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ろっし

お城探訪 (2023/04/22 訪問)

他の方の書き込みにもあるように低い山ですが舐めてはいけません。

落ち葉の堆積がひどく足場はとても悪く、場所によってはかなり滑って落ちそうな場所もあります。

ですが登れば最高の石垣が待っています。

神社の横からも登れるとありましたが道はありません素直に大手道か搦手から登りましょう

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カズサン

案内板と石碑 (2023/03/20 訪問)

 松坂城の案内板は表門跡と裏門跡に城跡案内図と解説文付きで設置してあります、また松坂城跡・散策マップが歴史民俗資料館の前に設置してあり、みどころ20選も掲示されています。
 松阪城跡城名碑と蒲生氏郷公と松阪の石碑は表門南の高石垣下に設置されてます、また松坂城跡城名角柱碑は表門と裏門に在ります。
 さらに市営駐車場のフェンスには松坂城跡を上空より撮影した航空写真と解説文をカラーで「日本100名城」松坂城跡の案内板もあります。
 今回の投稿でどこにも入らなかった井戸跡(表門跡枡形の北櫓台の北東角に在ります)を一枚掲載いたします。

 長々と9編に分けた投稿をご覧いただきありがとうございました。
 
 

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ぴーかる

小島城 (2023/03/19 訪問)

【小島城】
<駐車場他>城跡に駐車場があります。私が行った時は城跡までの道には落石が多く道を塞ぎ、<36.251208, 137.183345>の場所までしか車で進めませんで、車を置いて1㎞以上歩きました。麓の杉崎口や沼町口から登った方が近いかもしれません。
<交通手段>車

<見所>堀切・虎口・石垣・切岸
<感想>日帰り強行飛騨山城攻めの旅3城目。小島城は「理文先生のお城NEWS解説」の特集で知った城跡で、行ってみたかった城でした。城跡の駐車場は主郭から北へ伸びる舌状の連郭の最下段にあたる曲輪で駐車場のさらに北側に城跡終わりの2重堀切が見られます。駐車場から3段上が主郭主要部に入ります。主要部は東西に長く、東隅に櫓台西側に主郭の土壇(当時は石垣台)があります。主郭の西側と南側斜面に石垣跡が見られます。主郭から西側に2段程下がった曲輪に内枡形虎口跡と北西隅の曲輪壁に見応えある石垣遺構が見られます。そこから南西側が小曲輪群の連段、北西側に切岸を降りて行くと小島古城に到ります。小島古城の主郭奥に大土塁、主郭から北西方向に連段曲輪で端が2重堀切になっています。小島古城には石垣遺構は見られないものの、連郭サイドの曲輪壁の切岸は高く削り見事な見応えがありました。

<満足度>◆◆◆

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カズサン

本丸下段北辺郭 (2023/03/20 訪問)

 本丸下段北辺郭は本丸上段北側下の北西面と北東面に高石垣城塁に多門櫓台を設けた構造で、きたい丸北西角の隅櫓台から北の角、藤見櫓台、北東面に続き相坂のある雁木を設け、鐘の櫓台と続き、本丸下段東郭助左衛門御門西の脇櫓台を兼ねて厳重な枡形へと繋がっている。本丸上段をコの字型に北西、北東を護っている。
 北側は山容が急峻に落ち込み崖と成り現在市営グランド、同駐車場に成っている。
  

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カズサン

天守台跡 (2023/03/20 訪問)

 天守台跡は本丸上段西角に付櫓台と敵見櫓台の連立型にて構成されて石垣修復されて健在です。三層四階の天守閣を出来れば見て見たいものです。 天守台のみで写真投稿します。
 

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カズサン

本丸上段 (2023/03/20 訪問)

