(続き)
2月放送の英雄たちの選択「赤穂浪士・最期の49日」を観て、泉岳寺だけでなく赤穂四十六士の御預先の大名屋敷にもいつか行ってみたいな…と思っていましたが、それぞれ泉岳寺からわりと近くにあるようなので、品川台場を取りやめにした余り時間でめぐってみました。
まずは大石内蔵助ら十七士が御預けになった細川越中守高輪下屋敷から。泉岳寺から北に徒歩約5分、都営アパートの入口脇に大石良雄等自刃ノ跡の石碑が、その奥に赤穂義士史蹟碑と大石良雄外十六人忠烈の跡の説明板が立てられています。十七士を義士として手厚く遇した細川家だけあって、石碑や説明板があちこちに見られます。屋敷跡は見学できませんが、窓越しに中を眺めてここで十七士と堀内伝右衛門が…と考えると感慨深いものがありました。屋敷跡から白金高輪駅に向かう途中、屋敷跡沿いに設けられたあじさいロードが見ごろで、その先には旧細川邸のシイが立っていました。なかなかの古樹のようですが内蔵助たちも見上げたのでしょうか…。
白金高輪駅から地下鉄で三田駅へ。三田駅の北西部にあった水野監物芝中屋敷には一番槍の間十次郎ら九士が御預けとなりました。屋敷の痕跡は残っておらず、三田駅から慶応義塾大学への道中に水野監物邸跡の説明板がある…はずですが、見落としてしまいました。慶大の北側、現在の駐日イタリア大使館が松平隠岐守三田中屋敷跡で、大石主税、堀部安兵衛ら十士が御預けとなりました。大使館敷地内に「赤穂浪士十名切腹ノ地・伊太利大使館」の碑が立てられているようですが、当然ながら見学はできません。
大使館から赤羽橋駅まで歩いて地下鉄で六本木駅へ。六本木ヒルズの毛利庭園あたりが毛利甲斐守麻布上屋敷跡で、岡島八十右衛門ら十士が御預けとなりました。毛利家では十士を罪人として扱ったこともあってか、毛利庭園内の毛利甲斐守邸跡の説明板には元禄赤穂事件が淡々と記されています。
…ということで、3年にわたって東京出張にかこつけて江戸城と関連する史跡をめぐってきましたが、今年で一段落ということになりそうです。細かく見ればまだ見落としもありますし、この間にリニューアルされたところもあるようですが、その辺はまたいつかの機会に。長らくお付き合いいただきありがとうございました。
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