熊出没の表示に怖気付いて本丸まで行かず、いまだに後悔してます。
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2024/03/20 21:14
高山城 (2024/02/23 訪問)
熊出没の表示に怖気付いて本丸まで行かず、いまだに後悔してます。
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2024/03/20 21:02
龍潭寺 (2023/11/19 訪問)
龍潭寺のお庭が素敵すぎました。大河の直虎から、龍潭寺が好きです。
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2024/03/20 20:58
寺部城 松平元康の初陣 (2024/03/17 訪問)
寺部城は文明年間に鈴木下野守重時によって築かれたとされています。弘治4年(1558)鈴木重辰が今川氏から離反し、織田信長に寝返ると今川方の松平元康(徳川家康)らによって攻撃されたとされています。元康はこれが初陣と伝わっています。
(この辺は大河では描かれなかったようです)寺部城は再び今川方に付きますが永禄9年(1566)織田方の重臣・佐久間信盛に攻められ落城し、寺部鈴木氏は織田と手を結んだ松平氏の臣下となったそうです。
慶長15年(1618)徳川家家老の渡辺守綱が1万4千石で入り陣屋を構え明治まで続いたとされています。城址西側の守綱神社の奥手の森には鈴木氏の時代の土塁が残っています。陣屋内にあった書院は挙母城跡である豊田市美術館の敷地内に移築されています。
寺部城‥愛知県豊田市寺部町
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2024/03/20 19:53
岩略寺城 本丸内を仕切る土塁 愛知県豊川市 (2024/03/17 訪問)
岩略寺城は小牧・長久手の合戦の後に改修を受けているようです。目的は駿府に向かう羽柴軍の侵攻を遅らせることで、時間稼ぎのために防御力を強化されています。加藤先生の講義によれば、これらの山城に新たに築かれた遺構として横堀(土塁)などが挙げられるようです。
岩略寺城にも三日月掘があり、これらの遺構は野田城や松平城山城にも見られます。
この城の特徴として、本来一つである本曲輪の中を土塁と堀で分断し、防御用と見られる曲輪を増設してあることです。これと同じような仕掛けを古宮城で見たことが有ります。古宮城も本曲輪内を岩略寺城よりはるかに大きな土塁で分断しておりました。岩略寺城は本曲輪を南北に分断し北の防御力を強化しています。古宮城は曲輪を東西に分断していますが、両城とも増設された曲輪が羽柴軍の侵攻側を向いているので、同じ勢力による改修を受けているのではないかと想像しました。
正直、城兵に決死の覚悟を促すような縄張りは美濃守によるものとは考えたくないので、白うさぎと愉快な仲間たちの仕業によるものじゃないかと考えています。間違っていたらゴメンなさいです。
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2024/03/20 19:35
松平城 (2024/01/27 訪問)
【松平城】
<駐車場他>松平郷駐車場(入口広場)数十台分を利用しました。
<交通手段>車
<見所>4郭櫓台・主郭横堀・土塁
<感想>日帰り松平郷の旅4城目。現地説明板によると松平城は応永年間(1394〜1427年)に松平親氏が築城したとされます。松平親氏と松平郷については前投稿の松平氏館跡をご覧していただき、北奥にある松平郷を守る為に南の街道沿いに築城したのかと思われます。
登城口に説明板・縄張り図があります。登城口から進むと4郭に着きます。4郭は広い削平地で最奥に土壇櫓台を備えています。4郭の曲輪壁にわずかに石積みが残っていますが後世の祠跡のようにも感じます。4郭から井戸跡に行けます。最大の見所の主郭を取り巻く横堀へは井戸跡の前を通過してそのまま奥に進むと行きやすいです。北側からは羊歯藪がひどくて帯曲輪が通れませんのでこのルートしかありません。横堀は南に竪堀となって落ちていて主郭北東側の帯曲輪と繋がっています。3郭2郭は狭い斜面の尾根曲輪で曲輪感は全く無いです。主郭は広い削平地で土居は無く顔を出した巨石がありました。
<満足度>◆◆◇
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2024/03/20 19:12
2024/03/20 19:03
2024/03/20 17:44
長沢城 長沢松平氏の城郭 (2024/03/17 訪問)
長沢城は愛知県豊川市古城と呼ばれる高台に築かれています。東海道を挟んで岩略寺城と向かい合っており、小牧・長久手の合戦のあと駿府に進軍してくる羽柴軍を挟撃する予定でいたようです。この地域の目玉は何と言っても岩略寺城なのですが、対になっているという城郭ということで掲載させていただきました。宅地化が進んで遺構は残っていませんが、城址周辺は周辺に対してわかりやすい高台になっていて、宅地の中に城址碑が建てられています。城址碑はいつでも見学が可能です。
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2024/03/20 12:00
2024/03/20 11:54
2024/03/20 11:47
2024/03/20 11:41
2024/03/20 11:37
2024/03/20 09:38
キンコンカンコ~ンが聞こえてきそう。 (2024/02/10 訪問)
下河辺 政義さんが築いた「志筑城」。
お名前は"しもこうべ" と、お読みします。
下河辺さんは、源 頼朝さんに地頭職を任じられた方です。
南北朝時代に「志筑城」は廃城しましたが、江戸時代には陣屋があったそうです。
廃藩置県の後は、平成23年まで小学校でした。
田畑が広がる道をドライブし、坂を上がると、案内された場所には2本の門柱がありました。
「志筑城」跡と言うより、小学校の跡のような感じが強いです。
この門を、車で進入するのが心苦しいのですが、元校庭(?)に駐車しました。
