小寺氏の城、黒田官兵衛が小さい頃から支えた所、ここから官兵衛の策士が始まったと思います。
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2025/02/01 22:22
2025/02/01 22:16
2025/02/01 22:10
2025/02/01 22:05
2025/02/01 21:42
亀山城散策 (2025/01/25 訪問)
お墓の所から登りましたがどこも行く場所がなかった。
この地区は危険区域になって禁止になってました。
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2025/02/01 19:50
印旛沼はそのままで。 (2025/01/04 訪問)
千葉氏一族、臼井氏の居城の「臼井城」。
「臼井城址公園」として整備され、駐車場完備との情報。
東京の端っこから車で4時間かけて着陣。(高速道路を使えば2時間弱)しかし、ナビは駐車場を案内せず、近くのお寺で案内を終了しました。
ずーっと運転。いい加減、体を動かしたいので、お寺の駐車場をお借りして歩きました。
『臼井城址公園』の看板を見つけ上ると、本丸になるのでしょうか、開けた郭に到着しました。周りには土塁が残ってます。
上杉 謙信さんが落とそうとした「臼井城」。どちら辺りに着陣したのか眺めれば、印旛沼が見えます。
誰もいないので、ストレッチをして深呼吸。土塁の傾斜でふくらはぎを伸ばします。
「臼井城」の天然の要害になっていたであろう印旛沼。
2025年の大河ドラマ『べらぼう』に出演中の、田沼 意次さんが印旛沼を開拓して田んぼを増やす計画をしていたんだとか。
結局、後の洪水と失脚により頓挫してしまいました。
のんきに伸びをして、城址公園ではなく運動公園と勘違いしてしまった「臼井城」攻めでした。
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2025/02/01 17:31
2025/02/01 16:16
飯高砦跡 千葉県匝瑳市飯高 (2025/01/29 訪問)
天神砦同様に飯高城の支城(砦)として機能していたらしい。飯高檀林遊歩道利用者の南駐車場を利用。まず妙福寺山門をくぐり、右奥の鳥居を目指す。鳥居からは長い急石段が続く。途中に曲輪らしい平地を過ぎ、再度石段を上れば主郭にでる。社殿の左右には土塁が設けられ、北には妙福寺背後の尾根の道がある。東下には腰曲輪らしい平地も見られる。社殿は倒壊予防のためか、太い木材で支えている。本殿を囲む瑞垣の彫刻、拝殿の龍の彫刻があり、匝瑳市有形文化財に指定されている。 画像がピンぼけでした。
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2025/02/01 16:14
黒い鉄板で装われた城 (2024/11/05 訪問)
城の北側にある有料の福山城駐車場に車を駐車し登城開始。13年ぶりの登城。
5重の復興天守の北面は鉄板が貼られ、その黒い姿に圧倒される。
二の丸東に進み、鬼門櫓跡、水野勝成之像、東坂三階櫓跡、鹿角菜櫓跡、東上り楯門跡を通り、湯殿と伏見櫓を見上げて筋鉄御門から本丸に入ると菊花展覧会が催されていた。天守内部の博物館は休館で入れないため本丸内あちこちを見学。
そうこうするうちに天守のライトアップがはじまる。ライトに映し出された白い巨大天守は美しい。
駐車場へ戻り1時間半の攻城を終え帰国。
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2025/02/01 16:02
2025/02/01 15:50
飯高城跡 千葉県匝瑳市飯高 (2025/01/29 訪問)
飯高城周辺は飯高檀林遊歩道として観光整備されている。檀林遊歩道利用者用の北駐車城を利用。匝瑳市観光協会さんのHPに拠れば、天正8年(1580)から明治7年(1874)まで名僧を輩出した飯高檀林は、日蓮宗最古・最大・最高の学問所でした。檀林とは栴檀林(せんだんりん)の略語で、僧侶の集まりを栴檀の林に例えた寺院の尊称であるとともに仏教の学問所を意味します。総門、鼓楼、鐘楼、講堂の4棟は国の重要文化財に指定されており、敷地全体は千葉県指定の史跡として保存されています。
城としては講堂の背後に曲輪・土塁が、講堂の前に鼓楼・鐘楼があり土塁が曲輪を仕切るように横たわる。先の西端には目立たないが土塁が見られ、総門側に行けば左に堀がある。総門の西にも曲輪があり、堀があるらしいが確認しなかった。画像がピンぼけでした。
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2025/02/01 15:39
2025/02/01 15:28
2025/02/01 07:58
陣ヶ森城 高知県土佐郡土佐町・いの町 (2025/01/26 訪問)
城びと未登録城です。
大豊インターから国道439号線を西に進みます。
途中、四国の水瓶と言われる早明浦ダムの近くを通ります。
さらに進み、トンネルの手前から県道6号線方面へ右折。
県道も細く、ここからがロングアンドワインディングロード。
