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mrkm880144

志津城階段 (2002/04/11 訪問)

もう一度でも行ければ幸せだと思う

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トク

熊本城の復旧状況(2023春) ⑥ 二様の石垣と本丸御殿 (2023/03/30 訪問)

行幸坂を登り南口ゲートで入場料を払うと特別見学通路に入ります。まず悲惨な光景のまま放置されている数寄屋丸が目に入ります。その前を通ると有名ないちばん美しい石垣「二様の石垣」が見えてきます(左が加藤時代、右が細川時代)。(写真①)。その細川時代の石垣(右側)、以前ここのはらみと崩落を伝えしました。ここは復旧対象の場所にはなっていないようです。という事はこのままなのか、やはり後で少しは補修されるのか?(素人なので私にはこれ以上よく分かりませんが・・・)。今すぐに崩落の危険はないにしても、また同じ規模の地震が100年後には必ずやってきます。後回しでもいいので、二様の石垣のわずかなはらみも含め何らかの対策が今後なされる事を祈ります(写真③④⑤)。

ここを過ぎると、特別見学ルートは御殿下の闇り通路(くらがりつうろ)を通り本丸へ入ります。闇り通路は天守と同時に復旧しています。しかし藩主登城口(本丸御殿下)も復旧していますが近くには行けません(写真⑧)。ここをくぐらないと天守に近づけないと作りになっているとは、本当に清正公には脱帽です。

現在の天守には2か所の入口がありますが(写真⑩)、清正時代の天守に入口はありませんでした。敵は闇り通路を攻めながらやっとくぐり抜け本丸に出た所で、天守への入口がないので迷ってしまうでしょう。実は闇り通路に秘密の入口があり、そこから本丸御殿にいったん入り、渡り櫓で天守に通じるように当時はなっていたようです。細川時代の歴代の藩主は、この闇り通路の秘密の入口から本丸御殿や天守へ登城していたようです。そして御殿の中には、まさかの折に脱出する抜け道(隠し部屋から井戸へ)も実は用意されていました。

しかし、復旧している闇り通路とは対照的に、その上に建っている本丸御殿はまだ相変わらず壁は剥がれ落ち、傾いたままの悲惨な姿で、外観的にはまだ手付かずに見えました(写真⑥⑦)。地震発生の2週間前に私はこの中にある「昭君之間」を見学して感動し、なぜ清正公がこのような大天守と大城郭を築いたのか、その理由がここにあった事を以前お伝えしました。この御殿の中は、今はいったいどうなっているのか? 2032年の復旧が本当に待ち遠しいです。

次は、西大手櫓門(西出丸)周辺の現状です。
 

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イオ

【かるた】姫路城の読み札と絵札

日本(にっぽん)の 世界の宝 姫路城

国宝天守群を擁する姫路城は日本の宝であることは言うまでもありませんが、もはや日本にとどまらない世界の宝、未来に承継すべき人類の宝ですよね。

豪壮と 優美が併存 姫路城

姫路城といえば、白鷺にも例えられる優美な白亜の天守が最大の見どころですが、備前丸から見上げるとそのあまりの巨大さと迫力に圧倒され、豪壮な軍事要塞であることを実感させられます。豪壮と優美が併存しているところがたまらない魅力です。
 

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美夢

【かるた】名護屋城の読み札


黄金の 茶室貸し切る 名護屋城

読み札のみの投稿です
城びとさんの記事を読んで早速詠んでみました
庶民でも頑張れば手が出るお値段ですし
来訪出来た時には、是非、太閤気分を味わってみたいものです

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todo94

2022年度最後の一日① (2023/03/31 訪問)

残務整理と新年度準備が何とか片付いたので年度最後の一日は休みを取って大河ドラマ館をターゲットに静岡に向かいました。中部横断道の双葉ジャンクション以南が全通したので、静岡がとても近くなったように感じます。大河ドラマ館に赴く前のオードブルとして安倍城に朝駆けしましたが、オードブルというには食べ応えがありすぎる城でした。西ヶ谷から攻めて久住砦はパスし、トータル1時間20分で攻城を終えました。

