【牛込城】
<駐車場他>未調査
<交通手段>牛込見附跡から徒歩で築土城跡・御殿山城跡⇒そのまま徒歩で。
<感想>1泊2日江戸満喫旅5城目。1日目の江戸城外濠巡りのついでに来ました。牛込城は戦国時代中期に後北条氏に仕えた牛込氏の城館だそうです。現在は光照寺になっていて、4時過ぎていたので門扉がピシャっと。すぐ横を通る神楽坂ってラーメン通りになっているようで、沢山ラーメン屋が並んでいました。ここで夕食すればよかった。
<満足度>◆◇◇
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2025/07/22 21:50
牛込城 (2025/05/17 訪問)
【牛込城】
<駐車場他>未調査
<交通手段>牛込見附跡から徒歩で築土城跡・御殿山城跡⇒そのまま徒歩で。
<感想>1泊2日江戸満喫旅5城目。1日目の江戸城外濠巡りのついでに来ました。牛込城は戦国時代中期に後北条氏に仕えた牛込氏の城館だそうです。現在は光照寺になっていて、4時過ぎていたので門扉がピシャっと。すぐ横を通る神楽坂ってラーメン通りになっているようで、沢山ラーメン屋が並んでいました。ここで夕食すればよかった。
<満足度>◆◇◇
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2024/05/30 19:49
閉門時間が早め (2024/05/30 訪問)
(URL)http://kagurazakaguide.web.fc2.com/5060.html
JR飯田橋駅から歩いて10分ほどの場所…坂を上った先に(一応)城跡があります。その名は牛込城跡…別名は光照寺
1度目は(17時まで開いてるものと思っており)16:30に入口に辿り着きました…しかし…(1枚目をご覧の通り)既に閉門…開門時間は16時まででした😭
門の注意書きに「防犯上の理由から閉門時の入山と墓参りはできません」とあり、仕方が無いので日を改めて伺うことにしました…そしてその約2ヶ月後…今度は14時に来訪…文句無しに入場することができました😁
本堂に向かい御賽銭120円を賽銭箱に入れて参拝…その際、注意書きに「許可なく境内の撮影を禁ず」とありました。墓参りの客と墓のお手入れをしているオジサン以外誰もおらず、許可を取る対象者が見当たらなかったので、今回は境内の撮影無しにすることとしました
境内に墓地があったので、そこを一通り見学しました。江戸時代には旅先で客死する者が(現代より)多かったそうで、彼等を弔う墓石…狂言歌師(名前失念)の墓石🪦
あとは…大名…庄内藩から江戸を行き来していた大名のお墓もありました。ただそこは…東日本大地震以降、墓石の倒壊が起きてるそうで…関係者以外立ち入り禁止…周りを格子で囲まれてました
境内の代わりに、門の前にある光照寺の石碑(2枚目)を撮影。20分と短めの滞在ではありましたが、上記のとおり一度訪れ損なってるので、その補完ができただけで満足でした(^∇^)
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2023/07/28 08:19
台地の突端 (2023/06/09 訪問)
戦国中期に北条氏に仕えた牛込氏の居城で、北条氏の滅亡後は徳川氏の旗本となり牛込城は廃城となったようです。現在、城跡は光照寺になって遺構は消滅しており、本堂前に牛込城跡の説明板が立てられているくらいでした。また、城とは無関係ですが、境内には出羽国松山藩・酒井氏の墓所がありました(無断撮影禁止のため写真は無し)。
御殿山城からぶらぶら歩いて登城しましたが、地蔵坂を上ったところの光照寺入口をなぜか見落としてしまい、周囲をぐるりと一周する羽目に。このタイムロスにより写真撮影の許可を求める時間的・心理的余裕もなく、仕事前に昼食を摂れなくなりはしたものの、おかげで牛込城が台地の突端に位置することを実感できました(ポジティブシンキング)。それにしても、神楽坂に三年坂に御殿坂に地蔵坂…。このあたりって本当に坂道ばっかりですね。さすが台地の突端。
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分類・構造 | 平山城 |
---|---|
築城主 | 牛込勝行 |
築城年 | 天文年間(1532〜1555) |
主な城主 | 牛込氏 |
廃城年 | 天正18年(1590)? |
遺構 | 消滅 |
指定文化財 | 区登録史跡(牛込城跡) |
再建造物 | 説明板 |
住所 | 東京都新宿区袋町15(光照寺) |
問い合わせ先 | 新宿区立新宿歴史博物館学芸課 |
問い合わせ先電話番号 | 03-3359-2131 |