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キンヤ

小谷城⑤ 福寿丸、山崎丸 (2023/04/08 訪問)

大嶽城に続いて最後の投稿をさせて頂きます。

【福寿丸】
朝倉氏により築かれた出城とされます。
北側は二重の堀切で、土塁と堀に折れがあり、北西側の虎口は枡形状です。
南北二段の曲輪は土塁で囲まれています。
東側の虎口も枡形状で、その南側には空堀もあり巧妙です。

【山崎丸】
ここも朝倉氏により築かれた出城とされます。
南東側に突出部があり横堀が折れています。
南西側の虎口は2回曲がって南側の曲輪に入ります。
南北二段の曲輪は土塁で囲まれています。
南曲輪から中央にある北側の主郭への虎口は枡形状です。
北側の虎口も枡形状で外側には二重の竪堀があります。

福寿丸と山崎丸は似たような縄張りで、浅井氏の本城とは違うテクニカルな出城で驚きました。

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侍ホリタン

2023年春桜の名城を尋ねて⑦ (2023/04/01 訪問)

城内に植えられた桜の開花に合わせてライトアップを実施、ライトアップ期間令和5年3月25日から4月2日まで。ライトアップ時間21時まで、期間中の土日は20時まで開園、城内のライトアップも実施されます。

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カズサン

本丸下段東側 (2023/03/20 訪問)

 本丸下段は本丸上段を南、東、北をコの字方に護っている、東側の遺構投稿致します、虎口は二の丸裏門から続く中御門と表門から遠見櫓台下を通り助左衛門御門枡形から入るルートがあります。
 内部には東角に月見櫓台、北端に突き出て遠見櫓台、南端に太鼓櫓台が構えて、西側には本丸上段金の間櫓、金の間櫓台所が東に出ている、下部に丁度桜が一本満開でした。
 

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カズサン

表門から二の丸周辺 (2023/03/20 訪問)

 松坂城の二の丸は北東筋の大手門から南西に表門が枡形で構えて本丸下段北東石垣と二の丸北東石垣の間を南東に入り虎口枡形は土戸御門を抜けて本丸下段月見櫓台下を通って二の丸に入る、本丸下段の東を護る郭に成っている、北東、東、南側を高石垣、東は出隅で南北に横矢が掛り、西端に大型櫓台で裏門の東を抑えてる、南側の三の丸には御城番屋敷があり二の丸からよく眺望できる。
 紀州徳川氏時代には二の丸に御殿が建ち藩主の宿泊、南伊勢の政務を執る徳川陣屋と呼ばれていた。
 

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にのまる

【かるた】高遠城の読み札

鎮魂の 桜花零(こぼ)れる 高遠城

天正10年3月に思いを馳せて。

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AJ

水攻め最高?水攻め再考 (2016/04/19 訪問)

超がつく合理人間であれば、6倍以上の兵力で城を囲んだ上、上杉・真田の応援も期待できる状況で無駄な時間はかけたくなかったのではないでしょうか。

小説や映画で知名度を上げた忍城(埼玉県行田市、2016年)。秀吉による小田原攻め(1590)の一端として石田三成が寄せますが、水攻めで落とせず武功派の笑い者になるというエピソードが一人歩きしています。一方、優れた官僚であったと思われる三成が、時間とコストのかかる水攻めを、消化試合に等しい支城戦に積極的に用いたかどうかとなると、やや疑問が残ります。

利根川と荒川を結ぶ14km(28km説も)の堤防を1週間で築いたと伝わりますが、これはその8年前に同じく秀吉軍による水攻めの舞台となった備中高松城(岡山市)のケース(長くても3km説)を大きく上回る規模。結果だけ見ると、忍では簡易工事のために決壊を招いたようです。実際に歩き比べてみると、備中高松よりも城と、激しく流れ込んだ水を最低部で受け止める堤との間にかなりの距離がある印象。これで広大な敷地の水位をどの程度維持できたのか。

ところで、近年見つかった書状のなかには、水攻めにこだわったのはあくまで秀吉だったと裏付けるものが含まれているそうです。天下統一の仕上げを派手に演出したかったのかもしれませんが、上司からの必要以上の介入に現場が四苦八苦した様子が目に浮かびます。