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にのまる

【かるた】新発田城の読み札

三匹の鯱と海鼠の新発田城

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カズサン

天守台と埋門 (2023/03/21 訪問)

 模擬三重櫓探訪観察を終えて本丸内部に入り南西角に在る天守台を目指す、前回16年前は超広角レンズを用意してなかったので天守台全体が撮影できなく、今回は北、西、東、南側に回って探訪観察、大天守台・小天守台・埋門西櫓台の三連の石垣を南西側から狙い、西の大天守台と穴蔵虎口と登り石段狙い、藤堂高虎公騎馬像に挨拶、北側の小天守台と大天守台狙い且つ埋門も入れての大広角構図と楽しく撮影、残念ながら天守台に登れないのが唯一残念。

 歴史的には藤堂高虎の津城完成期には大坂の陣も徳川氏の勝利に終わり体制も固まり、天守閣の存在も必要としなくなり建設されなく大天守台・小天守台のままに成った様です、西面には西多門櫓が大天守台北面に続き、南面は南多門櫓が埋門続きで小天守台に続く構造でした。もし高虎が築いていれば天守閣は五層の複合式層塔型天守閣だったのでしょう、妄想が膨らみます。
 
 

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カズサン

模擬三重櫓 (2023/03/21 訪問)

 伊勢志摩未踏・再登城2泊3日城廻の3日目、雨予想の曇り日早朝に津市美里町にある細野城(長野氏城東の城・中の城・西の城)を訪ね登城口と駐車場の確認をして雨も降り登城路が荒れており登城を断念し、平成19年6月以来の16年振りの津城を目指す。
 駐車場:津市丸の内32-28、模擬三重櫓の北東約50m(有料)

 駐車場を出るとすぐに丑寅三重櫓台い石垣が目に入り、黒鉄門枡形の東多門櫓台に昭和の城ブーム頃に建った模擬三重櫓(昭和33年復興)が眼前に聳えてる、超広角レンズも用意してきたのでレンズ交換し撮影、三重櫓には入館できず、周辺と櫓石垣に登って撮影。
 外観は層塔型三重櫓で白漆喰総塗籠の白壁、二階には唐破風と千鳥破風を各二面交互に、三階は千鳥破風を南北に、一階には模擬石落とし三面に設置、北側に入口、入口側の石垣上両端に白塀が付属してる。

 藤堂高虎の津城は大坂の陣の前、慶長13年(1608年)伊予今治から伊勢伊賀22万石で入封し伊賀上野城と津城を大改修し現在一部残ってる本丸、西の丸の石垣、北側の水堀を見る事が出来る。
 
 

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ぴーかる

畝状竪堀群と2重横堀の融合 (2023/03/19 訪問)

【広瀬城】
<駐車場他>車道入口<36.201959, 137.217003>を東南方向へ車1台通れる砂利道を進み、行き着いた所に城跡説明板があり2台程駐車できます。
<交通手段>車

<見所>畝状竪堀群・堀切
<感想>日帰り強行飛騨山城攻めの旅4城目。広瀬城は別名田中城ともいい、現地説明板によると室町時代に広瀬利治が築城したとあり広瀬氏の本拠地でした。江戸時代に書かれた飛州志には「旧称広瀬ノ城卜云う。広瀬宗城家臣田中与左衛門之を守る」とあります。1583年に三木自綱は広瀬氏の城を攻め取りますが、1585年に金森長近が飛騨に進攻し三木自綱を攻め滅ぼします。
 ゲートを開けて中に入った左手が連段となって曲輪があり、奥に進むと田中筑前守墓碑があります。城跡は山全体に地形に沿って広がりをみせる曲輪群があり、中心を南北に大堀切で仕切って東西に分けています。中心の大堀切から東側に大きい曲輪が2つあるのでどちらかが主郭だと思います。中心の大堀切から西側には表面観察できる畝状竪堀が多く残り、北側の南北に長い曲輪の最北には畝状竪堀群と2重横堀が混ざり網目状に堀が施され圧巻の見応えです。名付けて畝状竪横堀群と言っても過言ではないです。最西の大きい曲輪は周囲を畝状竪堀で囲んでいます。北側は杉が植林整備がされているので大きい畝状竪堀群が圧巻です。曲輪南側も同じような規模だったようですが、南側は灌木の落葉の堆積でかなり堀が薄くなっていました。その曲輪の最西に大堀切があり畝状竪堀と合流して見応えあります。畝状竪堀の多さと見応えは見てきた中でも上位ランク、少し特異な縄張りも散策していて楽しかった。かなり見応えある城跡でお勧めです。