対向車が来ない前提で走ることになります。
陣ヶ森方面への案内板を左に登ると登城口に、ここに車を置きました。
ここからは徒歩で登ります。
コンクリートで舗装されているので急峻ですがそんなに苦にはなりません。
南国土佐でも流石にこの標高、ところどころに雪が残っていました。
さらにこの日は冷たい北風がかなり強く吹いていました。寒い😒
主郭である山頂部には小さな祠と展望台が。
展望台からは北嶺地区の山波を望みます。
展望台の背後を降りてみると腰曲輪と横堀、土塁が残っていました。
近沢氏の居城とされます。
眺望の良いこの地で争奪戦があったとのこと、それにしても山深い場所にあります。
城目当てでいらっしゃる方は少ないと思います。
【見どころ】
・展望台からの眺望
・展望台背後の腰曲輪と横堀
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2025/02/01 04:14
奥州合戦 (2024/09/16 訪問)
阿津賀志山防塁は藤原泰衡によって築かれました。文治5年(1189)に源頼朝率いる鎌倉軍と、泰衡の命を受けた藤原国衡の軍がこの周辺で対峙しました。短期間で築かれたとされますが、今でもしっかりと遺構を見ることが出来ます。
阿津賀志山の中腹から阿武隈川旧河道まで3.2kmの距離に及び、かつては三重の土塁と二重の堀で構成され、現在でも中土塁と内堀が良く残っています。
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2025/02/01 00:04
久々の大坂城 (2024/12/15 訪問)
昨年末に久々の訪問でしたが
時間が足りず十分には見れませんでした
残念
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2025/01/31 20:37
丸子城 (2024/12/22 訪問)
【丸子城】
<駐車場他>丸子公園駐車場
<交通手段>車
<見所>虎口跡・土塁・眺望
<感想>1泊2日上田の旅2日目ラスト4城目。現地説明板によると丸子城は戦国時代の山城で1585年には城主の丸子三左衛門は真田昌幸に属して徳川家康の軍と戦った「丸子表の戦い」(第一次上田合戦ののち徳川軍が矛先を丸子城に向け攻城しますが丸子三左衛門は城を守りきった戦い)。
城跡は依田川と内村川の合流する山の東端にあり、おおむね東西に長く伸びる山の尾根上に築かれています。二郭には模擬櫓が建っていて、そこから東方向(上田市街)の眺望は抜群です。主郭以外の二郭を含む曲輪が超細尾根で両側が崖になっていて、通るのにちょっと怖い、曲輪としてはこれまでに一番細い尾根曲輪でした。主郭は手前に堀切・切岸を設け強固に進入を防いでいます。主郭はまあまあ削平されていて2段構造になっています。主郭の西側は急斜面になっていて、巨石を防壁とした強固な造りとなっています。
この細尾根の奥を塞いでおけば、敵は1兵づつしか当たれないので多勢は無効となる、城を守り切った理由がわかりました。1本道の攻城でしたが、なかなか面白い城跡でした。
これにてこの旅終了。上田城と周辺の山城を目的として冬場に行くためとっておきにしていましたが、逆に積雪で予定がだいぶ削られてしまいました。でも念願の上田城攻城できたので良しとします。個人的には長野県の蕎麦はやっぱり旨い!日本一だと思う。また長野県の百・続百名城を制覇してしまったが、行きたい魅力的な山城が沢山あるので、ゆっくりと攻略したい。走行距離894㎞無事走破。
<満足度>◆◆◇
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2025/01/31 19:40
クマったね (2024/09/15 訪問)
長沼城は長沼小学校の北にある小山の上に築かれていました。入り口にクマ出没情報ありと案内板があります。最近じゃん、クマったねえ・・
ここ小学校のすぐ近くでしょ、良くないね・・ほんと。とりあえず登ります・・熊は一日に何十キロも移動しますが、まだそのへんにいる可能性も有るので慎重に登ります。本丸には神社があり、背後に土塁が残り、西側に二の丸が配されています。今回は本丸と東側の曲輪を散策し、二の丸の訪問はほどほどで引き返しました。比高はそれほどでもありませんが、各曲輪の周囲は切岸となっていて防御力を高めているようです。
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2025/01/31 19:23
南北朝時代 (2024/09/16 訪問)
大波城は比高40mほどの丘陵に築かれ、現在は公園として整備されています。遺構は見当たりません。
南北朝時代、北畠顕家に仕えた大波倶成民部丞の城のようです。顕家が戦死した後は弟・顕信が鎮守府将軍となり後醍醐天皇の孫・守永親王を奉じて国政と軍政を司るが正平7年(1352)3月に多賀国府が足利の軍勢に攻撃され15日に陥落、17日に足利軍の追撃を受け親王、顕信らは逃れて、刈田郡三沢城を経て大波城に逃れたようです。
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