忍城は15世紀後半の築城。現在ある御三階櫓は明治時代に取り壊されたものを1988年に再建したもので、内部は郷土博物館の展示室の一部となっています。

#続100名城

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トク

熊本城の復旧状況(2023春) ③ 長塀と清正公 (2023/03/30 訪問)

熊本駅前から路面電車に乗り「市役所前」で降りると、坪井川に沿った全長242mの「長塀」が見えてきます。この長塀は昨年復旧しました。これで現在復旧したのは、天守と長塀の二つになります。城を囲む長塀の姿は、市民が繁華街や市役所から一番見える場所なので、ここの復旧は何か市民に落ち着きを感じさせてくれるのではないかと思いました。(写真①②③)

やはり復旧作業の妨げになるのか、全般的に桜の木が以前に比べずいぶん減ったような気がしました。かなり伐採されたものと思われます。この長塀周辺が現在最も桜が多い場所でした。そして長塀を左へ進むと、熊本城入口の行幸橋では加藤清正の銅像が出迎えてくれます。(写真④⑤⑥) 清正様~! いつ見ても身震いしてしまうのは私だけでしょうか?

もし時間があれば、市役所の14階に無料の展望室がありますので寄ってみて下さい。エレベーターで直接上がれます。熊本城の全景が一望できますよ!(写真⑩)。市役所の横にある信用金庫(写真⑧)のさらに隣にある鶴屋デパートの1階奥には、くまモンスクエアがあります。くまモンに会いたい方は、出勤時間を確認してお尋ね下さい。くまモンはいちおう熊本県庁の公務員(営業部長)です(笑)詳細はHPで (注:ただし握手会はおじさんより子供が優先です😱)。

復旧された長塀ですが、よく見ると・・・おや🤔?何か変・・・ 以前の明治の写真と比べると、狭間が無くなっているような? 西郷の薩摩軍は、官軍によるこの長塀の狭間からの攻撃でこの坪井川を容易に渡れなかったとありましたが・・・何か様にならないような(それもしかしてダジャレですか?😯)

次は、「連続桝形」の現状です。
 

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イオ

【かるた】丸岡城の読み札と絵札

石瓦 古式の天守 丸岡城

丸岡城 一筆啓上 火の用心

江戸前期の建造と意外に新しかったものの、古式な造りの天守は大のお気に入りです。笏谷石の石瓦も独特ですよね。おまけとして、丸岡藩主・本多成重の父、鬼作左こと本多重次の手紙にちなんだ一筆啓上ネタを。併設の「一筆啓上 日本一短い手紙の館」もなかなか楽しめましたが、それより何より北陸唯一の現存天守なのでくれぐれも「火の用心」願います。
 

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キンヤ

小谷城④ 大嶽城 (2023/04/08 訪問)

月所丸の後、念願の大嶽城に登りました。

浅井亮政が小谷城を築いた初期の主郭とされます。
1572年には援軍に来た朝倉氏の本陣とし改修したとされます。

大嶽城への上り坂はキツいですが、山頂手前の岩尾に着くと眺望が良く本城を望めます。
広い主郭は土塁で囲まれています。
主郭の北側・西側下の帯曲輪も土塁が取り巻いてます。
帯曲輪の北西側には二重の堀切、南西側は2本の大きな竪堀が見応えありました。

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キンヤ

小谷城③ 六坊、月所丸 (2023/04/08 訪問)

本城に続いて出城を投稿させて頂きます。

【六坊】
本城の山王丸から一旦北側へ下りると六坊へ出ます。
南側の土壇には一部石垣が見られ、東側は長い土塁があります。
北側は段曲輪で、背後には竪堀がありました。

【月所丸】
小谷城の搦め手を守っています。
写真では分かり辛いですが、北西側に畝状空堀があります。朝倉氏による改修ともされます。
東側は分厚い土塁で囲まれていて、小谷城の中で最も見応えある土塁でした。
その外側は二重の堀切があり、特に一つ目の堀切は高い切岸です。

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小城小次郎

癒しと「映え」と (2022/11/26 訪問)