 松坂城の本丸上段は東角に金の間櫓、金の間櫓台所、同階段が構え、西角に天守と付櫓、敵見櫓の連立式構造が構え、南に金の間櫓台所台を東の脇石垣として三連の連続虎口が在る、西に天守下裏門虎口が在る、その間は多門櫓が周囲に構え護りを更に厚くして居る。
 平成の石垣大修理完成でその遺構をしのぶ事が出来る。
 
 17年前のH18年に探訪した折、歴史民俗資料館に寄り「松阪城再発掘」氏郷、1588年の都市計画とその後・平成16年3月25日発行の二刷り小冊子を購入しました、その中に名古屋工業大学内藤昌教授の松坂城天守・敵見櫓 南立面図と松坂城金之間櫓・台所東立面図が付図2、3として折込されており、その復元図面を見てさらに想像復元を頭の中で膨らませましたが、今回の探訪も同じ妄想復元でしのびました。
 素晴らしい構造の天守で三層四階望楼型下見板張り高欄廻縁付き、付櫓、敵見櫓は二階建て高欄付き、また金之間櫓は二階望楼付きと素晴らしい建物だった様です。 発掘調査もされておりますので天守の復元がされると嬉しいのですが⁈ 天守は正保元年81644年)に大風(台風)で倒壊してその後再建無し、写真も図面も無く中々考察のみでは難しのでしょうね?
   

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イオ

【かるた】岐阜城の読み札と絵札

岐阜城の 天守で天下 睥睨(へいげい)す

岐阜城の天守からの眺望は本当に素晴らしく、濃尾平野を一望にしていると信長ならずとも「天下獲ったらぁ!」な気分になるよなぁ、と。

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todo94

城びと未登録【膳所城】(長崎県小値賀町) (2023/03/19 訪問)

膳所城といえば大津市の城が圧倒的に有名ですが、小値賀島にも膳所城がありました。小値賀島は、かつて東西二つの島に分かれていて埋め立てによって一つの島になったのだそうです。膳所城の前には瀬戸が通っていてかつては海城だったのだとか。嵯峨源氏の源定公頌徳碑が建っていました。

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侍ホリタン

2023年春桜の名城を訪ねて⑨ (2023/04/08 訪問)

姫路城夜桜会、令和5年4月2日から4月9日まで、西の丸庭園にて実施されている有料のライトアップイベント、庭園内約70本の桜がLED照明によりライトアアップされてとても美しかったです。

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トク

熊本城の復旧状況(2023春) ④ 連続桝形 (2023/03/30 訪問)

行幸橋を渡った右手(長塀の左端)には「馬具櫓」がありましたが、現在は解体保存されています。櫓台はセメントで崩落防止の仮止めがなされていました(写真①②③)。ここも石垣から積み直しされるようです。馬具櫓の右側の「櫨方門」も解体保存されています(写真④⑤)。

門を入ると、竹の丸を通り本丸へと続く有名な「連続桝形」がありました。6回も折れ曲がる熊本城最強の防御が施された場所でした。西郷隆盛も近づく事さえできなかったこの場所! 今では別の意味で近づく事や立ち入る事も出来ません。

震災前までは、櫨方門から入り、竹の丸をぬけ、左手に飯田丸五階櫓を眺めながらこの連続桝形を通り、闇通路・本丸御殿下を通って本丸(天守)へ登城するルートが一般的でした。現在は、遠く特別見学通路の上から眺められるだけです。

連続桝形にも被害は多々あるようです。プレハブの事務所が置かれヘルメットをかぶった調査員が詳細に調べていました。また雑草を刈っている方々もいました。ここが復旧し通れるようになると特別見学通路も撤去されるのではないかと思いますが・・・近くに行けないので状況はよく分かりませんが、見た感じではまだ数年はかかりそうな感じです。(写真⑥⑦⑧⑨)

私はここでもう一度攻め入る体験をして、清正公と勝負してみたかったです(笑)(おはんが勝てる相手じゃなか!😩)。

次は、奇跡の一本足「飯田丸五階櫓」の現状です。
 

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侍ホリタン

2023年春桜の名城を訪ねて⑧ (2023/04/05 訪問)

