毛馬城から徒歩20分くらいで、常宣寺山門前(34.728847、135.535511)に着きました。
1568年(永禄11)石山本願寺11代顕如の時、織田信長が足利義昭を奉じ入京すると、信長と本願寺との対立は深まり、1570年(元亀1)信長からの石山退去要求を拒否した顕如は全国の門徒衆に檄を飛ばし、10年に及ぶ石山合戦が始まります。
一時的な和議を重ねつつ一進一退を繰り返しましたが、1576年(天正4)信長の本願寺包囲攻撃をもって一挙に激化します。
信長が大坂周囲の要衝10箇所に付城を構えたのに対し、顕如は高津・丸山・ひろ芝・正山・森口表・大海・飯満・中間村・鴫野・野江・楼岸・勝曼・木津・難波等、51箇所に出城を構え、守将を置きました。
この51箇所の一つが葱生城といわれています。また平安時代以降、榎並庄を形成していた村の一つで石山合戦の際、この榎並庄の稲田を刈り、軍糧として本願寺に献じたそうです。
常宣寺に、葱生城説明板が設置されています。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=榎並城を目指す為、城北公園通駅から電車でJR野江駅に向かいました。
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