お城の周辺には沢山のネコさんがいるので軽ーく癒される。訪ねた時には紅葉真っ盛りで青空と紅葉、それに白亜の天守がまさに「映え」。天守はなかったかもしれないお城なのだが、悔しいくらいに天守が映える。

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井上氏居館跡その他 (2023/04/20 訪問)

 井上城の北には井上氏の居館跡があります。この館を囲むように井上城と竹ノ城があります。
井上城の登城口にもなっている浄運寺の案内板を見ると「本堂裏手には井上氏本城の大城直下から竪堀が降っており、中世この寺地にはなんらかの曲輪があったものと考える」との記載がありました。ただ時間の都合で本堂裏手には行っていません。
少し前に竹ノ城へ行ったときに、同じ日に井上城も登城したかったのですが時間の都合で別の日に登城することになりました。山城ですが両方とも40分くらいで主郭まで行けるので2城登城しても、よかったかなと思っています。

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井上氏の詰城 (2023/04/20 訪問)

 清和源氏源頼信の子、頼季の子孫である井上氏の城です。尾根を利用した城で大城と小城からなっています。その間には三重の堀切があります。大城、小城周囲には腰曲輪もあり、一部石積みがあったかと思わせるような所もありました。大城の東西には堀切があり、竪堀も見ることができます。大城から南東には、先に述べたものも含め3ヶ所堀切がありました。

 北西部にある「井上の枕状溶岩」近くにある登城口より登城しました。尾根を登って行くので、それほど厳しい傾斜でもなく道も整備されていて比較的歩きやすいと思います。小城を経由して大城へ行くことができます。帰りは浄蓮寺へ下りましたが、こちらは急傾斜の所がありトラロープを頼りにして下りました。かなりな急坂で、こちらから登城しなくてよかったと思いました。

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カズサン

【遠江・岡崎城】静岡県袋井市 徳川氏高天神城攻防戦中継基地 (2023/04/10 訪問)

 住所:静岡県袋井市岡崎5600
 駐車場:神社下通路東の幅広路駐(34°42'17"N 137°56'49"E)

 遠江岡崎城は徳川氏の高天神城攻防戦で磐田見附→馬伏塚城→岡崎城→横須賀城へ物資輸送補給路、兵士駐屯などの役目を担っていた、西に張り出した小笠原丘陵の先端部に連郭2郭で構築されて尾根筋に大堀切で遮断してる、西は潟湖に面して船着き場?。
 高天神城落城後は廃城と成った様です。
 
 現在、一部茶畑、樹木、竹林で覆われており、二の曲輪の西側に北八雲神社が鎮座してこのエリアでの出入りは草木が刈られて見学しやすい、神社前の案内板では本曲輪には土塁が囲み横堀も囲んでるが樹木竹林が鬱蒼として見学は困難、二の曲輪東に大堀切が有り探訪可能通行できる、南から北に抜けて西へぐっるっと半周。
 本曲輪へは土橋で内部へ竹林が茂り虎口辺りで内部と土塁を眺めて終了、土橋の左右には横堀が有り、社殿横の横堀を上から眺めるが荒れている、台風などで倒れた大木はそのまま状態。
 案内板には「岡崎の城山」として案内されています。また馬伏塚城見学案内パンフレットに合わせて訪ねたい城跡として紹介されています。岡崎城は馬伏塚城から南東に1~2km程です。
 

 この後は補給路の終点、横須賀城を目指しました。
 

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カズサン

立派な見学案内パンフレット片手に再探訪 (2023/03/10 訪問)

 袋井市には市史跡の城郭が久野城と馬伏塚城と二城在ります、3月29日桜と久野城で探訪し、久野城駐車場トイレ横のパンフレットボックスに立派な久野城見学案内パンフレットが有り、これを片手に久野城探訪しました、気に成り袋井市のHPを覘くと馬伏塚城も同様の立派な見学案内パンフレットが有りHPの馬伏塚城見学案内パンフレットPDFをプリントアウトして見学探訪へ出かけました。
 久野城の未確認北東眺望と景観整備伐採進行を確認し、本丸東側の圧巻崖切岸を発見見学、ニホンカモシカ遭遇と感激興奮さめぬ中、南に6~7kmの馬伏塚城を目指す。
 以前初探訪では駐車場に困りましたがパンフレットにはPのマークが有り安心して車で行く事が出来ます。