でこぼこした地面には、霜が降りたようで、ぬかるむ時間にはタイヤがはまってしまうのではないかと心配です。
郭に学校があったのでしょう。広い空地には土塁が囲ってます。
郭の中央に説明板があります。近くに石碑があります。こちらは幕末に活躍した、伊東 甲子太郎さんの物です。資料も扉つきのケースに用意してありましたが、伊東さんの物でした。
あと、赤いポストがあります。
資料を読み、なんだか小学校で勉強している気持ちになった「志筑城」攻めでした。
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2024/03/20 08:22
三連休初日の攻城② (2024/02/10 訪問)
宇和島市内にはもう一つ、城びとには登録されていない高森城があるようですね。こちらは旧津島町で天ヶ森城も近いです。南楽園梅まつりが開催されていましたが、スルーして白王神社から登城開始。いったん下って尾根を上っていきますが、わかりやすい登城路となっている訳ではありません。一応、最高所の主郭らしき地点にはたどり着けたようですが、ここも城に関する表示等は一切なかったので何とも言えません。
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2024/03/20 00:16
①偕楽園 梅まつり (2024/03/09 訪問)
上野駅から常磐線に揺られ、偕楽園と水戸城へ行ってきました。
梅まつり期間中の土日休日・日中の下りのみ停車の臨時駅、偕楽園駅で下車するとJR東日本の社員さんや駅長さんのお出迎えが!特急ではなくて18きっぷ利用の普通列車だったのもあってびっくり、そしてうれしかったです(^o^)
九代藩主徳川斉昭公創設の園内には約100種、3,000本の梅が植えられています。広い園内で見事な景観をゆっくりと楽しみました。
また、梅の実は非常食で、竹は弓の材料、好文亭は物見櫓というように軍事を考慮した施設であったということを意識しながら歩くと味わいも増し、お城見学と同じような感覚になったりもしました。
特に印象深かったのは薄暗い杉林の向こうに見えた一面薄いピンクの梅林です。この一瞬に斉昭公の世界観が投影されているのだと思うと感慨深いものがありました。
このあと水戸城に向かいましたが、偕楽園駅発の電車がちょうど来るタイミングで、期間限定の臨時駅で下車も乗車も出来てラッキーでした。
お昼は水戸駅近くの「麺や 三つ葉葵」さんで“カレー味噌ラーメン”をがっつりいただきました!
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2024/03/19 23:59
2024/03/19 23:25
岩略寺城 東三河屈指の山城で古宮城との共通点も見られる。 (2024/03/17 訪問)
岩略寺城は長沢松平氏の城とされる長沢城と国道1号線(東海道)を挟んで向かい合う標高169mの御城山に築かれています。
古くは今川氏の一族、関口満興によって築かれたとされますが詳細はわかりません。小牧・長久手の合戦の後、羽柴秀吉の駿府侵攻に備えて徳川家康によって改修されたとされていて、東三河の山城を代表する縄張りを誇ります。加藤先生の講義にもありましたが、東海道を南進する羽柴の軍勢を対岸の長沢城と挟撃する予定でいたようです。
新城の古宮城といくつか共通する部分があるようです。郭の周囲を走る横堀(三日月堀)そして本丸を土塁や堀で分割し、新たに郭を設けている部分です。この本丸を分割した郭は羽柴軍の進行方向を向いていて本丸に敵が侵入しようとしても容易に落城をするべきではないという意味合いを含んでいるのかもしれません。
他にも侵入した敵に対し隠した武者で迎撃する武者隠しなどの、この城独自の仕掛けもあり三河の山城を語る上で欠かせない城であると思います。
岩略寺城‥愛知県豊川市長沢町字御城山
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2024/03/19 21:02
五平餅屋 あさぎり 愛知県豊田市花沢町 (2024/03/17 訪問)
五平餅屋 あさぎり には豊田市の松平城山城に行く途中に立ち寄りました。国道301号線の道沿いのコンビニに隣接しているのですぐにわかります。メインはなんといっても五平餅でうどんやそばとセットで頼めます。そばやうどんはハーフサイズでも選択できます。
写真が小さいので五平餅の大きさがわからず通常のセットで頼んだのですが、思ったより五平餅が大きかったです。武田信玄の軍配くらいあるんじゃないか?‥いやいや横幅はそこまでじゃないから。
五平餅を半分残して、お持ち帰り用のパックにしてもらいます。少し歩くとお腹の中に隙間が出来てきました。戻ってデザートのクリームぜんざいを頂きます。別腹ってやつですね。残った五平餅は城攻め用の兵糧丸です。三河の山の中はやっぱり五平餅ですよ。
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2024/03/19 20:20
丹羽氏重奮闘す コスパ最高の城 (2024/03/17 訪問)
岩崎城は県道57号線を北上していくと右手に復興天守が見えてきます。小ぶりな復興天守は本丸南東に築かれており周囲は城址公園として整備されています。天文7年、丹羽氏清が築き本郷城から移ったとされ、丹羽氏は織田氏に属した後は家康公に従いました。
天正12年の小牧・長久手の戦の際に城主氏次の弟氏重が守り、羽柴秀吉方の武将、池田恒興が岡崎に中入りを仕掛けた際には氏重が城兵300を率いて戦いを挑み討死をとげたそうです。
周囲は市街地ですが意外と遺構が残り、本丸周囲の堀と二の丸周辺の堀が残っています。本丸の北西には土塁と櫓台が残り、南西には古墳が残っています。本丸南東には櫓台がありそこから少しずらすようにして模擬天守が建っています。模擬天守とはいえ、なかなか雰囲気があり、城館風の歴史資料館と合わせて閲覧は無料(!)です。無料とはいえ展示はなかなか充実しておりコスパも最高です。
二の丸には本丸から橋を渡って行け、周囲に土塁が良く残っています。この二の丸は馬出の役割をしていたとも考えられています。
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