城内に植えられた桜の開花に合わせてライトアップを実施、ライトアップ期間令和5年3月24日から4月8日まで。ライトアップ時間21時まで、4月2日から4月8日までは国際連合が定めた発達障害啓発週間にちなんでブルー一色にライトアップされます。

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キンヤ

小谷城⑤ 福寿丸、山崎丸 (2023/04/08 訪問)

大嶽城に続いて最後の投稿をさせて頂きます。

【福寿丸】
朝倉氏により築かれた出城とされます。
北側は二重の堀切で、土塁と堀に折れがあり、北西側の虎口は枡形状です。
南北二段の曲輪は土塁で囲まれています。
東側の虎口も枡形状で、その南側には空堀もあり巧妙です。

【山崎丸】
ここも朝倉氏により築かれた出城とされます。
南東側に突出部があり横堀が折れています。
南西側の虎口は2回曲がって南側の曲輪に入ります。
南北二段の曲輪は土塁で囲まれています。
南曲輪から中央にある北側の主郭への虎口は枡形状です。
北側の虎口も枡形状で外側には二重の竪堀があります。

福寿丸と山崎丸は似たような縄張りで、浅井氏の本城とは違うテクニカルな出城で驚きました。

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侍ホリタン

2023年春桜の名城を尋ねて⑦ (2023/04/01 訪問)

城内に植えられた桜の開花に合わせてライトアップを実施、ライトアップ期間令和5年3月25日から4月2日まで。ライトアップ時間21時まで、期間中の土日は20時まで開園、城内のライトアップも実施されます。

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カズサン

本丸下段東側 (2023/03/20 訪問)

 本丸下段は本丸上段を南、東、北をコの字方に護っている、東側の遺構投稿致します、虎口は二の丸裏門から続く中御門と表門から遠見櫓台下を通り助左衛門御門枡形から入るルートがあります。
 内部には東角に月見櫓台、北端に突き出て遠見櫓台、南端に太鼓櫓台が構えて、西側には本丸上段金の間櫓、金の間櫓台所が東に出ている、下部に丁度桜が一本満開でした。
 

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カズサン

表門から二の丸周辺 (2023/03/20 訪問)

 松坂城の二の丸は北東筋の大手門から南西に表門が枡形で構えて本丸下段北東石垣と二の丸北東石垣の間を南東に入り虎口枡形は土戸御門を抜けて本丸下段月見櫓台下を通って二の丸に入る、本丸下段の東を護る郭に成っている、北東、東、南側を高石垣、東は出隅で南北に横矢が掛り、西端に大型櫓台で裏門の東を抑えてる、南側の三の丸には御城番屋敷があり二の丸からよく眺望できる。
 紀州徳川氏時代には二の丸に御殿が建ち藩主の宿泊、南伊勢の政務を執る徳川陣屋と呼ばれていた。
 

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にのまる

【かるた】高遠城の読み札

鎮魂の 桜花零(こぼ)れる 高遠城

天正10年3月に思いを馳せて。

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AJ

水攻め最高?水攻め再考 (2016/04/19 訪問)

超がつく合理人間であれば、6倍以上の兵力で城を囲んだ上、上杉・真田の応援も期待できる状況で無駄な時間はかけたくなかったのではないでしょうか。

小説や映画で知名度を上げた忍城(埼玉県行田市、2016年)。秀吉による小田原攻め(1590)の一端として石田三成が寄せますが、水攻めで落とせず武功派の笑い者になるというエピソードが一人歩きしています。一方、優れた官僚であったと思われる三成が、時間とコストのかかる水攻めを、消化試合に等しい支城戦に積極的に用いたかどうかとなると、やや疑問が残ります。

