「普門寺前の道標と尼崎道」がありました。「普門寺前の道標と尼崎道」の方に<山崎合戦前日、尼崎から進軍した羽柴秀吉の軍勢が富田に着陣した……>とあり、この日朝いちばんに行った山崎城を早くも懐かしく感じました。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
分類・構造 | 城郭寺院 |
---|---|
天守構造 | なし |
築城主 | 説巌 |
築城年 | 明徳元年(1390) |
主な城主 | 細川氏、足利氏 |
遺構 | 土塁 |
住所 | 大阪府高槻市富田町4-10 |
問い合わせ先 | 高槻市教育委員会地域教育室文化財課 |
問い合わせ先電話番号 | 072-674-7652 |