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カズサン

伊木山・木曽川展望台から犬山城眺望 (2024/03/16 訪問)

 県道95号線より伊木山北山麓より進入し最初の駐車場に「名勝木曽川展望台」が有り木曽川面は樹木が伐採されて展望が開けて木曽川、日本ライン、犬山城が東方向に展開し素晴らしい景観ですが、当日は春霞で靄っとしていましたので写真の映像ははっきりしませんが臨場感だけでも感じて頂けたらと投稿させて頂きます。
 この後伊木山城探訪へ。
 

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Fカット

陣屋の石垣、案内板 (2024/03/18 訪問)

龍王城登城口近くに陣屋跡(石垣)もあるので一緒に見学することをお勧めします。

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三浦の晃ちゃん

名将 蒲生氏郷 (2024/03/17 訪問)

名将 蒲生氏郷の築いたお城です。
石垣が見事でした。
早朝の訪問だったので、天守閣跡から、朝日を眺めました。
春らしく、城内の梅もキレイでした。

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イオ

河川の合流点 (2024/01/08 訪問)

戦国中期に村瀬作左衛門が築いた城で、小牧長久手の戦いでは羽柴方について長久手で討死したことにより廃城となったと伝わります。

庄内川堤防沿いの道路脇に路駐して登城。子安神明社が城跡とされ、境内南部の土壇の上に祠と大留城趾の石碑が建てられています。社殿の奥や東側には堀跡があるようですが、見付けられませんでした。石碑の土壇も遺構かどうかわからないしなぁ…などと思いながら堤防を歩いていると、城跡の東側で支流が庄内川に合流しています。なるほど、川を東側と南側の天然の堀としているんですね。目立った遺構はないとしても、大留城がこの地に築かれた理由だけは理解できました。

この後、さらに長久手古戦場(武蔵塚)や岩崎城もめぐるつもりでしたが、時間切れのためいずれもポチのみになってしまいました。これは小牧周辺と長久手周辺の両方をめぐろうと思ったら一日ではとても無理そうですね。
 

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todo94

三連休初日の攻城① (2024/02/10 訪問)

四国ドライブの定番、夕食後に家を出て淡路SAで車中泊のパターンです。宇和島市街のさらに南方、愛媛銀行岩松支店を目的地にセットしていましたが、現在の岩松支店は宇和島市津島支所に移転していました。かつての愛媛銀行岩松支店は更地になっており、その更地の近くに土日祝日無料の駐車場があります。天ヶ森登山口は民家の路地の奥に表示があり見つけるのに難渋いたしました。比高300m超の山城はなかなか手ごわいです。北曲輪は古い神社の跡となっており、主郭には防空監視哨跡がありました。四国では標準的な状態なのですが、城に関する表示や説明板はありません。

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トク

97【関ケ原の26人】(25)島津豊久 (関ケ原-島津の退き口①(烏頭坂))

(25人目)島津豊久の続き⑩です。烏頭坂(うとうざか)を訪れました。関ケ原の徳川家康陣跡から前の道を牧田に向かってまっすぐ、チャリで15分程こいで行った所にありました。

義弘を逃がすべく、豊久は何と殿(しんがり)を務めます。そしてここで壮絶な捨て奸(すてがまり)を敢行しました(写真①)。

私も烏頭坂に立ってみました。手前から来ると坂の向こうは全く見えません(写真②)。まさかこの坂の向こう(写真①の場所)で豊久軍が座して鉄砲を構えているとは、井伊直政・松平忠吉・本多忠勝らは予想だにしていなかったでしょう。忠勝はここで愛馬が撃たれ、追うのを止めてしまいます。しかし豊久にとって相手は多勢、善戦するもやはりかなりの深手を負ってしまったようです。

ここには豊久の墓がありました。しかし、豊久の死については三つの説があります。
(説1)家康の陣の前ですでに討ち取られていた。
(説2)ここ烏頭坂で討死した。
(説3)勝地峠を越え白拍子谷で自刃した。

この墓(写真③④)は(説2)を示すものだと思います。(説1)は、家康の家臣山口直友が首実検をしたとあります。しかし私は(説3)を信じ、もう少しこのまま追っていこうと思います。しかし(説3)であるとしても、もはやこの烏頭坂でかなりの深手を負っていたのは間違えないようです。自力では歩く事もできず、長寿院盛淳が琳光寺にて次の捨て奸を行って敵を食い止めている隙に、家臣達にかつがれて牧田から伊勢西街道の方向へ逃げ、勝地峠を越えて白拍子谷へ向かったようです。

