えびじょう

江美城

鳥取県日野郡

別名 : 江尾城、江尾要害
旧国名 : 伯耆

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登城口
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赤い城

本丸跡は農耕地 (2025/06/08 訪問)

この日四国は雨予報(梅雨入りした日)だったので橋を渡り本土へ。
鳥取県まで来ました。こちらはいい天気☀️
ぴーかるさん記載の駐車場が最寄りですが江尾駅駐車場のフリースペースを利用しました。
駅舎内にパンフレットが置いてあります。

町内には案内板もあるのでわかりやすいです。
まずは本丸へ。
本丸と西の丸の間には深い堀切があります。
本丸は農耕地で現在の城主さんが作業をされていました。
挨拶をして見学、天守台跡が残っています。
その先は東祥寺に向けて落ちる深い堀切が守っています。
(墓地になっているので写真は撮りませんでした)

お礼を言って引き返します。
西の丸の北側には人枡形があり、高い土塁が残っています。
ただ時季的に藪で形は不明瞭でした。

八幡丸跡には模擬天守。
歴史民俗資料館ですが見学するには事前の連絡が必要だそうです。
さらに奥に進むと裏門跡があります。

麓の上ノ段広場の下には横穴が残っています。
他にもいくつかあるようですが城に続く抜け穴だったと言われています。

尼子家家臣の蜂塚氏の居城でしたが毛利氏に攻められ落城しました。
城はそれぞれ川を挟んで兎丸、城ノ尾丸と並んでいますがこの日はパス。
また来ることがあれば行ってみようかな。

【見どころ】
 ・天守台跡
 ・天守台背後の堀切(墓地になっている)
 ・人枡形

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ぴーかる

江美城 (2024/03/30 訪問)

【江美城】
<駐車場他>櫓台跡の東側の堀切の上<35.282220, 133.487612>が2台分駐車スペースになっています。東側の台地状の農道から来てゲートを開けて入れます。
<交通手段>車

<見所>櫓台跡・石垣・堀切・切岸
<感想>日帰り尼子十基制覇の旅4城目。現地説明板によると江美城はこの地の国人である蜂塚安房守が文明年間(1469~1487年)に築城され4代にわたってこの地を治めましたとあります。蜂塚氏は尼子氏の支配下に入ったが、1564年に毛利氏によって落城し蜂塚氏は滅びます。その後吉川氏が入り今ある城跡は吉川氏によって改修されたもののようです。城は一国一城令まで存続していたようです。
 上記駐車スペースに駐車しすぐ横に櫓台跡があるのでまず堪能。発掘調査で金箔瓦が出土したそうなのでかなり立派なものであったろう。近畿から中国地方によくみられる長方形で石積みがよく残っています。主郭は畑化されていて曲輪の輪郭しか残っていません。主郭の西側に大堀切を挟んで西の丸は周囲を高さのある切岸に守られています。西の丸の南西下段に模擬櫓があります。現在は閉館しています。主郭の南側帯曲輪の壁面に石垣が多く残っていて見応えがあります。
 大山の噴火による火砕流堆積によって出来た台地地形と日野川によって削られた河岸段丘上の城といっていいでしょう。東海地方や群馬県で見た河岸段丘の城跡が鳥取県で見られるとはまた一つ勉強になりました。深い堀切見応えあります。

<満足度>◆◆◇

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小城小次郎

江尾十七夜と天守台 (2023/06/17 訪問)

この地で滅んだ蜂塚一族を悼む祭りが「江尾十七夜」として現代にも伝わる。城跡自体は蜂塚氏の後の吉川氏・中村氏による織豊系の色が濃く、主郭虎口の脇に多量の瓦を残す櫓台は・・まあ天守台だわなという風情を湛えている。

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カズサン

金箔瓦が発掘発見された城跡 (2013/08/13 訪問)

 もう暫く自粛中で過去分の投稿ですが平成25年8月中学校卒業50年同窓会、高校夏の同級会がお盆時期に開かれ帰省した折に以前から気に成って居り金箔瓦が発掘調査中に発見されたと言う江美城を初登城しました。
 
 鳥取の実家から国道9号線、山陰道、日野川沿いの国道181号線を南下江府町辺りから国道482に入り江府町役場辺りU字型に曲がり二ヶ所急坂を東に登り切り最初の細い農道を南に入り次に最初の細い農道を西に入り約500、600m進むと本丸手前の大堀切に着く、本丸土橋か手前の農家の作業小屋の前に路駐。車は軽か小型車が良いでしょう。(ガイドと案内は城郭放浪記さん)
 後で分かりましたがU字型に曲がる坂道の辺りに江府町役場有ここの駐車場を利用して徒歩、山、丘陵に向かって東祥寺、江美神社を通り山手に坂道を登ると歴史民俗資料館(閉館)が有ります、草が茂ってるかも知りませんが登城路が有り本丸に登って行けます。

 城跡は大山からの日野川に流れ込んでる舌状台地の先端に在り、本丸の東を台地と切り離した大堀切土橋で繋がり、本丸の東側に石垣が散乱してますが櫓台が有った思われる土壇が割と広くあります、本丸の西側は現在畑に成って耕されてる。本丸の西に堀切が有り西の丸跡が在るその下西に八幡丸跡現歴史民俗資料館が建ってる。西の丸跡、枡形跡は草が茂り良く確認できませんでした。
 本丸周囲は崖か切岸か落ち込んで居ます、また曇って居ましたが大山北壁の厳しい姿が遠望出来ます、本丸土橋の北下は東祥寺の墓地、境内と成って居り往時は居館が有ったとの事。

 歴史的には尼子氏の勢力下、蜂塚氏が築城4代継承し毛利氏との抗争で滅亡、秀吉の時代、米子城主吉川広家が伯耆を治め江美城も支城として近世城郭に改修されたのではないか?吉川広家と秀吉の繋がりで金箔瓦の使用が許されたのではないかとおもったりして?

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城郭情報

分類・構造 平山城
天守構造 独立式層塔型[2重3階/1979年築/RC造模擬]
築城主 蜂塚安房守
築城年 文明16年(1484)
主な城主 蜂塚氏、佐々木氏、矢野正倫(中村氏家臣)
廃城年 永禄7年(1564)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財 町史跡(江美城跡)
再建造物 模擬天守、碑、説明板
住所 鳥取県日野郡江府町江尾
問い合わせ先 江府町役場総務課
問い合わせ先電話番号 0859-75-2211