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トベシュン

沖縄13城跡巡り (2023/04/05 訪問)

二泊三日で沖縄13城巡りをしてきました。
座喜味城跡、安慶名城跡、勝連城跡、浦添城跡、中城城跡、今帰仁城跡、首里城、具志川城跡、南山城跡、知念城跡、垣花城跡、玉城城跡、糸数城跡の13城。

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トベシュン

沖縄13城跡巡り (2023/04/05 訪問)

二泊三日で沖縄13城巡りをしてきました。
座喜味城跡、安慶名城跡、勝連城跡、浦添城跡、中城城跡、今帰仁城跡、首里城、具志川城跡、南山城跡、知念城跡、垣花城跡、玉城城跡、糸数城跡の13城。

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トベシュン

沖縄13城跡巡り (2023/04/05 訪問)

二泊三日で沖縄13城巡りをしてきました。
座喜味城跡、安慶名城跡、勝連城跡、浦添城跡、中城城跡、今帰仁城跡、首里城、具志川城跡、南山城跡、知念城跡、垣花城跡、玉城城跡、糸数城跡の13城。

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朝田 辰兵衛

赤い城さんへ~解答~ (2023/04/01 訪問)

バックに映る冠雪した山は,出羽富士と称され,日本百名山の一つ「鳥海山」です。鳥海山は秋田と山形の県境にまたがる,標高:2000mを超える山です。「秋田」のような空気感は漂っているので,イイ線いっているかと思います。
しかしながら,山形でした…。この時,山形の桜はまだ蕾でしたので,まさしく今頃咲き誇っているかと思います。
さて,城輪柵は出羽国府推定地。政庁南門と東門が復元されています。クイズ画像は,東門の内側と礎石と鳥海山を収めたものです。織田晃司さんは南門の外側と鳥海山をコラボさせてます。
秋田に潜入される際は,ここもぜひ立ち寄っていただきたいと思います。

で,赤い城さんからのクイズですが,これはとても美しいと思い,「いいね!」をした記憶があります。たしか昨年だったかと…。
「桐生城」でいかがでしょうか…?
このころ,福祉関連で接していた方が偶然にも「桐生さん」でしたので,何気に合わせて記憶にインプットされていました。

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トベシュン

沖縄13城跡巡り (2023/04/05 訪問)

二泊三日で沖縄13城巡りをしてきました。
座喜味城跡、安慶名城跡、勝連城跡、浦添城跡、中城城跡、今帰仁城跡、首里城、具志川城跡、南山城跡、知念城跡、垣花城跡、玉城城跡、糸数城跡の13城。

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トベシュン

沖縄13城跡巡り (2023/04/04 訪問)

二泊三日で沖縄13城巡りをしてきました。
座喜味城跡、安慶名城跡、勝連城跡、浦添城跡、中城城跡、今帰仁城跡、首里城、具志川城跡、南山城跡、知念城跡、垣花城跡、玉城城跡、糸数城跡の13城。

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トベシュン

沖縄13城跡巡り (2023/04/04 訪問)

二泊三日で沖縄13城巡りをしてきました。
座喜味城跡、安慶名城跡、勝連城跡、浦添城跡、中城城跡、今帰仁城跡、首里城、具志川城跡、南山城跡、知念城跡、垣花城跡、玉城城跡、糸数城跡の13城。

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にのまる

【かるた】水戸城の読み札

薬医門 くぐれば学舎 水戸城址


うらやましい限りです。
写真はPC発掘して差し替えるかもしれないです。

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トベシュン

沖縄13城巡り (2023/04/04 訪問)

二泊三日で沖縄13城巡りをしてきました。
座喜味城跡、安慶名城跡、勝連城跡、浦添城跡、中城城跡、今帰仁城跡、首里城、具志川城跡、南山城跡、知念城跡、垣花城跡、玉城城跡、糸数城跡の13城。

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じゅんじん

神社 (2023/03/04 訪問)

浄水場に停めて歩きました。城址碑が立派。畑を超えると虎口がありました。奥は神社。桜も植えて選りました。

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じゅんじん

神社 (2023/03/04 訪問)

土塁がありました。城址碑見逃した~

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小城小次郎

外周がとにかく巨大すぎる (2022/11/26 訪問)

この古代山城は一周6.8km(総延長8.4km)にも達する巨大な城壁に守られている。未だ百閒石垣と大宰府口門くらいしか見てないので本当にごく一部しか見ていないわけだがそれでもお腹いっぱいになる空恐ろしさよ。

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じゅんじん

メイン (2023/03/04 訪問)

山の中には遺構が広がっています。石垣があります。江戸時代も使用したとか。城門も残っています。

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じゅんじん

ちょい上り (2023/03/04 訪問)

麓のお寺に駐車場有。トイレと説明板もあります。途中に城主のお墓がありました。

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二上山城は高く険しすぎ。街道近くの場所に道竹城を築城 (2023/04/01 訪問)