では私も、烏頭坂から琳光寺を経て、その勝地峠をも越え、直政軍に追い付かれないよう、必死にチャリをこぎ続け、白拍子谷まで向かおうと思います!(さあいざ、ちぇすと~!😯)
 

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しんちゃん

野田城の戦いの後の改修箇所(推察) (2024/03/16 訪問)

またまた野田城に行ってまいりました。お城EXPO・名古屋に行った際に会場を間違えて加藤先生の講演に遅れてしまったのですが、なかなか興味深い内容でした。小牧長久手の合戦の後に、豊臣秀吉の駿府侵攻を遅らせるために東海道を始めとする家康方の城が改修を受けたようなのですが、野田城もその一つのようです。少なくとも長篠・設楽原の合戦の後に改修を受けているようです。
この後、三河の山城をいくつか訪れたのですが、そのうちの二城に三日月掘などの共通点が見られました。
野田城も高度な縄張りを持っていて、本丸と二の丸を繋ぐ土橋は、その用途の重要性から簡単には崩すことが出来ないと思いますが、その弱点を補うように本丸北西部の櫓台から横矢を容赦なく浴びせられる構造になっています。堀も非常に深く、この周辺と横矢の仕掛け、そして三日月堀と西の馬出(消失)などは改修を受けているのではないでしょうか。

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シャンシャン

中国地方屈指の山城 (2024/03/01 訪問)

広島県にある百名城の一つで中国地方屈指の規模を誇る山城。
櫓などの遺構はないけど、毛利家の墓や百万一心の石碑、堀切など見どころはたくさん。
三の丸にわずかに石塁や石垣の跡が残っている。
所々にある撮影ポイントから見える景色は絶景!
まあまあ本格的な山登りになるので、それなりの靴や服装で行く必要あり。
一点だけ残念なのは、百名城カードのデザインはダサい(^^;

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しんちゃん

馬防柵  新城市大宮字清水 (2024/03/16 訪問)

馬防柵は長篠・設楽原合戦古戦場の一角に設置されています。馬防柵に使用されている丸太は織田信長が岐阜から兵士たちに一本づつ運ばせたと伝わり、実の所それほど大きい物ではありません。合戦の屏風絵をうつした古いパネルが展示してあり、織田軍より徳川軍が全面に出て戦っていたことが解ります。馬防柵の木材は5年に一度、交換されており織田軍と徳川軍とでは構造が少し異なるようです。
当古戦場は長篠城とセットで扱われることが多く、周囲には合戦にまつわる墓や碑、陣所跡が多数残っており一日では見切れないほどのボリュームがあります。私もここには幾度となく通っています。

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しんちゃん

道の駅もっくる新城 首洗池 (2024/03/16 訪問)

道の駅もっくる新城は新城市八束穂字五反田にある道の駅です。長篠城や長篠・設楽原の合戦古戦場に向かう国道151号線沿いにあり丸太のような独特な屋根をしています。人気の道の駅で休日はいつも人手でにぎわっています。
お昼はここで鹿カレーを頂きました。シカ肉というと堅いイメージがありますが、ここのシカ肉は柔らかいです。本当はクマカレーを食べたかったのですが1500円となかなかのお値段だったので、また次回いただきたいと思います。売店で売っているおにぎりはどれもジャンボサイズで飛ぶように売れているようです。他にもおいしそうなものがいっぱいあります。
オリジナルのクリアファイルを売っていて全10種、お値段も各330円となかなかお値打ちです。私は馬場美濃守と大河に出てきた鳥居強右衛門、そして於ふうさんという女性の3枚を購入しました。
「来世畜生に生まれたい」という強烈なコピーが目を引いたのですが、なかなか思い出せない。スマホで調べてみると13歳で武田に人質に出され16でコオリ坂で処刑された、奥平貞昌の妻の於ふうさんでした。奥平が武田を裏切ったので処刑されてしまったのですが、奥平方には夫や父親の貞友(この人もかわいそうな人です)もいるわけで、裏切りの横行する人の世よりも、「来世は畜生に生まれとう存じます」といって亡くなったそうです。凄い可哀そうな人ですね‥なんとなく思い出してきました。
そういえば、さっき食べたカレーは鹿‥きまずい。於ふうさんも来世も人に生まれ変わって、もっと良い人達に囲まれて暮らしていただきたいと思います。