<満足度>◆◆◆

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トク

熊本城の復旧状況(2023春) ⑤ 飯田丸五階櫓 (2023/03/30 訪問)

清正公の銅像から行幸橋を渡り、行幸坂を少し登ると、備前堀を挟んで、奇跡の一本足で有名になった「飯田丸五階櫓」が右手に見えます。近づく事はできないので、ここから堀を挟んでしか見る事はできません。ここも現在は解体され櫓の資材は保管されています。石垣を一から積み直す作業が本格的に始まっているようで、足場が組まれ重機が入っていました。やはり勇気を与えてくれた五階櫓の復旧を一日でも早く見たいと願っている市民は多いのではないでしょうか?

実はこの飯田丸五階櫓、今回の地震の崩落で新たに分かった事実がありました。加藤忠広(清正の子)が築いたとこれまで言われていますが、櫓台の中から清正時代の石垣が出てきたそうです。つまり、清正がいったん櫓台と石垣を築き、その外側に忠広が裏込めの粟石とさらに石垣を築いて櫓台を拡張し、その上に五階櫓を建てていたという事実です。これは地震がなければ永遠にわからなかった事になります。今回の復旧では、完全に元のとおりにするそうです。つまり土台をしっかり固め、清正時代の石垣と、その外側に忠広時代の粟石と石垣を復旧して元のとおりの櫓台にして、そしてその上に解体保存されている五階櫓を組み上げるとの事です。私には清正時代の石垣を見る事ができないまま埋め戻されてしまうのがちょっと残念ですが・・・(もう埋め戻しは始まっていました😩)。

ここは他に比べ急ピッチで復旧が進んでいるように見えました。おそらく3番目に復旧するのは、ここではないかと思います。それでもあと2~3年はかかるでしょう。どのように再建された飯田丸五階櫓が見られるのか、今から本当に楽しみです。

次は「二様の石垣と本丸御殿」の現状です。
 

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イオ

【かるた】千早城の読み札と絵札

楠公さん 足跡(そくせき)偲ぶ 千早城

千早城には一目瞭然な遺構はないものの、二の丸跡には楠木正成(大楠公)と楠木正行(小楠公)を祀る千早神社がありますので、読み札のネタはやっぱり楠公さんで。それよりも明瞭な遺構がないため、絵札が難しいですね。一応、二の丸跡(千早神社本殿)と三の丸への石段(堀切跡?)の写真を投稿しますが、この写真だけで何城かわかる人っているのかなぁ…。少なくとも私はわかりません(笑)
 

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ホリタカ

古城公園 (2023/04/23 訪問)

高岡駅から徒歩で15分くらいです。前田利長公の像がメインですかね。近くには高岡大仏もあります

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ホリタカ

ダムもあります (2023/04/23 訪問)

新高岡駅からレンタカーで30分くらいで増山陣屋に到着。ダム管理事務所でダムカードもらえます。冠木門から一の丸、二ノ丸を回っても1時間弱です。

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かさニャ

【かるた】伊賀上野城の読み札 (2016/06/11 訪問)

高虎の 高石垣の 上野城

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ぎりょう

かつての土塁、濠跡を確認! (2023/04/23 訪問)