「城びと初投稿いただきます」(ぴーかるさん投稿からのぱくり)。
岩美中学校北側の道に仙英禅師碑の標識あり。水道施設経由で登っていくと、碑と道竹城の分岐標識あり。道竹城本郭に近づくほどに、笹の勢いが強くなっていきますが、刈って道を確保してくれています。城郭放浪記さんによると「山頂部は木がないこともあって背丈を超える薮状態である。」とのことで、どうなることやらと思ってましたが、案外よい感じかもと進みます。本郭の虎口から標柱まで笹を刈ってくれてますが、力尽きた感が。矢竹は手強い。
東側に郭があるとのことなので、笹をかき分け、10mも進まぬうちにギブアップ😩あきらめて元来た道を帰ります。少し降りて右手の尾根に平削地の気配あり。よじ登るとやっぱり郭。その向こうには広めの山道も。この道を登っていくと、供養塔があり、本郭の南側切岸下に到りました。切岸をよじ登ると笹薮の向こうにさっき来た場所が見えました。
降りは、この広めの山道を降りました。麓の畑の脇を通り、岩美中学校のグラウンドに出ました。

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赤い城

夢じゃ無いです (2023/03/04 訪問)

チェブさん、せっかくご覧頂いたのに投稿消しちゃいました。
すみません。
おっしゃるように城址は龍ケ崎二高。
土塁はグラウンドの脇にあります。
鹿島神社から奥に進む道があり、一応フェンスの外に土塁が残っていました。
この日は早朝の登城でしたが不審者とも疑われそうですしね。
アウトでしたら再度消去するのでご指摘ください。
ちなみに鹿島神社には仙台藩関係の石造物があり、市の市民遺産となっています。

にのまるさん、疑ってすみません。
素直にお祝い、ありがとうございました。
後閑城では無いです。
改めてこの城の投稿見返すと少ない!
クイズ向きの城ではなかったです。
良い城なのですが。
ヒントはソースカツ丼かな?

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にのまる

クイズじゃないです💦

赤い城さん、土塁と桜の写真は何気にクイズ…ではなくて、純粋におめでとう㊗️フォトです!
あの写真でクイズだったら激ムズな気がするのですが、わかる方いらっしゃいますでしょうか?

群馬県の🌸のお城は、後閑城が思い浮かんだのですが違うかなー。そもそも行ったことのあるお城が群馬県は多くないので…。

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チェブ

坂の上、階段の上、綱の上。 (2023/02/25 訪問)

茨城県龍ヶ崎市の「龍ヶ崎城」。
竜ヶ崎氏を滅ぼした土岐氏が、築きました。
その後、佐竹氏と土岐氏で取ったり取られたりしますが、最終的に、秀吉さんの討伐で廃城しました。

竜ヶ崎第二高等学校が「龍ヶ崎城」跡のようです。
駐車場はありません。
高学校がこんもりとした山の上にあり、 正門に続くであろう道も、車で進んで良いか分かりません。
路駐しようと思ったのですが、学校の下の道は一方通行で入れないし、狭いです。
大回りして、学校の階段側に。もちろん、駐車場はありません。
『龍ヶ峯の歩み』という石碑と階段を写して退陣です。

近くに病院があり、駐車場まちの列に並んでしまいました。
その時、八坂神社祇園祭での説明板を見つけパチリ。
足元には『撞舞』のタイルが。何枚かあるようですが車の列で、足元のみパチリ。
病院の駐車場の列には、目的が違うので離脱。
退陣しました。

祇園祭の最終日に『撞舞』があり、高さ14mに張られた綱の上で、演技するんだそうです。
雨乞いや五穀豊穣を祈る、舞を奉納するそうです。演者だけじゃなく、観る方も緊張するんじゃないでしょうか?

ところで「龍ヶ崎城」。私、最近、どなたかの投稿で見る事のできなかった土塁の写真に『おぉー』の声が出てしまったのですが、消去されてしまいましたかな?
それとも、夢でもみてたのかな?(^ー^)

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姫街道

思川から見上げる本曲輪が最高! (2023/04/07 訪問)

縄張りによる下調べでは、御城側からの主曲輪への防御が手薄かな?と感じて現地入りしましたが、思川からの切岸を見て納得。変革しているとはいえこの高低差はムリ。「馬出しを繋いだような珍しい構造」との評価もあり、そんな視点で見てみるのも楽しい!城の最北、本祇園曲輪の縄張りが規模・構造共に迫力があり、城全体を引き締めている。

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ぎりょう

とても見やすい石垣の城 (2023/04/01 訪問)

新府城に続き甲斐路二城目は甲府城。四十数年前私が働き始めたころ甲府に出張したおり電車の窓から見て初めてこの城の存在を知った記憶がよみがえった。その当時は櫓や門も復元前であり石垣上の大きな謝恩碑だけが目立っていたように思う。
今回の甲府探訪の宿泊地について市内の温泉地も考えたが、翌日の攻城を視野に入れ、旧城内屋形曲輪跡地に建つ「城のホテル甲府」に決めた。ホテルの13階にある大浴場展望フロアからは至近距離で本丸の姿を望むことができる。
現在の城址は市街化により往時の三分の一になってしまったようだが、本丸・天守台・稲荷曲輪・数寄屋曲輪・天守曲輪など野面積みの石垣が舞鶴城公園として整備されてきれいに残っている。また稲荷櫓や鉄門等が復元されており、とても美しく見やすい城址であると感じる。
天正10年(1582)の武田氏滅亡後甲斐は一時家康の支配地となるが、天正18年(1590)に家康が関東に移封された後は秀吉配下の羽柴秀勝、加藤光泰、浅野長政・幸長父子が城主となる。甲府城の完成は文禄年間、浅野氏時代といわれており、いわば関東抑えの城である。今も残る立派な天守台には織豊期の天守閣がそびえたっていたと想像をめぐらせてしまうのは私だけではあるまい。

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