首洗池は長篠・設楽原の合戦で討ち取られた首を洗った池とつたわり、今でも水をたたえています。
※クリアファイルやおにぎりの写真は掲載の許可を頂いています。

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ぴーかる

松平郷 (2024/01/27 訪問)

【松平氏館】
<駐車場他>松平郷第1駐車場無料20台分程あり。
<交通手段>車

<見所>松平氏館跡・高月院
<感想>日帰り松平郷の旅3城目。松平郷は松平氏・徳川氏発祥の地で、松平東照宮・高月院・松平城・大給城の4つが松平氏遺跡として国史跡となっています。
 系譜上の始祖とされる松平親氏は、南北朝時代の争乱で松平郷に流れ着いた時宗の僧、徳阿弥といい、領主の松平信重から高い教養を認められ、娘婿となり松平太郎左衛門親氏と名乗り松平郷の領主を継ぎます。松平親氏の子、泰親からの嫡流からはずっとこの松平郷の領主(松平郷松平家)として相続していき明治まで課役免除の交代寄合として存続します。領主は代々太郎左衛門を名乗り墓所が郷の南東の山にあります。松平泰親あるいは親氏の子とされる松平信光が額田郡(現在の岡崎市)に進出します。信光は子が沢山いて、ここから松平家が諸派に分かれてその後裔が安祥松平家の家康にあたります。

 東照宮境内にある松平郷館は無料ながら、なかなか良い資料(領主が書いた領地書440石等)が置いてあります。高月院には徳川家光寄贈の高麗門があります。参道に室町塀という趣のある土塀がありましたが撮影し損ねました。駐車場は広いですが旅行ツアーの観光ポイントになっているみたいで、行った時には観光バスが1台づつですが絶えずやって来て観光者が多かったです。満車なら高月院の駐車場を利用し松平親氏墓所から散策するとよいでしょう。

<満足度>◆◆◇

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肉球

片野城・茨城県石岡市 (2024/02/16 訪問)

城びと未登録のお城です。
鎌倉時代に小田氏一族によって築かれたようで
その後太田道灌の子孫太田資正が城主になったようです。
五の曲輪に建つ浄瑠璃光寺には資正公のお墓も残されています。
江戸時代に入り滝川氏が城主になりますが廃藩し廃城になったようです。
余湖さんのイラストを参考に歩きましたが土橋、土塁、切岸、虎口と
小さなお城ですが見所満載でした。

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POYO58

かつてはここに犬山城が…

枡形虎口を通ると本丸は目の前ですが、最初に天守台西南隅角が見えてきます。低い石垣ですが、一応天守台。天守台の南側の山道に沿って歩いていくと、近年発掘された石垣が見えてきます。少し窪んだところにあり、石垣を目の当たりにできます。昔はもっと高かったと予想されます。
その後西側に、最後の防備となる本丸枡形虎口が見えてきます。友達のY.K.さん(城びとの会員です)がこっちの枡形虎口の方が二の丸のものよりはっきりしてると言ってましたが、言われてみればそんな気がします。

虎口を通れば広い本丸が見えます。ここまで出丸から10分くらいで辿り着いた感じです。本丸はただの広場と思いきや礎石がいくつか確認できるようです。自分は見失いました。やらかしもうた。本丸からの景色はもう最高ですよ♪青々とした木曽川がめっちゃ綺麗に見えます。よくここでお弁当を食べたりする方もいらっしゃるようです。それくらい綺麗です。森さんも天守からこの景色をみていらっしゃったでしょう。

本丸からの東側へと行くと、天守台東南隅角が見えてきます。ここまで歩いてみるとかつての天守は結構大きかった気がしますね。本丸東側には石垣が顔をだしてます。周辺には井戸が確認されたようですが、どれかわかりませんでした。

では搦手道を下って米蔵跡へ行きます。続く

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☆ナンバー★357☆

松江城 (2024/03/11 訪問)

月曜平日も開業ですね。

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カズサン

【美濃・野口館】岐阜県各務原市 土塁堀が残る方形館 (2024/03/16 訪問)

 美濃南部城廻検索中、伊木山城を余湖図コレクションさんで調べて居ましたら野口館もヒットし、更木陣屋から東へ約4km程近くであり、土塁、空堀がよく遺ってる様子なので初探訪しました。