 駐車場:岡山公会堂(袋井市浅名1272)(34°42'48"N 137°55'58")5~6台可能

 探訪ルート:パンフレットのルート矢印に従い、見所を訪ねる。 
 了教寺は伝居屋敷の南西角に有り数メートルの高台で見晴らしが効く、また小笠原氏清の墓供養塔が有る、北曲輪と伝居屋敷間の堀切を通り集落の東を通ってる道へ、堀切は埋まられて堀切間は有りませんが南側の北曲輪の北土塁が高く堀切だっただろうと推測できる、東側道路を北に小笠丘陵が張り出した尾根筋を東西に堀切、尾根を遮断してるが埋まられて堀切らしさはないが高見で眺めると西の田圃から東の田圃にかけて切られて様に見受けられる。
 北の堀切から南に集落通路を通り南の堀切、北曲輪は集落住宅に成っており入れないが北曲輪は1郭2郭3郭に分かれて掲載されている、1郭の北土塁を住宅地の坂道を若干上がり遠望するが高土塁が現存してる、2郭3郭は通路より見学、南に進み県道403号線が馬伏塚城を南北に分断、南側に舟入、神曲輪、本曲輪、馬出、本曲輪南東を囲む微高地の羽城。
 田圃に水が入り、さも馬伏塚城が水堀、潟湖に囲まれていた往時に甦る様を見る事が出来るでしょう。

 歴史的には馬伏塚城は徳川氏と武田氏の高天神城攻防戦で徳川氏の物資後方支援基地の役目を持った城として、西の磐田見付、馬伏塚城、岡崎城、横須賀城の拠点を船等で今之浦川、太田川、間の潟湖、沼、遠州灘などと使って物資輸送、兵士駐屯支援を行っていたようです。戦国の時代は横須賀城下まで遠州灘が入り込んでいた様です。

 近くに袋井市浅羽支所が有り(約500m南)、駐車場、浅羽支所2階に袋井市歴史文化館が有りパンフレット、袋井市の城跡の案内も可能です、近くの南に浅羽記念公園と隣接して袋井市郷土資料館(月曜日休み)も有り、ここに車を駐めて歩きながら北を目指し城跡全体を見ながら探訪するのも良いかもしれません。
 

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しらいとはま

【かるた】二条城の読み札

京都には 雅(みやび)ただよう 二条城

雅な…
世界文化遺産 『二条城』 二の丸御殿 を 詠んでみました

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侍ホリタン

2023年春桜の名城を訪ねて⑥ (2023/04/06 訪問)

国宝、現存12天守の内の一つで、お城の周辺に約1100本の桜が植えられています。3月28日から4月16日の期間で桜祭りが実施されています。今年は桜の開花が早く、私が訪問した時にはかなり散っていました。

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美夢

【かるた】大阪城の読み札

「たこ」がいる 大きな石の 大阪城

読み札のみの投稿です
蛸石だけでなく巨大な鏡石の宝庫の大阪城
大きなと大阪城で韻を踏んでみました
たこと言えば、タコ焼きも名物ですね

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侍ホリタン

2023年春桜の名城を訪ねて⑤ (2023/04/06 訪問)

大阪城公園内には約3000本の桜が植えられています。今年は桜の開花が早くて訪問時にはもう散り始めていましたが、平日にも関わらず早朝からたくさんの外国人観光で賑わっていました。

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スミヤキ

大須賀康高作 高天神城から (2023/04/01 訪問)

横須賀城は小笠山の枝尾根が遠州灘に迫ろうとする地に築かれた連郭式平山城です。北に小笠山の山並みを背負い、南は遠州灘に臨み、東から西になだらかに傾斜する舌状台地の地形です。
1578年徳川家康が武田の高天神城を攻略するための陣城として大須賀康高に命じて築かれ、高天神城落城、廃城後は、遠州南部の拠点としてこの地域の政治的中心になり、幕藩体制が終わる明治まで続きました。

現在は体に優しい超優良物件な城跡公園になっています。駐車場から車を降りるとそこは本丸、河川の丸石、自然石を積み上げた「玉石積み」とも呼ばれる石垣が目に留まります。気軽に散策出来ます。

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