一向宗の塚口御坊を中心に栄えた寺内町が戦国中期に城郭化した城で、織田信長の有岡城攻めでは当初は荒木方の出城として、織田方が奪取すると陣城として機能しました。
阪急・塚口駅から徒歩で登城。駅の北東すぐが城域のため、市街化により遺構のほとんどが失われていますが、4か所あった虎口周辺にわずかに惣構の痕跡が窺えます。東部の東町門には土塁の上に祠と塚口城跡の説明板があり、土塁の外側には堀の名残の水路と案内パネルがあります。東町門内で街道が分岐していたようで道標もありました。北東部の清水町門も土塁の上に祠があり、土塁の外側に堀の名残の水路、土塁の手前には「従是南尼崎領」の石碑が見られます。北西部の北町門も土塁(?)の上に覆屋が設けられた祠がありますが、堀跡は見当たりませんでした。南部の踏切近くのロータリーあたりには南町門があり、南辺は二重の堀で囲まれていたようですが、阪急神戸線の開発により遺構は見られません。ただ、南町門から東に徒歩2分の位置の祠は、開発に伴って移設された南町門の祠と思われます。また、西部には寺内町の中心だった塚口御坊跡に正玄寺が建ち、境内の説明板には塚口城についての記述もありました。
ほとんど遺構はないものの、城内を歩いてみると門跡や堀跡の水路、町割りなどにわずかに城の痕跡が感じられました。この後は富松城に行くつもりでしたが、13連勤を終えての疲れもあり、この日はこれまでとして塚口城が2023年の城納めとなりました。
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