 住所:岐阜県各務原市蘇原野口2丁目26(ご子孫の方がお住まいです)
 駐車場:蘇原コミュニティセンター施設そはらふれあいセンター駐車場利用、野口館にも隣接しています。
 参考資料:余湖図コレクションさん、グーグルマップ、城郭放浪さんによる。

 南側の虎口から土塁、空堀沿いに、南東角、北東角、北西角、南西角と廻れる範囲を外側から眺めて撮影してきました。丁度虎口入口にご婦人の方がいらしゃり、お声掛けして廻りましたが、御婦人の方は「中は何もないよ、土塁と堀が残るだけ」をおっしゃっていましたが、その土塁と堀を見に来ましたと答えて堀外伝いに探訪。
 規模は約80m四方で南東角に土塁に囲まれた小曲輪が在ります、栄通りから東側がよく確認できます。よくこんな市街地に残ったものです。大変ありがたい事です。
 案内板解説板は無く現地探訪のみで、歴史は良く分かりません。
 
 
 

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イオ

青塚砦(愛知県犬山市青塚) (2024/01/08 訪問)

青塚砦(城びと未登録)は、小牧長久手の戦いの際に古墳前期の前方後円墳(青塚古墳)を改修した陣城で、羽柴方の森長可が守備したと伝わります。

青塚古墳史跡公園の駐車場から登城。愛知県で2番目の大きさの前方後円墳ということで、後円部はなかなかの高さです。徳川家康の籠る小牧山城までは直線距離で約4km、墳丘からは小牧山が望める…はずですが、立入禁止のため確認できませんでした。また、現在は古墳として復元されていますが、かつては墳丘を削平してテラス面を広げ切岸を設けた様子が見られたようです。もともとは古墳なんだから古墳として復元するのが当然ではあるものの、陣城としての姿も見てみたかったとも思ってしまいますね。

古墳の周囲を一周すると、史跡公園の南側には青塚古墳の説明板と青塚砦ののぼり旗が立てられ、ガイダンス施設「まほらの館」があります。入館無料なのでちょっと覗いてみると、青塚古墳の解説や出土品の展示だけでなく青塚砦についての展示もありました。

この日はニッポン城めぐりのイベント「激闘!森長可の小牧・長久手合戦」の完全制覇がお目当てでしたが、犬山城での城初めに思いのほか時間を要したため、羽黒城も八幡林古戦場も楽田城も小牧山城もポチのみでスルーすることに…。青塚砦だけでも登城できて良かったとはいえ、いつか小牧長久手の戦いをテーマに今回の取りこぼしも含め一日かけて城めぐりしたいものです。
 

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todo94

道路標示と説明板 (2024/01/27 訪問)

富沢館から太子堂駅を経由してオール徒歩でアプローチしました。交通量の多い道路沿いに表示と説明板がありました。私は徒歩でしたので全く問題ありませんでしたが、車での攻城だととても路駐できる環境ではないので難渋するかと思います。近くの焼肉冷麺や中華料理の店で食事をしてささっと説明板をチェックさせてもらうという作戦はいかがでしょうか。この後は長町駅に向かい、予約を入れてあった仙台の杜の都献血ルームAOBAへと向かいました。当初は翌日も宮城の城めぐりをするつもりでいましたが、トーハクで特別展・中尊寺金色堂が開催されていることを知り、仙台のホテルをキャンセルし、東京に泊をとりました。帰りがけに立ち寄った東京ステーションギャラリーの「みちのくのいとしい仏たち」もとても良かったです。

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肉球

本丸以外にも見所あります (2024/03/16 訪問)

2度目の訪問でした。
足を乗せた瞬間に気づきましたが本丸南西虎口の石積みはレプリカで石ではありませんでした。
脇には『乗らないでください』の案内板があり悪いことしました。🙇
レプリカであることは、にのまるさんが呟いてました。
本丸の整備は完了しているようですが周りの曲輪や堀跡は調査が続けられているようで
今後の整備が期待されます。
近くの龍勝寺には小田城から移築されたといわれる門があります。
最後の城主は佐竹氏一族で瓦には佐竹扇の家紋が入っています。

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きのこ

日帰り (2024/01/02 訪問)

正月に暇だったので行ってみたら感動

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小城小次郎

しぶとい三浦氏 (2023/06/17 訪問)

三浦氏は伝統的にしぶとい一族だと思うのだが美作三浦氏も三度に渡って違う当主が違う相手から美作高田氏を奪還している。最後に勝山藩主となって明治を迎えたのは美作三浦氏とは異なるがやっぱり三浦氏だった。

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