今日は地元大崎市の名称となっている「奥州探題大崎氏」の居城名生城に。自身が所属する古文書の会定期総会があり、記念講演および城址探訪が企画され会員諸氏と城址を歩くことができた。この城の詳細については過去(2020年1月)にこの欄に投稿済みであり、そちらを参照していただきたい。
会議・講演は大崎市の岩出山中央公民館(スコーレハウス)で開催。その後希望者30人ほどがかつての北館跡に建つ浄泉院駐車場に集合し、宮城県北地区の中世城館研究の第一人者佐藤信行氏にご案内いただいた。コースは北館をスタート地点として大館、小館、内館と進み、各館を防御した壕跡や土塁、空堀、帯曲輪などを見ることができた。
自身これまでに数回訪れているのだが、城域も広く、高低差もあまり無く、現在は民家や農地に改変されて判りにくかった遺構も時間をかけて歩くことではっきりと確認することができた。
さすがに日頃から「古文書が語る地域の歴史」について深い関心を持って学習している会員諸氏だけあって真剣そのもの。天正18年(1590)大崎葛西一揆の際に一揆勢が立て籠もり、蒲生氏郷により攻め落とされ伊達政宗との確執で氏郷が数ヶ月籠城したことを皆さんご存知で、いったいどの館に籠ったものかと楽しい話題で大いに盛り上がった。

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ホリタカ

駅から15分くらい (2023/04/22 訪問)

富山駅から徒歩で15分くらい。路面電車でも3駅くらいです。レンタサイクルで富山城と環水公園を回ってもいいかも、

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T-Shionoya

戸倉城で城跡遺構を探索 (2023/01/28 訪問)

北条領の城を巡っていると、たびたび目にした静岡県清水町の戸倉城の名前。

伊豆中央部から北に流れる狩野川の、河口から約7km。その川を蛇行させる標高75mの山に築かれた戸倉城。
狩野川との間の平地部を守る壁の様にも思える城。
駿河湾へ繋がる水運の拠点となり、陸路も東海道と下田街道の監視ができたでしょうか。

築城時期は定かでないが北条氏綱の築城とも伝わり、1500年代後半には沼津三枚橋城の武田氏と激突。
裏切りにより1度は武田方に寝返るが、武田滅亡後は再び北条方の城となりました。

現在は主曲輪(本城跡)周辺が本城山公園となっており、城主の居館があったとされる場所は龍泉寺に。
西曲輪には八坂神社が建てられていましたが、最近解体されたようです。

訪問時は北駐車場から入城し、東駐車場方面や龍泉寺、八幡神社を経て大手口の水神社へ。
主曲輪の切り株型展望台に上がると、沼津から三島、韮山まで見晴良好。しかし主曲輪西の土橋以外、城らしい遺構を見ることは困難。
また八坂神社へは道がわからず、翌日に再チャレンジ。
八坂神社への道は、西曲輪の西側に山を越える遊歩道があり、その北口の民家の裏にある隠し階段のような細いコンクリート階段。
西曲輪周辺は狭いものの、城跡らしき遺構が確認可能。

遺構探しを楽しんだ戸倉城が、私の城郭巡りの144城目でした。

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POYO58

何度でも (2023/03/18 訪問)

またまた岡崎城行ってきました。今回は祖父母が初めて行く予定だったので付き合いました。
今回は石垣と水堀をしっかり見てきました。
雨だったので結構大変で桜はまだ満開ではありませんでした。
今回すごいなと思ったのが石垣の化粧ですね。腰曲輪の高石垣の隅石にたての線ができていました。
また石垣で曲輪を丸く囲っているのも面白かったです。

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美夢

【かるた】山中城の読み札

山中城 ツツジ彩る 障子堀

障子堀の絶景 富士山と山中城

別名は ワッフル城の 山中城

新緑の 抹茶ワッフル 山中城


一句目
新緑に鮮やかに咲くツツジはとても美しいですね
個人的な好みではありますが、一番美しい季節だと思います

二句目
破調となりましたが、富士山をバックにした山中城の爽快な美しさを詠んでみました

三〜四句目
山中城の障子堀といえばワッフル
私の行った時には新緑の美しい抹茶ワッフルとなっていました
ツツジが終わってしまっていましたが、満開に咲いていれば、まるで苺ジャムのようですね

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あみりん

出石有子山城跡散策 (2023/04/23 訪問)

出石そばをお腹いっぱい食べて、続100名城スタンプを貰いに出石観光センターへ。
1年前にも来ていました!
良いお天気に恵まれて絶好の城巡りでした。

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