利根川と荒川を結ぶ14km(28km説も)の堤防を1週間で築いたと伝わりますが、これはその8年前に同じく秀吉軍による水攻めの舞台となった備中高松城(岡山市)のケース(長くても3km説)を大きく上回る規模。結果だけ見ると、忍では簡易工事のために決壊を招いたようです。実際に歩き比べてみると、備中高松よりも城と、激しく流れ込んだ水を最低部で受け止める堤との間にかなりの距離がある印象。これで広大な敷地の水位をどの程度維持できたのか。

ところで、近年見つかった書状のなかには、水攻めにこだわったのはあくまで秀吉だったと裏付けるものが含まれているそうです。天下統一の仕上げを派手に演出したかったのかもしれませんが、上司からの必要以上の介入に現場が四苦八苦した様子が目に浮かびます。

忍城は15世紀後半の築城。現在ある御三階櫓は明治時代に取り壊されたものを1988年に再建したもので、内部は郷土博物館の展示室の一部となっています。

#続100名城

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トク

熊本城の復旧状況(2023春) ③ 長塀と清正公 (2023/03/30 訪問)

熊本駅前から路面電車に乗り「市役所前」で降りると、坪井川に沿った全長242mの「長塀」が見えてきます。この長塀は昨年復旧しました。これで現在復旧したのは、天守と長塀の二つになります。城を囲む長塀の姿は、市民が繁華街や市役所から一番見える場所なので、ここの復旧は何か市民に落ち着きを感じさせてくれるのではないかと思いました。(写真①②③)

やはり復旧作業の妨げになるのか、全般的に桜の木が以前に比べずいぶん減ったような気がしました。かなり伐採されたものと思われます。この長塀周辺が現在最も桜が多い場所でした。そして長塀を左へ進むと、熊本城入口の行幸橋では加藤清正の銅像が出迎えてくれます。(写真④⑤⑥) 清正様~! いつ見ても身震いしてしまうのは私だけでしょうか?

もし時間があれば、市役所の14階に無料の展望室がありますので寄ってみて下さい。エレベーターで直接上がれます。熊本城の全景が一望できますよ!(写真⑩)。市役所の横にある信用金庫(写真⑧)のさらに隣にある鶴屋デパートの1階奥には、くまモンスクエアがあります。くまモンに会いたい方は、出勤時間を確認してお尋ね下さい。くまモンはいちおう熊本県庁の公務員(営業部長)です(笑)詳細はHPで (注:ただし握手会はおじさんより子供が優先です😱)。

復旧された長塀ですが、よく見ると・・・おや🤔?何か変・・・ 以前の明治の写真と比べると、狭間が無くなっているような? 西郷の薩摩軍は、官軍によるこの長塀の狭間からの攻撃でこの坪井川を容易に渡れなかったとありましたが・・・何か様にならないような(それもしかしてダジャレですか?😯)

次は、「連続桝形」の現状です。
 

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イオ

【かるた】丸岡城の読み札と絵札

石瓦 古式の天守 丸岡城

丸岡城 一筆啓上 火の用心

江戸前期の建造と意外に新しかったものの、古式な造りの天守は大のお気に入りです。笏谷石の石瓦も独特ですよね。おまけとして、丸岡藩主・本多成重の父、鬼作左こと本多重次の手紙にちなんだ一筆啓上ネタを。併設の「一筆啓上 日本一短い手紙の館」もなかなか楽しめましたが、それより何より北陸唯一の現存天守なのでくれぐれも「火の用心」願います。
 

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キンヤ

小谷城④ 大嶽城 (2023/04/08 訪問)

月所丸の後、念願の大嶽城に登りました。

浅井亮政が小谷城を築いた初期の主郭とされます。
1572年には援軍に来た朝倉氏の本陣とし改修したとされます。

大嶽城への上り坂はキツいですが、山頂手前の岩尾に着くと眺望が良く本城を望めます。
広い主郭は土塁で囲まれています。
主郭の北側・西側下の帯曲輪も土塁が取り巻いてます。
帯曲輪の北西側には二重の堀切、南西側は2本の大きな竪堀が見応えありました。

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